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ほりえもんインタビューを読んで、ぱっとひらめいたのは、彼のビジネス展開がどうとかじゃなくて、彼個人の印象が「質問代行人と同じだ」ってことだった。

質問代行っていうのは、2ちゃんオークション板のスレで、ヤフーオークションの質問欄にあなたに代わって質問します、という自主活動だ。
当初は冗談出品に対するツッコミや、自分のIDがばれるのが恥ずかしいシャイな方々が利用していたが、やがて商売敵を潰す意図がある攻撃的な質問や非難をするために使われるようになってきた。
俺が関わりだしたのはそのころからだ。

俺は別に非難中傷がよくないなどという学級委員的なことを言うつもりはなかったが、ひょんなきっかけから奴らとバトルするはめになった(そのときの俺のIDから彼らのうちの1人がおれをK氏と呼ぶようになり、それがここのハンドルになった)。
バトルしていて気が付いたのは、奴らは、ネットで公衆に対する意見表明をしているにもかかわらず、何らかの社会的役割を果たすために質問代行しているのではないということだ。
だから彼らは質問依頼が明らかに非難目的であっても全く問題にしないで代行していた。
依頼人が「あの出品は著作権法違反ですのでやっつけて下さい」と言えば、本当に違法かどうか検討もせずに、立派な文章で攻撃する。ご丁寧に著作権関連のHPへのリンク付きだが、リンク先をろくに読んでいないのは明らかだ。
このような質問をされたオークション出品者の迷惑、及び、間違った法解釈を立派な文章でネットに流すことによって誤解が一般に広まるという社会的弊害についてどう思うのかとただすと
「依頼者に頼まれただけだから私は知らない」で全部説明したつもりでいる。
(バトルでぶち切れるのは御法度なのだが、さすがにこのときは切れた。)

これに対し、ほりえもんインタビューでは
「彼は、そのメディアで流される報道の内容には興味はない。メディアを持ちたいのも、金融など本来のビジネスに必要だ、という考えから出発している。
 「報道の使命」など、報道に携わるものの"志"に関しても、それが「思い上がり」「自意識過剰」につながると、バッサリ切り捨てる。
 ユーザーの関心度だけが、掲載の基準となる。彼が作ろうとしているのは、そういうメディアだ。」
となっている。この点が質問代行人と似ていると感じる。
社会的役割には興味がないのだ。
では、彼は何に興味があるのか。

質問代行人に話は戻る。
質問代行人とのバトル、及びバトル以外の雑談を通じて感じ取ったのは、彼らは繊細で、そして「何か」を探している、ということだ。
まあ、俺を含め、2ちゃんねらーというものは多かれ少なかれ「自分を受けとめてくれる人」やら「自分の居場所」やらを探していると思うのだが、彼らはそれについて非常に積極的である
また、通常他人には言わない(ましてや不特定多数の見る場で公表しようとは思わない)精神的な弱いところをネット上で告白したりしている。
要するにそれだけせっぱ詰まっているのだ。
質問代行は、彼ら個人にとって個人的に必要な行為なのだ。
どう必要なのかはわからない。「質問代行」でなくとも何かの形で自分を発信し、それを誰かに受け取ってもらえればいいのかもしれない。
事実、質問代行スレが事実上機能しなくなってから(その理由については語ると長くなるので)代行人の一人は別に相談スレをたてて活動している。
そういうことをすることについて、もちろん俺はとやかく言う立場にないわけだが、根拠が何もない俺の中の声はそれは違うとつぶやいている。
「ネットには鍵はたくさん落ちている。しかし、それで開ける扉は現実世界にしかない。」と。

またほりえもんの話になる。
彼にとって球団もテレビもラジオも全部同じに映っているのではないかという気がする。
ビジネスという言葉で覆ってはいるが、何か彼にとって必要なことなのだろう。
あくまでも個人的に。
彼は判ってもらえなくていらだっているようだが、まあ、判ってもらえないだろう。
語っている文脈が違うし、何よりも誰も他人の心情を判ろうとなどとは思わないものだからだ
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今回のライブドア(orリーマン)vsフジテレビは、いろいろな論点を含んでいるわけだが、俺が興味を持ったのはこの点だ。
政策的視点を除いて純粋に良し悪しを問う場合、営利の追求が当然のこととされる市場においては敵対的M&Aは 少なくとも、「悪くはない」わけで、どのくらい悪くないかというと、特定の株主の持ち株比率を低下させるために行う新株発行は新株発行差し止め事由となるという判例が出ているくらい悪くないことなのだ。

しかし、今回は、敵対的M&Aに対する防御策を盛り込んだ商法改正が急ピッチで進められるくらい過敏な拒否反応が起きている(なお、ポイズンピルや株式の種類強制切り替えなどはアメリカでも制定されているらしい)。
何でかというと、金を出しているのが外国企業だからだ。おまけに、乗っ取られそうなのがマスコミだからだ。これが忠実屋といなげやならこうはいかない。
マスコミは外人に乗っ取られてはいけない。電波法、放送法にもこの政策ははっきり出ている。マスコミは世論形成に大きな影響力を与えるからだ。憲法に根拠を求めるとすれば、国民主権になろう。
ではなぜそうハッキリと言わないのか。ほりえもんに文句を言ってないで、リーマンに言えばよいではないか。外資による敵対的M&Aだけが嫌なら、外資規制をすればよいのであって、敵対的M&A全部を防ぐ必要はない。なぜそうしないのか。

答えは簡単。今や外資無くして日本の産業はやっていけないからだ。
HOYAを初め、外資が多くの割合を占めている日本企業は増加している。この前始まった不動産の証券化だって、外資を期待してのことだ。
グローバルスタンダードとか国際的な視野とかいう言葉は、要するに「外資入れよーぜ」ということだ。
日本は外資が欲しい一方で現状が変わることを怖れている。今回の事件はその揺れが出たのだ。
ほりえもんはそこまで考えていなかった、もしくは拒否反応がここまで強いものだとは思っていなかったのだと思う。

しかし法律だけ変えても国が栄えるわけではない。
だいたい、自分たちが困るとすぐお上に物を頼むという解決方法もなんだかなーと思うしさ。
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 リーマンブラザーズ
         100億円
   Λ_Λ ∩
  ( ´∀`)丿
  ⊂   )  100億円
   ノ  γヽ
  (__丿\__ノ    | ̄ ̄ ̄ ̄
      ヽ(´Д`;)ノ|
      (___)|  ライブドア
      | ̄ ̄ ̄ ̄
      |
      |
| ̄ ̄ ̄ ̄



やっぱちょっとずれるな。

あ、これはただのメモだから。
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まー、とりあえずこいつだ。
ライブドア批判に苦言 奥田会長「時代の流れ、対策を」
ライブドア側に説明責任…日本経団連会長
同じ事実についての記事だが見出しの付け方で正反対だ。
それから、俺は見てないけど、日本テレビがほりえもんに失礼なインタビューをしたらしく、今、ネットのあちこちからブーイングが漏れ聞こえている。
マスコミの体質っつーの?とにかく、この件に関して強い世論の形成機能を恣意的に利用していることが明らかになってきてるわけだ。

奇しくもほりえもんはそのインタビューで、ネットとマスコミの融合プランを説いたらしい。
確かにネットはマスコミの因習に縛られない発言ができる。
時間や文字数による縛りも少ないから、いろんな面からの発言もできる。
ブログだってその利点を生かしたものだ。
世論の形成機能も確かにある。2ちゃんの運動で大企業が動かざるを得なくなった例も上げられるし、裁判でマスコミに対する名誉毀損の損害賠償が認められやすくなったのもネットの影響といえる。
まあ、相互に補完する関係にあるとは言えよう。
しかし、融合するのはちょっと無理だと思う。
一番無理っぽいと思うのは、マスコミが関わる世界は基本的に有償原理の世界であるのに対し、ネットが関わる世界は基本的に無償原理が支配するってことだ。
2ちゃんの「電車男」の収益が全部寄付された例からも判るように、ネットのコンテンツで誰かが金を儲けることに対して非常に嫌がる空気がある。ネットのコンテンツは共有資産なのだ。
しかしそれではいつまでたっても家族に飯を食わせることはできない。
その辺をどうするかっつー話だ。

奥田会長の話で気が付いたけど、ほりえもんのよくないとこは、要するにポリシーがないことかもしれん。
先のネットとマスコミの融合プランにせよ、それが誰にどういう恩恵をもたらすのかというビジョンはあるのだろーか。
他人のために仕事をしているのではなく、自分のためだけに仕事をするというのは良くない。
わかんない人はこれのどこがいけないのかわかんないわけだが、俺はわかる奴だから言うぜ。
「イクナイ」

ま、ほりえもんの話、俺1個も聞いてないけどな。


あ。今たまたま他人のブログで見つけたぜ。ほりえもんインタビュー。
半分しか読んでないけど、やっぱ「わかんない人」みたいだな。あはは
あと、ネットとマスコミの「融合」じゃなくて、マスコミに取って代わろうとしてるんだな。
それに何のメリットがあるのか判らんが。
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ライブドアによる買収に関して -いくつかの疑問点
この記事を、通りすがりでみつけて、コメントしたら、字数が多すぎると言われたので、トラバにします。

ライブドアの行為が公開買付制度を無視した違法行為らしいという見解があるのをここで初めて見ましたので、ちょっと興味を持って自分なりに調べてみました。
でも私は証取法にくわしいわけではありません。
商法の本とかで調べた範囲では、個別の相対取引による株取得では、不正な値段での取引が行われやすく、また、不正でないにせよ、一部の株主が高い値で株を売るというのは株主平等原則の見地からよろしくないので、TOBがあるらしーです。
つまり、時価でない値段での取引により、他の株主が害されることを防ぐためであり、証券所取引の取引であれば、他の株主にも平等に株式譲渡の機会が与えられているからOKらしーです。
だから機会さえちゃんと与えられていれば、別に証券所取引でなくたっていいわけであり、ToSTNeTだってちゃんと機会は与えられている取引だからOKなはず、と、こう理論は流れるようです。
でも、株式をいくらで売り買いしようが本来自由のはずですので、この制度趣旨も突き詰めれば謎です。

ライブドア批判はイメージ攻撃の部分が大きいことは確かですが、まあ、マスコミに関わる以上、イメージというのは大切なので、何つーかもうちょっと考えて行動した方が良かったんじゃないかなという気はします。

それ以外にも、ライブドアの背後に外資があるので、電波法の問題も出ているようで(外人に日本のマスコミを支配させてはいけないらしい)、いろいろややこしいらしいです。

後から見つけた。
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今までこの問題、あまりくわしく見ていたわけではなかった。俺Winny持ってないし。
ファイル交換ソフト開発は著作権法違反幇助かという問題は、包丁を作った鍛冶師はその包丁を使って人を殺した殺人罪の幇助犯かいうことと同じで、法律的に言えば、行為の定型性という側面から否定されるべきであり、つまり、起訴は嫌がらせだと思っていた。
でも、今日朝日のHP上でたまたま見かけて、なるほどこういう構成なら幇助犯もありだなって思った。
つまり、そこらの包丁作るのと違って、殺人のために特別に包丁を作ったと、そういう風に考えれば幇助も成り立つ(関係ないけど「キルビル」。沖縄の寿司屋の2階では良い刀は打てないと思う)。
主観的要素の認定でここまで行為の法的評価は変わるんだなー。へえー。

被告人が言った言わないで争っているけど「著作権のあり方を変える」って考えも一理あると思う。
著作権という概念はどうもそれ自体問題を含んでいるような気がする。
著作権の権利性自体は否定しないにせよ、本質的に財産権と解釈した方が良いんじゃないかと思う。
俺はあまりくわしくないけど、著作権の人格権的側面は本来の目的から離れてしまって、余りよい使われ方をしていないと感じる。
ただ、知的財産以外の産業がない日本の今後を考えれば、こーゆー考えはあまり歓迎されないだろうとも思うけど。

なお、朝日のこの記事で「2ちゃんねらー」という言葉がどういうニュアンスで使われているのかは知らないが、2ちゃんねるは広く、利用の仕方も人それぞれなので、「2ちゃんねらー」という言葉では何も説明できていないと思う。
ちなみに俺は「軽い2ちゃんねらー」と自己紹介しているが、今一番有名であろう「電車男」には興味がないので、板にも行っていなければ本も読んでいない。
2ちゃんの祭りはその9割が自演だと思っているが、自演か否かは問題ではないとも思っている。
また、祭りは見るよりも御輿を担ぐ方が面白いとも思っている。

追記

あー、著作権の人格権的側面を認めないっていうのは、著作者人格権の権利性自体を否定するってことではなくて、例えば自分の文章を勝手に改変された場合は、ふつーの人格権の侵害として取り扱えばいいのではないかってこと。
人格権は財産権に比べて、上位の人権として扱われているので、制約が少ない。
著作権という1つの権利に人格権と財産権という2つの性質が入ってしまったがために、本来財産権としての制約に服すべき事項がいわば「人格権の仮面」をかぶって権利主張するっていう弊害を重視するべきじゃないかってことね。
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いや別に戦ってるわけじゃなくて。
個人情報の流出がいろいろ問題になっているご時世なわけだが、あらためて考えてみると何故個人情報を守らなければならないのかと思って。で、個人情報って著作権と似たようなものかな、と思ったわけ。

朝日の読書欄にあった何かの本の引用によると、個人情報の保護が叫ばれ出したのは、個人情報が売り買いされるようになってからだと。
そういえば俺の親父なんかはそーゆーことに無頓着だ。「知られたって構わないじゃん」てなもんだ。
個人情報が知られても、せいぜいうっとうしいダイレクトメール(ネットではスパム)が来るくらいで、個人の生活自体には大した支障はない。
ただ、売り買いされるってことは、それは立派な財産で、つーことは、個人情報の管理は財産管理ってことになる。俺の個人情報なんて価値にして3円くらいなもんだが、それでも流出すれば責任が問える。。
つまり個人情報は「プライバシー」の側面だけでなく「財産」の側面も出てきたってわけだ。

それで思い出したのが著作権だ。
著作権にも人格権としての側面と財産権としての側面があると一般に言われている。
昔はアバウトで「人生パクりパクられ(by酒井彩名)」だったわけだが、最近やたらうるさくなってきて、また啓蒙活動も盛んになっている点も似ている。
しかし、実はこの著作権の啓蒙活動のやり方にどうも俺は疑問を感じている。

俺は、2ちゃんのオク板によくいるのでヤフオクの例で話をする。
ヤフオクでの知的財産啓蒙運動は、要するに、コピー商品が市場に出ることを阻止するためのものだ。だから、ブランドとか、タレント事務所とかをにらんで作られている。つまりそこでいう著作権は財産権の側面が強い。
しかし、実際の啓蒙運動ページでは著作権が人格権であるかのような表現のされ方がなされる。
実際上のめんどうを引き起こすのが、個人がオクのために撮った写真の著作権を説いている部分で、内容が間違っているわけではないのだが、ろくすっぽ読まない連中が、自分の写真が他人に無断使用された違法だ逮捕だとやいやい騒ぐ。
それが実際上、どんな不利益を引き起こすというのだ。怒ってもいいことらしいから怒っとこうという貧乏人根性ちゃうんかと小一時間ry

著作権も理解するなら正確に理解しなければならないと思う。
個人情報もまたしかりではないのか。
個人情報の流出は実際上どの様な影響を個人に及ぼすのか。
誤った個人データが流出した場合の対処は。
「個人情報」の定義にも関わってきてしまうけど、考えておかなければならないのではないだろうか。

めんどいよね
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まず1言。「被告人」と表記すべきところを全て「被告」としていた。「被告」は民事裁判で使う。
「行列・・・」の裏の時間帯でやったことはいいのか悪いのかわからん。

裁判官代表の人が陪審制度を前提とした発言しかしていなかったのがちょっと面白かった。
番組中にもあったように、裁判員制度は参審制度で、事実認定のみ一般人が関わる陪審制度とは違う。日本の法制度は一応陪審制は予定した作りになっているが、参審制を予定した作りにはなっていない。憲法32条、76条3項、憲法上の問題も多い。
司法改革も初めは陪審制の導入の話だったのに、なんで参審制になったのやら。
裁判員制度が実際に動き出したら、これによって裁かれた被告人側から裁判員制度の違憲訴訟が起きるのは必至だ。
そして、合憲の判決が下されるのも必至だけど。
ま、リクツはいいや。
とにかく裁判所が区役所並みに身近な施設にならなければ成立しない制度。難しいぞお。

ところでイタリアの例は興味深かった。
毎度あのようにいくわけではないだろうが、「仲間が裁くのだから」と被告人が言うっつーのはすごいと思う。日本ではまずあり得ない。
しかし、イタリアといえば、昔見た、島1つ貸し切りで行ったマフィアの大裁判。お礼参りもすごかったという。
うむむ。やはり難しいんだな。
そういえば、イタリアでは一般人にわかりやすくするためにどうやっているのかな。
日本の公判準備手続は起訴状一本主義との間で問題だと思うんだけど、イタリアもそうしているのかな。
それと、裁判員にアピールするイタリアの弁護士と検察官。何か「行列・・・」の弁護士達みたいな感じだったけど・・・。
つーことは、やっぱ弁護士もタレント化する方向でOKってことなの?

まあ、今の制度も結構行き詰まってるから、変えること自体は悪くないけど・・・せめて被告人の選択制にならなかったものかなあ。
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す、すげーいい。ハイライトシーン3回見ちゃった。
中島哲也監督は確か濱マイク(ドラマ)で、林家ペーパー夫婦を林家ペーパー夫婦本人役、しかも実は殺し屋だったという設定の話を作った人だと思ったが。
下妻を初め、「代官山」「ヴェルサーチ」「ジャスコ」「たかの友梨ビューティーコンテスト」その他ブランド名、固有名詞、そしてテレビ番組が乱れ撃ちだが、それがまたそれじゃなくちゃダメなんだな。いちごが追っかけてゆくのは「水野晴郎」じゃなきゃダメなんだよな。
キャラがいいからチョイ役も生き生きしている。

出だしに、ハイライトシーンの短いカットをつなげてしまうとことか、シーンのつなぎをなるべく目立たせないようカメラ回しとかで処理するとことか、表現方法の基本的な方向は「マインド・ゲーム」と同じなのだが(共通点はスタジオ4℃と吉本興業。なんでやねん!)、つぼを押さえているからわかりやすい。

「あなたじゃなくちゃダメなんです。」と言われた桃子が、帰る途中、いろんな赤の他人に「あなたじゃなくちゃダメなんです。」と言われ続けるとこ、「これこれ!この感じ」と思った。ウソだってわかってるんだけどね、でもすごいびっくりなんだよね。
一見突拍子もない表現だけど、言いたいことはすぐに伝わる。
トラックに吹っ飛ばされた桃子が、お母さんのお腹の中から出ようとするところ、ここは「マインド・ゲーム」でいえばクジラから出るところにあたる。この2つ、テーマも類似したとこがあるんだな。

結局この2つの差は作り手が大人か子供かってとこかな。キビシーな。
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題名通り、やや幼い頭の世界観をゲームの世界観を描くように描いているが、幼いことは別に悪いことではない。幼いなりにがんばっているので、それで良いと思う。

短いカットを重ねて時代の雰囲気や個人の歴史を語るのは見る側の脳に負担がかかるので多用しない方が良いと思う。とくに、結局4、5人分の歴史をまとめて語ってしまっているので、ややこしいったら。
結局情報量をもっと絞って欲しいつーこと。

話の設定的にはむしろ私と似ているので感情移入がしやすいはずなのであるが、話が上滑りする感があるのでちょっと引く。
自分の頭の中の世界観と現実世界とのすりあわせをテーマとした映画は、「ノーライフキング」がハシリだと思うけど、「ノーライフキング」の方が良い。
バソコンの扱う情報量が増えるに従って、脳内風景とリアルの違いが薄くなってゆき、逆に、テーマが不明確になっていくような気がする。
現実世界は実は思うほど強固ではなく、脳内世界は思うほど楽なものではない。両者は互いに干渉しあっている。

西君が自分の思うがままに突っ走るようになるまで40分近くかかっているが、そんなもんなんだろうか。もう少し早くならないかなあ。
あと、ちょっとコリクツが多い。現実と脳内の間を行ったり来たりするので、その伏線というか心構えが必要なんだろうが、勢いがいいので、あまり気にしなくていいのではないかと・・・。
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