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タイトル通り、短編、もしくはショートショートが23編入っている。
どの話も肩肘張らずにさくっと読めて、お茶を飲みせんべいをかじりながら、1時間かからずに読了!
 ・・・というのを期待して読み始めたのだが、残念ながらそうはいかなかった。ものすごく読みにくくて、最初の話「僕と僕との往復書簡」の2ページ目で早くもがっくりして1度本を閉じてしまった。
20年前の自分に宛てた手紙を「ちゃんと届くだろうか。」って、20年後の自分なら届くか届かないか知ってるやん。知ってるくせにからかうようなこの書きぶりって、独り言だよね、しかも、20年後の自分が主体の独り言だよね、これ。…ってことは、この話は、手紙のタイムスリップものの体はしてるけど、「20年前の自分に励ましのお手紙」的な独り言だよね。その割に20年前の自分がどんな人だったかの情報が無いからどんな励ましが必要なのかも分からないけど、まあ、そこはスルーして読み進めて。
・・・えーと、100万円手に入れる方法として「1円の儲けが出る仕事を100万回やる」って、それは仕事が100万回中1回のトラブルもなく成功すること前提だよね。そんな非現実的なたとえじゃなく、せめて「1円のもうけが出るものを100万個売る」にして欲しい。けど、まあ独り言なんだから仕方ないな、スルーして読み進めよう。ページをめくって・・
 郵便局員のくだりとか、未来の自分である証明とかいうくだり全部無駄なだけじゃん。どうせタイムスリップのからくりは説明されないんだろ、独り言なんだから。SF設定の一人遊びの茶番だわ。

 ・・・と、まあ、ずっとこんな感じ。ストーリーに引きつける展開もなく、文章のリズムで読み進めるわけでもない。おまけに読後感もすっきりしない。それとは別に、アイデアノートをそのまま載せたんじゃないかと思われるような、思いつきの書きっぱなし読者放り出しっぱなしの話が混じっていて、読む側のことが考えられていない。
 「落花 8分19秒」は良かったが(ただし、第1ブロックは不要だと思う。視覚イメージがキモの話なので、ヒマワリ畑から始めるべき)、そこにたどり着くまでに疲れ果ててしまった。

 読了まで3日ほどかかったが、総じて、21_21 design sight での展覧会でなら許されるやつ。って思った。
 アイデアノートがそのまま展示されてたりして、デザイナーがアイデアを得るためや、有名なデザイナーの思考の方法を探るためには有益だけど、一般のお客さんが見て楽しむものではない。21_21 design sight での展覧会にありがちなやつ。
 小林賢太郎さんの思考過程や、アイデアの膨らませ方とかを知りたい人は面白いと思うかもしれない。舞台やKKTVのシナリオほぼそのままっていうのもあるし、第二成人式は、20歳の自分と今の自分を比較したところから着想したらしいと自分も、分かったし。百字文学は、その昔山田マチさんが考案した頃にいくつか作ってたとか聞いたから、その頃のものかもしれないから歴史的価値あるかもしれないし。



だとすれば、
今回のカジャラの最後の作品について。
まずあらすじ、なんだが、実はあやふやな部分があって、不正確だ。間違ってるとこがあるかもしれない。



以下ネタバレ
カジャラ,KAJALLA,どっちだかわかんないけど,4回目。
最初の公演地である横浜を選ぶか,最後に近い東京を選ぶか迷った。最初より最後の方がよく練られていて面白いであろうが,当初の小林さんの意図がよりはっきり出ていて,深読みに適しているのは最初の方だからだ。
で,結局,横浜の方を選んだが,さすがに初日は候補から外しておいた。あまり手際が悪くても,意図が読めなくなるからだ。
 横浜選んだ時点で,面白さは期待しないことにした。とは言っても,KKTVⅩよりは面白いだろう。小林さんは舞台の方が向いているのだ。
 
席が2階だったせいか,演者の顔芸がよく見えず,台詞も聞き取りにくい箇所が何カ所かあったが,それでも前回よりは面白かった。途中でショートコントの連作を入れるとか,辻本君大暴れコーナーがあるとか,大体形も決まってきたようだし,みんな芸達者なので,レベルは高い。それとの対比で,黒子の動きの切れが悪いのが気になった。まあ,そのうち良くなるだろうが。
なだぎ武は初参加なのに,すごい元気だった。小林さんと海外ドラマキャラダブルでやるかなって期待してたんだけど,期待は裏切られなかった。つか,予想以上にウザかったので面白かった。突っ走った部分もあったけど,小林さんは別に機嫌を悪くしていないようだった。片桐さんが突っ走ると,流れを害するからすぐ機嫌が悪くなったのにと思ってから,カジャラは,ラーメンズよりも,緩く作られているんだなって思った。

ディープなやつ
どうも。俺です。
小林賢太郎テレビを毎回見て感想を書いている俺ですが、最近は番組を見るだけでよく分からないしんどい思いをしているので、今回は、この番組を見てもらうためにバイトを雇いました。
紹介します、新人君です。
「いっす。あまり小林賢太郎のことを知らないし興味も無い新人です。好きなお笑い芸人は野性爆弾のくっきーです。改名する前から好きでした。ラーメンズはYoutubeでいくつか見ました。」
「では、新人君。私はこっちで『ゴールデンカムイ』を読んでるから、録画しといた小林賢太郎テレビを見てくれ。」
「面白いんですか?これ。」
「面白くないが、コストコのクッキーをあげよう。」
「了解しました。」



1時間後
今回は、いわゆる「深読み」に関する記事なんだが、そもそも論として、
 小林さんは、一体何をしたいんだ?
っていう疑問が、ずーっとつきまとっていた。
 言葉遊びとイメージを、お手玉のように操りながら、自分の内面を、客観的事実から切り離して語っていくのが小林さんの一連の作品の作り方なんだけど、客観性がないおかげで、見ている側は評価が出来ないのだ。
こういう物を作って、一体何がしたいんだろう。何を目的としているんだろう、というのはずっと自分の中でひっかかっていた。

で、このほど発見したのが、『ゲームの規則』という本だ。
いや、正確には、円城塔が書いた、『ゲームの規則』-全4巻に関する書評だ。
この書評を読んで、小林さん参考図書として『ゲームの規則』を読み始めたんだけど、今現在でまだ2巻の途中で、そして、多分全部は読まないだろうなという確信を抱いている。
だから、もう、書評の方を使う。

レリスは「音の類似に流されがち」な思考を持っている。だからあまり本を読み進められない。文章を書くときも、韻を踏み出して、どんどん思考がずれていく。いや、ずれていく、というより、その意味を持たない音色や、言葉の持つイメージ、文の流れにこそ、真理のささやきが潜んでいるような気がしている。そこには、何らかの、「ルール」がある。規則であり、規律であり、ゲームの決まり事である、ルール。
レリスはそのようなルールを探るべく、ずれていく思考をあえて流れるままにして自分の内面を探り、テーマごとに自分を探求していく。
おかげで、読む方はすっごい読みにくい。仏文を和訳したものだから、音の類似は翻訳者にいちいち説明してもらわないとわからないし、それを除いても、何の話をしているのかすぐにわからなくなってしまう。フランス人の多くもそう思ったらしくて、1巻の最後の方には、発表された最初の章が不評であることが記載されていて、レリスが、僕だって人並みに傷つくみたいなことを書いていた(その辺は率直だ)。

とにかく、この書評と、読みかけの本から、俺にもわかったことがある。
世界は広いから、小林さんみたいな人は他にもいるってこと、そして、その、似ている人が、36年かけて「人生を作品として織り上げ、書くことで、そこにひそむ秘密を解明すること。」にチャレンジしているのなら、同じことを小林さんが考えていたとしても、まあ、おかしくはなかろう。と言うことだ。

というわけで、ここで、KAJALLA#3に戻る。

レリスはもっぱら、言葉の音や響きの持つイメージに拘泥していたが、小林さんは言語だけではなく、形も使う。
今回、目を引いたのは、洒落にならない親方から登場している、白く光る○で、これは月に見立てた丸い板であったり、スポットライトであったり、ちゃぶ台であったりしながら、最後の作品まで舞台に登場し続け、最後の作品で、白い□に置き換えられる。
どうも、○を□にする、というのが、今回の主要課題らしい。
ちなみに、最後の作品は、お金がないと物々交換で不便だよ、という稚拙な話であるが、そうなってしまったのは、○を□にするのに必要ないろいろな「くくり」があって、話に制約が多く科されていたせいではなかろうかと推測している(「重要なのは意味ではない。その効果だ!」)。よくわかんないけど。

いや、そんなことより、そもそも、○が何で、□が何者なんだか説明してくれないと、何をどうしたいのかさっぱりなのだが、その辺は決して客観的に説明されない(「重要なのは意味ではない。その効果だ!」)。
 ○は以前ポツネンでテーマになったときは、コミュニケーションの断絶に基づく喪失とか、孤独とか、虚無とか、その辺のイメージをまとわりつかせていたけど、決して小林さんの敵ではなく、ちょっと困ったお友達程度の存在のようである。○が創作の源泉であることからすれば、「人生を作品として織り上げる」ことと合わせ考えて、人生の親戚と呼ばれる、涙、あたりであろうか。
 一方、□は、仕事と関係しているのは確かで、箱とも関連しているようだが、それ以上のことはよくわからない。
ただ、面接したエイリアンの就職の決め手となったのは、「資格」-しかく-□である。
□があれば、まあ、たいがいのことはどうにかなるんだろうね。
今回はこのくらいで。

 カジャラも、もう3つめだ。#2が去年の3月から5月だったから、大体1年になる。
カジャラの#1はYoutubeにあげられて、#2は、一部を除いて、編集されたものがBSで放送された。
 で、まず、全体の印象を言えば、前回はKKPっぽかったが、今回はシティボーイズっぽかった。
 そして、面白いか面白くないかと言えば、
面白いけど、「すげー面白い!」わけではない。一般チケット7500円は高いと思う。でも、もしもYoutubeにあげられたら、それはお勧めできる。その程度に面白い。

 チケットと言えば、今さら気がついたのだが、一般席のチケットの値段が高い割に、学割が2500円とかなり安い。今回は横浜公演も前売りが余る日があったのだが、この傾斜配分のせいで、古いファンが観る回数を減らしたのかなって思った。 それじゃあ、高校生とかのヤングな方々に2500円で劇場でカジャラを観ることをおすすめできるかっていうと、そこまでじゃあない。
(追記 4月15日 
東京公演を見たら、横浜よりも面白くなっていた。脇を固める4人が役割をきっちり把握してくれているという感じ。メリハリがついてわかりやすくなっていた。ので、7500円は高い、と言いきるのは言いすぎかなって思って追記。まあ、自分は高いと思うけど。でも5500円くらいならまあ、良いかなってくらい)
 今回の観劇にあたり、#2を録画したものをやっと観たのだが、テレビの方が声が聴き取りやすいし、座席位置による当たり外れがない。単調な流れのところは、編集でメリハリをつけてくれている。編集されたものの方がライブより見やすい。
 熱く盛り上がるような作品は、劇場まで足を運んでリアルタイムで観にいく長所が生かされるが、比較的クールな小林さんの作品は劇場の良さはあまり体感できない。周囲の客が笑うから、大したことないギャグもなんとなく面白いように感じる、ということはあるが、俺はそれを劇場の長所だとは思っていない。
 俺が小林さんのお芝居をわざわざ観に行くのは、盛り上がるためではなく、作品の持つ微妙な空気感を正確に読み取ろうとしているからであり、つまり、深読みをするためである。


と言うわけで、本題に入る
小林賢太郎テレビ9をやっと見終わった。

日曜に録画して、ほんとは月曜に仕事が終わった後、息抜きにちゃっちゃと見てしまおうと思ってたのだ。
で、軽い気持ちで見始めた。
まず、舞台袖のたまりで小林さんが作業しているところに大森南朋くんがやってきて、軽い感じで、コントでやりたいことあるのよ俺、とか言って、何かな、絶対面白くならないやつかな、だったら、小林さんはどういうリアクションとるのかな、とか思った次の瞬間に、南朋くんは矢継ぎ早にあれもこれもやりたいと早口でまくしたて出した。しかも言い回しが完全に「小林節」だったので、俺はそこで完全に混乱してしまった。なぜ、舞台裏なのに、言わされてる感100パーセントのしゃべりかたをするんだろう?なぜ舞台裏で巻きで喋ってるんだ?
演出家の顔色も見ずに新規の提案を3つ、するだけした南朋くんは、あっという間に去ってしまい、次の瞬間に壇蜜が画面の中につっこんできた。壇蜜と小林さんは楽しそうな雰囲気を作り、南朋くんの提案はものすごい早さで実行されたが映されなかった。小林さんは南朋くんを仲間外れにする感じが面白いらしかったが、それのどこが面白いのか、俺にはまるでわからなかった。

 ただただ混乱した俺は、耐えきれず、ここで観るのを一度やめてしまった。
導入部だけでこの始末では、全部見ることはできないかもしれないし、そのうえ、感想を書くことなんてとてもできない。俺は重いため息をついた。今回はパスしよう・・

 公式HPに載っていたタイトルを自分のワープロにコピペしたとき、初めてサブタイトルが「表と裏」ではなく「裏と表」であることに気がついた。
    裏が表なんだ。
 それなら、舞台「裏」の喋りがまるで舞台上で台詞を言っているようなのもわかる。裏が表だからだ。その代わり、本来撮影されるべき南朋くんの提案は映されない。表は裏になるからだ。
 ・・・むう。時間をかければ、理解できなくはない。これなら、書けるかもしれない。もう1度、視聴チャレンジだ。

結局、「ずがいこつ」の途中で1度、お題コントの途中で1度、あまりのつまらなさに挫折したので、4回に分けて見たことになるのだが、見終わったのは金曜日だった。
漠然と、小林賢太郎のフラクタルみたいな作品だ、と思った。
導入部だけとっても小林賢太郎だし、全体を見ても小林賢太郎だし、どの部分をちぎってみても小林賢太郎だ。
むしろ、今までで一番、小林賢太郎が赤裸々に出ている作品なのかもしれない。何と言っても、表も裏も出ているのだ。
でも、その小林賢太郎は俺には面白くなかった。『ロールシャッハ』や『うるう』などでもう観た。って感じ。自分のビョーキ自慢みたいなこと言われてもなって思う。

今回のテーマは、二面性を併せ持つこと。
小林さんの作品の場合は、作品そのもの以上に、その作り方にメッセージがこもっているが、今回の作り方のテーマは「合成」だ。別撮りした2つの世界の物が合成により1つのものになる。お題コントも、デジタル合成こそしていないが、水槽や光の投影を使った合成がされている。
だから、「表」と「裏」が反対概念であることにこだわる必要は無い。男と女は別に表と裏ではないが、そこはポイントではない。小林さんはこの2つを併せ持っていると言ったことがポイントだ。
まあ、俺にとってはどうでも良いことだけど・・自分の女性版に壇蜜使うとは、なかなか自信がおありのようですな。
最近全然法律のことなんて書いてなかったら、その間に、世間はすんごく進んでいたのだった。
 どのくらい進んでいたかというと、こんなわけわかめなことが起きるくらい。

 YouTuberがVALUで買い煽りをして売り逃げてフルボッコされてる(←今ここ)。

…いやー、横文字多くて、もうおじさん、さっぱりだよ。
YouTubeはよく見ているけど、YouTuberの動画は見たことがない。ああいうの見るのって、小学生とか、せいぜい中学生の暇つぶしだと思っていた。
で、VALUも何それおいしいの状態なんだけど、どうも、個人を会社と見立てた場合の株式にあたるもの(VA)を売買するところ。らしい。

つまり、このほどVALUに参加して、自分のVAをたくさん発行した「有名ゆーちゅーばー」のヒカルさんは「自分株」を買い煽って値段を上げてから、手持ちの株(VA)を全部売って、何千万の単位で儲けたらしいのだ。 

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毎回行ってる横浜トリエンナーレに今年も行ってきた。秋に入ると混み出すから、今回は割と早めに見てしまおうと思ったのだ。
今回の会場は、横浜美術館と赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館の3つ。赤レンガ倉庫が会場になると横トリって感じがして嬉しい。

今回は、比較的少数の作家の作品を複数展示するパターンで、その作家の持ち味をじっくり味わう展示だった。
しかし、せっかちな小市民である自分は、とにかくさっさと回りたいのだ。作品の「つかみ」が悪いとすぐに次の展示に行ってしまう。60分の映像作品とか、絶対見ないから。
また、今回は生真面目な作品が多く、ぱっと見でわからない物も多かった。無料のガイドブックは読みにくく、解説のない作品も多くて、何が何だか分からんまま、前を通過せざるをえない作品もあった。多分音声ガイドを借りればフォローしてもらえるんだと思うが。
そういうわけで、つかみが良くて、ストレートにテーマを伝える作品が高評価になってしまうのは致し方なし。

ミスター
夏のワンフェスに出ていたでかいフィギュアが展示されていた。立体は何か塗りがこてこてしていて昭和のマネキンみたいで好きではない。平面の方が妄想感あっていい感じ。
で、やっぱ、まどほむだよね。
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プラバワティ・メッパイル
ワイヤーを張った空間は繊細だが、落ち着く雰囲気が良い。ミニマルだが、技術の高さが垣間見えて、安心感がある。

ザ・プロペラ・グループ
2つの銃弾をジェルブロックの中で衝突させた、「AK-47vsM16」はインパクト大でしかもかっこいい。
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ザオ・ザオ
今回の横浜美術館での展示の中で一番印象に残った作家。
タクラマカン砂漠に冷蔵庫を持っていく「プロジェクト・タクラマカン」は9つのモニターで行程を見せるやり方が、全体像を把握しやすくて良かった。
両親との共同作品(?)の「スーツ」も、ガイドブックの説明を必要とはするが、結局作者の父親の長文の文章を読んでしまうという引きつける力がある。
99,999元のふんだんに刺繍が施された高級スーツ(ジャケットだが)と、それを模倣して作者の母親が仕立てたスーツが並ぶが、作者の母親は、息子のためにとても丁寧な作業をしている。ぱっと見では差が分からないほどだ。それでも、コード刺繍の部分をビーズ刺繍で代用するなど、じっくり見るとオリジナルに比べ、見劣りがする。99,999元は伊達ではないのだ。
オリジナルのスーツをめぐる両親とのやりとりを読み、2つのスーツがまったく異なる「価値」を背負っていることにしみじみ。

赤レンガ倉庫1号館会場

クリスチャン・ヤンコフスキーと宇治野宗輝が楽しくてインパクトもある。
ラグナル・キャンタンソンの映像作品は通して見ると60分以上あるのだが、ちょうど入った頃に終わりにさしかかっていて、各スクリーンで演奏していた奏者たちが三々五々1つのスクリーンに集まり、歌いながら野に出て行くラストを見ることが出来た。これはラッキーだった。

横浜市開港記念会館

会場間無料バスがこの会場を通らないのは残念。しかし、柳幸典の展示とあっては行かないわけにはいくまい。ガイドブックをチェックしていたら、今回は「アーティクル9」が出展されると書いてあった。俺はこの作品を生で見たことはなく、ずっと見てみたいと思っていた作品だったので、うれしかった。
会場は地下の階で、犬島精錬所美術館と同じ、鏡を使った仕掛けが施されていた。鏡にはこれまでの原爆実験や投下の記録が刻まれていて、今回は原爆や戦争をテーマとしていることがうかがえた。
「アーティクル9」はその名の通り、憲法第9条をモチーフとした作品。
俺が柳幸典の作品の好きなところは、社会問題の全体像をイメージとして一発で把握させてくれて、しかも政治的意図がない無色透明さがあるところだ。
「アーティクル9」を最初に知ったのは、もしかしたらもう20年前かも知れない。新聞で白黒写真が1枚載ってただけなのは覚えている。9条の解釈が諸般の政治的な理由によって、細分化した条文をあれこれ操作するという面倒なことになっていて、2項は1項を前提としているからその範囲でとかいろいろやってるんだけど、それでも、9条を無いものにはできない以上、戦争の抑止力は厳然として存在はする、という状況を、文節ごとにバラバラにした9条を電光掲示板でバラバラに点滅させたり、ときには全文が点灯するという、端的な表現で見せたことに感動した。
で、今回ようやくご対面、となったわけだけど、・・・あれ?こういう作品だったっけか?って、なぜか思った。
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初対面なのにおかしいんだけど、この作品が、こんなに不安感がある作品だとは思ってなかった。もっとニュートラルな顔をしている作品だと思ってた。
まず、電光掲示板がすべて消えて真っ暗になっている状況が長すぎる。それから、電光掲示板が全部点灯している状態でも、条文を通して読める状態にはならない。順番がめちゃくちゃになっている。最初に条文は全文通して掲示はされるけど。そして、全部の文節を見渡せる位置に移動すると、どうしても中心にある瓦礫を思わせるかわらけの中に踏み込まざるをえなくて、足元で乾いた音がする。
この作品、最初からこうだったのかな?それとも、リメイクしたのかな。最初に知ったときから、集団的自衛権とか憲法改正手続の法律とかあったしな。作品の年は2016年ってなってるけど、時代に合わせて変えたらこんな不安要素の強いものになったってことなのかな・・?

というわけで、今回の柳幸典は良かったぞ。
という感じで、まあ、チケット代分は楽しめた今回のトリエンナーレでした。

3ヶ月ほど前、外出中の同僚から「ねえ!この人、この人誰だっけ?!!思い出せない!」というメッセージと共に写真が送られてきた。そこには、神楽坂の団子屋の前でテレビカメラに囲まれてちんまり、というか、くったりと座っている初老の男がいて、そしてそれは、紛れもなくきたろうなのであった。
そんなわけで俺はシティボーイズを思いだし、今回の公演を観ることにした。
前回の公演のときは、ちょうどいろいろ忙しかったので観る機会がなかったのだ。

観ることに決めてから、ちょっと調べて、それで前回が「ファイナル」と銘打たれていたのを思い出し、なにしろシティボーイズのことだからと、あまり本気にしなかったことも思い出した。
それでも、今回の公演が、18時30分開演の回と20時30分開演の回があると知ったときはびっくりした。長くても1時間の公演と見積もらなければなるまい。おじいちゃん達は大丈夫なのだろうか?18時30分の回だけで、疲れたとか言い出さないだろうか?ゲストがライスで、シティボーイズが1本コントをやってライスが1本コントをやるらしいが、30分で全部終わったりしないだろうか?
そんな風にワクドキしながらよみうり大手町ホールの小ホールに向かう俺だった。
とかいっても、彼らが、チケット代として払っただけのものは見せてくれるであろうことは信頼していた。

会場は幅広い年齢層の成人の客がいて、男性も多かった。若い人たちの姿がほとんど見られないのは、20時30分の回であるためであるとも思われる。舞台に設置されたテーブルをはさんだ2脚の赤くて透明なレジンの椅子、下手にある赤い棚の上の赤い電子レンジがシティボーイズぽい。
阿佐ヶ谷姉妹の江里子さんが安定の語り口で案内放送を担当していた。

時間になって、素敵なピアノの生演奏と共に幕が開いた。ピアノ奏者の顔をどこかで見た覚えが確かにあるのだが、イマイチ思い出せないうちに暗転してしまった。
話は、薬物更生施設での話、らしかった。と、くれば、シティボーイズの舞台を知っている人ならぴんとくると思うけど、「あの感じ」満載のドタバタだ。
演出が三木聡なんだけど、なるほどって感じ。「目が大きくなるプリクラで撮った百目小僧」とか「グーグルマップのピンみたいなすごい内出血」とか。どう?見たい?ほらね、「あの感じ」。
で、フリスク!。大量のフリスクが雨あられで、特に斉木しげるに大量にぶちかまされて、席は前の方じゃないんだけど、フリスクの匂いが座ったままで感じ取れたのはすごかった。
そんなわけで、すっごいシティボーイズらしいコントだった。演じる方も熟練の技で、きたろうは最初から絶好調でかんでいた。それにつっこむ大竹まことも「俺だっておまえに言いたいことはずいぶんあるよ」と言い返されるくらいあやふやな喋りがあった。でも面白い。
カーテンコールで、ライスの関町が「面白ければ、噛んでもいいんだって(思った)」と言っていたが、なんというか、面白い噛み方と面白くない噛み方があって、きたろうのは、「何を言いたかったのか雰囲気で分かるけど、でも変」という面白い噛み方なんだなあ。とか思った。斉木しげるは相変わらず無邪気で、比較的台詞が少なかったせいか、大きな破綻はなくてよかったよかった。

 シティボーイズのコントは40分くらいだった。で、ライスが新作を10分くらいやって、カーテンコールでぐだぐだ喋って、全部で約1時間だった。そうそう、最後になって思い出したが、ピアノ奏者は大竹マネージャーだった。人力舎でマネージャーやってる大竹まことの息子だ。マジ歌選手権を見たことのある人はその芸達者ぶりを知っていると思う。
そんなわけで、すごいじゅーじつした舞台だった。客はアンコール欲しそうだったが、電子レンジの音楽で追い返された。
物販もないし、なんてゆーか、潔い公演だったなって思った。