NHK受信契約の締結と受信者の承諾

原則
契約は、申し込みと承諾があって初めて成立する。

NHKのマイルールは、
NHKの対応窓口を受信料特別対策センターに変更する旨の通知をもって受信契約締結の申し込みをし、この通知がYに到達した日から2週間が経過した時点で受信契約が成立したとする。

第1審 横浜地裁相模原支部判H25.6.27
原則通り、NHKの申し込みだけでなく、Yの承諾が要る。
承諾を得るためには、NHKは裁判を起こし、放送法64条1項に基づいて、「Yは受信契約の申し込みを承諾せよ」という判決をとる。
その判決確定を条件として、Yは受信機設置の時点から受信料の支払い義務を負う(という判決もとる)。

第2審 東高判H25.10.30
NHKのマイルール採用

別事件
東高判H25.12.18
横浜地裁と同じ。この事件の第1審も同じ結論。

NHKはいちいち裁判するのはイヤだと思ってるのに対し、
裁判所はいちいち裁判してね、と言っている。
結局受信料を払うことになるという結論は変わらない。
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# by k_penguin | 2013-12-19 00:13 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(0)  

小ネタ

「ゲホッ・・・すみません、熱が有りまして」 「甘えんな殺すぞ出てこい!」 →
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1387245906/

14:ジャーマンスープレックス(埼玉県) 12/17(火) 11:19 eOC9WZt10
まずプロなら、そもそも風邪をひいちゃいかん。
意識が低く、体調管理ができていないということになる。

15:ボマイェ(チベット自治区) 12/17(火) 11:23 jqaTz2Xs0
>>14
風邪にもプロがいたんです
奴が思いのほか有能なやつでして・・・

あ、一応連れてきたんで確認してください
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# by k_penguin | 2013-12-17 23:29 | 拾いもの | Trackback | Comments(0)  

イモニトロンナイト

泥のように疲れたが、幸せいっぱいの1日になれた。
イモニトロンナイトは、ディズニー・チャンネル文化祭の中のイベントの1つで、ファイアボール、ファイアボールチャーミングのファンの集い。

CSとUSでしかやってなかったアニメ、しかも1話が2分ほどというアニメのファンの集いに一体誰が来るんだ?
つか、なぜファンイベントをやるんだ?しかも、新作の話もソフトが出るという話もない今になって?
という疑問をもったが、それはそれとして、
最初で、多分最後のイベント。行ってみたい!

そこで、やってなかったTwitterのアカをとり、嫌いなディズニーに登録してディズニー文化祭のチケットを買い、前日までに仕事を無理矢理片付け(てなくて、今もしわ寄せが来ている)、当日、18時30分からのイベントのために、朝8時半に舞浜駅に降り立った。

なぜ朝っぱらからかというと、定員150人のこのイベントにどれだけ人が来るのか全くつかめなかったから。
公式Twitterには”絶対行く!”的なコメントがいくつか寄せられていたが、
 コメントした人と俺以外に、誰も来なかった。
というオチもありうるのがネットの怖いところ。
しかし、万が一、もありうる。一応ディズニーだし、商品もそれなりに売れていることからして、150人くらいならちゃっちゃと来てしまうかもしれない。
絶対行きたいのなら、朝早く行くに限る。ファイアボール以外に特に見たいものもないのなら、待機で拘束されてもそれほど腹も立たないだろう。
そこで、「朝7時に既に20人ほど」という情報が入った時点で、出かけてしまうことにした。
で、まあ、朝8時半だ。場所はイクスピアリ。
ディズニーランドに最後に行ったのがもう20年以上前の俺は知らない施設だった。要は、ディズニーランドに来る客を当て込んだ総合商業施設だ。
40人ほど居た。
結局、10時半頃に100人になり、最終的に13時前に定員になったようだ。
後から考えれば、朝イチに来たのなら、最初にディズニーストアに行って、なんか買い物してから来た方が効率的だった。
でも、絶対逃したくない!と思って、バカ正直に待機している人たちが少なくとも40人いたというのはすごいことだ。

ひたすら待機。やがて待機列は屋外から屋内へ。明るい屋外では本が読めたのだが、暗い場所に移動になったので、本が読めない。タブレットには有料のwi-fiは入れてないから、ネットもできない。おとなしく体育座りして目を閉じる。昨日遅くまで仕事をしたので、かなり疲れている。
待機から離脱できる時間が短すぎると抗議しているおねいさんの声がする。係員からカードをもらえば、15分離脱できる。トイレや食事のためだ。15分では短い、もしくは発券を早くしろ、と言っている。
彼女の言うことはもっともだ。日本人はおとなしすぎる。もっと権利主張しなくてはいかん。
と、思いつつ、ぴくりとも動かない俺。
やがて離脱時間が30分に延びる。えらいぞ!おねいさん。心の中で感謝。
13時15分前くらいになって、待機の人たちの落ち着きがなくなり、次々と列から一時離脱する。13時から1番くじの先行販売が始まるのだ。
スタッフ側もそのへん理解しているのか、待機場所は一番くじ販売場所の近く。
俺も離脱して、ドロッセルお嬢様等身大フィギュアの写真を撮ったり、一番くじを引いたりした。
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c0030037_1183237.jpg

11月発売、1ばんくじファイアボールチャーミング。
奥から、ABE。あと、Fのクリアファイルと、Bがもう1つあたった。

食事はしない。あまり余計なもの(一番くじ以外のもの)に金を落としたくないのだ。
あと、もう疲れていて、下手なものを食うと胃が受け付けないおそれがある。
一番くじでテンション上がってると、16時予定の発券が14時半に早まるとのこと。
結局6時間列に並んでいた。

これだけの目に遭っても、
イベントが終わったときは幸せいっぱいになるのだから大したものだ。

イベントの詳しい様子は、2ちゃんで
みんながよってたかってレポしてくれてる。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/anime2/1364888528/454-
アニメイベントというものに今まで行ったことがなかったからよくわからんが、
これだけ詳しくレポされるということは、多分、良いイベントだったんだろうと思う。
年齢層もびっくりするほど幅広く、お子様連れの家族から、おっさんおばちゃんまで。
なんかシティボーイズの客層に子供を足したみたい。
そうそう、
イベント開始時に、MCが監督のことを、
ディズニー・チャンネル文化祭の監修をやっている、と紹介したときに、
なぜ新作もないのにこの時期にイベントを?という疑問が氷解した。
ディズニー・チャンネルの新番組であるトロン・ライジングと一緒にしてねじこんだのだ。
そうか。やったね!

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Tシャツ。イベントのハイペリオン式抽選会で当たったもの。
かなり芸が細かい。

あと、ディズニー・チャンネル文化祭に参加するともらえる缶バッジでもドロッセルのが当たった。

俺はファイアボールの世界観が好きなんだけど、
監督が言ってた、
ディズニーっぽくないとよく言われるけど、これは、やさしい王様や良い妖精がいなくなった後のプリンセス・ストーリーなのだ。
というのが印象に残った。
ディズニー作品についての言及は作中に多いけど、全部過去形で語られる。そういうものが全部過去のことになった未来の話。
1作目は絶望してたときに作ったけど、でも、作ってるうちに仲間ができてきて、最後は希望に向かって進む結末になった。チャーミングは最後は絶望のまま終わるけど、でも、きっと大丈夫だってわかっていられる。だから、この作品はやっぱりディズニー作品なんだ。
このイベントでみんなで笑って、仲間がいるって感じて、そして全部忘れて、次に進むのがこの作品の本当の完結になるのかもしれない。
大体多分そんな感じ。

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でかきゅんキャラ ゲデヒトニス
・・・ほんとに商品化するの?

追記 11月22日
19800円! よもや!


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# by k_penguin | 2013-10-16 02:00 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(0)  

『振り子とチーズケーキ』小林賢太郎演劇作品

小さくてかわいらしい作品だから
「私はこの作品が好き」という人はいるかもしれない。
レトロっぽいかわいらしさは女性受けしそうだし。

しかし、今、小林賢太郎の作品を見に来る客が何を期待して劇場に来ているのか、よく知らないのだが、
小林賢太郎の得意とする、マジックぽい表現や、脳トレ的な要素もほとんど無い。
もちろん話はgdgd。
つっこみどこがありすぎて、あらすじを書くだけで、悪口のオンパレードになるので、
とりあえずここで止めとく。
この作品を評価するという人の意見を聞きたいと俺は真剣に思っている。



小林賢太郎演劇作品『振り子とチーズケーキ』 [Blu-ray]

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# by k_penguin | 2013-10-11 22:39 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(112)  

婚外子の相続分規定違憲判決(最大判平成25年9月4日)

出るべくして出た判決であるが、問題も含む判決である。
非嫡出子(婚外子)の相続分が嫡出子の半分という民法900条4号ただし書きについては、以前から平等原則違反であるという見解が学説の主流になっており、その点では「違憲判断が遅すぎた」と文句をたれることも可能なのであるが、違憲判断をずっと控えてきたのにはそれなりの理由もある。
pdfで20ページあるこの判決のうちの約半分が平等原則違反について論じたものであるが、残り半分は、
 この違憲判決が出ても、婚外子の相続分を半分として処理済みになった今まで(平成13年7月以降)の紛争の効力は覆らないよ。
ということをずっと言ってるのだ。
この判決の扱う事件が、平成13年7月に相続があった事例であるため、民900条4号ただし書きが無効と判断されたのは、その時点である。それから今まで、無効のはずの規定に従って処理された相続は数多いであろうし、今だって民900条4号ただし書きは一応生きている。
それらの事件の処理をどうするのか、ということについて、何のガイドラインもないのだ。
立法で民900条4号ただし書きを処理していれば、こういう問題は起こらないので、できれば法改正で穏便に対処してもらいたかったのだろう。
しかし、安倍政権の元では法改正は望み薄なので、ついに強硬手段に出たわけだ。
議院定数不均衡も立法府ががちゃがちゃモメるだけで話をまとめようとしないから違憲判決が連発され、中には違憲無効判決まで出ているし、どうも立法府の無策が目立つ。
ついでに言えば、薬事法のネット販売規制だって、判決中で立法過程における議論がはっきりしてないことが指摘されていて、どうも政治部門の空騒ぎに最高裁は眉をひそめているご様子なのだ。

個別的効力説を採ったとしても、法令違憲判決は消極的立法作用の面が否定できない。婚外子が絡む相続というたくさんある事例に関わる法律はなるべく法令違憲は使いたくなかったのだろう。
今回だって、千葉勝美裁判官補足意見は
本件遡及効の判示は,いわゆる傍論(obiter dictum)ではなく,判旨(ratio decidendi)として扱うべきものである。

と言って、かなり強い調子で法的安定性を強調し、紛争の蒸し返しを防止しようとしている。

  とか言ってもねえ・・・。もっと取れるかもしれないとなったら、ラテン語で何言われよーが、みんな蒸し返すよね・・・。


平等原則違反については、さしていうことは無い。
法律婚の尊重という立法目的は正当であるが、目的達成手段としては、個人が尊重されるようになった現代においては最早合理性は認められない、という論法で、つまり、「本妻」と「妾」は法律婚の制度をとる以上相続分で差別しても良いけど、最早、「本妻の子供」と「妾の子供」で差別すべきではない、ひらたく言って、親の揉め事に子供を巻き込むんじゃない。ということだ。
 浮気の奨励であるとか、本妻をないがしろに!とか、おきまりの文句がネットに出回るだろうが、そういうこと書いてる方も流れ作業でやってるだけだと思う。
別に本気で、「妾の子の相続分が増えるから浮気しよう」っつー亭主がいるとか思う奴いねえし、民900条4号ただし書きを守ること自体が法律婚の尊重という目的と離れ、手段が目的化して政治の道具となっているだけだ。
 ただし、判例が変更された以上、今までとは考え方が変わったことも確かで、それは、法律婚という形の家族共同体と、事実婚としての家族共同体の差異が無くなってきている、ということだろう(岡部喜代子裁判官補足意見参照)。
法律婚自体は今も偉いけど、最早、非法律婚により形成された共同体に生まれた子供の権利を当然に制限するほどには偉くはないのだ。
男女のつながりの方式(結婚とか)と、それにより形成される共同体を別個に考える、ということが、今回の判決の言う「個人の尊重」なのだろうと思う。
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# by k_penguin | 2013-09-05 20:43 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(0)  

『バウドリーノ 上・下』

夏休みの読書として、ウンベルト・エーコの新作(と言っても出たのはかなり前)を選んだ。

エーコは一般的には『薔薇の名前』の作者として知られていて、知的サスペンスものの作家と思う人もいるかもしれないが、記号論の学者であって、むしろ「あの(くそ難しい文章の)エーコが推理小説を書いた!しかも大ヒットてw」という印象だった。
だから彼の作品は、自分としては推理小説だとは思っておらず、記号論の実験小説だと思っている。
記号論とは、簡単にいうと、表現するものと表現されるものとの関係の研究である。
『薔薇の名前』でバスカビルのウィリアムが言った言葉に、たしか、
真実は虚構に影響を与え、虚構は真実に影響を与える。
といったものがあって、この言葉の後半部分、つまり虚構が真実に影響を与える部分が記号論である。
もっとも、今のこの部分を書くために、「薔薇の名前」を読み返してみたのだが、どうしてもこれに相当する部分を見つけることができなかった。

『バウドリーノ』においては、語り手のバウドリーノが最初から自分を嘘つきであると言い切ることで、この、虚構が真実に影響を与えることが作品のテーマに据えられている。
と同時に、歴史小説の面とファンタジーの面と、下巻に入れば推理小説の面も持ち合わせる盛りだくさんの小説である。
もっとも、「虚構が真実に影響を与える」という作品の因果律を心得ていれば、推理小説の謎はあっさり解けてしまうから、あまり面白くはない。要するに、考えすぎたあまり単純な事実を複雑化してしまうというオチなんだろーなー。と、予測できるからだ(『薔薇の名前』もそうだし)。
 
また、この話は西欧的な構造とテーマを持っている。バウドリーノは嘘つきである自分を自嘲し、神とは何かにこだわり、世界の構造にこだわる。
神やイエスに関する様々な学説が登場し、でもどんなに東の最果ての地まで行っても、原住民の信仰には必ずイエスが登場して、仏陀とかは登場しない。
日本人の自分としては「別にどーでもいーじゃんよ」という悩みに見える。
いや、神にこだわるのはまだわかる。神は権力の正当化の淵源であって、神聖ローマ皇帝フリードリヒの権力を正当化してあげるために、バウドリーノは司祭ヨハネの王国という自分で作り出した嘘の国を探すことになったのだから。権力には力だけではなく、正当性も必要なのだ。
しかし、これまた日本人としては、「正当性ほしけりゃ京の帝に一筆書いてもらえばいーじゃん」程度のもんで、京都の帝に一筆もらえなかったからっつって、どっか遠い外国に「帝」が居れば都合が良いのに、とかは考えない。
そう思うと、「天皇家」以外に正当性の淵源を求めることを自然と避けてきた日本は、やはり表徴の帝国であって、記号的に正しかった、というか、大規模な戦争が嫌いだったのかもしれない。正当性が2つ以上あると、ジェノサイドは避けられないからね。

そして、この物語は、バウドリーノがニケタスに語り、さらにそれがパフヌティウスに語られるという三重構造をとっている(エーコも入れれば四重構造)。
そして、語り部が語るとき、そこには必ず語り部によって嘘が含められる、ということがこの物語の因果律である。
どの部分が誰による嘘なのか。パフヌティウスがフリードリヒ殺人事件の真相を解いたことはどう影響するのか。
そう思うと、まじめに取り組むほどはぐらかされる様な気分になってくる。

そんなわけで、一般日本人読者としては、この話はむしろなーんも考えんと、
バウドリーノという、ついた嘘がなぜか真実になってしまう男の人生の物語として楽しむのが正解なんじゃないかなー、と思う。それだけでも十分楽しめるし。
神とか世界とか、よくわかんないけど、自分の生活が守れるんなら嘘でもよくね?
でも、さらに考えてみれば、
そう思う人たちのためにバウドリーノは嘘をついてきたんだよね。彼の嘘は他人を喜ばせるための嘘が多いから。
バウドリーノは最後、真実の愛のために帰らぬ旅に出る。男が生きて行くには、やっぱり真実が必要なのか、それとも、「真実」という名のロマンが必要なのか。

考えれば考えるほど謎めくけど、考えなくてもオケな万能タイプの物語。
関係ないけど、雌牛のロジーナの存在感が良かった。


バウドリーノ(上)
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# by k_penguin | 2013-09-02 00:03 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)  

『森のレシオ』メモ

NHKプチプチアニメの「森のレシオ」が好きなんだけど、いつやるのかよくわかんなくて、第二話の「ほこらのふしぎ」がいつまでたっても録画できないので、ネットで調べて、ここにメモる。
作者(村田朋泰)のHP情報からして、次回はおそらく11月。

このアニメは、マテリアルがすばらしい!
質感を損なわないために、ブルーレイ画質で録画しなければならないが。

同じ作者によるもの。




「森のレシオ」は、言葉をしゃべらないので話がよくわからないんだが、話を順番に見ていくと謎が明かされていく部分もある。


第一話「レシオとジャモン」
女の子のレシオと妖精かトロールの類いのジャモンは、光るコンペイトウを生成して森の妖精にお供えし、その恵みを受ける仕事をしているらしい。

第二話「ほこらのふしぎ」
レシオ達は光るコンペイトウを生成するのがおつとめなのだが、ときには良くないものが出来てしまうときもある。
そういうものをお祓いするのもレシオのおつとめの1つ。

第三話「光のいせき」(最近は「こおりのいせき」となっている場合あり) 
光の橋をスケートで滑り抜け、レシオ達は不思議な氷の遺跡へ。

第四話「ちょうちょと青い泉」
レシオが枯れかけた大樹の根元に光るコンペイトウをお供えすると、大樹の魂は蝶になる。
魂達は青く光る泉に集まる。そこにはうさぎを被った妖精(おそらく賢者)が居る。なお第1話に出た妖精達も居る。その場所は多分レシオ達が居る世界とは別次元の世界なのだろう。

第五話「こうかんトリ」
レシオ達とこうかんトリの商談。レシオは鍵を集めている。

ちなみにこのトリがほぼ唯一の声を出すキャラ。

第六話「ゆりかごの木」
泉のほとりのウサギ妖精によって、レシオの過去が明かされる。レシオは両親の顔を知る。
泉のほとりに行くとき必要な鍵は、こうかんトリから得たものかもしれない。
 
第七話「つららの音色」
日本の東北のような暮らしをしているアライグマたちに頼まれ、大きなつららを戸口の前からどける手伝いをするレシオ。
光の粒がつららに当たって出る音にあわせて、レシオが炭琴をたたくと、つららは光の粉になる。
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# by k_penguin | 2013-08-26 23:18 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)  

小林賢太郎テレビ5 の2(マルポ便)

KKTV5については、以前にもう書いたんだけど、重要な作品であるマルポ便については書いてなかった。
 なんでかっていうと、明らかに『うるう』と同じテーマを扱っているであろうと思われたから、自分的にしんどかったから避けたのだ。
『うるう』については、このブログに記事がいくつかあるから、詳しくはそれを見てもらうとして、まあ、自分としては、あれは息子のことを扱ったのだ、と、婉曲的に主張していて、で、あの作品はソフト化されなかったから、今やその当否について誰も検証できない、という状況の訳で、
そんな状態だから、多分ソフト化されるであろうマルポ便について、おさらいの意味も込めて、1度ちゃんと書いておきたいな、と思ったのだった。
最近ようやく休みがとれたので、あらためて録画を見て、書いてみる。

長いよ
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# by k_penguin | 2013-08-15 00:42 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)  

後悔すれども謝罪なし 広島死体遺棄

広島死体遺棄 奪った金を7容疑者で山分け…後悔しても謝罪なし

この事件に関しては、「謝罪がない」ということがちょいちょい見出しになている。
謝罪がないことが強調される事件というのは珍しいなあ、などと思っていたが、今回のこの見出しで、ちょっとよく考えてみる気になった。
「後悔しても謝罪なし」
この見出しからは2つのことがわかる。
後悔と謝罪は違うものであること、そして、被疑者達は後悔では足りなくて、反省して謝罪すべきだ、という価値判断があることである。
 でも、なぜ後悔ではダメなんだろう?なぜ「謝罪」が要求されるのだろう?

 一般的に、謝罪がないことはけしからんこととされている。今回の記事についているtwitterをざっと眺めた感じでも多数は「けしからん」と憤っているが、その理由は書かれていない。反省して謝って当然のことと考えられているようだ(そもそもtwitterにいちいち理由とか書く奴はいないような気もするが)。
 その一方で、少ないが(それでも思っていたよりは多い数の)tweetに「謝る必要は無い」というものがあった。これまたほとんどが理由抜きのいい放しなので、なぜ反省する必要は無いのかの理由はわからず仕舞いだ。
「取り調べ室で「天国の××ちゃん、ごめんなさい」とか言わないとダメなのかな?」
tweetした方に真意を尋ねてみたが、逆ギレされただけだった。
どうも、新聞の書くことと、捜査機関のやることに片端から文句を言いたいだけの人らしい。
このような「何でもいいからただ記事に文句を言いたい」方は除外するとして、他には、「どうせ反省なぞしないのだから謝罪を求めるだけ無駄」という趣旨のものがあった。これは根っこでは反省が必要だという考えと同じである。

・・・てゆうか。
今までは、というか、これ以外の事件では、俺も反省が必要か否かということを取り立てて問題視していなかった。
とすると、むしろ考えるべきなのは、なぜこの事件において俺がこのことを問題ととらえたか、である。
で、考えてみた。そして、わかった。
被疑者の一部は犯罪に関わっていない可能性がある。と俺が考えているからだ。

今回の事件はLINEを通じた知り合い達によるものであり、被害者と面識のない者達も暴行現場に集まっていた。
LINEで盛り上がって面白そうだという野次馬根性だけで出かけて、事件に巻き込まれた面があるのは否定しがたい。
現場にはいたが、犯罪には関わっていないのだとしたら、それは(殺人については)無実であり、無実の者は反省や謝罪のしようがない。
でも、後悔はあり得るし、現に彼らは、軽い気持ちで出かけて事件に関わってしまったことを後悔しているだろう。

無実の者に、後悔はありえても反省はない。無くて当然なのだ。
「後悔しても謝罪なし」
という見出しには、彼らが犯罪を犯した、という先入観が入っている。
取り調べもその方向で進められているだろう。
しかし、おそらく実態は、彼らは、自分は無実だと思っているのだ。
多分混乱していて、はっきりと無実の主張ができていないのだろう。まだ子供だし、その場に集まり、暴行を止めることができず、被害者の金を山分けした(口止めの意味があったであろう)。そこまで関わったらおまえらが殺したと同じじゃないか、とか言われたら、自分の感覚が信じられなくなり、罪を認めるかもしれない。
まあ、認めた方が良いような方も中にはいるのかもしれないが。

さて。
ここからは今回の事件とは別の話として、再度、冒頭のテーマに戻る。
 仮に犯罪を犯した者であっても、後悔だけではいけないのだろうか?
 と、言うのも、後悔であろうと反省であろうと、それをした者は「同じ過ちを2度と繰り返さない」と思う点で共通する。
そして、彼らが同じことをしなければ(つまり再犯が防止されれば)、我々部外者からすればそれでいいではないか。
まあ、反省して人間的に成長してもらった方が彼らのためには良いであろうが、一般人の多くは彼らの人間的成長なんてどうでも良いと思っているだろうから、それならば、後悔だろうと反省だろうと、いや、再犯防止という点では死刑であろうと、どれでも同じなのではなかろうか。

刑事裁判では情状として「反省」が重視される。昔から日本の刑事裁判では何となくそうなっている。裁判後の処遇でも、仮釈放などで「反省」は重視されている。しかし、外国人犯罪者の中には「反省」の概念の重要性がわからない者もいる。また、冤罪には「反省」はあり得ない(そして多分「再犯」もないだろう)。

私たちはなぜ彼らに「反省」を要求するのか。
あらためて考えると、いろいろ謎ましいことではある。
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# by k_penguin | 2013-08-05 23:40 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(0)  

LIVE POTSUNEN 2013『P+』

小林賢太郎の、フランス、モナコ公演のための舞台『P』の日本凱旋公演、つか、リメイク。東京グローブ座にて。
元が日本語わからない人向けの作品だったので、比較的台詞が少ない。
その代わり、今までよりカラフルな仕上がりだし、エンタメ度は間違いなくここ数年のライブポツネンの中で1番の盛りだくさんだし、客の反応も良い。
最前列であったので、いろいろ細かいとこまで見ることができた。「んあえお」で声が遅れて聞こえるのが、音響でやっているのではなく、本当に発声しているのもわかった(それがわかるのもどうかと思うが)。
とにかく、これなら他人にお勧めできるな。特にカップルにお勧めできる。仮に相方が小林賢太郎を知らなかったとしても、KKTVを事前に見せておけばすんなり馴染むだろうし、毒にもならない薬にもならない、無難に楽しい90分(前回の『P』から30分も増えている)が過ごせる。8時半頃終わるから、その後1杯引っかけられるし。

でも、なんか嫌い。
それが終演後の正直な感想。とにかく徒労感に襲われて、ぐったりしてしまった。
90分が俺にとって長すぎたというのはある。1度に集中できるのは60分までだな、と、見ながら思ったし。ソフトであれば途中休憩を入れながら気楽に見られたと思う。
また、俺は元々、笑いたいがために小林さんの舞台を見に行くのではなく、深読みをしに行くのであるから、気軽に楽しむモードに入ってなくて、それでついて行けなかっただけかもしれない。

で、その深読みなんだけど、台詞が少ないせいもあって、今までで1番わかりやすかった。しかし、内容がほとんどないに等しかった。
作り方を変えたのかと最初思ったが、作品世界の整合性が緻密である点は変わってないので、変えてはいないようだ。

前回の『P』から、(彼にしては)大きく変わっていた。オープニングは映像作品になっていて、絵と実写の合成やプロジェクションが増え、虚構と現実を行き来することがテーマであることが明確になっていた。
彼の内部の世界と外の現実世界(「リアル」な世界というのが今風か)は劇場を通じてつながっている。舞台の彼から客席の彼に指令が飛び、客席の彼は舞台へ上がり、そしてお客様に彼の内部の世界をご紹介して反応を得る。こうして彼は今このライブを通して、外、そしてお客である皆さんとつながっているんです。
この永久機関のような構造はKKTV2でも示されていたし、すごく「小林賢太郎っぽい」わけだが、それが明確になっただけ、その薄ら寒い嘘くささも明確になってしまって、それが嫌なんだな、と今からすれば思う。

とにかく、『P』と比べて、引きこもり度が確実に上がった。
「シーッ」てやる作品では、しつこくかかってくる電話をついに水中に沈めてしまい、2度とかかってこないようにしてしまう。外とのつながりを自ら切ってしまったのだ。
客席を向いた「枠」が2つに減ったので、各々の担当が明確になった。小さい方の枠は雑に扱われていて、「シーッ」をやった後、下に乱暴に落とされる(最前列だったので、びくっとするほど音が大きかった)。これはいわゆる「外界」。
もう1つの枠、Pにおいては、「魅力があるけど怖いものがいる」ということしかわからなくて、解釈上説が分かれていたが、そっちの大きい扉の向こうは、「何か」がいて、やりあったり妥協したり、すると見せかけてやっぱりやり合ったりしている。そういうことをする相手は「例の奴」(ジョンとか○とかときどきによって変わるヤツ)しかいないので、そいつがいるということになる。
ちなみに「電話」は、家の中にありながら外の誰かの声を伝えるものであるから、彼と何らかの親しい関係にある者への気持ち、思いを意味する。そして「水の中」は彼の深層の精神世界を意味するので、電話を水中に沈めるというのは、忘れることにした、と言うことである。
 こういうことをやっておいて、当人は部屋の中でにたにたしながら本眺めている。しかもそれを客前でやって、笑いをとっているって。
これでもう取り返しがつかないくらい俺はどん引いてしまった。

そんなわけで、後は何やられても笑う気になれなくって、なんか嫌だなあって思うのだ。
それって考えすぎじゃね?と思う方であれば、楽しめると思う。

これ以降は、考えすぎたい方に
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# by k_penguin | 2013-07-07 00:08 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(16)