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Potsunen『Drop』のチケットを読む その2   

第3 なぜこのように作られたのか


公演の作り手側が、チケットの高額な転売を抑制したい場合、大きく2つの方法があることを前述した
手間も金もかからないが、事実上「お願いするだけ」の効果しかないエコノミー方式。
事実上も強制力をもつことができるが、多くの手間暇がかかるし、運営の舵取りもしなければならないファンクラブ方式。

小林賢太郎やラーメンズの公演に対して、エコノミー方式は以前から採られていたし、この方式のオプションである枚数制限もなされていた。
また、TBSイベントダイヤルに電話して尋ねてみたところ、ファンクラブ方式の採用も検討されたそうであるが、とりあえず今のところ見送られているそうである。
見送られた理由は余り詳しくは聞かなかったが、俺個人としては、キャパが余り大きくない劇場で公演をしている小林賢太郎の場合、この方式で転売規制と新規客参入のバランスを図るのは難しいのではないかと思う。
(劇場規模が大きくないのは、客席との距離感を重視する演者の意向だそうである)

とにかく、ファンクラブ方式は今回採用しない、と。
しかし、転売屋には何かをしておきたい。エコノミー方式をとる以上、「お願い」するしかないとしても、何かをしておきたい。
そこで、今回の措置となったわけである。

・・・と、いうのが、TBSイベントダイヤルの中の人の説明であった。
まあ、それで納得する人がいるのならそれはそれで良かろうと思うのだが、
俺個人としては、どーも、腑に落ちないのだ。
これは、本当に、「お願い」なのか?

マニア
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by k_penguin | 2008-04-23 18:00 | Potsunen Dropチケット問題 | Trackback(1) | Comments(8)

Potsunen『Drop』のチケットを読む その1   

俺が小林賢太郎の作品を論評するときに使う公式は、
まず、この作品は本来どう作られるべきか、もしくはどう作るのが普通のやり方かということを論じて、次に、なぜ小林はそうしなかったのか、ということについて論ずるというものである。
今回のPotsunen『Drop』のチケットの入場制限のやり方を論評する方法として、この公式を使うことにする。
これがイレギュラーな方法であることは俺も認める。
だいたい、チケットの件は小林賢太郎の名前で発表されたものではなく、スタッフか、主催者(TBSラジオ)の名前になっているしね。
しかし、どーにも今回のやり方にバニー臭さを感じてそれが気になって仕方がないのだ。
だから今回は、小林賢太郎の名義ではないけれど、という留保付きで話を進めることにする。


第1 この作品は本来どう作られるべきか

最初に公演の作り手側が、チケットの高額な転売を抑制したいと考えるならば、普通どういう手段を取るか、ということにつき述べる。

前にチケット転売に対する法的規制について論じたが、結論からいって、現在のところ法律によって有効な規制をすることは難しい。
だから、チケットを出す側は何らかの自衛策を取っている。
ただ、自前で警備をするというのは、恐ろしく手間暇がかかる。
いわば警察がやっても良いことを自前でやるのだ。きれいごとではない実力行使の世界になる。
手間と金を権力を使えばより大きな自衛効果が期待できるが、それらをけちったり、もしくはそもそも持ち合わせていなかったりすると、余り大きな自衛効果は期待できない。
費用対効果の関係で、自衛の範囲は決まる。
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苦労したYO
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by k_penguin | 2008-04-21 02:13 | Potsunen Dropチケット問題 | Trackback | Comments(3)

イラク自衛隊空輸違憲判断 名古屋高裁   

控訴は棄却だけど、傍論で違憲判断。平和的生存権を憲法上の具体的権利と認めたものである点でも珍しい(根拠は9条らしい)

この、請求自体は棄却しながら、脇で物申すやり方は、
本来は裁判所が口を差し挟むことはできない分野なのだが、それでもどーしても一言言ってやりたいときに使われる。
靖国参拝訴訟なんかがその例だ。
請求自体は棄却しているから文句言われた国側は上訴できず、言われっぱなしになるので、首相はイヤミを言い返すことになる。

ただ、自衛隊の活動、9条関係でこの方式が使われることは珍しい。
靖国参拝のような政治家のちょいとしたアピールなんぞと違い、事は国際関係に関わる大ごと。
判例としての法的拘束力はないとしても、一応裁判所が法廷で出すお言葉なのだから、政府を刺激しないよう、無難に控えめにしておくのが普通だ。

で、今回が普通じゃない理由はって言えば、この裁判長は、今年の3月で退官しちゃったんですね。
しがらみを気にしないでできる最後の仕事だったので、言ってやりたかった一言を言ってやったんでしょうね。

これを「よく言った!」と、とらえるか
「言いっぱなしでやり方が汚いぞ!」と、とらえるかは人それぞれだけど(いや、ホントにどっちもありだと思う。もともと裁判で解決する類の争いではないのは確かだし)、
内容が「バグダッドはry『戦闘地域』に該当する」というふつーのものだけに、俺としては、すかっとしちゃうんだな。これが。

ところで、ここでほかの自衛隊のイラク派遣を巡る「全国の11地裁」の訴訟を全部取り下げちゃったら、この判決が一番上級の裁判所の判決になっちゃうってことだよねえ。
いやー、裁判って面白いなー。
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by k_penguin | 2008-04-18 21:47 | 裁判(判決評) | Trackback(1) | Comments(5)

『どん底』 上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ   

俺がシアターコクーンで見る芝居に当たりがあったためしがない。
で、厄払いをしたいと思ってチケット購入。
ケラならハズレってことはないだろうし、しりあがり寿の描いたフライヤーも好印象だったし。

ゴーリキーの原作は読んでおいた方がいいんだろーなーと思いつつも、暗そうなので読んでない。
だって題名が『どん底』だぜ。絶対重くて救いのない話じゃん。
ただ、ケラの作品にも救いがないものが多いから、この作品との相性は良さそうだなって思った。

そーゆーわけで、何も知らないでふつーに見たわけだが、ふつーに見やすくって笑えて面白かった。
登場人物は、原作でも実はこんな奴なのかもっていうリアル感があったところが良かった。いや読んでないけどね。
山科けいすけの歴史ギャグマンガ(『センゴク』とか)に似てる感覚。
信長は単なる鉄砲フェチだった、とか、天気が良くて気分が良いからという理由で謀反企てちゃう松永久秀とか、「あー、ホントにこいつ、こんな奴なんだろーなー」って感じ。

ネットであらすじを探してみたところ、意外にも、めちゃくちゃ筋立てが変わっているわけでもなさそうだった。
でも衛生局の人は原作に無さそうだと思ったらやっぱり後付の人っぽい。
あの人が何をしたいのかよくわかんなかった。

緒川たまきは今日もきれいだった。
犬山イヌコも相変わらず良い味出してた。

礼儀
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by k_penguin | 2008-04-16 21:50 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback(1) | Comments(0)

小林賢太郎ソロ Potsunen 2008 『Drop』   

このライブについては、チケットの段階で1つ楽しませてもらっているので(現在進行形で)、内容については、さほど深く考えていなかった。
俺的にはチケットの件についても、『Drop』の内容としてとらえることができると考えている。
その方が面白そうだしい。
小林賢太郎が、客に対して注文をつけるようなことをいうのは、内向的な作品の発表の場が多い。
そのことから今回も、彼の内面の描写が内容になっていると推測していた。
 
それを前提にフライヤーを眺めて、俺は、何かめんどくさそーだな、と思った。
飛行機雲やらトランプやらリボンやら、いろいろな白い物がごちゃごちゃ集まって、「DROP」の文字を作っているのだが、文字を目で追ってゆくと、自然に画面左下のリンゴのところに行きつく。
リンゴの後ろの本だけがわざわざ白い本になっているところからも、最終的にリンゴを見て欲しいと思っているのだな、というのはわかるのだが、ところがリンゴが3つもあるのだ。
1つなら視線の終点として落ち着きがよいが、3つもあると視線がそこで迷う。
3という数字も含め、めんどくさそーだった。

で、フライヤーから目を上げると、そこは満員の世田谷パブリックシアター。
舞台の上には博物学の部屋みたいにごちゃごちゃ物がのっている机。
これだけいろんな物がのっているのに、子細に見ようと舞台によると係員に追い払われる。変なの。

で、まあ、公演だけど、

   完璧だけど、すっごいつまらない。

いやー、器用貧乏全開って感じ。終わって拍手しなかったの、初めてだぞ。
『Drop』というタイトルが語からきているらしいのはわかるのだが、何か新しいものを落語から得たって感じもしないしなー。
うんざりしてカーテンコールの前で会場を出てしまった。ちなみにカーテンコールが終わる前に出たのは20人ほどいた。

まあ、ライブポツネンを全然観たことがない人なら、それなりに面白いと思うかもしれない。
また、前のネタとかをよく覚えてる人にはそれはそれで楽しむきっかけがあるかもしれない。
しかし、初見じゃなくて大体どんなことをやるかわかっている人にとっては、予想の範囲を超えもせずにちんまりと収まり、
しかも、DVDも観てない客は小宮山さんとかメロスとかいい感じに忘れ去っているから続きもの的な面白さも理解しない、
その隙間にきっちり俺は挟まっていた。

どうして「なぜ干支を憶える必要があるのか」について説明しないんだろう。
別に憶えなくていーじゃん。どっかにメモでもはっとけよって思うだけで、彼のがんばりに興味を持つきっかけがもてなかった。


ただ、「アナグラムの穴」は着実に進歩している。
あれはだんだん面白くなっていると思う。
あと、teevee graphicsの華麗で的確な映像表現はいつも感動するなあ。

解析編(ネタバレばくはつ)
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by k_penguin | 2008-04-12 09:13 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(43)

小学館(女性セブン)vs植草さん、和解で終了   

毎日新聞
植草被告の代理人によると、小学館が和解金100万円を支払い、女性セブンに謝罪広告を出すことなどで双方が合意。同誌は「10回も痴漢で摘発された」と報じたが、実際は3回だったという。
(魚拓)

植草さんにはもう余り興味はないのだが、この件については、当の記事を読まないままに以前予測記事を書いていて、そこではまあ女性セブンは勝つだろう、と書いた。
しかし、100万とはいえ、一応女性セブン不利の形での和解になったということは、予測がはずれた、ということなのでフォローをしておく。


女性セブンの形勢が不利になったということは、多分「確実な資料、根拠」や「真実証明」あたりが問題だったのだろう。
主要部分が真実であればよいから、大して難しいことではないと思っていたが。
とにかく、当の記事を見なくてはならないので、図書館に出かけ、女性セブンの記事のコピーを手に入れた。
タイトルは
[逮捕3度目!]部屋からは四つん這いパンチラ写真ほか509枚。教室で女子大生に「えん罪でした」-植草一秀容疑者「痴漢で示談7回」の過去

そして本文中に「捜査関係者」の談として
(ry)ただし、被害者との示談という対応に応じていたので、話は明るみに出なかったようですが、今回で、10回目の摘発なんです

   とある。
ところがそれに続いて
つまり、逮捕されたのは3度目だが、過去7回の被害者とは示談が成立していたというわけ


これは完全に誤りだ。

「摘発」と「示談」は違う。
両方とも法律用語ではないが、
少なくとも警察にお世話になることが「摘発」と思われるし、
「示談」はいわゆるお手打ちであって、民事上のものである(これに法的な効力が加わるタイプが「和解」)。
示談と摘発はまったく別概念で、示談があるから摘発されないとか、逮捕されないとか、起訴されないという関連性はない。ただ、事実上起訴がされない可能性は高くなるが。
逮捕されてから慌てて示談交渉ということはざらにある。

つまり逮捕されても示談はあるし、摘発されても示談がないまま逮捕に至らない場合もありうる。
10-3=7とはいかない。

しかも、女性セブン側はこの「10回の摘発」の真実証明もできないっぽい。
どっかの傍聴記録で、「捜査関係者って誰だ」とか言われて検察の中の人だというような答えをしていたと記憶しているが、検察は送検された事件しか把握していないから、警察ということはあっても検察ということはないと思う。
「10回の摘発」が怪しけりゃ、タイトルの7回の<示談>(もはや本来の意味を離れて、表に出ない犯罪嫌疑という意味で使われているので括弧でくくる)もアヤスイ数字ということになる。
<示談>の数の多さはこの記事のメインのネタであることからもこれは余りにお粗末な記事だと言わなければなるまい。
植草側はここを叩いて、10回の摘発を3回にするということで和解が成立したわけだ。
3回については、公判でも確認されている。

じゃあ3回の逮捕以外には、嫌疑も「示談」もなかったのか、そういう内容の謝罪広告が女性セブンに載るのかというと、
その辺はうやむやな表現になるんじゃないかな、と俺的には予想する。

和解は、真実はどうあれ、こーゆー体で1つ、お手打ちにしましょう、というものであるから、真実はいったん藪の中に放り込まれる。
少なくとも植草さんに本来の意味の「示談」が1回はあることは確実である。植草さん公認ブログのゆうたまさんがそう書いているんだから。
また、女性セブンは「捜査関係者」からはとれなくても、植草さんが以前勤めていた民間企業からなら、何らかの情報を得られるかもしれない。
訴訟を続ければ、真実を確定するためにどんな証拠が出てくるかわからない。
植草さん側としても訴訟で真実を徹底追求するのが必ずしも吉とは言えないと思う。
女性セブン側の支払う100万というのはちょっと安い。
民事上の「示談」については不問、というのが和解の内容じゃないかな、と予想する。
・・・また外れるかもしんないけど(^-^;

植草さん側の目的は金ではなくメンツなので、謝罪広告が出せれば事実上の目的は達する。
女性セブンは下手こいている上に、植草さんについては確実な情報だけでもう十分な記事が書ける(もう記事にする価値も余りないし)。
早く訴訟を終わらせる方がよいだろう。

植草さんが「花」をとり、小学館が「実」を取った和解と見る。


追記 5月21日
女性セブンとの和解は、控訴審判決をにらんでいたってことらしい。
判決の報道はおとなしめらしかったから(もうみんな興味がないせいかもしれんが)。

アサヒ芸能に対しては勝訴。賠償額190万円。
なんか週刊誌に対しては勝ってるって、三浦和義さんに似たパターンのような気が。
雑誌側は多分真実証明する気があまりないとみた(初めからできないと知っている)。
190万ですむなら多少嘘でも気にしないで書くってことかな。

追記2 女性セブン謝罪文
「本誌2006年(平成18年)10月5日号に掲載した植草一秀氏についての「『痴漢で示談7回』の過去」との見出し記事について、
同氏から「事実無根である」とのご指摘を受けました。記事内容の確認が不十分であったことによって同氏にご迷惑をおかけしたことを、お詫びします」
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by k_penguin | 2008-04-07 19:05 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(9)

『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』   

後藤ひろひと(大王)の「笑えるし泣ける」という定評のある作品(今秋映画化)。
なのでタオルハンケチを装備して臨む。演出G2。

最初から泣く気満々なので、舞台は病院で、無邪気な女の子の入院患者がいる程度のベタな設定でも構わない。
が。
1日しか記憶がもたない設定、狂言回しに使われる甘いお話の絵本、素人たちによるはちゃめちゃ劇中劇。
・・・って、全部ここ1年ほどで見た劇や映画の中で使われてる設定やんけ。
しかし、これはもともと5000円札が新渡戸稲造だったころの作品。作者は1こも悪くない。あの作品はあの作品、この作品はこの作品、ということで割り切ってしまうことにする。
ちなみに思い出した作品は『博士の愛した数式』(小説を読んだがおとぎ話チックであまり好きではない)、『泥棒役者』(DVDで。そこそこ。) 『恐れを知らぬ川上音二郎一座』

さて、内容は、『ダブリンの鐘つきカビ人間』にスケールでは及ばないがちゃんと泣けたし、良い作品だと思う。
みんながパコ(志村玲那)のため、いや、それだけじゃなくて、大貫(吉田鋼太郎)のため、室町(笠原浩夫)のため、お互いが自分のためじゃなくて、相手のために協力し合ったところに、元の物語『ガマ王子vsザリガニ魔人』を超える物語ができる、といういい話。

みんなが割とこぢんまりとまとまっていた中で、山内圭哉が劇中劇で自由に振る舞っていて面白かった。映画でもこの人が龍門寺役なんだろーなー・・・。

ただ、やっぱり堀米は後藤ひろひとでやって欲しかったなー、と思う。
ここが大王じゃないと、なんで浩二のところに唐突に堀米が来たのかがよくわからないのだ。


大王の話には、昔の話を誰かが誰かに語る、という形式が多い。
この「語り部形式」を取る場合、ストーリーは2つなければならない。
語り手が語るストーリー(たいてい話のどこかに語り手が登場する)と、
話者がなぜその話を語らなくてはならなかったか、というストーリーの2つ。
設定のナレーションが必要だというだけで語り部形式をとる作品は論外であり、まともな物語は、必ず2つストーリーがあると考えている。
俺としては後者の、語り手自身の持つストーリーの方により注目する。
『ダブリンの鐘つきカビ人間』はこちらも非常にうまくできていた。

絵本の作者堀米(中山祐一朗)は、なぜやってきて絵本にまつわる話をしたのか。
なぜ聞き手の気に入らないかもしれない「真実」をあえて語ったのか。
なぜ絵本の1ページを渡し、後はおまかせして去っていったのか。
そこには彼自身の理由があるはずなのだ。
堀米が大王ではなかったため、これがよくわからなかった。
彼は絵本『ガマ王子vsザリガニ魔人』の作者にすぎなくて、この脚本を書いた人じゃないからだ。

これが脚本を書いた大王であれば、
話をあなた方が作り上げてください、というメッセージだということになる。
なぜ大貫が死んでパコが治る目出度い結末にしなかったのか。
それをやると、客がその時点で満足してしまってこの話のメッセージが伝わりにくくなると考えたのだ。
なまじっか陳腐なメッセージであるがために、まともなやり方ではみんながまともに耳を貸さないと考えたのかもしれない。
病院のみんなが誰かのために協力して話を完成させたように、浩二のために協力して元の話を作り、そしてそれを超える新しい話を作って伝えていって欲しい、ということ。
浩二によって全員があらためて再会したとき、新しい話がまた出来る、という予感とともに幕が下りるのは、そういうことだと思う。

その辺の「作者のジジョー」をわからせるためにも、大王にやって欲しかったなあ。
田螺かぶってるとこも見たかったしね。
似合いそうだよね、田螺。
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by k_penguin | 2008-04-04 22:28 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback(1) | Comments(0)