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小林賢太郎ソロコントライブ『ポツネン』   

小林賢太郎の初のソロライブに行ってきた(前から1桁台の列の席をオクで安く落とせたし)。
ちなみに、前から俺は彼にダメ出しばっかりしている。
だいたい、チラシがこれだ。コントのチラシではない。綺麗すぎる。美術さんは彼を止めなかったのか?!と思ったら、コバケン本人が美術だった。
で、「SOLO CONTE LIVE」と言い切っている。
つまり、こういう綺麗なコントが成立する、と彼は言いたいのだ。
しかし、おあいにくだが、俺は彼がコントを作っているとは思っていない。
彼は「たまたまコントに見えることが多いもの」を作っているだけだ。「現代片桐概論」からずっとそうだ。
しかし、コントだと思いさえしなければ、つまり、「さー、腹がよじれるほど笑ってすっきりするぞお。」などと思いさえしなければ、十分楽しめるものを彼は作る。
何も考えずに、ただ、見て受けとめることだ。

この後誉めてからけなします
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by k_penguin | 2005-12-31 22:49 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback(2) | Comments(4)

三浦雅士『出生の秘密』その2 ダメ出し編   

その1はこっち。

三浦雅士にダメ出して?!ありえへん!
と、思ってたけど、この本の感想についての他のブログの記事なぞを見てるうちに、ま、やってもいいかな、とか思って。
でも、そんな大したダメ出しではない。最終章「魂の悲哀」に判りにくいって思ったとこがあるってだけ。
引用する。
・・・ふつう思われているのとは逆に、愛とは実は社会のはじまりでも自己のはじまりでもないからだ。社会のはじまり、自己のはじまりは、愛の抑圧、愛のねじれとも言うべき僻みの方なのだ。愛そのものは、逆に人から社会を剥ぎ取り、自己を剥ぎ取る。社会も自己も幻想にすぎないことを教える。なぜならそれは、価値の基準をずらすこと、いや、ほとんど溶解させることだからだ。ヨナが愛を恐れるのは当然なのだ。愛に深みを与えるのは僻みだが、愛の深みは愛ではない。

で、僻みと愛を共同幻想と対幻想やら象徴界と想像界やらに対応させて話が進むわけだけど、気持ちはわかるが話は判りにくい。
つか、自己意識の問題を「僻み」って思い切りひらたい言い方にしてしまった彼なら、ここももっとひらたい言い方にしてもいいんじゃないかなって。

ここで言う「愛に深みを与える僻み」とは「愛すること」で、「価値の基準をずらす」愛とは「愛されること」なのだ。
愛することは1人でもできる。抑圧することもねじることも。
対象の設定なんて、当人のさじ加減。会ったこと無い人だろうがアニメキャラだろうが、愛することはできる。
しかし愛されることは1人ではできない。もう1人必要だ。嫌でも「他」が流れ込んでくる。
「愛すること」の方が表現のテーマとしてはおいしいとこをいっぱい持っているから(何つっても自己意識の問題だからね)、こちらの方に眼は奪われがちだけれども、他人の愛をしっかり受けとめることこそが本当の愛じゃないのか。
「愛されること」こそが鍵なのではないのか。

「ふつう思われているのとは逆に」と彼は書いた。「ふつう」は「愛は社会のはじまり」と思われているということだ。家族が社会の最小グループと解されているからだ。
「愛されること」に最低2人の人間が必要であれば、それはやはり社会と呼べるだろう。
しかし、この本で語り尽くされているように、「僻み」もまた社会の始まりである。
すなわち、「愛されること」により構成される社会と、「愛すること」つまり「僻み」により構成される社会は別物なのではないだろうか。
ここもひらたく言えば、我々が現実に生活する場である身のまわりの人間関係から成り立つ実社会と、国家とか抽象化された社会の概念はまるっきり出自が違うのではないだろうか。
もっとひらたくすれば・・・・フツーが一番ってこと?!

ひらたくしすぎるのも問題だなあ。
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by k_penguin | 2005-12-23 00:45 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

儲けたお金の返し方   

せっかく儲けたもん返したいって?!

なんて俺なら思うけど、まーいーや。これもJapanese Traditionなんだろ。鮨を奢りたがるのと同じ原理ってことで。

と、ゆーわけで、もうけをリセットしたいUBSさんのために法的構成を考えてみた。

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by k_penguin | 2005-12-20 01:08 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(2)

ホントに偶然見つけた   

痛いブログを晒すスレ

77 :Trackback(774):2005/12/19(月) 10:45:16 ID:ux6ZQmJF
http://shiropenk.exblog.jp/
オヤジが死んだらしいが、愛情のかけらも見られない記事

>死亡時刻は死ぬ人が決めるのではなく、周りが決めるのだ。

だって・・・プププ
コイツバカ?
死んだ人が時間を決められるわけねぇ~じゃんかよ!死んでるんだから!
おまえにイワレナクタって皆知ってるよアフォ!
ましてや、俺は何時何分に死ぬ!なんて言ってその通り死ねるかってんだよ(バーカ)
決め文句だったみたいだが、アフォを露呈しただけで痛い

86 名前:Trackback(774) :2005/12/19(月) 19:51:58 ID:HnLlDDCL
>>77

晒して下さったプログの管理人です。
当該エントリーをコメント拒否に設定したので、こちらにコメント下さったのですね。
ありがとうございます。

>死亡時刻は死ぬ人が決めるのではなく、周りが決めるのだ。

は、別に決め文句のつもりはありません。
タイトルが「死亡時刻の決め方」なので、その結論を最後に書いたまでです。
個人の生死というものは、個人にとって重要なことであるにもかかわらず、
個人的なことではなくて、社会作用なのだな、と思ったのです。

なお、愛情のかけらも見られないように見えることについては特に異論はありません。
親父と話すべきことは存命中に全て話し、どうすべきか私なりに考えつくしましたので、
覚悟は出来ておりました。
病室から葬儀まで、私は1度も泣きませんでしたし。

では、今後もワタクシのブログをどうぞよろしく。


さすがにあれこれ言われたくなかったから、コメント拒否に設定したのだが。
・・・やれやれ。これも俺の人徳だな。
ID:ux6ZQmJFはコメントあるならこっちに付けてくれな。

追記 12月20日

引用スレで私のコメントにレスをつけてくださった方がいるようですが、
直接このエントリーにコメントする度胸もない方のようなので、放置することにします。
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by k_penguin | 2005-12-19 19:59 | 拾いもの | Comments(24)

死亡時刻の決め方   

「世界で一番受けたい授業」で養老先生が死ぬことについての授業をしていたので、ちょっと記事を書くことにする。

ワタクシ事なのだが、今月に入ってほとんどブログの更新がなかったのは、親父が亡くなったからだ。
親父はここ1月ほどガンで入院していた。
死亡した夜は、前からこのあたりじゃないかと見当をつけていた日だったが、泊まり込みをしていたのは俺だけだった。
親父は7倍の酸素マスクをして呼吸も脈も血圧もしっかりしていたが、もうほとんど1日中眠っていた。俺はラーメンズ「釣りの朝」で片桐が歌っていた魚の3倍ゲームの歌を魚が2187匹になるまで繰り返し歌い、病室備え付けのCATVを見ていた。
午前2時頃、看護士が、血圧が急に下がったので、奥様をお呼びした方がよろしいかもしれない、といった。
先月亡くなった隣の病室の人は、このような状態になって心電図の機械が入ってから24時間ほどもっていたし、親父の呼吸と脈はしっかりしていて、外見に何の変化もなかったし、車も持っていなくて隣の県に住んでいるお袋に午前2時に連絡するよりは、列車が動き出す早朝に連絡した方が良いと思った。
午前3時半頃、ナースが鼻からチューブで痰を取り除いてしばらくたってから、親父は不意にくしゃみを1つして、それを合図にぴたりと呼吸を止めた。
びびった俺はナースコールを押し、ナースが2人飛び込んでくる前に親父はまた呼吸を始めた。
俺の説明を聞いて、ナースが枕などを直している最中に、親父はまたくしゃみを2回して、それっきり呼吸をしなかった。
俺が親戚一同に電話をしている間に心電図の機械がやってきた。
ナースが親父の肩をたたきながらかわいらしい声で「**さん、ほら、呼吸してえ!」と言った。
**さんはもう呼吸する気なぞないことは俺にも判っていたが、突っ立って眺めているわけにもいかないので、耳元で怒鳴り立てる役を引きうけることになった。
脈は基本的に0で、時々50から250になった。
もう事実上死んでいるのは確かだったが、「奥様」が看取ったという形を取るためには放置して脈を0で確定させるわけにはいかなかった。
俺はお袋がやってくるまでの1時間半、中腰で怒鳴り続ける羽目になった。正直止めたかった。それは確実に周りの目のためだけだったから。

自家用車を持っている親戚の方が先に到着し、その後にお袋がやってきた。
お袋はやってくるなり、泣きながら親父を揺さぶりだしたので、ようやく俺はその、TVドラマのワンシーンのような場を離れ、腰に手を当ててミネラルウォーターを飲んだ。
フットボールアワー岩尾に似た当直医がやってきた。
脈は相変わらず、ときどき跳ね上がっていたが、当直医は心電図も見ずに死亡を宣告した。


血圧が下がったのが午前2時、呼吸が止まったのが午前3時半、死亡時刻、午前5時半。
死亡時刻は死ぬ人が決めるのではなく、周りが決めるのだ。
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by k_penguin | 2005-12-18 01:01

『VIDEO VICTIM』 『VIDEO VICTIM2』 『机上の空論』   

小林賢太郎とteevee graphicsのユニット、NAMIKIBASHIの作品をまとめて。

見たのはとっくに見てたんだけど(『VIDEO VICTIM』なんか発売したとき買っていた)、感想を書いていなかったのは、特に問題点がないから。
小林賢太郎に関しては、あえてダメ出しばっかり書いているし。
で、急に感想を書こうと思ったのは、Japanese Tradition「鮨」編がなぜか最近2ちゃんで散見されるようになったから。
初めにそれを見つけたのが、それが収録されている『VIDEO VICTIM2』を買った次の日だったからちょっとショック。
その「鮨」編は、作られたのは「土下座」編とほぼ同時期、つまり3年ほど前だ。そのころ何回かBSで見た。
ビジュアル的にはカラーの「鮨」編の方があちこちに工夫があって目を引くが、俺的にはコバケンのキレっぷりがきれいに形になっている「土下座」編の方が好きだ。
ラーメンズの作品として、『news-NEWS』に「ダメ出しメールに節を付けて歌う」というのがあったが、感覚的にそれに似ている。
こういう、ピンチをチャンスに変える形の作品って、すごく好きなのだが、小林賢太郎は真面目すぎるのか、あまり見かけない。

「SAKURA WANDERFUL JET」「TRASH BOY」はまとまってはいるが、ネタ的には面白味がない。特に「TRASH BOY」。今どき個人情報を見張りたいのなら、手紙じゃなくて、電話やメールだろ、と、ふつーのツッコミ。
「BATH JACK」は、片桐仁は脱いだらすごい、という事実にビクーリ。金魚のカットが印象的なところから、小林賢太郎が撮影、編集したものをteeveeの中の人がリミックス編集したものと推測する。「心理ゲーム」と似た作り方だが、それよりも出来上がりは良いと思う。ループ仕様にしたのは賢い。どっちの人がしたのか知らんけど。

『机上の空論』は監督はteeveeの小島淳二だが、脚本と演出は小林賢太郎。
俳優紹介などのCGの入れ方がかっこいい。
小林賢太郎は普通のオトナの恋愛を描くのが苦手で、ツンデレの子供っぽい恋愛話になってしまっているが、作品としては、恋愛よりもギャグメインなので、見逃せる範囲内。
彼がライバル役に徹しているのがすっきりしていて良い。
しかし、仕方がないとはいえ、市川実日子との語らいよりも片桐仁と戦っているときの方が数倍楽しそうな顔をしているのは、「この人はいったい何のために女子にもてようと思ったのだろう」という思いが頭をかすめる。
そうそう、平田敦子GJ。

総じて彼は、コラボであれば「自分」の出力を押さえるので、表現としての問題が目立たない。
その方が見る側としては安心できる。コバケン側の事情は知らんが。


追記メモ 12月20日

友人からのメールで気づいた点。「鮨」編について。
鮨という日本文化について全くの嘘を語るのか、嘘のない範囲で誇張するのか、という点をもっと早く受け手に提示した方が親切。
トロの説明のところで初めて100%の嘘が登場するわけだが、やはり最初はここでとまどう。
嘘をつくのかつかないのかでやはり受け手の構えが変わる。
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by k_penguin | 2005-12-17 22:56 | エンタ系 | Trackback(1) | Comments(4)