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橋下センセイvs光母子殺害事件弁護団の場外乱闘   

橋下センセイが光母子殺害事件弁護団の懲戒請求を煽ったので、逆に業務妨害で提訴されましたとさ。

俺が巡回しているブログのほとんどがこれについて取り上げていた。
・・・だから、俺も尻馬に乗っておこう。


さてさて、橋下センセイの「懲戒請求運動」は、法律の専門家にはおおむね評判が悪い。
ただ、その理由付けは2通りある。
 a 弁護団派・・・光母子殺害事件弁護団の姿勢に賛成している。
弁護団が正しいのが前提になるので、それに対する懲戒請求には反対になる。
 b方法が悪いよ派・・・光母子殺害事件弁護団の姿勢とは関係ない。
主張内容はともかく、それを世間に懲戒請求をしよう、という形で主張したことを問題視する。

 以前にも触れたが、俺はbの「方法が悪いよ派」だ。
 懲戒請求はリコール運動ではないので、数が多ければよいというものではない。
もともと弁護士との仕事のトラブルに基づく請求を想定しているので、請求した人は、審査のために呼び出されたり、追加資料の提出を求められたりする場合もあるそうだ。
1つやれば十分。
大体、事件に関わってもいない人が何をもって懲戒理由とするんだ?

これに対して、橋下センセイ支持派は、俺が見た範囲では法律の専門家には見られず、「一般の方」がメインだ。
総じて光母子殺害事件弁護団の主張内容が「非常識」であることを理由としている。
しかし、橋下センセイ自身は、それを理由とはしていない。
国民への「説明義務違反」を理由としている。
そもそも、非常識なのは、被告人なのである。弁護団は被告人の主張を代弁しただけだ。
それが弁護というお仕事だからだ。
非常識な被告人のせいで弁護人が心ならずも非常識な主張をせざるをえないことがある、ということは、橋下センセイ自身ブログで認めている。
彼が問題にしているのは、
一言で言えば、説明義務違反、被害者に対して、国民に対してのね

しかし、国民への「説明義務違反」が、懲戒理由として認められるかについては俺は否定的だ。
そりゃまあ、説明はしないよりした方が親切だろうが、依頼人ならともかく、一般国民に対してそういう「義務」があるとは思えない。

橋下センセイは
一般的な世間の感覚での配慮、いわばマナーみたいなもの
と述べているが、マナー違反で懲戒はできない。それはやりすぎ。


「懲戒請求運動」を支持する声の根底には、一般大衆の声に対して、弁護士会や裁判所の反応が鈍いところに対する抗議があるように思う。
政治家や一般企業がこれだけやいやい言われれば、何らかのお詫びなり言い訳なりを記者会見して発表するってものなのに、梨のつぶてだもんね。
しかし、弁護士も裁判所も人気商売ではない。
政治家や企業は、有権者の皆様や消費者の皆様の支持の上に成り立っているから一般大衆の声に敏感にならざるをえないが、裁判所も弁護士もそーゆーこととは余り関係ないところでお仕事をしているのだ。
そもそも言い訳をしなければならない理由がうすい。
「一般大衆」だからといって、即エライ、というわけではないのだ。
・・・まあ、裁判員制度をにらめば、そうも言っていられなくなるけど。

その中で、弁護士といえど橋下センセイは人気商売だ。タレントだから。
橋下センセイ的に言えば、同じ弁護士だからって、光母子殺害事件弁護団なんぞと一緒のくくりにされては商売に響くので、弁護団に自覚を持って、ちゃんと一般国民にも説明していただきたいだろうが、あいにく、それはまだ橋下センセイだけの都合に過ぎない。


そんなわけで、「懲戒請求運動」に対しては俺は否定的なわけだが、じゃあ、今回の弁護団側からの提訴はよくやった、すばらしいっ!という評価かというと、うーん・・・というとこ。
まあ、面白いから良いけどね。裁判所の判断聞きたいし(ネックは違法性要件よりも、損害との因果関係だとおも)。
でも、気になるのは、結局それは新たな燃料を投下したことになるわけで、で、橋下センセイのレギュラー番組のネタ提供になるわけで、ひょっとしたらセンセイ、裁判費用をTV局にもってもらうかも・・・なんて想像すると、なんかね。
弁護団側としても、今回の提訴には「こっちだって言われっぱなしじゃないもんね」というアピールの意味が込められていると思う。
そして、アピールの巧さという点では、弁護団は橋下センセイに及ばない。
何と言っても橋下センセイは人気商売。この点に関しては、プロvs中学生っつーとこだ。
実質的に損得勘定をすれば、裁判の勝ち負けに関係なく、この勝負は橋下センセイの勝ちになる可能性が大きいと思う。

総合すると、この勝負、どっちもどっちだと思うんだよねー。


追記 9月4日
光・母子殺害:弁護人への懲戒処分請求、全国で3900件

橋下センセイのブログを読んでいながら、弁護団が世間の常識とずれていることをもってセンセイが懲戒理由としているのではないことに気づかない人が意外に多い。
気づかない、というか、懲戒請求の理由なぞ気にしていない。
懲戒請求が「禁止されていない」ことさえわかればよいのだ。
橋下センセイも大変だと思う。
しかし、それが仕事なのだ。うん。
がんばってねー。

追記 9月7日
モトケンさんとこにしたコメントのコピペ

>No.58 hatty(一般人) さん
>一般大衆は,裁判所に全面の信頼を与えているからこそ人を殺す権利を与えているんではないでしょうか。裁判所は一般大衆に支えられているんですよ。

 一般大衆の信頼に支えられているのは確かですが、政治家や企業に対する信頼とは質が違います。
 一般大衆は、直接には「裁判所の裁判が公正であること」を信頼しているのであって、
裁判官その人を人的に信頼したり、裁判所というブランドを信用しているわけではありません。
少なくとも、システムはそれを前提に作られています(hattyさんご自身が何を信頼しているかはともかく)。
だから裁判の手続きはいちいち法律になって一般国民が読めるようになっているのです(実際に読むかどうかはともかく)。
ついでに言えば、「公正であること」と「一般大衆のご要望を取り入れること」はときに反します。

リアルに考えても、政治家の場合、
不祥事→悪い評判→選挙で落ちる→ひょっとして所属政党自体も落ちる
と、直接的に因果関係がつながりますが、
裁判官の場合、選挙で選ばれていないので、この因果関係はつながりません。
弁護士だって、不祥事で直接不利益を被るのは当人です。個人営業ですから。
司法の評判まで落ちるというのは、よっぽど多数が関わる場合くらいです。

関係者のプライバシーや名誉の観点から、一般大衆のご希望に添えないことがあっても仕方がないと思います。
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by k_penguin | 2007-08-30 13:00 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(4)

『エレンディラ』   

どちらかと言えば小劇場系の舞台を観ることが多い俺が、この、さいたま芸術劇場大ホール、S席12000円(ヤフオクでの購入価格はその半分ほどだが)の舞台を観る気になったのは、別に演出が蜷川幸夫だったからでもなく、決して美波の全裸シーンのせいでもなく、もちろん中川晃教という、いまだに名前の読みがわからない人を観るためでもなく、ガルシア=マルケスの原作だったからだ。
マルケスの小説は映像的なのだが、映像化に成功している例をいまだに見ない。
『エレンディラ』は以前映画になったものを見たことがあるが、イマイチだった。
今回も成功はしないだろうが、なかなか華やかな舞台の写真が広告にのっていて、それだけでも観る価値はありそうだった。
朝日新聞の劇評は好意的だったが、あてには出来なかった。
朝日新聞も主催者に加わっているからだ。

マチネーの会場入口は、なんか、いつも見るようなロビーとは様子が少し違っていた。
まず、おばさん率が高い。男性は2割ほどだが、そのほとんどが、奥さんのお供のようであった。
そして、何か知らんが、ポスターを前に写真を撮る人も多い。
うーん、さすがホリプロ主催。
大ホールはほぼ埋まっていた。客層からして、中川晃教クンが目当てなのだろう。

幕が開いて驚いたのは、とにかく舞台が広い!ハンパなく広い。本物のトラック2台が一度に舞台に出られるんだもの。
登場人物が舞台の奥の靄の中にフェードアウト、ということも出来る。
照明量もすごいし、雨のシーンは本当に水が上から降ってくる。おかげで次のシーンでは舞台の水たまりを拭きながら芝居を進めなくてはならない。
チケットが高いだけある。
これだけ金をかければエレンディラの小屋の周りのお祭り騒ぎの喧噪を作り出すのは容易だ。

自粛
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by k_penguin | 2007-08-20 22:52 | エンタ系2(ライブレビュー) | Comments(0)

NHK特集「パール判事は何を問いかけたのか」   

終戦記念記事。余り面白くありません。あと、セージ的な意味合いはこの記事にはありません。

安部首相が(と、書いてから「安倍」か「安部」かわかっていない自分に気がついた)靖国に詣でる代わりにパール判事の息子と会うらしい。
と、いう記事が新聞に載ったのとほぼ同じ頃にNHK特集でパール判事を取り上げたのは、事前の何かがあったのかもしれないが、まあ、いーや。
俺がNHK特集「パール判事は何を問いかけたのか」を見たのはそれとは全く関係なくて、
東京裁判におけるパール判事の意見の法律構成はすんごくめんどくさいらしい、ということだけ聞いていたので、50分でその構成が一通り分かるのなら、すんごくお買い得じゃな~い、と、思ったからだ。
つまらなかったら、途中から「リンカーン」見ればいいし。

しかし、50分で映像付きでまとめるにはやはり、理論は難しいらしく、おおざっぱに、事後法だから、の一言でまとめようとする方向だったのが残念。
事後法の禁止というルール自体が国際法上確立しているといえるのか、ということが知りたかったのに。

事後法の禁止は古くから見られるルールであり、刑事法について妥当する。大概の国の基本法に載っている。
載っているが、それはあくまでも各国の国内法のレベル。国際社会では例えば日本の憲法を持ち出してきても何の意味もない。日本国憲法の適用される地的範囲に入っていないからだ。

国際法では国際法の法源がある。慣習法と条約だ。
この場合条約はないんだから、事後法の禁止という国際慣習法が成立しているかを検討しなければならないはず。

そして、刑事法という概念は基本的に国際慣習法にはない。
それらしいことが言われるようになってきたのは、東京裁判(1946年)の後、1948年の世界人権宣言以降で、
それが、どうにかこうにか国際刑事裁判所(ICC)ってもんに形つけて発足したのが2003年であるくらいだ。
だから、刑事法についての原則である事後法の禁止も国際慣習法にはなっていない、
と考えるのが普通だと思うのだが・・・。
これが前から疑問だったんだけど、やっぱり答えてもらえなかった。

また、それと並行して、「侵略戦争の禁止」という慣習法の成立の成否をも検討しなければならない。
こーゆー慣習法が成立していれば、東京裁判(極東国際軍事裁判所憲章)は事後法ではなく、既にあった慣習を明文化したものと認められる可能性が出るからだ。
これはユース・コーゲンス(慣習法上の強行法規)の問題で、成立しているという説もありうるところだが、パール判事は成立していないという見解なのだろう。
これについては、それ的なことを言ってるとこが引用されていた。

大体において、国際社会のいわば「公序良俗」に基づいた法秩序というもの自体が存在していない中で東京裁判は行われたのだ、ということについて番組は言及していない。
国際法の世界は、国内法の感覚になれていて、日本国の憲法をあげておけばそれでOK、と思っていると、えらい目に遭うような無法地帯と言っていい。

・・・と、思ったところで、パール判事の「事後法の禁止」っていうのは、個々の構成要件だけでなく、法秩序が存在していないってことも含めて言っているのではないかなって思いついた。
番組では、連合国側による一方的な支配の否定という視点は繰り返し述べられていて、事後法の禁止は、そういう政治的思想を導く法技術的な便法のように扱われていたけれど、決して便法ではなくって、根本的には同じことをさしていると思う。

法秩序が存在していないところで人が人を裁くということは、一方的な暴力と同じことなのだ。
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by k_penguin | 2007-08-17 08:23 | ニュース・評論 | Comments(2)

植草さんの本のうちの15行分の感想   

植草さんが「炎」とか「不撓不屈」とかいう華麗な章題がついた本を出した、というネタが2ちゃんに貼られているなあ、と、思っていたら、ネタではなく、本当に本を出していた。
なんか、経済について語ったり、自分の生い立ちを語ったり、冤罪について語ったりする本だそうで、別に読む気はなかった。
したら、ヤメ蚊さんが感想をブログに載せた。
ヤメ蚊さんのブログのコメント欄で2年ほど前から俺はときどきいちゃもんつけたり、だらだらケンカしたりしている。
で、それと関係なく、うちと植草さんのファン関係ではそちらの関係なりに、だらだらなおつきあいが続いている。
だから、ヤメ蚊さんのところで植草さんの本の感想を見たときは、何か変なところで知り合いにあったような気分になって、少し嬉しくなって、その記事を読んだ。
そしてその結果、最後の「控訴拒絶」の15行だけ読めばいいや、と思って本屋でそれだけ立ち読みしてきた。

要は2004年のいわゆる「手鏡事件」について控訴を断念した理由が述べられているわけだが、控訴を拒絶する気持ちはよく分かる、が、その考えは間違いだ、と、思った。

否認事件ほど徒労感と無力感を味わう仕事はないと弁護士の間でも言われる。
裁判は、審判者である裁判官を信頼しなければやってゆけない。
その裁判官に明らかに無理がある判決を出されるということは、今までの訴訟活動のすべてを根底から裏切られることであり、こんな茶番劇、こっちから願い下げだ、と言う気持ちになり、控訴を放棄する気持ちになるのも分かる。
控訴を放棄するだけなら、仕方ないな、という感想を持っただろう。

しかし、彼は「裁判を拒絶して法廷外の活動で無実の立証活動を続けようと考えた」と、述べている。
無実の立証活動を続けるつもりであれば、話は別だ。
それなら裁判は続けるべきだ。
裁判で戦うことを途中でやめた人の言うことには説得力がないというのが厳然たる事実だからだ。

百聞は一見にしかずという。
「一見」により無実を証明することが最早不可能であれば、あとは言葉を連ねて説得するしかない。
そして、説得力ある言葉というのは、往々にして、単なるイメージや権威などによって作られる。
「最高裁まで戦い続けた人」の言葉と「一審で文句言ってやめた人」の言葉は重みが違うのだ。
「裁判で最後まで戦ったとの事実を残すこと以外に裁判継続の意義を見いだせなかった」と彼は書いているが、まさにその「裁判で最後まで戦ったとの事実」こそが重要なのだ。
裁判には正義を見いだせなかったと彼は書いているが、裁判の外にも正義はない。
真実を見通す目を持たないのは、なにも裁判所だけではないのだから。
裁判をやめて沈黙するか、無実を訴えて裁判を続けるか、選択肢はその2つであって、裁判はヤだけど無実はみんなに知らしめたい、という自分に都合の良いとこ取りは通用しないと思う。


ちなみにこの本で扱っている事件はほとんど「手鏡事件」に関するものだ。
「手鏡事件」がかなり弱い証拠によって有罪とされているのは事実で、起訴すべきではなかった案件ではなかろうかと俺は考えている。
仮にそれが、痴漢の常習として目を付けられていた人を警官が尾行して、現行犯のタイミングで捕まえようとして手をポッケにつっこんだところに襲いかかったら、見込み違いだったものだとしてもだ、違うものは違うのだから、見送って、自分の運の悪さを呪いながら次回のチャンスを待つべきだった、と思う。
チャンスは必ず来るからね。
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by k_penguin | 2007-08-10 11:04 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(6)

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』   

1度はチェックしておきたい劇団リスト、NODA・MAP(『ロープ』じゃなくて『BEE』を見れば良かったと後悔中)、大人計画に続いて、3番目は劇団、本谷有希子。
と、思っていた矢先に本谷有希子が原作のこの映画が出たので、劇場に行くよりお手軽だと、こちらですませることにした。
あと、劇のDVDや原作本の表紙を山本直樹が描いているのも気になってた理由の1つ。
こちらに視線を向けながらも笑っていない女を魅力的に描ける人は少ない。

・・・と、言いつつも、それほど期待はしていなかった。
ほーかいしている「家族」をあつかったものは最近珍しくないし、兄ちゃんと妹がデキてるってゆーのも、いまさらの話だしい、しかもまたオタクが出るのかよ。ちっ。
とか思いながら渋谷(この町もこちゃこちゃめんどくせーんだよブツブツ)に出て行った。

ところが、なんσ(^_^)とっ!
これが、大当たり☆彡(ノ^^)ノ☆彡ヘ(^^ヘ)☆彡(ノ^^)ノ☆彡

More(ノ^^)ノ☆彡
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by k_penguin | 2007-08-03 00:02 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

Piper 『ひーはー』   

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画像の説明は一切なし
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by k_penguin | 2007-08-01 10:16 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(2)