<   2005年 04月 ( 12 )   > この月の画像一覧

裁判員制度が違憲だって主張するブロガーってみかけないな。
じんけんよーごほーとかはやいやい言うくせにな。
裁判員制度、某所じゃ「違憲のデパート」まで言われてるし、司法関係者は良く思ってない人が多いだろうにな。
まーデパートは言い過ぎだと思うけど、憲法76条3項、32条は職業裁判官による裁判を規定してるから、そのことだけでも確実にヤバイのにな、あれ。
大体あの制度って、別に陪審制で良かったのに、いつのまにかあーなってたんだよな。選択制じゃないし。佐藤幸治だってあそこまでのことは言わないぜ。

今見てきたけど、2ちゃんの法学板でも議論が余り熱心じゃないみたい。一通りのやりとりはされてるけど、合憲にしたいようなふいんきだな。裁判員制度が違憲でも、祭りにはならないってことかなあ。
みんな裁判員なんてやりたくないって思ってるくせに、積極的に反対しないってどういうことだろう。

あ、でも俺も積極的に反対する気にはならないなあ。おもしろそーだもんな。
それから、2,3年やったら無くなる制度じゃないかって気もするしなあ。

そーそー、5月に最高裁は裁判員制度のキャッチフレーズを募集するぞ。
俺、1つ考えた。


       ,-┐
 ,ィ─、ri´^-─- 、 .┌f^f^f^f^f^f^f^f^f^┐
く  / , ,'   ヽ ヽ| ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~│
 `<' / ,'レイ+tVvヽ!ヽト  判決に    │
  !/ ,' i |' {] , [}|ヽリ 文句を言うなら |
  `!_{ iハト、__iフ,ノリ,n  やってみろ! |
   // (^~ ̄ ̄∃_ア____n_____|
 _r''‐〈  `´ア/トr──!,.--'
<_>─}、  `」レ
'ヽ、   ,.ヘーァtイ
   Y、.,___/  |.|
    |  i `ー'i´

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法務省、週刊新潮に抗議 神戸連続殺傷の男性の記事は誤報
思ったんだけど、まあ仮にこれが誤報だったとして、で、この人の名誉が傷つけられたのだとしても、この人は事実上、民事、刑事の裁判による損害回復が出来ないんだろうな。
非公開の法廷での裁判も可能だろうけど、やっぱちょっとねー、出づらいよねー。
まあ、この記事が事実であろうと無かろうと、法務省としては抗議するだろうし、で、裁判がないと見越せばちょっと負けが続いている週刊新潮も強気に出られるというわけだが、それはそれとして、この人は「社会復帰」といいつつも、事実上法による救済が受けられない立場にあるんだなー。

と、いいつつも、俺は「あー、そんなもんだろーなー」と何となく納得してしまうのだ。
なんつーか、これは、法が「一般人」を対象とする規範であることからいわば当然に導かれることの様な気がするのだ。
もうこの人は「一般人」じゃなくなったから、法による保護の対象からはじかれてしまったのだ。で、逆に常に何となく法の処罰の射程内にいるのだ。

この人は人を殺したから「一般人」じゃなくなったわけだけど、じゃ、何をどこまですれば「一般人」でいられるのかと考え出すと、いろいろめんどくさい。
盗みはどうかな。万引きは?スピード違反は?
殺人だって全然ばれてなけりゃ「一般人」でいられるかも。
逆に、殺したと本人は思ってたけど、実は殺してなかった場合は?
いや、冤罪というのもある。
冤罪というのは、何つーか、何かのはずみで普通の人が「一般人」から弾かれてしまったという感覚がある。
これは仕事で俺が関わった範囲での感覚だけど。

無罪推定原則の建前にもかかわらず、実際上無罪を勝ち取るには、被告人側が積極的に無罪を立証する必要がある。
これを立証するには、被告人が最初から最後まで一般人として振舞ったことを証明しなければならない。一挙一動の全てについて、善良な一般人として合理的な行動をしたという話を構成しなければならないのだ。
ところがこれがまずできない。だって人は合理的な存在じゃないから。「一般人」なんてものは抽象的な概念にすぎず、そんな人間はどこにもいないから。
いわゆる怪しげな振舞をしたことが全くない人はいない。何かをこそこそポケットに突っ込む。人目を気にしながらトイレに駆け込む。目的地にまっすぐ行かず、ぼーっと立って特定の通行人を眺める。逆に妙に慌てて走り、人にぶつかる。
これらの行動全てに一般人として合理的な理由があることが要求される。
運がよければ説明できるだろう。しかし、日常の何気ないこれらの行動には、以外に心の闇のようなものの表れである場合もある。
じっと見つめた女は誰に似ていたのか。口が裂けても言いたくない人もいるだろう。見つめていた事実すら自分の心から消してしまう場合もある。それらが白日の下に引き出され、証明しろ、さもなければ犯罪者だといわれる。

普段だったら顕在化しないこういう人間の非合理的な「闇」な部分が、何かの拍子で表に出てきて、そして何かの作用でその人を「一般人」からはじく。
俺の文章じゃよく描写できないけど、この作用の見事なコンビネーションの事例についてかかれた小説がマルケスの『予告された殺人の記録』だ。


えーと、最初の話題から離れてしまったうえに収拾つかなくなったな。
仕方ないから書き逃げしよっと。
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朝日。
中国新聞
ソースを2つ載せたのは、両方説明が不完全だから。被疑者の接見の権利が認められる方向になったのか逆に制限される方向になったのかについてのニュアンスもこの2つは逆になっている。

さて、現在判ってる範囲で解説すると、この判決は2つの部分からなっている。
1つは刑訴39条に基づく、立会人なしの接見の権利とその制限の可否についてで、これは「立会人なしの接見に使える部屋がない場合」の接見拒否は「違法ではない」としている。
もう1つは、39条とは別の「面会接見」する権利で、多分憲法34条に基づくのではないかと思うが、立会人がいてもとりあえず弁護人と被疑者が接見できる権利で、これについては「検察官は面会できるように特別の配慮をすべき義務がある」わけで、これをしなかった「検事の行為は違法」となる(が、無過失を認定)。
中国新聞は主に前者について書き、朝日は主に後者について書いている、と読んだが。

この判決はやはり裁判員制度をにらんだものなのだろうか。
集中審理に対応するためには、早期に弁護人と被疑者が十分な打ち合わせをすることが不可欠なわけだが、その要請と「立会人なしの接見に使える部屋」の有無など現実の要請の両方に配慮した結果、なのかなあ。
でも、下級審は検察庁内の「同行室」で立会人なしの接見もできたと認定しており、なんだかなあ。
踏み込みが中途半端なまま、変な体勢で固まっちゃった、って感じがするんだけど('・ω・`)


追記

この判決は、当該紛争の解決の面よりも、今後の接見のあり方の方を重視したものであるというる(だから裁判員制度をにらんでいるのかも、と思った。検察官の無過失認定というのは、トリッキーだし、今までとこれからは違う、と言いたかったのかな、と)。
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ツタヤレンタル半額セールにつき、『時の支配者』『バーバレラ』を観る。

『時の支配者』(1980)

メビウス原作。『アルザック・ラプソディ』がないといわれたので、代わりに借りた。
設定やカメラ回しなどはあちこちで既にバクられているので、「あーあれって」なシーンが多いが、それでも楽しめた。
肝心の時の支配者さんが最後の10分ぐらいでそそくさと出てきてちゃぶ台をひっくり返すように話をひっくり返して特に説明無しで帰って行くなど、ストーリーが変だったが、メリハリはついているので、想定の範囲内。
現在だったらスタジオ4℃が、3Dを交えてもう少し透明感ある色調で仕上げ、女性をもっと美人にするところだが、逆に温かい平面的な塗りがほっとする。王女様も顔は鉄仮面だが、性格はおかーさんのよーで思い入れができる。ストーリーの進行がいまどきの物よりややゆっくりしているのもいい。


『バーバレラ』(1968)

40字以内(、。含む)で説明すると、「銀座和光のショーウインドーの中で、モデル達が深夜テレビ番組コント。」
ジェーンフォンダ始め、みんな絵になる人達ばかりなので、どのシーンも一応絵として成立しているからすごい。衣装センスも良いし、音楽はノー天気で緊張感なくて、公開当時はどういう評価か知らんが、今見たらサイコー。
ちょうどデザインの流行も1周りしてこの感じに近くなってるしね。
こーゆーの、今なら自主制作で作れそうだけど、美しくない日本人がやったらもうそこで終了になってしまうという両刃の剣。素人にはお勧めできない。
そーだ、「フィフス・エレメント」ってこの系統だよな。
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俺さあ、青木さやか見るたびにおっぱいが気になってたのよ。「どこ見てんのよー!」とかわめき出す以前からね。あ、青木のことはBSフジキャンペーンガールだったときから知ってたね。
なんか、つかんでみたかったのね、あれ。
なぜか青木なのね。なにもあんなサイレンついた茶筒の様な女じゃなくても、もっと立派な物持ってる、例えば小池栄子とかMEGUMIとかにすればいいのにって思うけど、あ、叶姉妹はまた別の意味でおっぱい気になってるけどね。あれはつかみたいっていうより、拝みたいね。

あー、青木ね。つかみたかったのね。
願わくば、カメラの前でね、「初めまして」って丁寧に挨拶して、で、挨拶ついでにじっと胸見るでしょ。青木、得たりとばかりに「どこ見てんのよー!」。
言い終わって、一仕事終わったと思った瞬間に、わしっとね。
お年始のタオル引き裂いたような声出すだろうな、きっと。

青木見る度にそんなこと考えてたんだけど、そしたら、写真集ですよ。
俺、ロンハーはちょっとしか見てなくて、写真集の表紙しか見てないんだけど手ブラのセミヌードのその写真見た瞬間、なんか、シャボン玉がはじけたみたいに何かの感情が消えたような心持ちがしたね。
「あ」って思ったよ。
つかみたいって気持ちが消えたんだよね。おっぱい見ちゃったら。

なぜかちょっと寂しくてさあ、こーゆー感じって何かなあって考えてみたらさあ、クラスでちょっと憧れてた女の子がAVやってたの見た感じに似てるんだよね。いや、そーゆー経験無いけどね。
もー、自分、情けなくてね。
あのさ、もうガキじゃないんだからさあ、しかも青木なんだからさあ、別に他の女と違う特別なものが服の中に入っているわけじゃないことくらい知ってるだろっつーの。
なんか、そーゆー、青臭い感情がまだ自分の中にあるって今頃気づいて、しかも、それがご丁寧にハートブレイクしたってさあ。
どーよ。もう。


つーわけで、このブログの趣旨とかもうお構いなしですよ。ええ。
あ、ジョルジュ長岡知らない人のために一応いうと、
こいつな。↓


    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
  (  ⊂彡
   |   | 
   し ⌒J 


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ほい。朝日ね。東地H17.4.13 判時1890
非嫡出子の場合、出生前に認知しなければ、出生による日本国籍の取得がない、ということを知らなかったので、ビクーリ。
だってさ、国籍法2条は「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」子供は日本国籍を取得するとしている(これは知ってた)。
この「父」とか「母」とかは民法の規定に沿って決まると思う。
で、このケース、つまり父親に関しては、嫡出でなくても認知によって親子関係が発生する(779条)。んで、認知の効力は出生の時に遡って効力を生ずる(784条)。だから後からでも認知があれば、日本国籍取れるんじゃん?ちげーの?
ま、結論から言って、それはちげーわけで、国籍法においては認知の遡及効は認められていなかったのだ。理由は、国籍法の他の条文からして、国籍法では身分行為の遡及効は認められないという原則があるから、なのだ。


そこで、次の疑問。
じゃ、なぜ、合憲限定解釈をせずに、法令違憲の判断をしたのか?
裁判所は法令自体の効力を直に否定する「法令違憲」の判断を控える傾向がある。最高裁の法令違憲判決は今までに5つしかない。
これは、民主制に根拠を有する政治部門を尊重するそれ相応の合理性ある判断なのだが、そればっかでは違憲審査の意味がないので、判決はいろいろなテクニックを使う。
首相の靖国参拝に対する判決なんて、この「ひねり技」の1つなのだが、今はその話じゃなくて、合憲限定解釈ね。
合憲限定解釈は、違憲くさい法令に、合憲になるような解釈を施し、「そーゆー意味でなら合憲」というものだ。国が、合憲でない解釈をして法令を適用した場合、「法令は間違ってないけど、適用が間違った」適用違憲、になる。
  
国籍法2条では身分行為の遡及効がない、というのは、明文にない解釈なので、身分行為の遡及効があるという合憲限定解釈→適用違憲でも用は足せるのではないのか?
ちなみに、国籍法2条は、強引な限定解釈がなされた過去がある。旧法では父系血統優先主義だったが、高裁は「父」を「父または母」と読み替えるという合憲限定解釈が可能としたのだ(そのあとすぐに法改正された)。
そーゆー解釈が「あり」なら、国籍法2条にも身分行為の遡及効がある、という解釈も「あり」なんでねーのか?

これについては、判決をよく読んでみればわかるけど、認知だけでは国籍取得に足りないと判決は考えているから、合憲限定解釈にしなかったのだと思う。
嫡出子と非嫡出子を単純に同じ扱いにしているのではなく、非嫡出子でも内縁関係が認められた者に限って、嫡出子と同じ扱いにすべきだとしている。
ここで単に、国籍法2条にも身分行為の遡及効がある、という解釈を加えただけだと、内縁関係の有無にかかわらず、国籍取得が可能になり、国籍取得目的の偽装認知がクリアできない虞がある。
また、内縁関係ある非嫡出子も加える、という解釈を加えるとすると、これはできなくはないが、内縁は民法に根拠が無く、その定義が難しい。そーゆー意味では「父または母」の方がまだましといえる。
この辺の考慮があって法令違憲にしたのだと思う。

まーどっちにしても、内縁関係の有無が国籍取得の要件になれば、現場は大変だなあ。まー他人事だけどな。


追記 08年6月8日

この判決は国籍法3条1項の国籍取得の要件のうちの「父母の婚姻」と「嫡出子」という文言について、
「嫡出子」の部分を違憲無効とし、「父母の婚姻」を内縁関係を含むという合憲限定解釈を加えるとしたものである。
内縁関係を要求している点で08年最高裁判決と異なる。
なお、この判決の上告審は国籍法に合憲判断を下し、国籍取得否定。

未成年者であれば生後認知のみで国籍を取得できる立法例は、ドイツ、フランス、イタリア、ベルギーなど。
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植草さんの冤罪祭りからみでチョト考えたこと。

裁判員制度について俺は決して肯定的ではないのだが、唯一、期待できる点としては、冤罪が減るのではないかと思っていた。
冤罪の原因は多岐にわたるが、1度起訴されたものがなかなか無罪にはならない理由の1つとしては、裁判官と検察官の馴れ合いっつーか、同業者意識っつーか、そんなやつがある。
無罪判決は、検察官の成績に影響し、裁判官の成績にも影響する(らしい)。
憲法に無罪推定原則があるくせに、無罪が出たら検察官が責任問われるっつーのも変な話な様な気がするが、裁判のやり方がまずかったと評価されるということなんだろう。
まー詳しくは知らないが、そんなこんなで、殺人のようなでかいヤマならばともかく、しょぼい話で無罪判決出して、知り合いが左遷されるっつーのも嫌なものなので、ついつい無罪は出しにくくなる。
そ こ で 、そーゆーしがらみがない裁判員ですよ。
と、ゆーわけ(ま、裁判員はでかいヤマしかやらないわけだが)。

ところが、前の記事に書いたブログに目を通していたら、そこのブロガーは、冤罪の原因に裁判所と検察の「癒着」を挙げているにもかかわらず、裁判員制度については危機感を表明している。
一般人はマスコミや検察の情報に左右されやすく公正さが期待できないということらしい。
裁判員をとりまとめるのは裁判官であって検察ではないし、検察の主張だけでなく弁護側の主張も裁判員は聞くわけだが、それはともかく、一般人は一般人で裁判官とはまた別の不信を呼ぶ原因、すなわち「真面目に判断しない(orできない)だろおまいら」がある、という感覚を皆持つことは確かだと思う。

「真面目に判断するがしがらみには勝てないプロ」vs「しがらみはないが真面目に判断するかどうかは風まかせパンピー」
うーん。ある意味面白い試合だぞ。
野次馬で見るぶんにはな。


追記
捜査担当の検察官と、公判担当の検察官は原則違う人だ。
だから、捜査担当がへぼでまともな証拠を集められなかったくせに起訴をして、その結果無罪判決が出たら、責任をかぶるのは公判担当だ。
と、いうわけで、やっぱり無罪判決は出しづらい。

追記2 8月17日
ネットサーフで気が付いたのだが、コメントしてくれたヒロコさんが、この記事に「つっこみたいから」と、検察官に質疑応答する機会のあった方に、「無罪の判決がでた場合、検察官の方の評価に影響するか。」という質問を頼んだらしい(ヒロコさんもそういう有意義な質問をしたのなら、こっちに直接教えてくれればいいのにい)。
で、その答え。(Q2のとこ)
答えは「それはない。仕事の評価は数字であらわれるものでない。」である。
検察官の言ったことが正しいか、俺の聞いたことが正しいか(ソースはボス弁)、はもちろん俺にはわからない。
ただ、確実に言えるのは、仮に無罪判決が成績に影響するものであっても、検察官に公式に尋ねれば「それはない」と答えるに決まっているということだ。
無罪推定原則がある建前上、それはあってはならないことだからだ。
一応その旨、追記しておく。

追記3 11月20日
モトケンさんが関連エントリー書いてくれました。
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植草一秀って人については名前とあと経済学者だってことくらいしか知らないのだが、たまたま通りすがった、植草氏のファンブログに目を通して、ちょっと考えたことなど。

経緯を一応説明すれば、植草先生は、昼間の駅で女の子のスカートの中を手鏡を使って覗こうとしたというかど(都迷惑防止条例違反)で捕まり、当初自白するも、その後否認に転ずる。判決は50万の罰金で一審で確定。
上記ブログは植草氏の冤罪を信じ、主張し、不当判決に怒りをぶつけている。
が、あくまでも「植草一秀氏を応援します!」ことを趣旨とするブログなので、冤罪の構造に迫ることもなく、植草氏を応援していないコメントに反論することもなく、植草さんが良ければそれで良し、といった感じ。

要するにごくふつーのブログのわけだが、このふつーのブログに寄せられたふつーの意見の多くが、「真実は植草氏は覗いていない」ということを論拠としている点にむしろ俺は注目した。
要するに、「真実やっていれば仕方がないが、やっていないのだから捜査は、判決は不当。」と言っているのだ。
真実は1つであり、厳然と存在し、捜査、裁判はこれを発見しなければならない。これは一般人として当たり前の感覚だ。
しかし、この感覚は、決して捜査や裁判の関係者が持つ感覚ではない。
現実はテレビドラマではない。テレビでは、真実は映像化され、人の心の中はモノローグで語られるが、現実にはそのようなことはおこらない。
砂の上の足跡のような些細な痕跡が、それも真実も偽物も混じった状態で提示されるだけだ。検証すればするほど、真実は遠ざかる。疑い出せばきりがなくなる。
「真実発見」は刑訴の第1条に書いてあるけれど、法律的に不当判決を非難するのであれば、まず「真実ではない」とは言わない。「無罪推定原則に反する」とか「合理的な疑いを越える程度までの証明がなされていない」という。
真実は証拠により形成されていくものなのだ。


俺は仕事の上で冤罪に関わったこともあるので、冤罪というものが決してまれではないこと、起訴されたらまず有罪にされてしまうこと、従って、決してやっていない罪を認めてはいけないが、これがどうしてなかなか難しいこと、は知っていた。
また、警察は理由がない限り証拠隠滅等の細工をしたりはないが、理由があればやること、しかも、それが細工かどうか考える気力も無くすほど警察の証拠保全は初めからいーかげんであること、も知っていた。
だから、植草氏が本当にやってないかもしれないとは思っていた。
だが、それは重要な問題ではない。
50万の罰金は、彼が、初期捜査で罪を認めてしまったこと(つまり供述録取書に署名捺印したこと)に対して課せられたのだ。
かなり厳しい言い方だが、彼が自分自身を信じなかったことが罪ということになるのだ。

彼は、控訴はしないが、その他の手段で無実を主張してゆくと述べたそうだ。
しかし、どの様な手段であれ、裁判で争うことを放棄したという事実は無実の主張の信頼性に致命的なダメージを与える。
たかだか布きれ1枚を見ただの見なかっただの、そんな下らないことで自分を信じるだ何だのめんどくさい話になるのが嫌であれば、一切口を閉ざすべきだったと思う。
下らない話に関わって体力を消耗したくないという気持ちと無実を主張したいという気持ちの葛藤の末の結論だろうが、スカートの中を覗こうとしたという事実が下らないのか下るのかは、実は二者択一の重要事項なのだ。

そんな下らないことが、人間の名誉に関わる事実になりうる。
その人が学者であったとしても。
それこそが冤罪の恐ろしい事実ではないだろうか。
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バラエティ番組に弁護士が出ることが増えてきている。
俺は「行列・・・」も「ジャッジ」も見ていないので、やっと最近になって散見している程度だが、その範囲(橋下、丸山、湯浅の3弁護士)に関して言えば、共通しているのが、「空気読めてない」ということ。

しかし、これは職業からいってむしろ当然のことだと俺は思う。
まず、基本的に弁護士という人種はマイペースで、自分が周囲に合わせるのではなく、周囲が自分に合わせるべきだと考えている。この傾向は年を取るにつれて強くなる。
そして、もう1つ、実はこっちが大事なのだが、弁護士、いや、司法というのは、少数者の権利主張をその機能とするということだ。
政治部門は多数決原理に支配されるが、多数派に支持される意見のみが必ずしも正義ではない。多数派の意見から少数派の人権を救済する機関が裁判所であり、司法だ。(右派に対する概念である左派が「人権派」と呼ばれることが多いのもこの辺から来ている、と思う。)

つまり、人権のために必要であれば、その場の多数派の意見である「空気」に反しても言うべきことを言う、という役割も実は弁護士は担っている。
意識的にせよ、無意識的にせよ、弁護士は仕事柄「空気」に関して無関心に振る舞うようにできているのではないか。

もちろんTVを見た範囲では、人権のために必要であるなしに関わりなく、空気を読んでいない発言が多いことは確かだがな。

橋下弁護士が、あるバラエティで「自分、空気読めないので、言って下さい」とロンブー淳に言ったというのを聞いたとき、何となく、この人はもうあまり弁護士やりたくないのだな、と思った。
彼は弁護士社会で上手くやれる性格ではないという感じを受けるが、大阪はまた東京と別な雰囲気かもしれないから断定はしない(そーゆー意味では弁護士にも「空気」はあるんだな)。


雰囲気つながりで言えば、湯浅弁護士が属する「渉外」という種類の弁護士は雰囲気的に他の弁護士とはやや違った位置づけをされる。
外国の企業相手が多く、あまり法廷に立つことがないこの種の弁護士は、「法律のライセンスをもったビジネスマン」という位置づけだ。個人事務所がまだ多い弁護士の中でも、渉外は大きな事務所でチームを組んで働くのが普通だ。M&Aなど、会社を動かしているという感覚があるので、「大きな仕事をしている」という自負がもてる。ええかっこしいが多いのもその辺かも。

しかし、あくまでも俺的な話だが、実は、俺は「渉外」という言葉を差別的に使うことがある。
チームプレーが基本である渉外は、個人で独り立ちするだけの能力が無い者にも勤まる。司法研修所でも「就職が決まらなくても渉外がある」という言い方がされる。
いや、そんなことより、俺がこだわるのはやはり、企業買収などは、経営に属する事柄であり、人権保護とは縁が薄いということだろう。
もちろんこーゆーこだわりはテレビ屋が若いDを「お前はリーマンか?!」となじるのと同じことでくだらないことだ。わかっている。
まあ、俺的な差別用語の中には「東大卒」も入っているしな。


景山民夫「トラブルバスター」からのたとえはわかりにくかったかな。
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さて、知り合いのMさんが、4月1日に人権擁護委員会にHPが削除されたふりをするという下らないギャグをかまし、4日に「人権擁護法案を考える緊急大会」(反対集会)に参加したという記事をブログに載せるに至って、ようやく2ちゃんでばかり有名な人権擁護法をちょっと調べる気になった。
以前から名誉毀損に至らない程度の差別的表現に対しては法務省が事実上行政指導しているのは知っていたが、それを法的に整備したものではないかと予想していたが、まあ、予想通りだった。ただ、それにマスコミからのプライバシーや名誉の保護をプラスしたもののようだ。
法律は運用次第で骨抜きにも危険にもなるものなので、いろいろな「危険がある」といわれれば、まあ、頭から否定はできないものなのだが、この反対集会の決議文が「事実上行政手続をもって司法制度に代替し三権分立を侵害している。」というのは確実に誤りだし(司法の定義は法律の適用により具体的紛争の終局的解決を図ることだから)、まあ、もう、なんつーか、それ以前に「憲法の諸条件」とかいうなよ。憲法なら「条文」だろ。ぐだぐだやん。

ちなみに、3月に日弁連の理事会決議が出ているのだが、こっちは要するに、「独立行政委員会の体裁だけど、法務省からちゃんと独立してねーぞ。法務省なんて前科もち信用できるかゴルァ」ってことで、これは理屈が通っている。
この程度の具体性も指摘しないで、危険だ危険だって言われてもね。

Mさん、前からウヨクっぽい言動をHP上に表明してて、しかも、何かカッコだけって感じで主張や思いみたいなものが感じられないし、そーゆー事やるのは害はあれど利益はないと思うんだが、ったくなあ。
これが顔見知りじゃなくて、2ちゃん上だったら、嫌みの1つも言うところなんだが(彼とは、趣味を通じてのお知り合い。頭は良いし、ナイスなギャグもとばせるが根は内気。ちなみに彼のHPに自分のHPをリンクさせると、なぜか防衛庁がアクセスしてくれるぞ)。

人権擁護法案が2ちゃんで叩かれるのは、要するに、そこで差別的表現が横行しているからだ。
無責任なねらーは、後先考えずに発言しては、自分の発言が災いを起こすのではないかびびっている。
まず、責任ある発言をすること。そして、間違ったら「ごめんなさい」ということ。
これだけで、まず、人権擁護法が出てくる事態にはならないはずなのだが。
まあ、ひそひそ話の感覚で、世界に向けた拡声器に話が出来るネット環境自体にも原因は潜んでいるんだけどねえ。


ほーら、ハンドルでブログをやると、こーゆーふーに、知り合いの悪口も言えてお得だぞ。
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