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羽賀研二についてはあまり知らない。
前にテレビで宝石販売しているところを見たことあったけど、羽賀研二が商品を手にとって説明しているのに対して、客のおばちゃん達が商品を一切見ず、羽賀研二の顔ばかり呆けた様に見つめていたのでびびった。
 でもまあ、そーゆー商売の仕方もあるよねっていう程度。
今回の事件についても特に調べたわけではないから、ぼやーっと、全般的なイメージでの話になる。

たしか、逮捕されたときは、「恐喝」だって聞いていたけど、判決のときはなぜか詐欺メインになっていた。
恐喝と詐欺は同じ財産罪だけど、犯罪としては別物だ。恐喝は「脅してとる」詐欺は「騙してとる」。
起訴するとき検察官は、そのどちらであるかをはっきりさせておかなくてはいけない。
騙したか脅したかよくわかんないけど、とにかく何かしてお金を取ったんだ、という主張は(世間的にはそれで通ったりすることもあるけど)、刑事裁判では漠然としすぎているので許されない。

今回、はっきりしていることを時系列に並べると、
a 羽賀、医療コンサル会社の未公開株を1株40万円で取得→不動産会社社長の男性に3倍の1株120万円で売る
b →医療コンサル会社潰れる→不動産会社社長、金返せって言う→社長、ヤクザに脅されてあきらめる

逮捕されたときは、bの部分だけの報道だったが、今回の報道ではaの部分がついている。
で、aの事実は詐欺っぽいふいんきで、bは恐喝っぽい。
そして、全体を通してみれば、不動産会社社長は踏んだり蹴ったりなわけで、なにか財産罪がありそうな香りは漂っている。

この辺から推測するに、どうも最初はbで恐喝罪が成立するかと思ったが、捜査が進んだ結果、成立しない感じになってきてしまった(判決からすれば、脅したヤクザと羽賀側は組んではいなかったらしい)ので、aを追加して雰囲気的に華やかにしておけばどっちか通るかなと思ったら、残念、どっちも通らなかった。
と、いう感じかな。

詐欺がないため不動産会社社長には不当利得返還請求債権自体無いという判断が下っているので、
上訴があるとしたら、詐欺事実がメイン論点になりそうだ。
報道では、不動産会社社長が未公開株購入時にそれが1株40万円で取得されたものであると知っていたかどうかが争われていたらしいことを言っているが、物を売るときにそれをいくらで取得したかを言わなければならないというルールはないので、それがどう「詐欺」と関わっているのかがよくわからない。
多分不動産会社社長の株取得の動機がはっきりしていない(or何も考えずに買った?)んじゃないかな。
でもそれって、羽賀研二の商売の仕方からすれば、ふつーだよね。だって何も考えてない人に宝石売ってるんだから。

今回の事件はキツネとタヌキの罵りあいみたいな事件なんだと思う。

関連ブログ
モトケンさんとこ。
羽賀研二、渡辺二郎に無罪判決
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裁判員の候補者に通知が発送されたそうで、俺はどっちかっつーと、やってみたい方なので、当たればいいなあって思っている。

で、そのニュースとは別に、裁判員制度を感じさせたのが、舞鶴の女子高生殺害で被疑者の弁護人が捜索に準抗告をかけ、結局弁護人の立ち会いの下に捜索が行われたことだ。

準抗告は、要するに「異議あり!」ってことで、捜索にこれがかけられるのは珍しい。大体弁護人が準抗告かける機会もないんじゃないかなあ、ふつー。
この場合、どの辺に異議があるかっていうと、
捜索やるにはそこそこ説得力がある犯罪の嫌疑が必要なんだけど、今回はそれが足りないんじゃないかってことだ。

で、まあ、捜査機関が申請するとまず令状って出ちゃうという今までの事実からして、令状取り消せとか準抗告しても無理ぽで、そんなんで時間食ってるくらいなら、弁護人が捜索に立ち会っちゃえば?
ってことで捜査機関と弁護人が妥協したのね。
弁護人は捜査が適法に行われているかをチェックするためビデオカメラを持っていた。まあ、取り調べの可視化の捜索版だよね。
・・・にしても、どーゆーことを念頭に置いて、何を撮影すれば良いんだろう。撮るなら撮るで、大変だなあ。
ちなみに、被告人(と弁護人)の捜索の立会権は刑事訴訟法に規定されているけど、被疑者の弁護人の捜索への立会権は法律に明文はない。

まーともかく、今までは弁護人って基本的に裁判官(2次的には捜査機関)を相手にしていれば良くて、捜索の段階でやいやい言う必要って余りなかった。
捜索されたからってその人が犯人だなんて決めつけることは裁判官も警察もしないからだ。
でも、裁判員制度で、ふつーの人が入ってくるとなると違ってくる。
犯人だという先入観をもたれないためには、捜査段階からバトルを始めなければならない。

そういえば今までは、犯罪報道って、ほとんどソースが警察だった。
刑事裁判ですら、「起訴状によると・・・」で始まる報道。起訴状というのはあくまで検察側の言い分に過ぎないんだけど。
犯罪報道って、茶飲み話の話題提供って役目だったから、一方当事者の話だけで構わなかったのだ。
しかし、ふつーの人がジャッジするとなると話は変わってくる。
一方当事者の話ばかり聞かせるのは不公正な裁判に繋がる危険があるのだ。
被疑者というのは、必ずしも犯人ではない、
ということを弁護人は早くからやいやいわめかなければならない。

実際ネットでは、今回の事件について、被疑者のじいさんを犯人と決めつける記事は少ないように見受けられる。
まあ、前に「画伯」の教訓があるせいかもしらんが、とにかく捜査の対象になっているからといって、犯人と決まったわけではない、ということの理解は進んでいるようだ。
・・・その分記事はつまらなくなるけどね。

捜査の対象になったからといって、
そして、起訴されたからといって、犯人と決まったわけではない
無罪になることもある。
例えば羽賀研二のように(もちろんまだ上級審での逆転の可能性は残るが)。

この判決も裁判員制度と・・・関係ないない。

ちなみに、ネット住民全員に先入観がばっちりすり込まれている羽賀研二については、判決に不満の意見も散見される。
 まあ、羽賀研二だもんな。

いやー、やっぱ先入観は怖いなー。
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毎日の記事をざっと見た感じだと、結果予見義務違反を否定、因果関係も否定。
だとすると、民事事件の判決と似た構成をしているっぽい。
頸静脈孔にささった、ものすごいレアケースであることからすれば、結果予見義務なしとする方が自然な構成なんだよね。

刑事一審は結果回避義務を問題にして結局過失肯定、でも因果関係否定で、結論無罪。
多分一審は、「問診はちゃんとやろうぜ」っていう、教育的指導だけはしておきたかったのではないかと思われる。
で、二審は、教育的指導とか別にしなくていーやっていう。

ネットに、医者に責任がない、親に責任がある的な意見がちらほら。
判決は、親に責任があるから医者に責任はないなんて一切言ってないのにどこからそーゆー発想が出るのか。
訴訟をする人=「モンスター○○」という認識をする人もいるのかな。

追記 12月4日
東京高検、上告断念
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ラーメンズの作品についてだけ、走り書き。

More
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ガッシュ訴訟が和解しましたが、既に6月に小学館が原稿紛失を認めた形で和解にはいる、というニュースが出ていたためか、あまりネットではふるわない。
実際、ネットの大勢は以前の話とほぼ同じものとして扱っていた。
それというのも記事中の「小学館が謝罪」という言葉によって、小学館が敗訴したようなイメージになっているためだ。
雷句先生の一方的勝利と考えている人もいた。

でも、これは「一方的勝利」と評価するほど勝利していないと思う。
今回は、この前偶然見つけた原告代理人のブログ記事の情報を元に、和解案について考えたことなぞ。

この事件は、漫画家個人が出版社を相手にするというなかなか華があるもので、注目も多かった。しかも、原稿をなくしたのは確実に小学館という点でスタートから漫画家側が有利な立場にあるものだ。
巨象を相手にどこまで頑張れるか、そしてどの部分で頑張り、どの部分で妥協するか、というあたりに興味があった。
和解は花を取るか実を取るかが悩みどころ。
「実」にあたるのは、もちろんお金。
「花」にあたるのは、この場合、「原稿に美術的価値」があるということを認めさせること、そしてそれを実質化させる、原稿紛失の場合の賠償額のガイドライン作りだ。

 ここで、原稿に美術的価値を認めちゃったら、漫画家に所得税がどーんとかかるだろ、めーわくなんだよという意見がネットで散見されていて、弁護人のブログにコメントまでついていたが、
「原稿に美術的価値」があるという主張は、出版社は原稿管理には細心の注意を払うべきであり、それに違反すると高いペナルティがつくぞ、ということをいわば、原稿側から表現したものであって、別に漫画原稿の市場価値を上げるものではない。
つか、こういう和解が出たからといって、市場に出ている漫画原稿の値段が急騰するわけないし。
だから心配は無用なわけだが・・・弁護人もコメントにレスつけてやれよ。

さて、和解に話を戻して、花を取ったか実を取ったか。
和解内容のうち、発表できる部分はこれ。
1 被告は、原告に対し、原告所有の漫画原稿を紛失したことにつき、謝罪する。
2 被告は、原告に対し、本件和解金として金255万円の支払義務あることを認める。

被告が小学館、原告がガッシュの中の人である雷句先生だ。
提訴時の請求金額が330万円だから、和解金は確かに高額だ。「実」についてはは勝利と言って良い。
ただその一方で原稿紛失の場合の賠償額のガイドラインについてはビミョーな結果に終わっている。
弁護人のブログでは、小学館との共同提言を行い、その中で、賠償基準を明確に設定することも当初の目標だったようだが、まあ、それは無理だとしても、この和解金、内訳が非公開なのだ。
つまり、和解金のうち、紛失原稿代(=原稿の財産的価値)がいくらで、慰謝料(原稿をなくされたことによってハートが傷ついたことに対する賠償)がいくらなのかは藪の中。
ここでこの2つの区別に注目するのは、紛失原稿代の方は、今後また誰かの原稿を無くしたときの賠償額の目安としての働きが期待されるからだ。
この内訳がはっきりしないから、いろいろな解釈が可能となる。
雷句先生は、まあ、慰謝料を0として単純計算すれば、原稿1枚あたりが51万になる、的な事を言っていたが、
逆の立場からは極端な話、原稿紛失につけ込んでごねた奴を慰謝料名目のカネで追い払っただけだ、という解釈もできてしまう。

次に「美術的価値」という言葉も結局入らなかった。
小学館側が嫌がったというのもあるのだが、和解金額を減らせば、のまない条件ではないと思う。
しかしさっきも書いたように、この言葉は、原稿をなくすと高いペナルティがつくぞ、ということを裏側から規定したものなので、賠償額が高くなければ画餅に帰してしまう。
原告弁護人のブログの
最後に和解をして終結させる決意をしたポイントとしては、判決で「美術的価値」が仮に認められたとしても、今回の和解金額よりは相当低額になるであろうこと(通常、価格賠償がなされれば、慰謝料支払の命令は出されないこと、裁判所の鑑定が非常に保守的であること等)を考えると、とりあえず、こちら側の提案する金額を小学館が受け入れたことと、1円でも高額な賠償金の支払いを小学館にしてもらい、原画紛失に対する高額賠償支払いの前例を確実に作ることという点にありました。

というのは、そういう意味ととらえた。
実につながらない花なら無い方がましという考えで、さすがは弁護士、計算はばっちりだ。

最後に、小学館が謝罪するというのは、サンデーに謝罪広告を出すことだと思っていたが、弁護人のブログを読むとどうもそうではないらしい。
「謝罪します」と和解案に書いて書面にするという意味しかなく、小学館は一般に向けて謝るという行為はしないらしいのだ。
こういうことにどれほどの意味があるのか疑問だが、
でも逆に、誌面の謝罪広告ってどれだけの人がちゃんと読んでいるのか、ニュースに「小学館が謝罪広告を出す」と書かれるのと「小学館が謝罪」と書かれるのとで読み手に与える効果が違うのかとか考えると、事実上同じ効果って考えて良いのかな。
よくわからん。

うーんしかしこの和解、お金で「花」の部分をかなりうやむやにさせたような。

「実」がずげーでかいからこいつは観賞用にも耐えられるぞっていう評価になるか。
「実」はあくまで実であるって結果になるか。
うやむやな部分がどういう解釈でおさまるかにかかるわけだが、それはつまり今後の運用及び、漫画家の皆さんの権利主張のあり方次第なんだよね。

いやはや個人営業は辛いね、どーも。
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http://blogs.yahoo.co.jp/poppin_96/45173075.html

見たときは絶句しました。
ある意味クオリティが高い。
ドバイって、金持ちな国ってイメージしか無くって、よく知らないけど、
この調子で高層ビルをぽこぽこ建てているんだろうか・・・。

ついでにWikiの「ドバイ」


追記 12月5日
ドバイ不動産開発バブルの崩壊

うわー、マジで崩れるのねん・・・。
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公開は来月だけど、試写会で。軽いネタバレあり。
PIXARがディズニーに買収されてから2作目、かな。前作は『レミーのおいしいレストラン』。
CMとか見た感じ、単純な形状のロボットがいろいろ感情表現するってことで、『カーズ』のリベンジを期待していた。
『カーズ』は車の形状そのままでいろいろ複雑な感情表現に挑戦していて、すげー意欲は買うけど、しかし所詮は車なのでやっぱ無理がある感じだった。
今回は一応人間型のロボットで、手もできて感情移入しやすくなり、表現が楽になった。
ロボット達は機械音声でしか喋らず、ほとんど会話らしい会話をしないけど、キャラが単純だから十分理解できる。
コロコロでおそうじする小さなおそうじロボットのモーがかわいかった。

ただ、世界設定が良く飲み込めない。
ロボットも人間ぽい要素を持っているっていう世界設定なんだって言われれば引き下がるしかないけれど、どーもなんかね。
古いタイプのウォーリーが感情を持つのはわかるけど、最新型のイヴに感情表現する機能つけるって、設計にすげー無駄があるよな。愛玩用ロボットじゃないんだから。
『カーズ』では車型のハチがぶんぶん飛び回る最初のシーンで、あー、そーゆー世界なわけね。了解。って思えたけれど、今回はどうも最後まで世界設定が飲み込めなかった。
宇宙船の中の機械的作業をしているロボット達が、ウォーリーに出会うと、人間ぽい仕草をするようになるのが良かったんだけど、じゃ、それまで何でただのロボットだったんだ?とか考えると、謎。
後から考えると、建物などのデザインがレトロSFっぽいから、その辺から虚構性をかぎ取ってくれ、と言いたかったのかなー。

しかも内容が子供っぽくなった感じが。
700年も怠惰な生活してきて、立つのも大儀になった人類が、今さら大喜びで地球に帰って、農作業なんかしたがるかあ?
宇宙船の乗客達の自立心が芽生える過程をもっと丁寧に描いて欲しい。
あと、ぶっちゃけラストがナウシカ。

『カーズ』『レミーのおいしいレストラン』と、大人っぽい内容が続いたから、そろそろ子供向けを作りたいのもわかるけど、大人の鑑賞にたえられるところがPIXARの良いところだったのに。
・・・やはりネズミに囓られた影響か?おそるべし、ネズミ。

もちろん見せ場は押さえた作りだし(消火器でランデブーのシーンはきれいだった)、演出技術は高度で『カーズ』のリベンジは十分果たせているけれど、テーマの説得力が今ひとつで、とりあえずエコ+他人に頼らず自分の力でやり遂げようってテーマが、教育的な標語みたい。
ディズニー的にはこれで良いんだろうけど、おおきなお友達にはちょっとね。


おまけ
同時上映の短編『PRESTO』はマジシャンとウサギの掛け合いなんだけど、クレジットのデザインが『トライアンフ』のフライヤーと同じ風味だった。
『トライアンフ』はマジックショーをイメージしたフライヤーだったということにやっと気がついた。

ウォーリー [DVD]
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本谷有希子の書く人はみんな小市民的だ。人のどす黒い部分とか書いてもそのどす黒さもわりと平均的だったりする。
だから彼女の作品は舞台よりも映画とかテレビとかの方が向いているかと俺は思う。
だって映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は良かったもん。
永作博美が底抜けに人がよいイタイ人やってて、かわゆかったもん。

で、その本谷有希子、はじめてのパルコ劇場。
永作博美がイタイ女やるぞ! というのが売りだったらしい。
『腑抜けどもry』もサトエリがイタイ女やるっていうのが売りだったけど売るほどにはイタくなかったから、今回もそうなんだろうと思っていたらやっぱりそうだった。

新聞屋の店主の留守中に、得体の知れない女(永作博美)が突然現れ、奥さん(広岡由里子)に旦那の愛人だとぶちあげる。
これが嘘だということはわりと早々に明かされる。
どうも何かといろいろうまくいかなくってイライラしていて世の中全般に腹を立てていて、ダメ押しが誕生日(38歳)だというのに祝う人がいないばかりか煙草を吸おうとしてもライターの火もつかない、
  というところでぶち切れて、通りすがりの家に「愛人だ!」と怒鳴り込んで無差別不幸テロを行おうとしたものらしい。

自称、明るい人格破壊者である彼女の言動に住み込みバイト・山里(吉本菜穂子)が巻き込まれ、新聞屋一家も巻き込まれて、一見普通の家庭の裏側のどす黒い部分が明らかになっていって・・・

と、まあ、こんな感じなんだけど、
なんとなく、みんななれ合っているというか、遠慮しあっている、というか、そんな雰囲気がある。
本物の悪い人っていうのがいなくって、つか、みんなどこか良い子でいたい人たちばかりで最後の一線を踏み切れていないので、なんか煮え切らないことばかりなのだ。
だって小市民だもーん。

礼儀
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