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姉歯建築士に詐欺罪は成立するか

相変わらずバラエティばっかり見ていて、ニュースに関しては、誰か地味な人が結婚したらしいとか、村上隆の描くお花みたいな顔の人がマラソンで1位になったらしいとかいう程度の認識しかない俺だ。
だから、モトケンさんとこで「姉歯建築士は何罪か?」という話をしていても、姉歯建築士の顔として綾小路きみまろを思い浮かべている俺には「強度偽装事件の背景、特に共犯関係の有無・関係を推理」なんかできず、傍観していた。
今日になって、向うのエントリーにたまったコメントを見ているうちに、ぼんやり思うところなども出てきたので、ちょっとお題を変えて書いてみる。

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by k_penguin | 2005-11-30 03:30 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(5)

三浦雅士『出生の秘密』

さて。
ここんとこ俺は小林賢太郎にこだわっている。
最初は彼の表現方法についてのみ論ずるつもりで、扱うテーマについては立ち入らないようにしようと思っていたのだが、方法の選択とテーマの選択ははっきり2つに分けられないので、結局両方まとめてやっつけなければならなくなって、やはり面倒な迷路に入ってしまった。
彼の扱うテーマは全て「私って何?」という疑問につながるテーマである。
前に彼の作品は全て小林賢太郎でありすぎる、と書いたが、それはそういう意味だ。
全ての人が自分を「私」と認識する以上、そのテーマは普遍的なテーマであるが、それと同時に、あまり役に立たないテーマであることも確かだ。
自分が何者であるか深く考えなくとも問題なくやっていけている例はいくらでもあるからだ。
むしろ問題は、「なぜ私はそんなことにこだわるのか」なのだが、それもまた「私って何」と関係がある疑問である。「そんなことにこだわっている自分」がいるわけだから。

ほーら、めんどくさい。
疑問が疑問を呼び、しっぽを食べるヘビのようになる。

困った俺が助けを求めた本が『出生の秘密』だ(全617ページ!)。
三浦雅士の評論は他人の作品を論じているようでそうではない。
中島敦の、夏目漱石の、丸谷才一の、その他いろいろの方々の文献から照らされる光で、自分というものを探っていく記録である。
読感はむしろ大江健三郎の小説を連想する。
池袋西武12Fのブックセンター(現LIBRO)で手に取ったデビュー作『私という現象』からずっとそうだった(菊地信義が装丁した当時としては珍しい半透明のブックカバーが美しかった)。
で、あいつならやってくれるぜ!とひらめいたのだ。
説明になってないかもしれないが、俺的には当然の選択だった。

そして実際、選択は間違っていなかった。
笑い、父親と母親、愛と僻み、言葉と表現の対象、真実と嘘、支配と隷属、音のリズムと象徴、錯覚、そして、鏡。
あつらえたようにキーワードがちりばめられ、漱石も龍之介もラカンもヘーゲルも、そして三浦雅士もコバケンも俺も、みんな同じ街並みの中を全力で走り抜け、袋小路でおろおろして涙目で空を見上げ、裏技のような抜け道を見つけ、川を見下ろしながら橋を渡り、そして最終的に見慣れた風景をまた見つける。
彼の一つ一つの論は確実で、将棋の駒のようにぴしっと目の前におかれ、手順が積み重ねられる。
でもね、ぶっちゃけそーゆーことはもーいーの。
新生児はまだ意識が発達していない。出生は本人にとっての重大事なのに本人は覚えていないから本人にとって永遠にそれは秘密になり、自分を自分で知ることはありえない。
とかね、もーいーの。
次から次へと表れる問題を東西南北の文献をフル稼働してひたすら退治していくその闘志に感動するのね。多分彼は涙目でやってるなって思ったりするのね。また飲んだくれて熱い愚痴言うんだろーなーこの青森県民は、とかね。
本当は初めから全員答えを知っていたのだ。「私」なんていないと。
言葉だけでは解決には至らず、私達は走り続けなければならないと。

なぜ「私」だけがこんな因果な目に遭わなくてはならないのだろう。
つぶやきながら、私達はまた何周目かのスタートを切る。
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by k_penguin | 2005-11-27 23:06 | エンタ系 | Trackback(2) | Comments(2)

QA

次の文の正誤を答えよ。
1 裁判所は法務省の管轄下にある。
2 靖国神社は国営の神社である。
3 検察と警察は字が一字違うだけで同じ機関である。

ネット上でよく見かける思い違いだ。意外とこれらを正しいと思っている人が多い。
2ちゃんで見かけた場合は、わりと根気よく訂正してあげる親切さんな俺だが、ブログとかになってくると、もうめんどくさくて訂正もしないし、そういうブログにあたるかもしれないと思うとうざくてネットサーフもろくにしなくなってくる、といった具合だ。

前から思っていたのだが、こういう思い違いの中で、最たるものは、「人権は自然の存在として存在する。」というものではなかろうか。
人権は、空気や水や石ころのようにそこいらに存在していて、無い方がおかしくて、もし手の届くところになかったら、当然誰かが、10分もしないうちに
「名誉権とホットコーヒー、大変お待たせしましたー。」
と、トレイを捧げ持ってやってきて当たり前だ、という考え方。

あの、人権なんて存在しないんだからね。
普通わかるだろ。人権って、人間が作った概念のシステムなんだから。
社会が平等じゃないからこそ「法の下の平等」とか言う意味があるんだからね。
「平等なんて、嘘じゃないか。」とかいって、何か立派なこと言ったつもりになってる人とかいるけど、それが嘘だなんてこと、法を制定した人からみんな知ってることだから。
あえてでかい嘘をついてまで、社会を少しでも平等にしていきたいという願いが重要なんだと、思うんだけどね。

人権とか、平等とか、そういうものは個人個人が支えなくっちゃ、塩の濃さが変わった水槽のクラゲみたいに溶けちゃうものだってこと。
普通わかるだろうと、思うんだけどね。
俺の普通も普通じゃないのかな。
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by k_penguin | 2005-11-20 22:09 | ネット(ヲチ?) | Trackback | Comments(10)

『LENS』(再見) 君の普通は普通じゃない

KKP第4作である『LENS』を最初に見たのは9月末だが、そのときはメモ程度にとどめておいた。
なぜならまだKKP第3作『PAPER RUNNER』を見ていなかったし(ツタヤに在庫がなかったからね)、ラーメンズのDVD-BOX2の評論の方が先だったからだ。

そのときのメモでは、制作動機がよく判らない、最後のツメが「釈然としない」(劇中でもそう指摘されている)。という点だけあげておいた。
しかし、考えれば考えるほど釈然としない作品なのだ。

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by k_penguin | 2005-11-18 03:34 | エンタ系 | Trackback(1)

「レバ刺し」事件判例の利益衡量

「レバ刺し」とは、レバレッジドリース節税に対する国税当局の規制のこと。レバレッジドリース節税が租税回避行為として否定されるかについての名古屋高裁判例について。
何でこれを書くかっつーと、名前が面白いから。

レバレッジドリースとは、民法上の組合を設立し、出資金と金融機関からの借入金で航空機などを購入。これをリースする事業を指す。
リース事業自体も目的ではあるが、むしろ、当初の数年間に生じる不動産所得の赤字(減価償却費と金利がリース料収入を大幅に上回るため)を他の所得と損益通算して税負担を抑えることの方がおいしい。
つまり、法律上の体裁はあくまで組合の形態の航空機リース事業だが、税負担の軽減の方が主目的ということ。
他の所得とあわせて考える点で、通常の税コストの軽減と異なる。

租税回避行為とは、法律には触れていないが、経済的合理性はなく、税負担の軽減のみを目的とした行為のこと。
レバレッジドリース節税が租税回避行為として否定されるかは、つまり、形式を重視するか、実質を重視するかということ。
国税局・・・レバレッジドリースは組合ではなく、租税回避目的の利益配当契約。この事業による収入は不動産所得ではなく、雑所得で他の所得と損益通算できない。
判例・・・効果意思と動機とは違う。効果意思が組合である以上、組合。したがって、この事業による収入は不動産所得。

租税法律主義からいえば、形式重視。
ただし、レバレッジドリースがそれ自体として投資としての経済的合理性を有するとの認定もしており、形式だけを見て実質を全く無視しているわけではない。

おまけ
還付加算金は雑所得で、所得税が加算される。


*追記 2月7日
映画フィルムのレバレッジドリースについては実質を重視。(最高裁)
航空機と違うのは、形式と実質の差が大きい。減価償却資産としての耐用年数が短い、映画がヒットすると節税にならないため、マイナー映画を購入しているなど、租税回避目的が露骨。
映画は組合の事業の用に供しているものではなく、出資金は減価償却費ではなく、融資と認定。
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by k_penguin | 2005-11-15 15:23 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(2)

『PAPER RUNNER』

久しぶりに
キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
ツタヤ半額レンタル。

KKP(Kentaro Kobayashi Produce)第3作。時期的には『CLASSIC』の後で2004年公演の作品。
KKPの中で今のところ最も出来の良い『Sweet7』のテーマ的には続編にあたる。
パティシエとマンガ編集者と、設定はまるで違うが、商売としての表現行為がテーマであることには変わりはない。

さて、マンガは誰のためにあるのか。読者のためか、作者のためか、お金のためか。
それを問いかけながらも、彼は答えを1つに絞らない。
これら3つは実は相互に関連し合っていて、どれか1つに答えを絞ることは出来ないのだ。この3つの差など気にならなくなった状態で、自分のあるべき形を見つけた表現の喜びが爆発する瞬間は何物にもかえがたい。
売れっ子漫画家が逃げた後に残った空白の12ページを一晩で埋めるべく、全員が一弾となって奮闘する瞬間、その一瞬のために全てはあるのだ。
ただ、横から口を挟むようだが、ストーリーマンガではせめて22ページ欲しい。12ページだったら、俺ならキャラはあのままで4コマ連作の形式にする。1ページを表紙にして残り11ページ。1ページネタ2本、計ネタ22本。
・・・と、俺まで参加した気分を味わってしまった。

ただ、構成が少しトリッキーに流れている。劇中で編集者が指導する「うけるマンガの王道」パターンに作品自体をのせているのだが、乗り切っていなくて、流れがもたついた部分がある。
逆に言えば、岡山から出てきたばかりの漫画家の卵である小俣(安田ユーシ)ではなく、素っ頓狂な編集者、渦巻(片桐仁)の方が主人公であると判断する小林賢太郎の作る作品は、本質的に決して「読者のため」には作られていないのだ。
KKPの作品では、第2作以降原則小林と片桐はどちらかしか出ない。
第1作、『good day house』を見ればわかるように、2人が同時に出ると、他を完全に食ってしまうからだ。
この回も小林賢太郎はキャストには名を載せていないが、カーテンコールで、逃げた漫画家、大林として登場する。そして俺はやはりちょっとでも彼は出る必要があると思うのだ。脚本家としてではなく、あくまでも劇中人物として。
なぜならこれは、やはり小林賢太郎が、小林賢太郎のために作った作品だからだ。
作品が読者と金のためではなく、作者たる彼のためにあるという意味ではない。
彼が表現を欲し、読者を欲し、金を欲し、そして何よりも、自分自身を入れる器を欲しているのだ。
その点から言って、渦巻が、「雇ってください」と頭を下げるシーンは極めて重要なのだが(「Sweet7」にはこれに相応するシーンはない)、前フリをあまりに引っ張りすぎて、逆に目立たなくなってしまった。こーゆーのって、コメディの宿命かも。

私達は何のために表現するのか。片桐が演ずる、神に与えられた不思議な能力を持ちながら、まるで社会的には役に立たない人物とは誰なのか。そしてなぜ彼は役立たずなのか。

ちなみに、無駄な繰り返しが多いような印象を受けるが、編集部(特に夜間の)では、まあ、あんな風に変な行動を雑多に繰り返すものなので、許す。
なお舞台の編集室の微妙な古さは、いかにも講談社だ(小林は講談社の漫画誌に連載を持っている)。講談社は社屋が複数で、新しい建物と古い建物が混じっている。旧館の編集室にはあんな感じの部屋もある。集英社、小学館は、もっと部屋が新しい。

なぜそれを俺が知ってるかって?
ひ・み・つ♥
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by k_penguin | 2005-11-13 01:00 | エンタ系 | Trackback | Comments(1)

陪審制もしくは裁判員制のイメージ

なんか自分でもややこしくなってきたので、時系列に並べる。
最初の記事はこれだ。
判決文を判りやすくしましょう、って、まあ、判りにくいよりはわかりやすい方がいーよね。うん。

で、これを受けてモトケンさんのこれ
判決を判りやすくする以前の問題として、基本的な法律概念について素人にもわかりやすく解説する方が急務だろうという趣旨で、それ自体確かにもっともなので、なんか俺の感覚とズレがあると思いつつも、余りその辺深く考えずに、コメントを放り込んだ。
ズレの感覚が具体化してきたのは、4番目、酔うぞさんのコメントからだった。
それは、一般人は自分に「法律への当てはめ」という作業が要求されているとは理解できないだろう(つまり、法律概念について説明されてもそれで自分にどうしてほしいのかもわからない)、だから、裁判員になるのであればその辺からの手当が必要だ、という趣旨で、俺もほぼ同意見だ。

陪審は事実認定に民意を反映するものだから、法解釈にはノータッチのはず、なのであるが、実際上事実認定と行っても法律要件に当てはめていく以上、法について知っている必要がある。
故意とは何かを知らずして、故意犯か否かを判定することはできないはず。
しかし、参加する裁判員の側は、「お気軽に参加を」的なことを言われ、物見遊山か何かだと思っている。法律用語を覚える気なぞ最初から無い。
おまけに、「故意とは何ぞや」とは、実は刑法学者の間でも喧喧囂囂侃侃諤諤の有様の大論点なのだ。
素人に口つっこまれるのを嫌がる人が出るのも理由があるというわけだ(そのうえ裁判員制度は参審制だ)。

ズレの感覚は、モトケンさんのレスを見たあたりで、意識的になった。
この人と俺とでは、陪審制の裁判について抱いているイメージが違うのだ。
モトケンさんは、なんというか、今までの裁判のまま、裁判官席の末席に裁判員が加わる、というイメージに近いような気がする。あくまでも純理的に判定はなされる。だから「ある程度の理論というか考え方の説明をしないと、裁判官の見解の押し付けになってしまう」ことを意識する。
それに比べて、俺のイメージは、最早「オンエアバトル」いや、「TVチャンピオン」なのだ。
検察官、弁護士が自分の見解をアピールする。「考え方の説明」はその際重要ではない。アピールになるのならそういうことをしてもいいし、逆に情で無理やり押し切ってもいい(プロの裁判官には通用しないが)。
そして、プロの判定員3個のボール(イニシャチブを握っているので多めにした)、素人さんは1個のボール。さあ、判定、お願いしますっ!

俺のイメージがどこからきたか記憶を手繰ってみると、大学時代に読んだウェルマン『反対尋問』あたりからきていると思う。
陪審制の下で豊富な事例と共に効果的な反対尋問のやり方について解説したこの書で、最も重視しているのは理論の緻密さなどではなく、実は「場の空気」だ。2ちゃんでいえば「空気嫁」なのだ。
どんな重要な証拠も、出すタイミングを間違えばあっさりスルーされる。雰囲気的に。
弁護士も相手の論の矛盾点を付くことができたからといって勝ち誇ると逆効果になる。キャラ的に。
反対尋問はまるで木刀もってストリートファイトしているよう。その代わり弁護士も証人の外国人労働者のおっちゃんもある意味対等だ。なめてかかると逆にやり込められる。


素人を判定員に入れた以上、純粋に論理的な判定は最早期待できないのではないか。
それが「民意反映」ということではないのか。

制度は国の事情によって変わる。運営してうまくいく場合、いかない場合、その国流に変容する場合、いろいろ。
すべては蓋を開けて見なければ判らない。
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by k_penguin | 2005-11-10 17:22 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(3)

裁判員制度のPRのやり方

裁判員制度のPRは、最高裁、検察庁、そして法務省がやっているようだ(弁護士会もそこそこやっている)。
タレントを使ったPR、及び標語の募集は最高裁がやっている。
そして、検察庁と法務省はこんな感じらしい。
で、鹿児島では、法曹三者がこんな感じ

えーと、誰が企画してるのかな?こーゆーの。
なんか昔、司法試験の丙案廃止もうちわ配っていたと思ったが。
こーゆー法律関係のアピールってパンフとうちわ配るのが定番なのかな。
弁護士会ならともかく、公的機関が主体の公報って、広告代理店みたいなその道のプロに任せているもんだとばっかり思っていたが。
いや、タレント使ってるんだから、代理店は通しているはずだよな。企画自体は出させていないのかな?

CMというのは、消費者に商品購入のインセンティブを与えるものである。これ基本。
インセンティブを与えるという点ではPRも変わらないと思う。
義務制だから、理論的にはやりたくなくてもやらざるを得ないわけだが、そんなこと言ってたらPRにはならない。
もちろん、裁判員制度が否定的にとらえられているのは、「具体的にどんな作業をすればよいのかイメージできない」というのもあるだろう。これについては何らかの手当が不可欠と考える。
しかしそれとは別の、インセンティブという点においていえば、イメージ戦略で対処できる面もあると俺は思う。
とりあえず、そーゆーことまるで判っていない。
ま、司法畑ってとこは、イメージ操作を嫌う傾向があるのは判ってるけど。

・・・実は俺、裁判員制度のCM作ってみたいんだよねー。
作って最高裁に売り込んでみよーかなー、こんな状態なら、俺のCMの方がまだましだと思うんだよねー・・・。
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by k_penguin | 2005-11-08 01:15 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(3)

リサイクルと特許権侵害についての初歩的メモ

インクカートリッジをめぐり、キヤノンvsリサイクル品販売業者「リサイクル・アシスト」社の弁論が知財高裁で始まる。
まだ判決が出たわけじゃないから、記事にするほどでもないんだけど、↑この朝日の記事では、何かこの類の紛争の訴訟が初めてみたいな書き方だったので、昔、「写ルンです」で似た争いがなかったか?と、調べてみた。
しかし、ゆっとくが、俺は特許法はまるで知らない。

「写ルンです事件」は富士フイルムvs使い捨てカメラのフィルムを交換して売ったリサイクル業者。平成12年東京地裁。富士フイルムの勝ち。主にこれを参考にした。
消尽の有無が争点。消尽って、特許権の対価の二重取りはダメって事。流通して1回対価を得たら消耗して無くなるって感じかな。用尽とも言うな。元は外国語なんだろうな。
特許法上には消尽理論を明文化した規定はない。「BBS事件」最高裁判決で認められている。だから解釈の幅が広いんだろーな。

んで、「写ルンです事件」判決の解釈では、本来の効用があって、商品としての価値がある間は消尽理論が働くが、効用が無くなって捨てられれば又特許権が復活する。消尽は流通を前提とするから。効用が無くなったかどうかは「社会通念」で決める。
今回の記事に「最大の争点は、リサイクルは「修理」なのか「再生産」なのか、だ。」ってあるのは、効用が無くなったかどうか、つまり消尽の成否を意味するわけね。
つーことは、修理できるうちは効用はなくなっていないわけなのだが、修理っていったって電池を取り替えることから専門家の手によるものまで、ピンキリ。
何が修理かについては「特許発明を構成する部材であっても消耗品(例えば、電気機器における電池やフィルターなど)や製品全体と比べて耐用期間の短い一部の部材(例えば、電気機器における電球や水中用機器における防水用パッキングなど)を交換すること、又は損傷を受けた一部の部材を交換すること」で「当該特許製品において特許発明の本質的部分を構成する主要な部材を取り除き、これを新たな部材に交換した場合」はもう修理じゃなくて改造の域に達しているからダメらしい。
んでもって、使い捨てカメラのフィルム交換は「修理」じゃない、と。

富士フイルムが使い捨て「カメラ」とはいわず、レンズ付き「フィルム」という呼称を使っているのは、フィルムの方が本質部分だ、という主張込み、というのは『こち亀』で昔読んだことがあるが、それでもふつーに見ればあれはカメラだ。カメラのフィルム交換を電池の取り替えと同視できないとしているのはどーも納得しずらい。
どっかで、使い捨てカメラのフィルム交換は専門器具を使って行わなくてはならないという点に着目された、と書いてあったが、フィルム入れる蓋を本体に溶接しちゃったのは富士フイルムだし(これも『こち亀』)。
それ以前に、捨てられれば特許権復活、というのだって、よくわからない。
消尽理論は要するに商品流通と特許権者の利益回収の政策的衡量に基づくものだから、その辺はさじ加減なんだろうけど、特許権者側に傾いてないか?純正品の方が品質が安全なのはみんな知ってることだし、もうずいぶん儲けたと思うんだが。


で、やっと今回のインクカートリッジだ。
インク入れは誰にでもできるってとこが使い捨てカメラと違うわけだけど、その辺なんてメーカーのさじ加減1つだと思う。
消尽理論の利益衡量って、つまり、どっちを儲けさせてあげたほうがいいかって話だから、ここで、カートリッジの純正品の売れ行きとか、「プリンター本体の価格を安くし、使用機種が限られる消耗品で利益を稼ぐ構図」とかが考慮要素になるわけやね。
記事に出てきた竹田稔弁護士の「商品が社会でどのように受け止められているかも判断の重要な要素だ」っていうのは、商品流通の自由の要素も考えてあげてって意味、ととらえてもいーのかな。
違ってたらごめんな。
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by k_penguin | 2005-11-04 01:56 | 裁判(判決評) | Trackback(1) | Comments(0)

裁判員制度、最高裁試案

朝日。
1.検察官と弁護人が争いのない点については公判前に「合意文書」をつくることによる争点の明確化、作業の軽減。
2,難しい量刑判断のために「量刑検索システム」開示。
メインはこの2つ。
システム自体はごもっともなものだ。
ただ、訴訟手続っていうのは、運用次第でどっちにもころぶので、狙った目的通りの効果を発揮するかはやってみなくては判らない。
特に合意文書は、玄人vs素人の図式を作り出すので、素人に根本的な不信感を抱いている玄人陣がどのように使うかは注目されるところ。

記事によれば、あとは、「ほかにも、検察官の提出した証拠に弁護人がたとえ同意しても、裁判官はそのまま採用せず、有罪・無罪の決定や量刑に必要かどうかを吟味してから採否を決める
▽実況見分調書などは調書そのものを証拠とするのではなく、その中で必要部分(例えば、数枚の写真や図)に限って採用する――などの方法が挙げられている。」
証拠採用については、主に分厚い書証をなるべく排除しようという趣旨に出ているようだ。
こちらのブログに興味深い記事がある。
実況見分調書については9月に出た最高裁判例が影響を及ぼしているらしい。
ただ、写真というのは、印象が強い。必要部分だけを選択したとしても犯罪そのものの証明になる危険はやはり高く、注意が必要であろう。


さて、ここからは余談。

最高裁の裁判員制度のCMの仕方はいただけない。
とりあえずタレントを使うしか思いつきませんでした、というのが見え見え。
もうすこし国民の皆様の御協力をお願いしているのだ、という姿勢を見せなくちゃあ。いくら義務制でもさ。

ネットをざっと見回したところ、裁判員制度については、賛成派、反対派、決まっちゃったんだから仕方ないだろ派(主に実務家。制度の賛否よりも運用の仕方に重点を置く)に別れているようだ。
俺の立場について簡単に言っておけば、裁判員制度が義務制であるのは違憲である。選択制にするべし。制度内容自体には賛成。つか、決まっちゃったんだから仕方ないだろ。
・・・んー、何か、全部の立場が混じってないか?日和ってんなー、俺。


追記
記事内にも引用したモトケンさんの、この朝日の記事に対するエントリー。
・・・えー、ワタシの記事よりもこっちの方がよいです。いやマジで。
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by k_penguin | 2005-11-02 18:15 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(6)


法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin

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