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追記2題

追記を加えた記事が2つあるので、追記の部分だけ新しいエントリにします。
これらに関するコメントは各記事にしてください。

激闘 漫画家vs編集!今昔 追記

一回口頭弁論は小学館が原稿紛失を認め、それを受けて和解する方向に。
今後は、紛失原稿の価値について審議が進むことになる。

一番の問題はその紛失原稿の財産的な価値にあるとおも。
そこで決まる値段が、今後の作家のカラー原稿の原稿料の指針になる可能性があるから。
ガッシュの作者の人はその辺理解して交渉にあたって欲しい。
小学館側は、支払う金額の総額が同じならば、紛失原稿代を押さえる代わりに慰謝料をつんだ方がお得。




女性専用車両の差別を争う裁判を予測してみる
 追記

「女性専用車両」と言いながら任意であり、男性を強制的に排除する方法はないことから「専用」という呼び方は間違いだとかいう意見もあるようだが、
禁止することと、違反者を処罰することは別の事柄であり、矛盾するものではない。
良い例が未成年者の飲酒禁止で、法によって禁止はされているが、処罰規定はない
(未成年者飲酒禁止法)。

女性専用車両もこれと似たようなもので、
事柄の性質上、人に強制するようなことではないため、世論の形成をそくす、という方法をとっている。
世論、すなわちコンセンサスが形成されたと認められる状態になれば、事実上の規範としての効力を持つだろう。

賛成反対を問わず、ネットでやいやい言っている人達のほとんど全部が、こーゆータイプの規制だということ自体をわかっていないで罵りあっているように思う。
やりあうこと自体が目的のような感じも受けるので、
もしかして、2ちゃんの軍板と801板の関係のようなものかも。
とか思ったりして。
# by k_penguin | 2008-08-02 00:19

『道元の冒険』

1971年初演の井上ひさしの初期戯曲。演出蜷川。
俺は役者目当てで観るってことはないのだが、今回は別。
だって、栗山千明様がご出演なさるんだもーん。

と、いうわけでいそいそとシアターコクーンへ。
作品自体は3時間半の長さと、脚本自体が古いものだと言うことで、期待は多少割り引いておいた。・・・井上ひさしって、まだ生きてたっけか?


日本曹洞宗の開祖・道元の半生を紹介する劇中劇がメインなんだけど、10人の俳優が47役で大忙し。しかも随所に歌がはいり、それもブルースからオペラまで。
歌は皆決して完璧ではないが、これだけたくさんやることがあるのだから仕方がない。みんな芸達者だし、よく頑張っていると思う。
千明様も走り回って頑張っておられた。ありがたや。
道元の青年期をやった北村有起哉がはじけていて面白かった。

しかしみんなドタドタやって、歌いまくっているのを聞いているうちに、このままテーマがよくわからないままドタバタ進んじゃうのかなーって心配になってきた。
心棒無しで3時間半はちょっとヤバイ。
開幕直前まで熱心に『ハリーポッターと死の秘宝』を読んでいた隣のおばさんもうつむいて目を閉じ始めた。
しかし、さすがは井上ひさし。
聞き流して見て楽しんでいるうちに、何となーく、禅宗の目指すところとか、悟りとは何か、道元が目指したものは何かが理解できるような気分になってくる。
『私家版日本語文法』みたいな感じたなと思った。
貴族でなくても、特別な人でなくても、座禅を組んだり念仏を唱えたりする暇が無い人でも悟りを得ることはできる、という道元の考え方に一般大衆が共鳴した、というのもわかる。
悟りを得るための苦悩と狂気は似ていて、時代と場所が変われば、狂人扱い、ということもわかる。
うーん、でもね・・・悟りって、そこまでして欲しいものかな?
何でもかんでも悟れば一件落着みたいな感じだけど、それは現実逃避してるだけの場合があるんじゃない?(現に比叡山の僧兵の前に道元はピンチにある)
現代を生きるのほほんとした俺のそーゆーテーマに対する距離感の差が、結局伝わりにくさとして残ったように思う。
『ハリーポッターと死の秘宝』おばさんも寝たり起きたりしていた。
そりゃハリーポッターの方が入り込みやすいもんね。


脚本は現代に合わせて手が入っていたので時代錯誤で引くようなギャグは無かった(井上ひさしはまだ生きていた)。
ただ、ロボトミー手術の下りは時代を感じたし、実は精神病院でしたのオチも、当時としてはアリだけど、今となっては「夢オチ」と同じくらいピンとこない(でも、リアルタイムで放映中のテレビ画面を使ったのはインパクトがあった)。

基本的に面白いが、やはり長くてしんどい。
結局、時代が変わったってことなのかねえ・・・。
# by k_penguin | 2008-07-26 22:01 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback(1) | Comments(2)
この前、女性専用車両についてちょっと触れたら、そこそこ反応があった。
調べてみて、女性専用車両に反対する活動っていうのもあることや、2ちゃんに女性専用車両スレっていうのがあるってことを知った。

ついでに女性専用車両にもいろいろあって、混雑する時間帯に限っているものだけでなく、終日やっているところもあるし、また、設置目的についても、各鉄道会社の言い分はいろいろある、ということもわかった。
前の記事では、山手線を念頭に置いて、女性専用車両は憲法の平等原則に反しないだろうと書いたけど、いろいろあるなら、路線によっては別の展開になることもありうると思う。
それで、男女差別を判断する場合の裁判所の考え方っていうのを
鉄道会社相手に戦う裁判を例にとってさらっとシミュレーションしてみる。

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# by k_penguin | 2008-07-25 19:49 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(40)

女性専用車両と痴漢冤罪

暑いですね。人が多いところに行くとムダにムカツク季節になりました。
だからと言うわけでもないですが、女性専用車両。

うちは以前から痴漢冤罪はとりあげているんですが、それは、刑事司法の面からであったり、植草さんマターリヲチ的な面からであったりで、どっちにしても女性専用車両が話題になるってことはなかった。
自分がバス通勤であるため、女性専用車両に本当に女性だけ乗っている時間帯に電車に乗ったことがないと言うこともある。

そしたら、このほどよそのブログのコメントで何気に
>女性専用車両は、男性のためにも、「痴漢冤罪を防止する」という役に立っているという面があります。
と書いたら、何かえらい噛みつかれてしまった。
女性専用車両は、女性の特別待遇であるから、それを不愉快に思う人も多いらしい。
とにかく女性専用車両という面から痴漢冤罪を考えることに。


女性専用車両が痴漢冤罪を防止するという理屈は、
冤罪製造予備軍である女を1つ車両に押し込めて、その範囲内で冤罪が発生しないようにすれば、残りの車両内の男性にとって女性と接触する率が下がり、総合して冤罪発生率が下がる。
という考えに基づく。
早い話が、「痴漢痴漢とごちゃごちゃ騒ぎそうな女は専用車両に乗ってもらって、揉め事を起こすな」という考えだ。
ただ、これは男性専用車両を設置するよりは間接的な効果しかない。
女性専用車両の直接の目的はあくまで痴漢対策だからだ。
痴漢冤罪対策というのなら「男性専用車両」のほうがより効果的である。
痴漢に遭いたくない女性は女性専用車両に乗り、痴漢冤罪に合いたくない男性は男性専用車両に乗る。
女性専用車両を不愉快に思う人も男性専用車両を設置することは賛成すると思う。

ただ、賛成することと、果たしてそれに乗りたいと思うかは別なような気はするが。


先のブログのコメント欄を読んでいて気がついたことがもう1つある。
痴漢冤罪について、意外と多くの人が、女性の悪意によるでっち上げ痴漢のイメージを持っているということだ。
俺としては、なんつーか、そーゆー、確実に犯罪に属する事柄は、プロである捜査機関に任せるのが一番であって、痴漢冤罪としてより問題なのは、人違いや勘違いによる、いわば男も女も被害者であるパターンだと思っている。
でっち上げ痴漢(おれは「美人局型」と呼んでいる)は、善悪がわかりやすく、女を悪者にすればそれで間違いないという簡単さがあるが、あくまで痴漢冤罪の一類型でしかない。
また、「でっちあげ」といっても、金目当てに繰り返し行われるようなものではなく、車内でのマナーをめぐる口論から発展し、男女が距離的に接近した状態では、もう、でっちあげなのか、勘違いなのか、はたまた本当に触っていて男が忘れているだけなのかの区別もつきにくい。(これに関する記事はこちら)

このように、痴漢も冤罪もでっち上げも実は紙一重のところにあり、そしてその「紙一重」を客観的に証明することがきわめて難しいというところに痴漢冤罪の問題の本質がある。
痴漢vs痴漢冤罪、女vs男、という簡単な構図を作り上げることは、気休めにはなるが、問題の正しい解決にはならないと思う。


関連記事
痴漢冤罪を防ぐ究極の方法!
# by k_penguin | 2008-07-06 12:55 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(74)

よそはよそ、うちはうち

フィレンツェの大聖堂に女子短大生が自分の名前を落書きしたとかいう話があって、ブログ的に取り上げやすい話題だったせいか、みんなが食いついて叩きまくったせいで必要以上に騒ぎが大きくなり、停学騒ぎになったようだったが、俺としては、
名前を落書きするなんて美的センスのかけらもない奴だ、と、思っただけだった。
どうせ描くなら、消すか消さぬか誰もが悩むようなすげー芸術的な作品を描いたら面白いのになあ。

で、続報としてイタリアの各紙が、日本人の処分の厳しさと、イタリアでは遺産に落書きがされているのは珍しくなく、処分もされていない状態である、ということを報道した。
これについて、みんな、どう反応するのかというのには、興味を持った。

貴重な遺産の保護とか、敬意とかいうことを理由に落書きを非難するのなら、落書きをしたのが日本人であろうとイタリア人であろうと、非難される程度は変わらないはず。
なんていったって、フィレンツェ大聖堂は「世界遺産」。つまり、国を超えた世界的観点から保護すべきとされているんだから。
ところが実際は、何故かそうはならなかった。
イタリア人が処罰されないのはおかしいとか、じゃあイタリア大使館にメル凸だ、とか、
名前書いたイタリア人の身元洗おうぜ、とか言う話は全く出てこない。
かといって、日本人の処分がイタリア人に比べて不公平だから、考え直そう、という話になるかといえば、そうでもない。
みんな割とあっさり「お国柄」とかですませている。
イタリアはイタリア、日本は日本。
よそはよそ。うちはうち。

この、「よそはよそ。うちはうち。」というのは、何というか、無理矢理決め技になってしまう魔法の言葉だと思う。
俺が幼い頃、うちは厳しくて、同級生がやっているようなことはほとんど出来なかった。
駄菓子屋で買い物も出来なかったので、よっちゃんイカもうまい棒も名前しか知らない。テレビもあまり見ることができなくて『ルパン三世』の存在を知らず、恥をかいたことがある。まだゲーム機が無い時代で良かったと心から思っている。
そして、人並みなことをさせてくれという俺の訴えに対抗する母親の決め台詞が、この、
「よそはよそ。うちはうち。」

理屈になっているのかいないのかよくわからない言葉だが、国際社会は基本的にこの原則だ。
他人のうちのことに口を挟むと、揉め事は逆に大きくなるという経験則に基づいている。まあ、言ってみれば生活の知恵ね。
ネットのお祭り大好き野郎どもも、さすがにそこまで事を大きくしたらめんどうだという暗黙の了解があるということだろう。

世界遺産は大切だけど、よそはよそ。うちはうち。
・・・うーん、なんだかなー。
よその国に行ったら、その国のものはその国でどんな扱いを受けている物でも大切にするというのが、お客さんのマナーだよ、と言うのなら話はわかるんだけど、
なんか、そーゆーのと違うふいんきで、アバウトなんだよな。


ついでにいえば、「うち」の処分としても、
落書きをしたたくさんの人の中のたまたま名前を書いたやつで、しかもたまたまネットかテレビにそれが映った奴だけを
とりあえず厳しく非難しておくという方法はやり方として適当か?
という疑問があるんだけど、なんかもう、誰も気にしてないみたいだから、
これはきっと、騒ぎが静まったら、学校はそっと学生の処分を取り消してくれるのさっ、
て思うことにしています。
おぎやはぎのベルリンの壁にした落書きについてはもうみんなこの話題に飽きてきた感があるから、
騒ぎもきっともう収まるさっ。


追記 7月10日
「落書き跡に銘板で校名残したい」伊の大聖堂が申し出

あまりの騒ぎに、短大生が学長とともに現地に行って謝ってきたわけですが、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の喜びようにはビクーリ。
落書きでかなり悩んでいたとみた。
現地に油性ペンを売る人がいるらしいことから想像するに、事実上落書きを厳しく取り締まれない大人のジジョーがあるのかな?
# by k_penguin | 2008-07-03 22:23 | ネット(ヲチ?) | Trackback | Comments(8)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin