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裁判員は何のためにいるのか

いやもう暑くってさ。考えるのとかめんどくって。
このブログの総コメント数の半分超のコメントがついてるエントリーについて、なんか一言言っておいた方が良いかなー、とか思ってるんだけど、文章になるほど考えがまとまらなくって。

で、とりあえず、久しぶりの裁判員ネタ。朝日新聞に裁判員の模擬裁判の記事が載ってたのを斜め読みしたから。
こういう模擬裁判の事例って、まあ、ありがちな事例で、大体成立犯罪も、量刑もあらかた決まっている。
裁判においては、似たような事例では、同じ犯罪を成立させて、ほぼ同じ量刑にしなくてはならない。これは決まっている。だってそうしなきゃ不公平だからね。
だから、もう最初から、落としどころは決まっているのだ。
ところが、一般人の裁判員にはそれが見えていない。
殺人とはよっぽどのことであり、計画性のある犯罪だけを指すという感覚のある彼らに、衝動的であれ、腹から上を刃物の類でぷすっとやればまず殺人の故意は成立になるという感覚はなかなかなじめないだろう。
これを延々説明してなんとか殺意を認定させ、そして、「量刑」なんてまったく目星もつかないもののために、今までの類似事例の量刑をプリントした紙を渡し、当然それに従って量刑を引き出し、やれやれ一安心、となったら、裁判員側としては、結局何のために自分はいたのか、という話になってしまう。

一体裁判のどの部分に民意を反映させたいのか。どの様な議論を一般人に望んでいるのか。
俺的には、無罪推定原則の厳格な適用くらいしか一般人を入れるメリットを感じていないので、否認事件における証拠の吟味や証明の程度の検討の議論くらいしか思いつかない。
しかし、俺の知る限り今のところ、模擬裁判で否認事件は扱われていない(故意を争うものはあったような気がする)。否認事件の数自体が少ないから、まあ当然と言えば当然だが。
また、一般人は証拠の吟味まで考えないことが多いし、正直、吟味の仕方を知らないまま一方的に証拠能力を否定することをわめかれるくらいなら何も考えないでいてくれ、と思うくらいだ(裁判員制度は「しゃべり場」ではない)。

事実認定の場面、量刑の場面、そして法解釈の場面に民意反映はあり得るのかも含め、どの様な点の議論を望むのかを明確にしていかなければならないだろう。
by k_penguin | 2005-08-07 15:29 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(0)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin