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総じてこの作品に関して、俺の理解のテンポは遅い。

まず、これを見に行こうと思ったきっかけは、ナイロン100℃『ナイス・エイジ』で、時次君の作ったカーナビになぜか野田秀樹が出ている、というギャグを観たとき、
「そーだ、野田秀樹って観てないな」と思ったからだ。
チケット買ってしばらくしてから、やっと、カーナビのマップと、NODA・ MAPをかけてるって気がついた。もうここから理解の遅さが出ている。

んで、満席、立ち見も出ているシアターコクーンにやってきた俺だ。
男女比が1:4なのは、藤原竜也が出ているためだろう。
劇中の「ボクはキラなんかじゃないっ!」というデスノートのギャグと、この、すげー顔が丸い男の子がやっと結びついたのは帰りの電車内だった。
・・・ね、理解が遅いでしょ。

万事がこの調子だった。
野田秀樹は『RED DEMON(赤鬼)』をテレビで観たことがあるだけだったけど、そのときはすげー感動したから、余り心配はしていなかった。
でも、何かぴんとこないのだ。舞台とうまく対話ができないって感じ(まあ、舞台よりも客席を見物するのに良いような座席になってしまったというせいもあろう)。
テーマは「暴力」なのだが、乱闘が始まるまで、結構「リングの中と外の違い」の説明が長く、途中まで、虚構と現実がテーマかと思ってしまっていた。
テーマの把握が遅れたせいか、メインであるタマシイ(宮沢りえ)が何なのかがいつまでもつかめなかった。
メインがつかめないので、サブの純情で愚かでイマドキの子のヘラクレス・ノブナガ(藤原竜也)も、愛されたいヒール、グレイト今川(宇梶剛士)も、どうも表面的なキャラ把握しかできず、話に入り込めない。
漫画的表現が随所にちりばめられていたけど、本当に、余り興味のない漫画雑誌をぱらぱら立ち読みしてる感じ。
視聴率稼ぎのための暴力表現のエスカレート、と、話もなんか漫画チック。
テンポがよいから見てはいられるけど、今ひとつ入り込めないまま。

ただし、分からないなりにみていても、宮沢りえの走り回りっぷりはすごかった。
小さな身体なのによく動き、最後までよく声も張っている。
彼女と、JHNDDT(渡辺えり子)がなんか、身体張ってるって感じ。張ってる方向が違うけど。

暴力を巡るいろいろなテーマを要領よくまとめてるし、最後のリングの下でひっそり生きるタマシイのシーンには作者の祈る心は感じ取れるけど、でも、どーしても理解が表面的にとどまってしまう。
タマシイの実況に、なんか、もうちょっと超常的な感じが欲しかった。コロボックルなんだから。
最後の方でやっとタマシイは暴力の犠牲になったもの(犠牲者でもあるし、つぶされた心でもあるし)なんだなって分かるけれど、もーちょっと早く言ってよー、それ。
わかんないしー。
これって、やっぱ、俺の理解が遅いのかなあ?
NODA・MAPの今までの公演見てれば分かったのかなあ。
デスノのギャグも分からないくらいだからなあ・・・。

と、作品が悪いのか自分が悪いのか分からないので、判定は、パスさせてもらいまーす。
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周防正行監督のこの作品は、観ようかどうか結構迷っていた。
この映画は、広告とか見る限り、裁判の実態を知らない方に驚きの事実を教えることをメインとする作品で、そして、そうだとしたら、一応仕事で冤罪にも少し関わったことがあり、その関連でこの論点を少し考えたこともある俺は、この映画の想定する観客には入らないことになる。
「こんな驚きの事実が!!みなさーん、こりが日本の刑事裁判なんですよ、きゃあこわーい>_<;」
で、終わられたとしたら、がっかりだ。
文句を言うだけなら、小学生にだって出来る。
数日間ぶつぶつ迷っていた俺だが、迷うのが面倒くさくなったので結局観ることにした。

さて、裁判もののオチは2つだ。
「無罪」か「有罪」。
無罪の方が話は無難だ。正義は勝つ。
しかし周防監督はかなり長期間の綿密な取材をしているらしいから、単純に「正義」を振り回すだけのオチにはしないだろう、と思った。
無難な結論を採るか、それとも有罪を採って、何かを言うか。
そしてその場合、何を言うのか、という点が興味のポイントだった。

アニメばかり観ている俺には新鮮なほど映画館はおっさん率が高かった。
観て感心したのは、本当に裁判がリアルだったこと。
ちゃんと作っているだろうとは思っていたが、本物の手続通り、人定質問から始めて、刑事裁判を手続きに沿って進行してゆく。手早く裁判傍聴したのと同じ気分が味わえる。
そして、その当然の結果として、地味だ。
裁判シーンはただでさえ絵面が地味なのに、リアルさを出すために過剰な演出を押さえているからだ。
もっとも、裁判で使われるあの眠気を誘う言い回しが多いにもかかわらず、客席は終始映画に集中していたように見受けられた。本物よりもはるかに要領の良いやりとりをしているからだ(そこまでリアルを追求すると、みんな寝ちゃうもんね)。
ただ、やはり法律用語や、裁判で使われる言い回しに慣れた人と、そうでない人とでは、理解に差が出るのではないかと思う。

また俺に言わせれば、「裁判」はリアルだったが、出てくる数人の弁護士の人物造形は、やや理想型。役所広司の弁護士はあれはやっぱちょっと違う。
中小の事務所で刑事弁護が好きな弁護士は、俺のイメージとしては『エレン・ブロコピッチ』に出てくる弁護士みたいなちょこまかした奴だ。
有能な弁護士は法廷と依頼人の前ではどっしりしているが、それ以外ではたいていちょこまか歩き回るか、大きな風呂敷を抱えている。

裁判に興味がある人にはお勧め。
そうじゃない人はどうなんだろう。キャラ立ちを二の次にしてる作品だから、集中しきれるのかどうか不明。
あ、あと、知らない人のためにお知らせしとくと、ラストカットの背景は最高裁判所ね。

*ネタバレつき評論編*
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数日前、ネットをぶらぶらしていて、こんな記事を見つけた。毎日新聞だ。「無戸籍児:離婚300日以内誕生は前夫の子「法の壁」重く」
離婚してから300日以内に生まれた子供は、前夫の子供と推定される(民法772条)。
このため、すぐに再婚した場合、生まれた子供が、前の夫の子供と推定されてしまう場合があり、推定を否定するために奥さんはかなりめんどくさい手続きを取らなければならない、という内容だ(再婚禁止期間規定(733条)があるため、重複推定は原則的にはない)。
ところがこの記事、あまり好評ではないようだ。
トラバされているうちでまともな内容をもつエントリーは5件しかないのだが、そのうちの4件が、記事に批判的なのだ。女性に「計画性がない」のが悪い、というわけだ。
毎日新聞の側も黙ってはいなくて、「離婚300日以内誕生の子 前夫も困惑」
という記事を持ってきた。
しかし、みんなもう興味を失ったらしく、現時点で1件しかトラックバックがついていない。その1件も、基本的に同じことを繰り返して主張している。
で、俺は何か記事の問題の立て方が間違っていると思ったのだ。
みんな困っている、と言うだけで、じゃあどうしろ、というのがないからだ。

毎日はこーゆー記事もある。
「戸籍:離婚後265日で生まれた男児 無戸籍1年、やっと登録 母「法改正を」」
この辺からすれば、民法772条を改正したいように見えるのだが、では、どう改正したいのかについては何も書いていない。
ちなみにこの記事で「法改正を」訴えているお母様は、単に772条(書いてないが、多分2項のみ)を無効にしたいらしくNPO「親子法改正研究会」を設立して民法の改正運動に取り組んでいるそうなのだが、ググってもここしか出てこなかった。あまり真面目にやっていないらしい。
単に手続きが大変だから、というだけの理由で法律を違憲無効にすることはできない。
せめて憲法のどこに違反すると思っているのか述べて欲しいものだ。

法改正でないとすると、戸籍事務などによって、DNA鑑定の提出などもっと簡単な方法で法の推定を覆せるようにして欲しい、というご要望なのかもしれない。
記事で取り上げられた人たちは、大体これを希望しているようだ。
また、これらの毎日の記事に肯定的なブログでの意見は、その大勢が「硬直なお役所仕事」を批判するものになっている。
しかし、それは戸籍係にあんまりというものだ。
確かに、同じ772条2項でも、「婚姻成立から200日以内」の子供の方は、かなりフレキシブルに夫の子と認められている。
しかしそれは、そっちの方が子供にとって良いことで、しかも、そう認めても揉め事になる可能性がないから柔軟な取り扱いが可能なのだ。
つまりそう取り扱っても、子供の保護という772条の趣旨に反しないから許されているのだ。
離婚、再婚となると、揉め事になるヨカーンがぷんぷんする。安易な取り扱いはできない。やはり調停なり、裁判所が関わる手続によるべきだろう。
大体民法は、必ずしも生物学的な親子関係のみをもって親子としているわけではない。
夫の嫡出否認の訴えの出訴期間が1年と短いことからもこれは分かる。やはり、民法は社会関係を重視しているのだ。
それを、DNA鑑定を出せばいいはずだ、というのは安易にすぎると思う。

親族法は戦後ちょっとしてからのもので、民法772条というのが、必ずしも実態に合致しない形式的な推定規定であることは確かだが、離婚した後に必ずしもみんな再婚できるとは限らないことを考えても、子供の保護にはまだなおこのての推定規定は必要だろう。


じゃあ772条って、鉄板なのかと、ちょっと調べてみたら、実はこれについてはまったく新しい問題が生じていた。
体外受精や代理母ということが可能になった現代では、772条1項が妻が「懐胎した子」のみに推定を及ぼしているという点が問題となりうるのだ。
つまり、卵子のみ提供した場合は推定が及ばないのだ。

・・・わー、めんどくさい。・・・あまり安易に違憲とか改正とか言わない方が良いと思うんだけど。
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2ちゃんのドメインが差押えを食らうかもしれない、で、2ちゃんが事実上の閉鎖に追い込まれるかもしれない、という漠然としたニュースがネット上を駆け回っているようだが、ソースは結局ITmedia Newsしかないみたいだ。

ま、これに関して大騒ぎしているのは、祭り大好きのねらー達だけで、法律家は基本的にしらけた態度だ。
債権額が500万円ぽっちだから、億単位で稼いでいるという噂が本当なら、ひろゆきは払えばいいだけだからだ。
また、詳しい人は、ドメインの差押えが現実に可能なのかに疑問を持っている。
法律というのは、基本的に国内でしか通用しないから、外国の政府や機関や会社がからむと法律の現実の強制力というのはものすごく怪しくなってくるのだ。
日本国内で小市民な生活をしている俺たちには、法律=強制力(とかタイーホとか)というイメージだが、法律それ自体はコトバにすぎず、それに強制力を与えているのは、国家権力だ(俺は法律は召還呪文だととらえている。モンスターが来るかわりに、執行官とか警官とかがやってくる。ちなみに警察のイメージはサトシのリザードンだ)。
で、国家っていうのは、その名の通り、お国でしか通用しないのね。国際社会レベルになると、みんな「国家」のわけだから、他の国家の管轄内の人に当然には命令出来ないわけ。
IT関係は、サーバーとか、そーゆーのって、もうフツーに外国にあるしねえ・・・。

しかし、ドメインのことはおいといても、ひろゆきがあまりに法律や国家ってものを無視した態度に出ているのは確かだと思う。
部外者が言う悪口みたくなるけど、技術屋って、当面をごまかしておけばいい、と思ってるんじゃないかって感じがときどきする。
差し押さえられそうなら海外に資産を移せばいい、とか、コピーしちゃいけないのなら、誰がコピーしたのか分からないようにしておけばいい、とか、発信者情報開示命令を受けそうなら、発信者情報自体捏造しておけばよい、とか。
あ、ホリエモンもそーゆーふいんきあるな。短期に利益が上がることを好む、って感じ。
実際それである程度通用しているのも事実だけど、それはあくまでも「ある程度」で、そういう、社会をなめたように見える態度は、長期的に見れば、本人にとって良くない結果を招くと思う。

多分、ひろゆきにしても何にしても、別に社会をなめているつもりはないんだとは思う。
ただ、なんつーか、コドモなのだ。
社会っていうのは、単なる上命下服のシステムなんじゃなくて、種々の「お約束」から出来ている動的なシステムだということを知らないだけなのだ。
・・・まあ、書いてる俺もよく分かっているわけではないが。
勝ち負け、や、支配するされる、以外の物の見方っていっぱいある・・・って感じ?
うーん、説明になってない?

別に、お上に従っておけ、と、言っているのではない。
胸を張って言えるだけの言い分を備えてからやってほしいと思う。

追記メモ 14日
ドメインについての解説
やっぱ"2ch.net"って名前だって解釈で良かったのね。
それ自体に高い値段が付くとは思えないけど、差し押さえる側も嫌がらせにすぎないから、それでいいんだろうと思う。
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朝日新聞の読者投稿欄「声」に、ラーメンズのチケットの高額な転売を嘆く投稿が載っていた。
ラーメンズだと名指しはしていないが、まあ、ラーメンズだろう。
ネットオークションで高額で買ったのだが、手元に届いたチケットを見てもあまり嬉しくなく、公演に行きたくなくなったんだそうだ。
「声」欄は実名掲載の上に、投稿主は16歳の高校生なので、いちいち引用してツッコミを入れるのはさすがにオトナとして気が引ける。
自分で金を出しておいて文句を言うとは、さすが16歳。
とだけ言っておこう。

・・・大体、小林賢太郎が転売についてどう思っているかも、何か含みがあるような感じがするんだよな。ビジネス的な思惑とはどっか違うような気がするし。
などと、高校生の愚痴を見ながらぼんやり考えているうちに、「お一人様1公演のみ4枚まで」の法的意味、というネタを思いついた。


今回のラーメンズの公演「TEXT」では「お一人様1公演のみ4枚まで」という制限が付いている。
で、買うときも、一度に5枚以上は買えないようにシステムが設定されている。
こーゆー制限自体は、人気のあるアイドル、タレントの公演では珍しくないらしい。
特にジャニーズでは本人確認がうるさいようだ。
しかし、少なくとも「TEXT」の場合、数回にわたって購入したり、友人に頼んだり、複数の購入手段を使うなりすれば、簡単に制限は突破できる。
実際、ネットオークション上でも、4枚を超えるチケットの出品者はいる。
じゃ、「お一人様1公演のみ4枚まで」制限に反した購入をしたら、どーなるんだろう。

夢のない話。しかも長い。
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お正月だよ!ツタヤレンタル半額。森田芳光監督作品。
DVDに80年代の作品である『の、ようなもの』の宣伝がついていたが、なるほど、現代版『の、ようなもの』という感じがする。
『の、ようなもの』はあわあわとした時代の空気が伝わる佳作であった、ような気がする。観たのかなり昔だし。

・・・しかし、時代は変わったのだ。

最近の邦画で見かける技に、話の最初にいきなり説明抜きでクライマックスシーンを持ってきてしまう、というのがある。乱暴だが、つかみとしては効果的な技だ。
で、この作品も、この「いきなりクライマックス」パターンだ。
でも、クライマックスが静かなシーンだったので、つかまれなかった。
後から分かってみれば、良いシーンなのだが、説明抜きで見せられても、「?」ってだけだった。

兄弟を中心とする特別な空気感が良く伝わってこない。
兄弟は俺の目には、ただの内気なマニアさんとしか映らなかった。
部屋はいい部屋だが、本棚の本の内容も、コレクションも多彩すぎて、何のマニアなのかがいまいちぴんとこない。何のマニアなのかは人柄を知るのに重要だ。

間宮兄弟は、よく、「モノ」に仮託して自分の心情を表現する。
無理矢理友人の離婚の話し合いの場に引きずり出された兄は、食べられないまま捨てられるであろうお総菜の運命に言及することによって、自己中な夫婦を暗に批判し、弟の、好きな人への気持ちを伝え方は、自分で編集したMDを渡すことだ。
この作品に限らず、『家族ゲーム』でのSPACE WARPなど、森田監督の作品には、モノによって微妙な雰囲気などを伝えることが多い。
しかし、時代は変わった。
モノが多すぎるのだ。しかもモデルチェンジも激しく、マニアックに細分化されている。モノが持つイメージが希薄になっていて、どのような意味を表現したいのかを考えるのに手間がかかる。
弟の好意を拒絶するとき、大垣さおりはiPodを見せる。MDというメディア自体を使わないことを示して、弟の気持ちの伝わらないことを表現しているのだ。
しかし、弟は、MDプレーヤー(抗菌イヤホン付き)ごと曲を渡しているから、iPodを使用していること自体は拒否の理由にならない。
俺にはさおりのやったことはただの嫌味にしか見えない。

モノに囲まれ、日々の暮らしを丁寧に生きている兄弟。
決して悪くはないはずなのに、「うーん、これでいいのか?」って感じがしてしまう。
女性陣も、ビデオ屋の店員の妹、夕美以外は、あまり魅力的ではなかった。ふつーの恋愛をしていて、ふつーの打算をしているふつーの人だ。
兄弟はいわゆる「いい人」なだけに、なんか、女性になめられているだけ、という感じがする。
モノの多さが、逆に心の弱さを示しているような気がして仕方がないのだ。

つまり、結局、やっぱり、時代は変わったなあって思ったのだった。
これからも変わるんだろうな。
今年はいい年になりますよーに、と。
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