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刑事裁判は魂の救済の制度ではない

1月30日の朝日新聞「私の視点」に臨床心理士の西脇喜恵子氏が「被害者参加制度・偏った被害者像を超えて」という意見を載せていて、それに対してちょっと物申したいと思ったのだが、
面倒なことに、「私の視点」は朝日のHP上には掲載されていなくて、リンクも張れないし、引用するのにいちいち打ち込まなければならないのだった。


この意見は「法的な議論は別にして、臨床心理士の立場から被害者支援に協力してきた」者からの意見と前置きされているし、法律家の立場について理解がされていないのは当然というか、仕方がないとは思うので、非難をするつもりはない。
ただ、法律家であればするであろう、2,3の誤解を指摘したいと思う。

ある被害者が証言台に立ったとき、それに付き添った彼女は「公正な証言を妨げる」との弁護人の異議を受けた裁判官に「うなずきながら話を聞くのを止めるように」という注意を受ける。
この注意につき、彼女は
従来の法廷になかった新たな制度は、法曹関係者に抵抗感や不安を生じさせたのだろう。それが、付添人のうなずきを封じる弁護人の異議につながったのだと想像する。

と述べる。

確かに、仮に俺が弁護人であってもうなずきながら話を聞くのを止めるようにと異議を述べたであろう。
しかし、それは決して抵抗感や不安からではない。
うなずくことによって、証人の証言が真実であると同意しているかのような印象を裁判官に与えることを防ぐためだ。
証人は1人であるにもかかわらず、横で言うことにいちいちうなずいている人がいれば、まるで2人が同じ事を見たかのような印象を与える恐れがあるのだ。付添人は事件を体験していないから、これは嘘をついているのと同じ事になってしまう。

また、西脇氏は
法廷が被害者の生の声や感情に影響を受けないかという心配の根底には、「怒りに打ち震え涙を流しながら感情的にものを語る」といった偏った被害者像がありはしないか。

と述べるが、俺に言わせれば、それもまた偏った考えである。
なぜなら、「怒りに打ち震え涙を流しながら感情的に」ものを語れば、審判員(裁判官にせよ裁判員にせよ)が影響されるというのもまた単純な考えだからだ。
感情的に語ることは、うまくすれば強い印象を与えるが、どうかすると逆効果になり、聞き手がどん引きする(西脇氏は全般的に法廷のもつデリケートさに鈍感であるように思う)。
法廷が恐れているのは、そういうことではない。
法廷の心配の根底にあるものは、まさに、西脇喜恵子氏が
犯罪被害者の感情に法廷が影響されるのではと心配する前にやってほしいこと
と言っていることである。
それは、
目の前の犯罪被害者をありのままに受け止めるという当たり前のことだ。そして、法曹関係者は犯罪被害者に接したとき法曹関係者の側にわき上がる感情にこそ真摯に向き合って欲しい。

これこそが公正な審判を害するのではないかと恐れるべきことなのだ。

裁判の女神は常に目隠しをしている。
目で見るという「当たり前のこと」をしては公平な審判が下せないからだ。

誤解されてはいけないので付言するが、この「わき上がる感情」とは、処罰感情を指しているのではなく、「言葉を失うこともある」「圧倒されるような思い」とされている。要するに人間の魂の軌跡をとらえると言うことだ。

しかし、裁判は公平であるべきである。
被害者の魂の軌跡をとらえるべきなら、加害者の魂の軌跡もとらえなくてはならない。
現実にも、加害者の側にも激しい葛藤があって「圧倒されるような思い」を抱くことは珍しくはない。
では、そんな被害者と加害者を、裁判官という人間が天秤にかけたりできるであろうか。
それは不可能であることは明らかである。
しかし、「できない」じゃ社会の治安が維持できない。
裁判というのは、社会の視点から人間ができないことをあえてやっているのだ。


臨床心理士の関わる被害者支援というのは、魂の救済が目的となる。
しかし、刑事裁判というのは、本質的に魂の救済とは相容れない制度だ。
被害者のためにやっているのではなく、社会のためにやっているのだから。
被害者支援の機能も、あくまでもその範囲内で認められるに過ぎない。
刑事裁判に魂の救済を期待することはできないと思う。

現時点での被害者参加制度は、
情報はあげるし、言いたいこと言わせてあげるから、後は自分で面倒みてね
という中途半端な制度にすぎないのである。
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by k_penguin | 2009-01-30 22:20 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(2)

『古墳ギャルのコフィー~12人と怒れる古墳たち~』

DVD『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE Ⅱ~私を愛した黒烏龍茶~』の併映作品。
なぜ併映の方を取り上げるかっていうと、これが裁判員制度の解説として優れていると思ったから。冗談抜きで。いやちょっと冗談で。

古墳ギャルのコフィーシリーズは、前方後円墳コフィちゃんの大活躍と、四隅突出型墳丘墓ダニエルの受難の日々を描くゆるーいflash作品で、いくつかネットでみられる。

お話は、題名からわかるように『12人の怒れる男たち』のパロディなんだけど、それにしてはよく裁判員制度についても調べてある。侮りがたし。

コフィーちゃんが犯した盆栽の器物損壊罪のぬれぎぬを着せられたダニエル。
人間よりも早くに裁判員制度が取り入れられた古墳犯罪の刑事裁判において、なぜか裁判員の1人になったコフィーぢゃんは、ダニエルを有罪にして早く帰りたがる裁判員達の中、ただ一人事件に疑問を示すのであった。

裁判員制度と陪審員制度との違いも説明されているし、古墳犯罪については、「3名の裁判官を含む計12人の裁判員」という人間とは違う裁判員制度であるという解説までなされている。
無実を主張するダニエルに弁護人が耳を貸さないのは当然として(ダニエルのいうことは無視されるのがお約束)、その理由が「どうせ罰金なんだから、証拠がない事実誤認を主張せず、罪を認めた方が得だ」と、かなり弁護士的にリアルなあたりも感心した。
そして、一番感心したのは、裁判員制度の広報などに使われる「裁判員は国民の義務ではなく、権利です」という、ふつーに考えて無理がある論をコフィーちゃんが熱弁し、感覚的に納得させてしまうところ。
司法関係者があまり具体的に語りたがらない「司法の閉鎖化」「一般の感覚を取り入れバランス感覚を正常化する」を通じて「国民の権利」まで、一気にイラスト(「司法」は「シホ」という暗いねーちゃん)で語ってしまう。
裁判員制度の広報にもこのくらいの説得力があればなあ。

裁判員が新聞の切り抜き記事の情報からダニエルの殺意を推測してしまったりするミスはあるが(法廷に出た証拠以外の情報から心証形成してはいけない)、
いや、そんなこといったら、器物損壊罪で起訴されたダニエルが最終的にテロを認定されて死刑を宣告されていることはどうなるって感じだが、
ま、そーゆーことは、こっちに置いといてえ、
裁判員制度の意義をどの宣伝よりも説得的に説明できている作品だと思う。
裁判所も金ばかりかけていないで、こーゆー宣伝すればいいのになあ。

・・・絶対無理だけどね。


そうそう、本編の『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE Ⅱ~私を愛した黒烏龍茶~』はもちろん面白かった。
前作の予算ゲージが今回もあったのが嬉しかった。


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by k_penguin | 2009-01-26 01:48 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

草薙厚子のあびる的失敗

フリージャーナリストの草薙厚子さんが書いた本『僕はパパを殺すことに決めた』が、供述調書をまるごと引用したことを売りにしたため、ネタ元の医者が秘密漏泄罪で起訴されることになってしまったのは、もう半年ほど前の話。

草薙さんがやったことは、言ってみれば
自分の万引をテレビのバラエティ番組で自慢したのと同じことだ(あびる優ってみんなまだ覚えているかな)。
あびる優はネットでさんざんバカにされたが、理由は主に「万引をしたこと」ではなく、「それをテレビで自慢したこと」に向けられていた。
そりゃそうだ。テレビで自慢したら悪事はばれる。そんなことにも気がつかなかったのだから。
でも、犯罪行為はあくまでも万引の方。
だから法的な関心は万引が中心である。
世間一般の関心と法的な関心がずれているわけだ。

で、草薙さんの場合も、今裁判になっているのはあくまでも医者の秘密漏泄罪の方で、草薙さんが取材源をだだ漏らしにしたことではない。
でも、少年やその父親のプライバシーに関すること(しかも供述調書に書いてあるからって、真実とは限らないのに)を公にしたことについて非難する論調はほとんど見られない。
非難の大半は取材源だだ漏らしに向けられている。

ただ、あびる優と違うのは、その間抜けさ加減を笑うのではなくて、「取材源の秘匿」とか「ニュースソースの秘匿」とかいう何か立派な名前で糾弾していることだ。
秘密漏泄よりもそっちの方が重罪であるかのような騒ぎである。

「取材源の秘匿」と立派な名前で呼ばれてはいるが、しかしその内実は、あびる優の場合とあまりかわらないんじゃないかって思う。
秘密漏泄罪は供述調書を見せた段階で成立する。相手が取材源をばらすばらさないは関係ない。
そのような事情の下で、秘密漏泄をあえてスルーして取材源をばらしたことだけを非難するということは、つまり
「お前のせいでこれから守秘義務を負っている人にこっそり情報を分けてもらえなくなったらどうしてくれる」
ってことを言っていると思えるのだ。
「取材源の秘匿」は、ジャーナリストの違法行為を許すためにあるのではないはずだが。

「取材源の秘匿」は、ジャーナリストにとって、職業倫理っつーか、常識っつーか、「命にかえても守る」(by草薙さん)べきことになっている。
ただし法律的には、いうほど重要な権利とされているわけではない。
「表現の自由」は法律的にも重要な権利とされているのだが、「取材源の秘匿」は、表現行為そのものではないし、なによりも、法律の建前からいえば、刑事事件の真実発見の方がより重要な利益であると言わざるをえないからだ(だから刑事裁判よりも真実発見の要請が後退している民事裁判では、取材源の秘匿は権利として認められる)。

「取材源の秘匿」を重要視する法的構成もあって、まあ、いわゆるジンケンハ的な思考であるが、それによっても公権力が政治的理由から取材源に不当な圧力をかけることを防ぎ、よって正しい情報の流通を促進するため、とかいう感じで構成される。
つまり、「取材源の秘匿」が守られるべきときは「不当な」圧力がくわえられるときだけであり、正当な理由で取材に制限をかける場合は含まれないのだ。
今回の事件の場合は政治臭が無く、どうも政治的理由による不当な圧力だ!とは言いにくい状況にある。
講談社が逃げ腰になってしまったこともこの辺が関係する。

先週、裁判で草薙さんが証人(検察側!)として引っ張り出された。
そのやりとりを詳しく紹介してくれたブログがあって、なかなか興味深かった。
やりとりからは、草薙さんが「取材源の秘匿」を正しく理解していないことがうかがえる。

草薙さんの言い分をまとめると、
私は広汎性発達障害については専門だけど、それ以外は全く何もわからないから編集の言うとおりに書いている。だから責任は編集が負うべきである。
・・・という、なんつーか、非常にぶっちゃけたものである。
このリクツは世間(この場合裁判所)には通用しない。
書きたいことだけ書いているのではプロとはいえないのである。

しかし、書きたいことだけを書いていたいから、それで金稼げるプロになろうと考えるのが普通の思考ではなかろうか。
確かに草薙さんは「取材源の秘匿」をよく理解してないけど、では他のジャーナリストと呼ばれる人達はみんなそれを正しく理解しているのかというと、俺は、それはどーかなーって思う。
草薙さん予備軍はまだまだいるんじゃないのかなー。


4月16日 
調書漏出事件裁判のいろんな勝ち負け
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by k_penguin | 2009-01-19 01:59 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(2)

キリン FIRE広告の謎

ぼーっと街を歩いていたら、
その仕事に嘘はないか。
その言葉に嘘はないか。
私たちに課題は多い。
私たちに迷いは多い。
けれどその度に、この言葉に火をつけよう。

嘘は嫌いだ。

という文章だけの看板がビルのてっぺんにどーんと取り付けられているのを見かけた。

で、素直に俺は

仕事に迷ったときには嘘を嫌う気持ちなど燃やしてしまって、現実と妥協しましょう。

という意味だと思った。
いや、やはり、このご時世、そうでもしなければやっていけないもんな。
時代の気分を反映した広告なんだな。

そこまで思ってから、ようやく、

えーと、缶コーヒーが現実と妥協しちゃまずいんじゃないかな。どっか間違えてるぞ、俺。

と、いう考えが芽生えたのだが、
しかし、どうしても、
「嘘は嫌いだ」という感情が燃え尽きないでめらめらしている、という図が想像できないのだ。
しかも看板には、何かが燃え尽きてしまった後の炎だけの絵がついているし(いや、商品のマークだというのは知っているのだが)・・・。

だいたい、「心に火をつけよう」ならわかるけど、「言葉に火をつけよう」という言い回しなんてあったっけか?
「熱い心」があるように「熱い言葉」もあるのだから、言葉に火をつけて熱くする、という状態も考えられなくはないとも思える。
いやまて、「熱い言葉」はそもそも「熱心な言葉」という意味じゃないか。
熱い心から出た言葉が熱くなるのだから、「言葉」はいわば炉にかけた鍋である。
点火するのはあくまで炉であるから、「鍋に火をつける」とは言わない。
やっぱり、「言葉に火をつける」とは言わないのではないだろうか。

うーん。
やはり、あの広告は言葉の選択を間違えているのではないかと思うのだが・・・。

キリン Fireは前にも
嘘がつけない。
だから、嘘はつかない。

その男、ファイア。

という、福山雅治が暗い顔をしているでっかい看板が出ていたが、
できないことをやらないのは論理必然のことで何の努力も必要としないのに、
それをでかい顔で豪語する意味がわからなかった。


自分の意志を貫くことが難しい世の中で、不器用に生きて、そのせいで損をしながら、でも自分を変えない男、というのを出したいんだろうな、多分。

とは思うんだけど、

どーも、不器用というよりも、言葉を選ばない単なるバカに見える・・・。
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by k_penguin | 2009-01-12 03:29 | エンタ系 | Trackback | Comments(4)

顔写真素材集とトラブル回避

<顔写真>東京の業者が無断で広告に CD販売、回収不能

一般の人たちが手軽にネットに写真や自作なんかを発表するこのご時世においては、素材集を使う側としても他人事ではないし、
また、顔写真でなくとも、自作のCGや文章なんかが、改変された上に勝手に他人に使われる、というケースに置き換えれば、素材として扱われる側としても他人事ではない。
それなのにこの分野はまだ新しく、無法地帯で使う側も使われる側も自衛するしかないのが現状だ。
この記事のようなトラブルは起きるべくして起こったものといえよう。

ざっとネットを見た感じ、
目先の謝礼につられて顔写真を撮らせた方が悪いよ派
と、CD屋(マイザ)が悪いよ派
に別れている感じで、
使用規約に反してCDを使う方が悪いよ派は見あたらなかった。
ネットには、素材集を使う人も多いので、使用者寄りの意見が多いようだ。
 ところで、素材集の使用規約を読んでいる人ってどれくらいいるだろう?
俺的には、少なくとも、プロもしくはプロを目指しているのなら読んで欲しい(規約に従う気がないとしても)と思うのだが。

そんな分が悪いCD屋マイザの社長ブログが意外とエキブロにあった。
さすが、素材ビジネスの最前線。一般の人の顔だけでなく、建物の外観写真などをめぐるトラブルがてんこ盛りだ。
パリのエッフェル塔は夜景に限って写真の使用許諾が必要というのは面白かった。
そういう法律が制定されたのかそういう判決がフランスで出たのかで法的根拠が異なるが、
エッフェル塔が事実上フランスのシンボルであることからイメージ管理が必要であると言うことと、使用の自由を利益考量した苦心の跡が感じられる。

で、『百人の顔』についての記事も見つけた。
多くのトラブルを経た社長は、
結局は、どのような使い方をされても構わないと納得してくれる人だけをモデルにすれば良いのだと。

という結論に至り、今発売されているCDはその方針でやっているそうだ。

まだ規範が成立するほど成熟していない分野では「契約」だけが唯一の法的なよりどころとなる。だから使用規約を入れる。
しかし、製品に書かれている使用規約が果たして法的に「契約」といえるのかすら怪しいのだ。
そして事実上も使用規約をみんな読まないし、それが普通であるという認識が一般である。
つまり、使用規約もあてにはできないのだ。
結局は「どのような使い方をされても構わないと納得してくれる人だけをモデルに」するのが唯一の結論だろうと思う。
無法地帯での自衛とは、そーゆーことだ。

ま、それでもトラブルは起こると思うけどね。
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by k_penguin | 2009-01-06 20:51 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(4)

あけましておめでとうございます

今月10日で、このブログも5年目に入ります。
今年もよろしくご贔屓に。
(ちなみにこの記事は通算400本目の記事です)

正月に実家に帰りました。
今、母親が気になっている「若手」お笑い芸人は、
千原ジュニアだそうです・・・。


挨拶だけではつまらないから、1つニュースを。

ひろゆきが2ちゃんをPACKET MONSTER INC.というシンガポールの会社に譲渡したそうです
PACKET MONSTER INC.がどーゆー会社なのかとかゆーことは一切謎ですが、
シンガポールは法人税が安いので、税金対策のペーパーカンパニーの香りはします。
記事に言われているような訴訟対策、もしくは、強制執行対策というのもあるかと思います。
多分、2ちゃんにまつわる債務も同時に譲渡されたんではないかな。

ひろゆきは、訴訟制度と国家権力に対してかなりナメたまねをしてきたので、「国策逮捕」もありうるのではないかとワタシは生暖かく見守っています。

今年もいろいろありそうですね。
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by k_penguin | 2009-01-04 17:30 | Comments(6)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin
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