KAJALLA#3 その2 『ゲームの規則』

今回は、いわゆる「深読み」に関する記事なんだが、そもそも論として、
 小林さんは、一体何をしたいんだ?
っていう疑問が、ずーっとつきまとっていた。
 言葉遊びとイメージを、お手玉のように操りながら、自分の内面を、客観的事実から切り離して語っていくのが小林さんの一連の作品の作り方なんだけど、客観性がないおかげで、見ている側は評価が出来ないのだ。
こういう物を作って、一体何がしたいんだろう。何を目的としているんだろう、というのはずっと自分の中でひっかかっていた。

で、このほど発見したのが、『ゲームの規則』という本だ。
いや、正確には、円城塔が書いた、『ゲームの規則』-全4巻に関する書評だ。
この書評を読んで、小林さん参考図書として『ゲームの規則』を読み始めたんだけど、今現在でまだ2巻の途中で、そして、多分全部は読まないだろうなという確信を抱いている。
だから、もう、書評の方を使う。

レリスは「音の類似に流されがち」な思考を持っている。だからあまり本を読み進められない。文章を書くときも、韻を踏み出して、どんどん思考がずれていく。いや、ずれていく、というより、その意味を持たない音色や、言葉の持つイメージ、文の流れにこそ、真理のささやきが潜んでいるような気がしている。そこには、何らかの、「ルール」がある。規則であり、規律であり、ゲームの決まり事である、ルール。
レリスはそのようなルールを探るべく、ずれていく思考をあえて流れるままにして自分の内面を探り、テーマごとに自分を探求していく。
おかげで、読む方はすっごい読みにくい。仏文を和訳したものだから、音の類似は翻訳者にいちいち説明してもらわないとわからないし、それを除いても、何の話をしているのかすぐにわからなくなってしまう。フランス人の多くもそう思ったらしくて、1巻の最後の方には、発表された最初の章が不評であることが記載されていて、レリスが、僕だって人並みに傷つくみたいなことを書いていた(その辺は率直だ)。

とにかく、この書評と、読みかけの本から、俺にもわかったことがある。
世界は広いから、小林さんみたいな人は他にもいるってこと、そして、その、似ている人が、36年かけて「人生を作品として織り上げ、書くことで、そこにひそむ秘密を解明すること。」にチャレンジしているのなら、同じことを小林さんが考えていたとしても、まあ、おかしくはなかろう。と言うことだ。

というわけで、ここで、KAJALLA#3に戻る。

レリスはもっぱら、言葉の音や響きの持つイメージに拘泥していたが、小林さんは言語だけではなく、形も使う。
今回、目を引いたのは、洒落にならない親方から登場している、白く光る○で、これは月に見立てた丸い板であったり、スポットライトであったり、ちゃぶ台であったりしながら、最後の作品まで舞台に登場し続け、最後の作品で、白い□に置き換えられる。
どうも、○を□にする、というのが、今回の主要課題らしい。
ちなみに、最後の作品は、お金がないと物々交換で不便だよ、という稚拙な話であるが、そうなってしまったのは、○を□にするのに必要ないろいろな「くくり」があって、話に制約が多く科されていたせいではなかろうかと推測している(「重要なのは意味ではない。その効果だ!」)。よくわかんないけど。

いや、そんなことより、そもそも、○が何で、□が何者なんだか説明してくれないと、何をどうしたいのかさっぱりなのだが、その辺は決して客観的に説明されない(「重要なのは意味ではない。その効果だ!」)。
 ○は以前ポツネンでテーマになったときは、コミュニケーションの断絶に基づく喪失とか、孤独とか、虚無とか、その辺のイメージをまとわりつかせていたけど、決して小林さんの敵ではなく、ちょっと困ったお友達程度の存在のようである。○が創作の源泉であることからすれば、「人生を作品として織り上げる」ことと合わせ考えて、人生の親戚と呼ばれる、涙、あたりであろうか。
 一方、□は、仕事と関係しているのは確かで、箱とも関連しているようだが、それ以上のことはよくわからない。
ただ、面接したエイリアンの就職の決め手となったのは、「資格」-しかく-□である。
□があれば、まあ、たいがいのことはどうにかなるんだろうね。
今回はこのくらいで。

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by k_penguin | 2018-04-17 00:02 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

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