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集団的自衛権について何か記事を書こうと思ったのは、安倍さんが閣議決定するよとか言ったときだから、4ヶ月ほど前だ。そのときは簡単に書けると思ったのだ。
国際法はかじっていたから、集団的自衛権という概念は既に知っていたし、憲法9条も知っている。集団的自衛権について、権利は有してはいるが、行使はできないという見解を日本政府がとり続けていたことも知っていた。PKO多国籍軍で、派遣された日本の自衛隊が、うちは憲法9条があって、あれはできないこれもできないとか言うもんだから、他の国からぶーぶー言われていることも知っていた。
これくらい知っていれば、まー何か記事の1つもひねり出せるだろ。そう思っていた。

ところがこれが、まるっきりなのだ。
新聞記事が言ってることがまるっきり理解できない。「wHY?!」(by出川哲朗)て言っちゃうくらいわからない。
第一、安倍さんは憲法解釈を変えると言いつつ、「解釈」をしていない。「個別的自衛権しか認められないので不便なことあれこれ」の話しかしていない。それはニーズの問題であって、「解釈」とは言わない。しかも、安倍さんがやりたい「あんなことこんなこと」は、集団的自衛権を認めればすべて出来るというわけではない。15個くらい挙げていたけど、その中には集団安全保障制度を前提とするものも含まれていて、これは集団的自衛権と論理的に全く関係ない。
「あんなことこんなこと」は、個別的自衛権しか認められない状況下では論理的に認められないことになる事柄だけど、だからといって、集団的自衛権が認められれば必ずできる、という論理的関係にも無いのだ。
大体、集団的自衛権行使は滅多なことでは認められない。集団的自衛権は国連憲章上に根拠を持つけど、厳しい行使要件があり、それに加え、ICJ判例により更に2つほど要件が加えられている。集団的自衛権が認められればいろいろ便利!というわけではない。
更にわからないのは、新聞とか、反対派がこのわかりやすい欠点に論及していないことだ。
戦争反対!とか、もやっとした話をしている。集団的自衛権と集団安全保障は違うよ。とかやっと言い出したのは、6月からだ。議論を尽くしていないとか怒っていても、論点も探し出せないのなら、それは最初から議論する気が無いということなんじゃないかと思う。

俺自身としては、憲法解釈論を抜きにして言うなら、別に集団的自衛権を認めても良いと思うし、それとは別に、集団安全保障やPKOにおける行動範囲を広げても良いと思う。グローバル化が進んだ現代では、世界で起こる紛争は何らかの意味で日本と関わりをもつ。他人事ではすまない場合がある。
しかし、憲法を全く無視するというのはありえない。少なくとも言うことに筋が通っていない奴のいうことを聞く気にはなれない。

で、更にわからないのが、閣議決定という、今まで聞いたことの無いパターンの憲法解釈のあり方で、閣議で決定されれば、すべてが決まるみたいな雰囲気でみんなが(安倍さんだけでなく、反対派も)やいやい騒ぐことだ。
憲法という法律の建前から言えば、閣議決定は、内閣という組織の内部意思決定にすぎない。内閣は政治機関で、国民の意思でもなければ法解釈機関でもないから、憲法に反する解釈をすることもありうる。少なくとも憲法はそういう前提で作られている。
仮に内閣が間違った憲法解釈をした場合、処分という形で国民と関わればその処分が違憲審査の対象として裁判所で裁かれ、違憲判決が下される。また、法律案提出という形で違憲の解釈が出されれば、まず国会の審議でたたかれ、さらに、法律が通った後、適用されれば裁判所の違憲審査の対象となりうる。
憲法がもつ憲法秩序の保護はこのような形であり、だから、国会と裁判所が控えている以上、バカが閣議でバカ決めました。くらいでびびる必要は無いはず。なのだ。
しかし、これについては、建前と実態の差というやつがあって、閣議決定しちゃえば後はなんとかなるさ!と考えるのも非現実的ではない。
揉め事が嫌いで事前の根回しが大好きな日本人は、裁判所で違憲の判断をされたり、国会でいちゃもん付けられたりするのが嫌いだ。だから、最初から法律を完璧に作ろうとする。そんなわけで、法律案作成の段階で、内閣法制局というプロ集団により違憲にならないように完璧に法律が作られる。そのかわり、事後の審査機関である裁判所は高度に政治的な事項については憲法判断を控える傾向にある(統治行為論)。また、国会は多数決原理で乗り切ることができる。事実上憲法秩序を守っているのは第一次的には内閣法制局(そして二次的に国会)なのだ。
安倍さんは、今回の閣議決定にあたり、まず、内閣法制局長官の首を外部の人間にすげ替えた。これは、第1次安倍内閣のとき、内閣法制局の組織全体の抵抗にあって集団的自衛権容認を断念したという過去に基づいている。内閣法制局長官の人事権を握っているからこそできたことであり、これが「事実上」の憲法秩序保護機関の弱点でもある。制度上のものであれば当然分離独立した機関に審査権が委ねられるのだが。
さらに、安倍さんはこの件に関して国会で答弁することを避けている。まだ閣議決定の段階で具体的な法律が無いから、という理由だが、法律案審議として国会でたたかれる前に既成事実を固めるという作戦だ。
憲法の建前と実態のギャップをついた政治的作戦であり、おかげで、憲法問題であるはずが、まったく法律的な理屈を聞くこともなく事態が進行し、俺は事情がわからないまま記事が書けなかった、というわけだ。

まあ、とにかくやっと事情がわかり、記事は書けた。
俺は別に集団的自衛権自体は構わないとは思うが、筋が通らないものを筋を通さないまま通そうとしているのは気にくわない。
結果として、そういう記事になったよね。

参考

法律時報2014年7月号 : 憲法解釈と人事
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広島死体遺棄 奪った金を7容疑者で山分け…後悔しても謝罪なし

この事件に関しては、「謝罪がない」ということがちょいちょい見出しになている。
謝罪がないことが強調される事件というのは珍しいなあ、などと思っていたが、今回のこの見出しで、ちょっとよく考えてみる気になった。
「後悔しても謝罪なし」
この見出しからは2つのことがわかる。
後悔と謝罪は違うものであること、そして、被疑者達は後悔では足りなくて、反省して謝罪すべきだ、という価値判断があることである。
 でも、なぜ後悔ではダメなんだろう?なぜ「謝罪」が要求されるのだろう?

 一般的に、謝罪がないことはけしからんこととされている。今回の記事についているtwitterをざっと眺めた感じでも多数は「けしからん」と憤っているが、その理由は書かれていない。反省して謝って当然のことと考えられているようだ(そもそもtwitterにいちいち理由とか書く奴はいないような気もするが)。
 その一方で、少ないが(それでも思っていたよりは多い数の)tweetに「謝る必要は無い」というものがあった。これまたほとんどが理由抜きのいい放しなので、なぜ反省する必要は無いのかの理由はわからず仕舞いだ。
「取り調べ室で「天国の××ちゃん、ごめんなさい」とか言わないとダメなのかな?」
tweetした方に真意を尋ねてみたが、逆ギレされただけだった。
どうも、新聞の書くことと、捜査機関のやることに片端から文句を言いたいだけの人らしい。
このような「何でもいいからただ記事に文句を言いたい」方は除外するとして、他には、「どうせ反省なぞしないのだから謝罪を求めるだけ無駄」という趣旨のものがあった。これは根っこでは反省が必要だという考えと同じである。

・・・てゆうか。
今までは、というか、これ以外の事件では、俺も反省が必要か否かということを取り立てて問題視していなかった。
とすると、むしろ考えるべきなのは、なぜこの事件において俺がこのことを問題ととらえたか、である。
で、考えてみた。そして、わかった。
被疑者の一部は犯罪に関わっていない可能性がある。と俺が考えているからだ。

今回の事件はLINEを通じた知り合い達によるものであり、被害者と面識のない者達も暴行現場に集まっていた。
LINEで盛り上がって面白そうだという野次馬根性だけで出かけて、事件に巻き込まれた面があるのは否定しがたい。
現場にはいたが、犯罪には関わっていないのだとしたら、それは(殺人については)無実であり、無実の者は反省や謝罪のしようがない。
でも、後悔はあり得るし、現に彼らは、軽い気持ちで出かけて事件に関わってしまったことを後悔しているだろう。

無実の者に、後悔はありえても反省はない。無くて当然なのだ。
「後悔しても謝罪なし」
という見出しには、彼らが犯罪を犯した、という先入観が入っている。
取り調べもその方向で進められているだろう。
しかし、おそらく実態は、彼らは、自分は無実だと思っているのだ。
多分混乱していて、はっきりと無実の主張ができていないのだろう。まだ子供だし、その場に集まり、暴行を止めることができず、被害者の金を山分けした(口止めの意味があったであろう)。そこまで関わったらおまえらが殺したと同じじゃないか、とか言われたら、自分の感覚が信じられなくなり、罪を認めるかもしれない。
まあ、認めた方が良いような方も中にはいるのかもしれないが。

さて。
ここからは今回の事件とは別の話として、再度、冒頭のテーマに戻る。
 仮に犯罪を犯した者であっても、後悔だけではいけないのだろうか?
 と、言うのも、後悔であろうと反省であろうと、それをした者は「同じ過ちを2度と繰り返さない」と思う点で共通する。
そして、彼らが同じことをしなければ(つまり再犯が防止されれば)、我々部外者からすればそれでいいではないか。
まあ、反省して人間的に成長してもらった方が彼らのためには良いであろうが、一般人の多くは彼らの人間的成長なんてどうでも良いと思っているだろうから、それならば、後悔だろうと反省だろうと、いや、再犯防止という点では死刑であろうと、どれでも同じなのではなかろうか。

刑事裁判では情状として「反省」が重視される。昔から日本の刑事裁判では何となくそうなっている。裁判後の処遇でも、仮釈放などで「反省」は重視されている。しかし、外国人犯罪者の中には「反省」の概念の重要性がわからない者もいる。また、冤罪には「反省」はあり得ない(そして多分「再犯」もないだろう)。

私たちはなぜ彼らに「反省」を要求するのか。
あらためて考えると、いろいろ謎ましいことではある。
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痴漢証拠を「捏造」、冤罪被害者側が県警警部補告発へ/神奈川

えん罪被害者からの反撃として、国賠ではなく、捜査官個人を刑事告発という方法をとったのが趣深い。
一人の捜査官が現行犯逮捕したらしいので、
捜査機関全体の不始末と個人の不始末が同一視されたのかもしれないが、個人責任が認められると、
今回はレアケースであって捜査機関自体には悪いところはなかったような感じになって、
トカゲのしっぽ切りのような結果になりはしないか。

刑事事件としての争点はもちろん故意の有無であろうが、
違法捜査抑制の要請に対して、捜査官個人の刑事罰という方法が適当かどうか、
という観点からの考慮が行われるのではないかとおも。

あと、刑事裁判に「保佐人」があるというのは知らなかった。φ(・ω・ )
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amazonなか見!検索で見た目次に、「巨乳被告人事件」「痴漢無罪事件」など、美味しそうなタイトルが並ぶこの本。周防監督が帯を書き、紹介記事が朝日新聞に載ってたこともあって、一般書だと思って気軽に買ったのだが、中味は実際の事件を元にした事実認定のケースブックで、つまり専門書なのであった。

一般書なら、面白いかどうか、という視点から記事を書けばそれでよいが、専門書は役に立つかどうか、という視点から見るべきであって、面白いかどうかは二の次なので、記事は書きにくい。
実際、事実認定のあり方や、証拠の証明力の判定(人証について、偽証を完全に見抜くのはまず無理)などなど、刑事裁判に関わる専門家にはお役立ちな本だ。
いろいろな無罪のバリエーションが紹介されているので、裁判員裁判に関わる方が類似事件を探して参考にするのにも良いと思う。
ただ、読み物として読むとがっかりすること必至だ。
第一読みにくいし、
"真相はわかんないけど、少なくとも被告人は犯人じゃないっぽい。"
みたいな言い方で結論出すときがあって、テレビドラマ的展開を期待している方はがっかりするだろう。
無罪推定原則からすれば、被告人側は積極的に無罪を証明する必要はないので、これで良いのだが。


さて、それにつけても「巨乳被告人事件」が気になる、という方のために。
覚えている方もいると思う。
巨乳グラビアタレントが蹴破ったドアの穴から中に入れるか、胸がつかえて入れないかが争点となった事件。
テレビ、もしくはネットで斜め読みした記憶がある程度の事件で、「くまのプーさん」を連想させるいかにもテレビ向きな話、と言った印象だったと記憶している。

実際に実験してみれば、ドアの穴につかえることは明らかであるはずのこの事件。
なのに、一審は有罪となったのはなぜか。
それは要するに一審は、実験は必要ないと思ってしなかったからで、
なぜ必要ないと思ったかと言えば、被告人がドアの穴をくぐったのを見た、という証言があり、証人は被告人とは関係ない第三者であったこと、そして、被告人が壊したのでなければ、住人の男性が壊したらしいのだが、自分の住んでるマンションのドアを壊す、というのは「普通に考えれば不自然」であるからなのだ。
人の記憶というものはあやふやなものなのだが、記憶に基づく証言を重視しすぎた、つか、実質その証言だけを頼りにして有罪を決めてしまったわけだ。

それを、いいかげんだと批判するのは簡単だが、刑事裁判で、この程度の証拠で判断しなければならないことは多い。この本に載っている事件も多くは証拠自体の数が少なく、また客観的証拠に乏しいケースだ。
証言の信用性は、「そういうことは普通あるか」で決めるわけだが、犯罪なんてそうそう遭うもんじゃなくて、それ自体が「普通」じゃないだろ、とツッコミを入れたくなる。
自分の部屋で、二股かけていた女が鉢合わせしたので、一時的に逃亡。もういいだろうと戻ってきたら、ケンカはさらにヒートアップしていた。
さて、こんな場合、男は「普通」どうするか?
もう
  知 ら な い。
としか言いようがない。人によりけりだろ。
でも、こういうことで有罪無罪が決まったりすることもあるのだ。


第一審判決後に新証拠が出たことをきっかけに無罪に転じたケースもある。
こういう場合は誰が裁判官であっても無罪を出す、と思いそうだが、そうでもない。
念のために再尋問をした証人が、一審と同じ証言をし、とても嘘をついているように見えなかったのに裁判所からの帰り、警察で偽証を自首したため(嘘をつき続けるのに疲れてしまったそうだ)無罪の決め手ができた。など、震撼するケースもある。
このケースの背後には、当然多くの、「念のために再尋問したけど、結果はしないのと同じだった」があるはずだ。「万が一」を拾うための9999があるのだ。
その9999を無駄と思ったら、「1」を拾うことはできない。
信用性が高いと一般に思われている科学的証拠も、ちゃんと検討しなければ役には立たない。
防犯ビデオをコマ落としで見る。
鑑定人だけに見えてるタイヤ痕を"それは証明できてない。"と言う勇気を持つ。

事実認定の道は地味で長く、退屈で、しかも「一件落着」的爽快感は、必ずしもない。
と、心して読むべし。(`・ω・´)


逆転無罪の事実認定
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小沢一郎の裁判で無罪が出たのは先月のことなんだが、忙しくて記事が書けないままだっだ。
いや、忙しいだけではない。正直書く気が起きなかったのだ。
無罪であろうとは以前から予想していた。だから最初は、「フロッピー前田は無罪にどの程度の影響を与えたのか」という観点からの記事を考えていた。
でも、なんつーか、全体的なふいんきっつーか、なんか、みんなそんなことに興味持たないんじゃないかなって気がしだした。

はっきりそう思ったのは、判決出る1週間くらい前に新宿で偶然デモに出くわしたときからだ。
小沢さんのプラガードを掲げたそのデモ隊は、俺にはまったく理解不能なことを怒鳴りながらねりあるいていた。
「小沢さんは無罪」で「起訴は不当」で「裁判を止めろ」で「検察は汚れている」のだそうだ。
いやいや。起訴がなければ無罪はとれない。裁判を止めても無罪はとれない。そして、小沢さんを起訴したのは検察審査会の決定であって、検察は起訴できないと判断したのだ。
この、ツッコミどころ満載の行進は「ネットで集まった人たち」であって「政治的な団体ではない」そうだ。
すげーそこんとこ自慢してたが、つまり、ネットって、理論すら一貫している必要がないんだなってことがよくわかった。
判決が出たときも、ネットではもう工作員vs工作員って感じで、パンピーは引いてる感じだし、その工作員も最近は尖閣買うことの方に興味ありそうだし。
で、一般人も、証拠が足りてないだけの無罪だと言うことはみんな把握しているし。
なら別に、俺があれこれ書いても誰も興味持たないんじゃないかなあ。

グチっぽくなったが、そんなわけで、判決に関しては特に何も書かないことにした。

判決については書かないが、控訴についてはちょっと書く。
これについては個人的に興味があるので、誰も読まなくても書く。

指定弁護士(検察官役弁護士)の控訴は検察官の控訴と基本的に違う。
つか、違わざるを得ない。
検察官の控訴は、検察官だけが決めるのではなく、持ち帰って組織で決める。
有罪の見通しと、裁判が長引くことのデメリット、あと面子とか、それから面子とか…まあ、俺にはよくわからん組織の諸々だ。
控訴した結果は検察組織全部の評価に繋がるわけだから、組織で決定するのだ。
しかし、指定弁護士は組織に所属していないのだから持ち帰っても指示を仰ぐ先が居ない。
趣旨からすれば、控訴のためにまた検察審査会を集めるのが筋なんだろうが、そーゆー規定はないから自分達だけで決めなくてはならない。
(指定弁護士の控訴に関しては、具体的根拠規定すらない。指定弁護士は検察官と同一の権限を有するから検察官ができる控訴も出来るんじゃねーの、という感じで運用されている。)
なのに、控訴審でまた無罪でも出ようもんなら、きっと検察がなじられちゃうのだ。
まあ、検察も無理な賭をやって負けたのだから、多少なじられても仕方がないといえば仕方がないのだが、起訴したくないと言ったのに、起訴されて無罪出されてさらに控訴審で無罪となったらずいぶんな踏んだり蹴ったりだ。

そんなわけで、指定弁護士がどういう点を気にして控訴を決定するのかに興味があった。
朝日新聞によれば判決前に決めていた控訴の基準というのが
①起訴を決めた検察審査会の手続が無効とされた場合は控訴する。②政治資金収支報告書の虚偽記載があったと認められずに無罪の場合も控訴する。③虚偽記載は認められたが、小沢氏と元秘書との共謀が認められない無罪の場合は控訴断念を検討する。
だそうだ。
検察審査会の意思を尊重することを重視しつつ、証明の難しさとのバランスを図った線引きになっている。
で、判決は小沢氏の共謀の故意を証拠不十分として無罪としたわけだが、
こうみると、③に近いよね。
指定弁護士側が明確に争点としていなかったところを認定されたというのは悔しかろうが、法廷で小沢さんにいくら質問したとしても、彼の言葉はまったく信用されていないから、この点にらちがあくとは思えない。
控訴しないのが妥当なんじゃないかな、と思う。

控訴か否かの決定は9日に出る。


追記 9日
控訴することにしたそうで、意外だった。
指定弁護士は有罪がとれる見込みがあると見たそうだが
共謀の客観面まで成立を認めておきながら主観面で罪の成立を否定するという、
いわばイレギュラーな解決方法をとった裁判所の判断をどうとらえたのだろうか。
気になるなあ。

追記 14日
裁判所認定事実からなら、
虚偽記載の共謀共同正犯は無理でも幇助犯は可能という見解を聞いたのでメモ。
その発想はなかったわ~。
 でも、幇助犯で指定弁護士は満足できるのかな?
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フロッピー前田(俺の中での呼び名)の上司の裁判の結果は楽しみにしていた。
・・・楽しみにしていた、つもりだったが、何か自分でも「あれっ?」ってほど事件の細部を覚えていないのだ。
これというのも震災のおかげだ。事件から裁判の間に地震が挟まってしまい、しかもさっきもまた揺れたからだ。

でも、朝日の社説「特捜部長有罪―検察の体質も裁かれた」はちょっとおかしいと思った。
証拠改ざんの疑惑が表面化する発端は、村木さんの初公判だった。問題の証拠が検察の主張と矛盾することを弁護側が指摘したのだ。
(中略)
改ざんがわかった時点で誠実に対応していれば、村木さんの無実はもっと早く証明されたはずだ。
 この事件を検証した最高検が、報告書で「引き返す勇気」の大切さを説いたのは、そうした反省からだった。

フロッピー前田が書き替えた件のFDは公判には出なかったはずだが…。

そこでFDの流れを調べてみた(意外にもWikiに載っていなかった)。
朝日の記事「FDに時限爆弾仕掛けた」 改ざん容疑の検事、同僚に
によると、こんな感じ。

1 FD押収
  この時点では、村木元局長が事件に関与しているという上村元係長の供述がとれていたので、データが供述と矛盾していても大したことないだろうと考えられている。
2 村木元局長の強制捜査着手。
3 FDの中味をプリント、捜査報告書に記載される。(改変前の事実記載)
4 上村元係長起訴。→中味はもうプリントしたんだから、FD返そうか(還付)という話になる。
  このときまでに上村元係長は供述を翻し単独犯だと主張している。(=FDの中味が検察にとって不利な証拠だとはっきりしてくる)
5 書き替える→返す。
6 弁護人、FDのデータを見て捜査報告書と異なることに驚き、単独犯を主張する上村被告にとって不利になる証拠ととらえて表に出さない。
  一方、捜査報告書(改変前の事実記載)が公判部に引き継がれ、公判で使われることになる。(「特捜」事件は起訴を境に捜査と公判を別の検察官が担当する)
7 第1回公判。捜査報告書の記載に基づき弁護側は反論する。→記載内容が論点となる。→捜査報告書の元になったFDも必要かもって公判担当検事は思う。
8 同僚がフロッピー前田にtel「何でFD返しちゃったんだよ!」→「書き替えちゃった」
9 公判担当検事、上司に言いつけるも何もなかったことにされる。
10 検察内部の誰かが朝日新聞にチクって大騒ぎに。


どうも社説を書いた人は、改変前のFDの内容が記載された捜査報告書と、FD自体を間違えたらしい(この2つはもちろん別個の証拠だ)。
だから
改ざんがわかった時点で誠実に対応していれば、村木さんの無実はもっと早く証明されたはずだ。

というのも、違う。

そもそも改ざんの発覚が村木さんの無罪判決後とかなり遅くなったのも、改ざんの発表が弁護士からではなかったのも、
公判でその証拠が使われず、結局裁判に影響を与えていないからだ。
最高検報告書の「引き返す勇気」とは、無実を早く証明すること、ではない。
自分の見立てが間違っていることを認めることだ。

なんというか、
 雰囲気的に検察組織全員を叩く感じにしておけば後はだいたいでいーんじゃないの?
というアバウトな姿勢が感じられる。
後半部分は良いことを書いている社説なのだが、前半のせいで信用性が落ちてしまう。
どうも残念な社説だ。


それにしても、FD書き換えの動機がイマイチ分からない。
フロッピー前田本人の有罪判決の判決文では

本件フロッピーディスクが検察官の立証を弾劾する証拠として公判に持ち出されて審理が紛糾することや,報告を怠っていたことについて上司から叱責を受けて信頼を失うことをおそれ,証拠開示の対象となる手持ち証拠から本件フロッピーディスクを排除すべく

と、なっているが、捜査報告書が出てしまっているんだからあまり理由にならない。
改ざんが意味を持つのは、
捜査報告書が公判に出ていなくて、かつ、上村元係長の気が変わって村木元局長との共犯だと主張を変えた場合。
であるが、その可能性は低い。

もちろん可能性が低いことは、フロッピー前田がしたことの悪質さを軽くはしないが、このシュールさが上司の無罪主張の実質的根拠になっている。
 そんなわけ分からんこと故意にやるなんて、思うわけないだろ!
  =犯人隠避罪の故意がない
ということだ。

今日は、ほんとはこのテーマについて記事書こうとしてたんだけど、
最高裁のHPにまだ判決文がうpされてないから、またあとで。


関連記事
 大阪地検特捜部証拠改ざん事件・前田さん編
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痴漢冤罪にあったら・実用(の可能性ありそう)編に追記した部分。

追記 2012.3.22
弁護士に聞く!痴漢を疑われた際の本当に正しい対処法

定期的にこーゆー記事って出るのかなー。
この手の記事の中には、やたら弁護士呼べ呼べいうのがあるけど、
弁護士が無料で書く記事は、所詮弁護士の宣伝て意味も混じってるってこと、
理解した上で読んでね。
 …いや、呼ぶなとは言わないけど、医者にかかっても手遅れな場合があるように、弁護士呼べばすべて解決って思わないでねってこと。

で、この記事の、
(1)服の上から触ったレベルの痴漢
のとこの
少なくとも現行犯逮捕はされません(刑訴法217条)。

の部分は、間違いだと指摘しておく。

刑訴法217条は一定の微罪(30万円(刑法、暴力行為等処罰に関する法律及び経済関係罰則の整備に関する法律の罪以外の罪については、当分の間、2万円))以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪の場合は原則として現行犯逮捕はできないと規定している。
(例外は「犯人の住居、氏名が明らかでなく、又は犯人が逃亡するおそれがある場合」)
服の上から触るレベルは、法律的にいうと迷惑防止条例違反。
条例だから地域によって内容が違うこともありうるが、痴漢行為が罰則にある場合は、
2万円以下の罰金、拘留又は科料などとという、やる気のない罰則はまずあり得ない。
ちゃんと知りたい人は、自分の住んでる地域の迷惑防止条例、又はそれっぽい名前の条例を調べてね。

ちなみに東京都は「六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金」(迷惑防止条例5条1項、8条1項2号)、携帯でパンツを写した場合は「一年以下の懲役又は百万円以下の罰金」(迷惑防止条例5条1項、8条2項)だよ。
これは、そこそこマジに重い罪。
触るより写メの方が罪が重いんだね。きっつい!
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朝日。

捜査中の警官による現行犯逮捕にもかかわらず、無罪になったのが珍しい。
警官の証言は仕事で見聞きしたことだから、という理由で信用性が高いのが普通であるが、
判決の「逮捕して引き返せなくなったと疑うこともできる」
という部分は新しく、また鋭い指摘。
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こういう身近な話題には、多くの人が意見やコメントを述べるものなんだけど、
まーーー、たたく奴が多いのに驚いた。
べつにChim↑Pomを擁護する気もないんだが、こう感情的なコメントが多いと、
いったい何が気に入らないんだろう?
と、気になる。

渋谷駅構内の岡本太郎「明日の神話」の横に、アート集団Chim↑Pomが福島第一原発事故の絵をくっつけて、1枚の絵のように見せかけたわけなんだが
くっつけた部分はすぐ剥がせるし、元の壁画に損傷はないから、そんな目くじら立てることもあるまいに、と、俺なんか思うのだが。

事実を誤認したコメントも多く見られ、これは、「いたずら」とか「落書き」と表現した見出しから、かってに岡本太郎の壁画の上に書き加えたと想像してコメントしたものと思われる。
どうもTwitterというものができてから、記事を読まずにする書き込みが増えたように思う。

で、このての落書き未満のコメントを除くと、主流の意見は、「モラルに反する」「芸術と言えば許されると思うな」というものだ。
いまどき「芸術と言えば許されると思っている芸術家」なぞいないし、万が一そういう60年代的な化石が生き残っていたとしても、毎度お騒がせ集団で有名なChim↑Pomがそんな甘いことは考えていないのは確かなのだが、世の人はことほど左様に「芸術家」が嫌いらしい。

もっとよくわかんないのが「モラルに反する」というやつで、どんな「モラル」に反しているのか、モラルの内容が書かれたものは見あたらないのである。

これを言うんだったら「法律に反している」という方がまだましで、
これであれば軽犯罪法1条33号のことだろうなー、と予想がつくからで、こーゆーとこが法律のありがたいところだと俺は思う。
ただしこの程度で起訴したとすれば、軽犯罪法4条に違反するおそれがあり、そっちの方がよっぽど問題なんだが。

法律はまだ内容がわかりやすいけど、「モラル」は内容がわかりにくいので、中身を書いてもらえない以上、こちらで考えるしかない。

まず少なくとも「公共物を傷つけてはいけない」というモラルには反していないことは確かだ。
つぎに、も少しハードル下げて、「みだりに他人の仕事を増やしてはいけない」というモラルはどうだろう。
付け加えた部分をひっぺがすのは大した手間でもないと思えるので、これもイマイチ説得力がない。
この件を取材しなければいけないマスコミの皆さんの仕事を増やしているのがいけない、とも、言いにくい。

とすると、「公共物に手を加えてはいけない」というモラルがあって、それに反しているのかも知れない。
うん、これはありそうだ。
公共物、たとえば信号機とか街灯とかの柱に、販促用に貰ったシールやステッカーなんぞをなんとなく貼り付けちゃうのと同じ、といえそうだ。
もしも街灯に販促用シールを貼り付けている奴がいたとして、とがめられたそいつが「芸術だ」とか主張しやがったら、がっぺむかつくよね。
感情的に嫌う人って、そういうイメージなのかも知れない。

でもさ、そうだとしたら、
そういう人たちって、岡本太郎の壁画「明日の神話」を街灯の柱と同じって考えてるってことだよね。
もし「芸術」に手が加えられたとしたら、問答無用に「公共物に手を加えてはいけない」って、言ったりはしない。
ときどき、道端や公園の裸の子供の彫刻に誰かが服を着せたものを見かけるけど、それは「公共物に手を加えてはいけない」モラルに反してるのかっていうと、意見は分かれそうな気がする。
そのコスプレ彫刻が「ありやなしや」という芸術判定が加わるからだ。
芸術判定がないからさらっとモラル違反を言えるんだと思う。

「モラルに反する」と主張する人たちのうち、どれほどが、肝心の絵を見ているのかわかんないけど、
絵を見ないで済むと思ってるのなら「モラルに反する」と主張する人たちの言いたいモラルって、
「公共の場にある芸術作品なぞに興味を持ってはいけない」というモラルなのかも知れない。

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後藤昌次郎弁護士が亡くなっていた。2月に。87歳で。
後藤弁護士っていえば、あれだ。
弁護士会でパーチィーなんぞがあると必ずやってきて、草笛を披露するじいさんだ。
そう、草笛。
あの、葉っぱを唇に押し当てて鳴らすアレ。
じいさんは草笛の名手として有名なのだ。
 「草笛の名手」って言われてもピンとこないが。
ともかく、
「では次は、後藤昌次郎先生による草笛です!」って、司会がいうの。
最長老の部類の後藤先生の草笛は東弁の恒例行事だから、もうみんな「草笛」には反応しない。
ふつーに、にこやかに拍手するのね。
そしたら、野分(のわけ)みたいなじいさんが、全体的にぷるぷるふるえながら、ゆっくりゆっくり出てきて、ゆっくりゆっくりポケットから葉っぱ取りだして、
で、吹きだすわけ。

いや、うまいんだろーけどさ、
草笛って、わびしー音色なんだよ。
うまけりゃうまいほど、わびさびの域にいくわけでさ。
会場がしーんとしてさ、
それからどこからか初秋の風が吹いてきてさ、
やがて天井から「ずーん」って効果線が降りてくるのね。

で、それに耐えてると、
気が済むまで吹いたじいさん、表情も変えずに、またゆっくりゆっくり退場するわけ。
いやもう、ただもんじゃないよね。
いろんなオーラがバリ3なんだけど。

で、そのじいさんが亡くなって、新聞に載っていた。

・・・松川事件、八海事件、青梅事件など著名な冤罪事件の弁護士で・・・

  え?まじ?

知らんかったわ・・・。
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