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前のエントリーでちょっと触れたバートランド・ラッセルとウィトゲンシュタインに関する20日の朝日のコラムから。

ケンブリッジ大学の哲学教師であったバートランド・ラッセルは「いまこの部屋に河馬はいない」という命題を信じない、と言いだした学生、ウィトゲンシュタインを説得するため机の下を自ら探し回った。河馬は見つからなかったが、それでもウィトゲンシュタインは納得しなかったという。

この逸話から何を読み取るかは人それぞれだと思う。コラムはウィトゲンシュタインを「次元の違う世界をさまよう頭脳の持ち主」であると結んだが、ケンブリッジ大学って何やってんの?とか、哲学ってアホみたいだなあ、とか思う人もいると思う。
俺はといえば、少なくともコラムの意見には同意しない。ウィトゲンシュタインは空気が読めない奴であることは確かだが、次元が違うほど非常識なことを言っているわけではない。
いわゆる「悪魔の証明」を知っているなら、ラッセルの失敗が分かるだろう。ラッセルは「いない証明」を引きうけるべきではなかったのだ。

「ないこと」を証明するには、全ての「ある」可能性を潰さなくてはならないので、困難を極める。これを悪魔の証明と呼ぶ。
ラッセルは、クソ生意気な学生の方に「河馬がいる証明」をさせるか、そうでなかったら、せいぜい「この教室に机がある」という命題にでもしておけば良かったのである。
むしろ問題は、「悪魔の証明」にラッセルが乗ってしまったと言うところにある。古典的な「悪魔の証明」を彼が知らないはずはない。教室に河馬という素っ頓狂さをおいても、不意をつかれると騙されてしまうのだ。そのトリッキーさが「悪魔」の所以なのだ。
こちらのブログで知ったが、「悪魔の証明」はむしろ詭弁の話術として用いられるらしい。なお、diabolicalと言う響きは俺も気に入った。(コバケンにもお勧め)。

で、堀江メールだ。
もうおわかりかと思うが、メールがなかったということの証明を要求する民主党が無茶なのだ。
しかも、民主党はウィトゲンシュタインほどスマートじゃなかったので、ふつーに突撃してふつーにどつぼってしまった。しょーもな。
さて、ごちゃごちゃ言うほど深みにはまる。どうする。
司法の世界であれば、家に帰って布団かぶって泣くしかない。
2ちゃんだったら回線切って出直す(なぜかそうして出直した人はすぐに同一人物とばれるが)。
では政治であれば?
とりあえずガーガー騒いで次の展開を待つ。
うまくいけば国政調査権を利用したい誰かが乗っかってくれるかも。うまくいけば騒ぎながらフェードアウトできるかも。
バラエティみたいなノリだけど(困ったときは大声だしとけばええんや―山崎邦正)、リアルタイムだからだらだらしててつまんないな。
編集さん、上手くつないどいてー。


今回は、情報のメイン部分は全部他人任せ( ´ー`)y-~~
(いや、リンクしたこの2つの記事、両方勉強になるのよー)
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朝日新聞のナイスなコピーのおかげで、今まで俺が訪れていたブログとは、性質の異なるブログを見る機会に恵まれた。
俺はさほど多くのブログを見ていない。基本的に法律家、時々マスコミ関係。扱うお題は時事問題中心。朝日新聞のコピーについて取り上げたブログはない。
だから、今回見たこちらのブログはなんつーか、知らない世界をかいま見たような気分だった。
管理人内田樹氏は本もたくさん出していて、俺より1周り以上年も上なのだが、ここはネットだ。知らないことにしておこうっと。

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170 番組の途中ですが名無しです 2006/02/13(月) 15:36:31.68 ID:M/WsSI/70
こういう女向けのエロは普通にオッケーなのに男向けのエロはダメなんて男女差別も甚だしい

193 番組の途中ですが名無しです sage 2006/02/13(月) 15:50:01.54 ID:hTMVxICO0
>>170
女の子は綺麗でかわいらしくて弱くて守らなければならないけれど、男は動物だから
強姦などの性犯罪を犯す。
女の子は性犯罪なんて犯さないから規制しないでいい。
男はどんどん規制する。

まじであいつらこんな頭だよw

194 番組の途中ですが名無しです 2006/02/13(月) 15:51:54.55 ID:ayXOWrhe0
>>193
まあでもだいたい当たってるな

198 番組の途中ですが名無しです 2006/02/13(月) 15:54:57.50 ID:+6NGycoD0
>>193
まったくその通りだから困る

201 番組の途中ですが名無しです 2006/02/13(月) 15:57:28.08 ID:hTMVxICO0
>>194,>>198
そうなんだよなw
どんぴしゃりだから困るw



                 ハ_ハ  
               ('(゚∀゚∩ 目からウロコだよ!
                ヽ  〈 
                 ヽヽ_)

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その1がそこそこの反響を呼んでいる。
過疎ブログのうちでこれなのだから、ネット全体では、もっと大きい反響を呼んでいるだろう。話題作りができたという点でこのCMはCMとしては成功かもしれない。
実際街中でもよくこのキャッチフレーズを見る。
で、昨日、酔っぱらって駅のホームで電車待ちしている間にこの広告のでかいパネルを眺めながら考えた。

その1では、このCMは、「初めに叩いておいて、でもそんなあなたが好きっ!てゆーパターン」であり、そしてそうであるなら、前半の言葉を「叩く」部分には暴力による説得と対比させた言葉という表現の弱点を入れる必要がある、と書いた。
言葉を「叩く」には、何かと言葉を比較しなければならず、言語表現と対比されるのは、暴力による説得だろうと考えたからだ。
しかし、「(身勝手で、)感情的で、残酷で、ときに無力」というフレーズを眺めているうちに、これは一般にネットで、つか、2ちゃんで使われる言語表現についての一般的イメージではなかろうか、と気が付いた。
つまり、このキャッチフレーズは「言葉」の敵はネットである、と考えているのだ。
いや、ネットだって言葉なのだから、ジャーナリズム(新聞)の敵は、ネットである、というのが正確かもしれない。
そういえば、TVCMでもネットの書き込みの言葉のカットがあった。
俺としては、その言葉が「いなくなれ」という、比較的マイルドな言葉だったのも、気に入らなかった。せめて「死ねばいいのに」くらい入れて欲しいものだ。

まあ、いい。
つまり、これは「ネットってひどいよねー、でも俺たちジャーナリストだからちゃんとやるもん。」という趣旨のキャッチコピーなのではなかろうか。
マスメディアとしての新聞の敵は、最早、権力とか暴力とかではないのだ。ネットなのだ。つか、2ちゃん?
権力とか暴力とかに比べて、2ちゃんの厨が相手のジャーナリスト宣言って、なんつーか、ショボイって感じが、するんだけど。
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俺は柳美里を読んだことがない。
というのは不正確で、実は、もう何年も前、まだ芥川賞を取る前に、1度新聞に載っていたエッセイを読んだことがある。
で、そのエッセイを読んで、俺は、「この女には関わらない方が吉」と判断して、現在に至っている。
エッセイの内容もおぼろにしか覚えていないが、女学生時代、いろいろ問題行動を起こした彼女について、あちこちから苦情をいただいた学校の教頭(だったか?)が、彼女に対し、何だったか侮辱的な言葉をはいた、ということに対する糾弾のような内容だった。
印象に残っているのは、彼女が、他人に対して迷惑を掛けたということに何の説明も弁解もなく、そのくせ、なぜ教頭に侮辱的なことを言われなければならないのか、全くわからない、と、主張していたことだ。
援助交際の女子学生だって「誰にもめーわくかけてないしい。」程度の理屈は言うのに、学校に苦情がわんさか来る程度の迷惑を掛けておいて、そのことに一切触れていない。

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俺があるレストランで、ロイヤルミルクティーと生ハムメロンで潤いながら午後を楽しんでいたときだ。
隣のテーブルに数人のお嬢さん方がいたのだが、その内の1人の声が耳に入ってきた。
「・・・頼まれたのにー、先生、断っちゃったのー。もー、すっごく取調調書読みたかったのにい。」
やれやれ、休日だというのに。俺の脳は環境音の中から法律事務所事務員の声をピックアップできるようになっているらしい。
「取調調書」と言うからには刑事事件だ。誰の話だろう。
「どーして断ったんですかーっていったけど、風邪引いてるし、案件いっぱい抱えてるからってー。」
と、いうことは、実入りの良い話ではないということだ。
友人がそこで
「でも、引きうけて、好きになっちゃったらどーするの?」
「あ、そーゆーことって・・・ありうるよねー、弁護士でもねー。」
「うーん・・・。」


好きになっちゃうって?

しばらく考えてから、やっとこの話の弁護士「先生」は女性である、ということに思い至った。
2ちゃんで「もてる呪文」についてあちこちで祭りが開催されていたときの話。


おまけ
弁護士と被疑者ではないが、弁護士と対立当事者の検察官が「好きになっちゃって」結婚した例なら聞いたことがある。
裁判官曰く
「当裁判所始まって以来、2番目の不祥事だっ!」

1番目の不祥事って、何・・・?
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まず最初に言っておくが、うちは朝日を取っている。朝日新聞は文化面が充実しているからだ。映画や展覧会などを見に行く場合の参考にしている。朝日は政治的にどーこーだと2ちゃんでよくネタにされているが、そーゆーことはどうでもいい。
ただ、それとは別に、この間からテレビとかでやっているキャンペーンが嫌いなのだ。
「言葉は
身勝手で(←TVCMのみ)、
感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも
私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

CMとしては悪いものではないと思う。初めに叩いておいて、「でもそんなあなたが好きっ!」てゆーパターンね。力が入りすぎている感もあるが、CMにはインパクトが重要なので、このくらい気合いがみなぎっている方がよいだろう。
ただ、個人的にどうも好きになれない、つか、嫌い。

「言葉は 感情的で、 残酷で、 ときに無力だ。」
この時点で、この後逆接が入るな、と分かっていても既に嫌いだ。
感情的で残酷なのは、言葉自体ではなく、その使い手の方だからだ。
言葉というものは道具にすぎず、それ自体に情念はない。
そりゃ、言葉という表現の手段が「ときに無力」なのは事実だ。何も言わない方がよっぽどましな場合というのはめずらしくない。
だいたい、言葉にせよ何にせよ、表現手段というものは基本的に不自由で無力なものなのだ。
しかし、言葉という道具の不自由性と、使い手側が「感情的で残酷」なことは無関係だ。なのに、言葉という道具に使い手側の欠陥まで背負わせてしまっているあたりが、なんつーか、甘えを感じる。
そういう責任転嫁さんが言葉の何を信じるっつーんだ。言葉以前におまいが信じられないっつーの。
というわけで、これ以降の部分はもう聞く気もない、という結果になる。

多分このメッセージは、暴力や権力による説得を拒否し、言葉という道具を使って、どんな困難にもめげずに地道に多くの人を説得し、民主制理念の下で社会を変えていくぞ!というようなことを言いたいのだろう。
しかしそのメッセージを伝えたいのなら、前半の言葉を「叩く」部分には暴力による説得と対比させた言葉を入れる必要がある。例えば即効性のないこと、例えば頻繁に誤解と無理解と無関心の泥沼に落ちてしまうこと。
「感情的で残酷」はどう考えても入らないと思うのだが。

「感情的で残酷」という部分を譲らないとすれば、言葉の使い手側、つまり人間の話としてみれば筋が通る。このコピーの「言葉」という部分を「私」に置き換えてみよう。
「私は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、私のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」
意味は通るが、プロ意識が未発達の記者の独り言のように聞こえる。

つまり、なんか、このコピーは言葉の問題に見せかけながら、「ボク、感情的で残酷にならないよう、がんばらなくっちゃ。」とべそをかきながらぼやいている記者の独り言のように聞こえるのだ。言葉の話をしたいのか、記者の心がけの話をしたいのか、いったいどっちなんだ。

表現においては、
騙すなら徹底的に騙す。
正直になるならとことん正直に。
中途半端は一番ダメ。
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前に記事書いたからなあ。
その関係で一応のせとくわ。
記事っつーより、これはメモね。

「知財高裁は、再生品が新たな「生産」にあたれば特許権を侵害し、「修理」なら侵害しない――という地裁が示した枠組みを否定。」
つってるけど、内容的には同じだよなあ、これ。
特許権行使が認められる場合として2類型を挙げた。一つは(1)製品の寿命が尽きた場合。それを加工した物が市場に出回れば、特許製品の新たな需要を奪い、特許権者を害するという考えからだ。もう一つは(2)発明の中核に当たる部品を加工したり交換したりした場合。やはり特許製品の新たな需要が奪われることを重視した。
新たな需要が奪われるってことは、新しい製品作ってるってことだもんな。
ただ、同じ衡量を消尽の有無のレベルでやるか、消尽はされているけど特許権が「例外的に行使が認められる場合」としてやるかの差だよな。例外的な場合だって言うのを強調したかったのかな。
インク入れそれ自体じゃなくて、「特許の本質部分であるインク漏れ防止などのための特殊な構造を復活させること」を問題としたってことは、インク入れること自体はオケって言いたいんだろうな。

衡量の適否については、ギョーカイのじじょーとか知らないからよくわかんない。
「写ルンです」となるべく同じように処理したかったんじゃないかとは思う。
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