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『うるう』2016版 02 森と接する場所

前回の公演のときの記事で、ワタシはマジルはヨイチの息子だと解釈した。今も原則としてはそれは変わっていない。これは作品中では明言もされていなければ、匂わされてもいない解釈だが、そう考えれば腑に落ちるところもあるからだ。

作品説明では、
うるう年にうるう日があるように、「ないはずの1」が世界のバランスをとることがあります。これは、カレンダーだけの話ではなく、人間もそうなのです。世界でたったひとりだけ余った人間「うるうびと」。彼が少年と友達になれなかった本当の理由とは……。

となっている。
しかし、実際は、ヨイチの存在が世界のバランスをとっていることの理由らしきことは一切語られない。ヨイチは父親の実験の結果として産まれた、通常の人間よりも4倍歳をとるのが遅い特異体質をもつ人間にすぎない(ついでにいえば、戸籍と国勢調査は別に関連づけられたりしないので。別に国勢調査から逃げる必要はない)。
で、少年と友達になれなかった本当の理由も、この特異体質と結びつけられていて、好きになっても、どうせヨイチより先に死んじゃうから、とか言ってたが、そんなこと言ってたら人間は猫も飼えないわけで、友達になれない理由として筋が通ったもんではない。しかも、そんなこと言いつつも、40年後、マジルがヨイチと同じ48歳になったら友達になれるらしい。
別に体質は友達とは関係ないのだ。ヨイチがマジルと別れるシーンで言う「そう考えることができたなら、僕たちは友達になれただろう」 という言葉に示されるように、要するに、ヨイチの考え方一つの問題に過ぎない。そのヨイチがこだわっている考えがどういうものなのかが示されていないので、何だかよくわかんないままにヨイチとマジルは別れを余儀なくされ、同時に、勝手にヨイチは待ちぼうけモードに入り(ヨイチはマジルと別れた瞬間から、大人になったマジルが来ることを期待している)、ワタシは、何もかも他人頼みのヨイチにうんざりしながらも、「でも舞台の色使いだけはきれいだなー」とか思ったりするのだ。

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by k_penguin | 2015-12-26 01:52 | エンタ系 | Trackback | Comments(13)  

小林賢太郎演劇作品『うるう』 2016年版

『うるう』前回公演から4年が経って、再演と相成った。
4年の時間は短いようで長い。
前回の公演では、当ブログはけっこうな大騒ぎとなり、喧々囂々した痕跡が今も残っているのだが、今回は公演が始まってもそんなにアクセスが増えるでもなし、静かなものだ。
ってゆうか、チケットも4年前と比べて確実に売り上げが減っているようだ。横浜公演の千秋楽の当日券が、イープラス発売開始の1時間後でまだ手に入るとは思わなかった。
唐突に手に入ったその当日券の席は後ろの方だったが、1階席だった。俺はチケットをコンビニで発券して、年の瀬の横浜に出かけ、混んでいる中華街を横目にKAATに向かった。
横浜公演のチケットが手に入ると思ってなかったので、観劇にあたり、前回の公演についてのブログ記事を読み直していなかったが、あまり覚えていない状態で見るのでいいやと思った。この機会に、余計な裏読みをしないで見てみようと思ったのだ。
んで、その結果。

始まって10分で、すごく帰りたくなった。
流れが悪くていらいらするのだ。テンポが遅いのではなく、逆に、立て板に水を流すようにやるので、まるで頭にひっかからないのだ。
ウサギの罠に落ちていた子供をすくい上げて、会話して、子供を帰したら、すぐにまたウサギ罠に落ちる、というくだりを、一気に3回もやられて、うんざりした。タメも何もないので、「こいつまたウサギ罠に落ちるぞー」という期待を抱く暇もない。楽しめるものが、ルーティンワークみたいに処理されるおかげで台無しだ。
話の処理は全部がその調子だった。前回よりも話が整理されていたが、メリハリがなく、全部平板にことが進む。
本当に作者はこの話を舞台にのせて、他人に見せたいのだろうか、と疑問に思った。前作をソフト化しなかったので、ソフトを作るために今回の上演をしているのではないのだろうか。
子供は俳優が出演せずに、小林のマイムと、チェロの音でその存在が表現されるのだが、まるで存在が見えなかった。
マジルの性格がまるでつかめないのも原因の一つだ。
初対面で、僕を食べるのと泣いておきながら、その数分後には、自力で出られる落とし穴にわざと落ちて、抱き上げてもらうことを期待する甘えっぷり、クラスの人気者で口が減らない頭も良さそうな子なのに、ウサギの捕まえ方を調べるのにネットすら使用しないで、「まちぼうけ」を差し出すナメっぷり、好き勝手に振る舞いながら、決してヨイチに拒否されないことを知っているあざとさは、子供というより、猫に見える。
小林のマイム自体はとても正確なものなので、彼の手が触れている部分は、例えば相手のの肩があったり、手があったりするのだろう、とわかるのだが、それに続く頭の部分が見えない。子供がヨイチの顔を見ているのか、うつむいているのか。どんな表情なのかもまるでわからなかった。
まあ、8歳の子供大の跳ね回る物体がそこにあるんだろうな、多分!
という程度(もしかしたら、マジルじゃなくてマカなのかもしれない)。

悪口ばっかり書くのも気が引けるので、良かったところも書く。
小林さんの舞台だから、もちろんマイムはきれいで、配色の妙もすばらしく、マフラーを巻いたヨイチが森の木の上で動かなくなるシーンは美しかった。あと、クレソン先生の歌のとこは面白かった。
後はまるで面白くなくて(クレソン先生の風邪薬のくだりは期待していただけに、流れが悪くて笑えなかったのはすごく残念だった)、まるで笑わなかった。

しかし、周囲の観客は大受けだった。小林さんが言うことなすこと大爆笑!なのだ。マジル(であろう8歳の子供大の空間)とヨイチの別れのシーンでは、鼻をすする音すら聞こえた。人より遅く成長する体質と唐突な別れの因果関係はまるでわからないし、愛するものが先に死んでしまうことを怖れていたら、猫なんて飼えないと思うのだが(マジルは8歳の子供大の猫なのかもしれない)。
まあ、それはともかく、小林さんが見られれば満足である観客が、今も一応劇場をそこそこ満たせるだけいるというのは、すごいことだなあ。
妙なことに感心しながら、劇場を後にして、中華街に中華まんを食べに走る俺だった。

次回、あまり深くない深読み編(ネタはあまりないです)
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by k_penguin | 2015-12-22 19:30 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(3)