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『ダブリンの鐘つきカビ人間』

ぱちぱちぱちぱちはいっ。

と、ゆーわけで行ってきましたテアトル銀座。
初日。席は前から1桁台。
テアトル銀座なんて今までも行ったこと無いし、これから行く機会があるかどうかもわからないから、開場と同時に入ってあちこち見てみた。
客層はOL以上が主力、おじちゃんおばちゃんちらほら。男はカジュアルな格好が多い。でも8割は女。

ハンカチを握って観ていたが、結論から言って、別に必要なかった。
初日のせいか、エンジンがまだ暖まっていないという感じ。
でも、おもいっきしスタンディングオベーション煽ってやった。
ほんとはそれほどでもなかったんだけどな。こちとら大枚はたいてんだ。盛り上げなあかん。
全体的にどたばたしているうちに、いいシーンとか、泣けるシーンとかが雰囲気的にあっさり流れてしまったってとこかな。ばたばたしてるとこと、ここぞというシーンの切り替えをもすこしばしっとやって欲しい。

姜暢雄と土屋アンナは腹式の発声が出来ていなかったので、聞き取りにくい。『下妻物語』好きなんだけどな。台詞忘れて橋本さとしにサポートして貰ってたな。うーん、スリリング。

片桐仁はもちろん期待通りに出来ていた。
が、もーちょっと期待を越えて欲しかったかなー、・・・というのは無理ぽ?
心の醜い美少年が、不思議な病気で心と外見が逆転したという役柄。バカのよーにきれいなものに喜び、いじめられればおろおろし、そして無意味に自分の仕事に命を賭ける。
なまじ適役だから、一通りできるだけじゃ満足できないんだよな。
ま、回を重ねればもっとこなれるだろ。

しかし、演劇って生ものだなあ。客席の空気って何かにつけて変わるから読みづらいしな。
前回の公演のときからだけど、あの剣の宝石がピキーンって光るとこでなんで笑いが起こるのかよくわからんなあ。
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by k_penguin | 2005-10-29 00:44 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(0)  

いかにしてワタシは『ダブリンの鐘つきカビ人間』を観に行こうと思ったか

Start 自分で金を出してまで演劇というものを観に行こうと思ったことがない俺。
→ ツタヤ半額レンタルでラーメンズのビデオを観る。
→ DVD-BOXを買う。大人の事情で、ソフトに収録されないネタもあると知る。
→ ラーメンズの公演、見に行ってみようかな。
→ ラーメンズはないけど、ラーメンズのブレイン、小林賢太郎のソロライブなら本多劇場であるぞ。
   ソロは初めてみたいだから、ちょっと不安だけど、4000円ならまあこれでいーか。
→ 前売発売開始時間を華麗に寝過ごす。
→ 電話はもちろんつながりゃしねえ。
→ ヤフオクではチケット高騰。
   片桐仁主演の『ダブリンの鐘つきカビ人間』テアトル銀座のチケットの値段(S席8400円)に肉迫。一方『カビ人間』のチケットは定価割れの状況。
→ なら、こっち見に行ったほうがいーんじゃねえの?確か朝日新聞に記事が載ってたし、こっちの方が作品自体のレベルは高いんじゃね?
→ 作品について検索する。
→ エンクミと水野美紀が出た前バージョンをテレビで偶然見ていたことに気が付く。
  これ、すげー感動したやつだ!
  主役のカビ人間が、いうほど醜くないのがちょっと不満だったが、片桐仁ならキャスティングぴったり!
→ GO!(ハンカチを忘れるな!)

2時間ほどの時間のためにこれだけの値段出すことになる展開になるとは思わなかったなあ。
ま、今回の公演もテレビ放映あるような気はするけどな。
   
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by k_penguin | 2005-10-27 18:08 | Trackback | Comments(0)  

のまネコ騒動、多分終結へ

エイベックスは著作権料を受け取らず
ひろゆきの見解

一応前にちょっと記事書いたから、その後の展開ってことで書いとくけど、なんかもう、話になんないくらいの低レベル戦。

謝罪した上に著作権料を受け取らないエイベックスは、「新人類」におろおろするおっさん丸出しだし。何やったって燃料投下の意味しかないのに。
おそらくもうどうすればいいか判らなくなって、ひろゆきにお願いしたんだろうな。
このままだと、CD売り上げまで放棄しなくちゃかもしれないしな。
手みやげの1つも持っていったかな。

対するひろゆきも大人の書くことじゃないなあ。
「パクリ疑惑」って、著作権ひろゆきが持ってるわけでもないのに。公共の知的財産なら、パクリもありえんわ。
どうして言いたいことをそのまま書かないで、わざわざもって回った言い方するのかなあ。
公共の知的財産から得た利益は公共のために使うのが、みなさんが納得する道だと思いますって、それだけのことなのに。「とりあえず」どうこうとか、「騒ぎのオチとしては十分」とか、なんか野次馬みたいな言い方。
まあ、ねらーの動向をひろゆきが支配できる関係にあるわけじゃないから、断言は出来ないだろうけど、にしてもな。影響力は大きいんだから、それなりの責任ある発言が欲しいとこだな。
いや、出来ないなら仕方ないけどさ。
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by k_penguin | 2005-10-14 04:57 | エンタテイメントと法 | Comments(0)  

何気にエキブロ内で拾いもの

「オタ芸」のいろいろ。

意味がわかるもの、わからないものいろいろだが、コンサート会場は大騒ぎなのは判った。
あ、ここで「コンサート」と言っているのは、主にハロプロメンバーのコンサートを指すらしい。

面白かったので、なんかコメント残したかったが、何も言うことが思いつかなかった・・・。

そーいえば、アキバ行かなくなって久しいなあ。
今はネットで買っちゃうもんな。
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by k_penguin | 2005-10-06 10:19 | 拾いもの | Trackback | Comments(0)  

ラーメンズ(その4でラスト) 1人じゃないから大丈夫

DVD-BOX2クリア。
作品理解のために『雀』においてコバケンにあった「何か嫌なこと」(DVD解説より)を知る必要があったので回り道があったが、とりあえず現時点で一応終了(「何か嫌なこと」については、その3参照)。

その2で『鯨』の中の「絵かき歌」について言及したので、その続きから。
設定的には『ATOM』の「アトムより」が「絵かき歌」の延長上にあるのだが、今までのものとは決定的に違っている。内と外、の二項対立が無くなっているのだ。
「アトムより」も「絵かき歌」と同様、二人だけの世界の心地よい空間が広がっているように見える。
しかし、部屋の外は最早、何者かを装わなければならない空間ではない。だって、空にはアトムが飛んでいるんだもの。コバケンは「カメラをもって外に出よう」という。
そのかわり、自分の世界を共有してくれるギリジンは実はロボットだ。結局、コバケン1人しかいなかったのだ。彼はバッテリーを補充しながら、2人でいる振りを続ける。
逃避にも見えるが、逆に社会と和解したともとらえられる。彼は自然体のままで外に出られるようになったのだから。また、表現する者と受け手の関係とも捉えられる。
二項対立が無くなった分「絵かき歌」より世界が濃厚ではないが、優しい感じがする。

不甲斐なくてチャンスを逃したコバケンのそばにギリジンはいてくれた。自分で自分を許すことが出来なかった彼をギリジンは許してくれた。
コバケンは自分が1人ではないことに気が付いた、といっても良い。
このメッセージは改めて探してみれば、「雀」(『雀』)にも見つけることができる。ちょっと描写が不完全だが間違いなく、テーマは孤独と友情だ。

「蒲田の行進曲」(『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』)と「バニーボーイ」(『CLASSIC』)で、気が付いたことがある。
この2つの作品では、コバケンはギリジンの矢のような攻撃にあって劇中で本当に取り乱している。台本とはいえ、他人の恣意の下にある状態は彼を混乱させるらしい。
そういう、自分を追いつめるシチュエーションを書く脚本はそれまで無かった。彼は初めて自分が「使われる」立場の作品を書いたのだ。
相手がギリジンだからこそ可能になった設定だと思うが、これは確実に彼の世界が広がっていることを意味すると思う。

彼の世界は変化しながら外を飲み込んでいく。
部屋の中だけにとどまっていたときの純粋培養的な美しさは低下したが、その代わり強靱になっていく。

これからが、勝負。
たのすぃみ~。(ギリジンツーリストのお客で)


*追記* 2006-10-15
えー、書いて1年もたってから、追記するのも変な話なんですが、
これは#13『CLASSIC』までの評論と思ってください。
もともとこれを書いた時点でも#14『STUDY』がどうしてもこの流れに沿わないのが疑問だったんですが、見切り発車で書いてしまいました。

今では『STUDY』はむしろ#15『ALICE』の前振りに属するものととらえています。
『STUDY』は、一見静かな作品だし、とっつきやすい作品だとは思うのですが、別の方向から見るといろいろ問題含みなので、今のところ、言及した記事はありません。
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by k_penguin | 2005-10-03 20:53 | エンタ系  

犯行状況再現写真は犯罪証明に使えない

9月27日の最高裁の判例なんだけど、はじめ、当然のことすぎてわけわかんなかったんだよー。
あ、言い訳すると、うちの事務所、当番弁護士やめてから、めっきり刑事裁判と縁がなくなっちゃってさー。

で、記事もよくわかんないんだな、これが。結局判例それ自体を当たった方が早い。
まず、これは伝聞法則(刑訴320条)の適用の問題だ。「証拠能力なし」つってるけど、再現写真はいついかなる場合も証拠にならないと言ってるわけではないからね。
伝聞法則は「又聞きはダメ」ってこと。だから「又聞き」がありうる供述証拠だけに適用がある。
で、ここでは警察官の作る「実況見分調書」についてる「犯行再現写真」に伝聞法則の適用があるかってはなし。
ただ、「実況見分調書」は供述証拠だ。書証だけど、供述証拠。だから伝聞法則の適用がある。で、伝聞法則には割と広い例外があって、その内の1つ(321条3項)で、書いた人が証言すれば証拠採用OKになる。
だから、この記事の
「調書などの供述書面を証拠採用するためには、「供述が信用できる特別の状況がある」などの条件をクリアする必要がある。だが、捜査機関が作成する現場の図面などの実況見分調書は特別に、その条件を満たさなくても採用できるとされてきた。」
は、ひいき目に見ても誤解を招く表現だ。特信状況の条件はない(つまり321条1項の適用はない)けれど、書いた人が証言するという別の条件があるから。
実際この場合も警察官が証言してるし。

次は、「犯行再現写真」に「実況見分調書」とは別の伝聞法則が適用されるかってこと。
こっからややこしくなるけど、供述証拠かどうかは、証拠ごとに決まるのではなく、その証拠でどんな事実を証明したいのかという、証拠の使い方次第で決まる。
1つの証言でも、ある事実については又聞きじゃないけど、別の事実については又聞きってことはよくある。
つまり、「犯行再現写真」は「実況見分調書」とは別の事実を証明しようとしているのではないかってこと。
この判定は、つっこんだ判定といって良い。
だって、証拠提出する側はこの2つを分けてるなんて言ってないからだ。
形式的には、「犯行再現写真」は「実況見分調書」と同じ、犯行現場の状況の証明にすぎない。二審だって、証拠一覧に「実況見分調書」と分けて「犯行再現写真」だけ載せているわけではない。
しかし、ホンネ的に「犯行再現写真」は犯罪そのものを証明しようとしているのではないか。犯行現場の状況の証明の名を借りて、犯罪立証をしようとしているのではないか。写真って、絵的に説得力あるし。
と、ゆーわけで、「犯行再現写真」は別の供述証拠であり、再現した人に公判廷に出てきて貰わなければならない。
とゆー判例。

最初からそー言えよお。しちめんどくさい言い回しばっかしやがって。
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by k_penguin | 2005-10-01 18:51 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(0)