カテゴリ:エンタテイメントと法( 26 )

 

タイトル記載せず

「全裸」がマニュアルの4版を出した。
こーゆー、わかる人にしかわからない書き方をしたのには理由がある。


新版にはこーゆー、
どんな法的効果を争っているのか知りたい例文があったり
c0030037_2393397.jpg


ここにはのせないけど、訴状のサンプルで原告名がももクロだったり、
ちょっとした小ネタが入っていて面白かったので、
(でも基本的には安部公房ネタ)
ネットに載せたいなって思ったんだけど、
全裸のTwitterには、この件に関して言及されてるtweetが次から次へとリトゥイートされていて、
どうも、宣伝効果を狙って仕掛けたっぽいので、
なるべく奴さんに見つからないように
検索で引っかからないように注意しながら、記事書いてみました。
わざわざ画像で例文紹介したのもそのためです。

ちなみに最近の法律書では、書式サンプルの名前欄でお遊びするのは珍しくない。
4版でももクロってことは、ももクロがおわコンになった頃には5版を出して、そこではまた別の名前を使うつもりなんだろうなって思う。
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by k_penguin | 2014-02-27 23:13 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(1)  

東京都マンガ規制条例の悪いとこ

今回は、改正された東京都青少年保護条例の条文をちょこっとだけ読む。
まあもう決まっちゃったことだし基本的に俺はかんけーないから、条例に賛成しようと反対しようと、ご自由にどうぞっていうのが俺の考えなんだけど、
某所で話していて、ぶっちゃけ賛成派も反対派も、条文読まないで議論している奴が多いってことに気がついたのだ。まあ、俺も含めてなんだけど。
おかげでいろいろ話がずれたり、誤解が出たり、またそれを煽ったりする奴が出るわけで、
そこでここらで1つ、条例の条文を読んでもいいじゃないか、と思ったわけだ。

・東京都青少年の健全な育成に関する条例(全文) 平成23年7月1日施行時点(pdf)

この条例には、大きく言って、2つの販売規制方法が定められている。
2つは違う制度であり、問題点も別なところにあるので、分けて考えなくてはいけない。
ところがこの2つをごっちゃにしている人がべらぼーに多いのだ。

法律的に有名なのは「有害図書指定制度」というやつだ。
検閲に当たるんじゃないかとか、行政権の濫用があるんじゃないか、とか言われる一部で悪名高いやつだ。(でもほとんどの地方自治体が採用してる)
都条例では8条以降に「指定図書」として規定されている。
指定図書というのは個別に認定されるもので、認定するのは行政、これに指定されると、青少年に売っちゃダメになり、ちゃんと客の顔見て売れだの自販機に入れるなだの、いろいろ言われ、違反には罰則もつく、という、きっついことになる。
俺はみんなが問題にしているのは当然こちらだと思っていた。

ところが
一般的にネットで「しずかちゃんの入浴云々」「ぱふぱふ」とぶーたれられているものが、「指定図書」にあたるわけはないのだ。
条文を見てみよう。
第8条(不健全な図書類等の指定)知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。
一 (略)
二(略)その内容が、第7条第2号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの

(第7条第2号
漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの)

8条は、7条に比べ、さらに「強姦等の著しく社会規範に反する」という要件が加わっている。指定制度がきっついものだから、要件を厳格にしたのだ。
さすがに「しずかちゃんの入浴を覗くのびた」がこれにあたると騒ぐ奴はいないだろう。
とすると、みんなが問題にしているのは指定図書制度ではない、と言うことになる。

指定図書制度じゃない方の制度は、7条の区分陳列だ。いわゆる「成人コーナー」の設置で、こちらはゾーンニングと呼ばれる規制方法だ。

第7条(図書類等の販売等及び興行の自主規制)
図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者(略)は、図書類(略)の内容が、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類(略)を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない
一 (略)
二漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

こちらの要件なら、まだ「ぱふぱふ」なんかはありえそうだ。
いや、正直俺には「ぱふぱふ」が児童買春を「不当に賛美し又は誇張」してるとはとても思えんのだが、なぜか「曖昧な表現」だからという理由でこの要件を脳内削除して適用する人が多いので、一応そっちに従っておく。
それでも「性交若しくは性交類似行為」ではない「しずかちゃんの入浴のぞき」は確実にあり得ない。

ところで、区分陳列は規制は規制でも、自主規制だ。
「努めなければならない。」と、なってることから分かるように、この規定は「青少年に売らないように前向きに頑張ろうね」と努力目標を言っているにすぎない。指定図書制度と違って罰則もない。ゆるいのだ。
自主規制である区分陳列は、指定図書制度に比べ表現の自由に対する制約ははるかに少ない。つか、「自主規制」という建前がちゃんと守られている限り問題はない。

そして、前向きに頑張る主体は出版社や本屋さん達であって、行政ではない。
つまり、規制対象になるかどうかを判断するのは、行政ではなく、本屋さん達なのだ。ここも指定図書制度と違うところだ。
だから、区分陳列に対して「行政の濫用がある」というのは基本的に間違っている。
そもそも行政が判断しないからだ。

区分陳列は柔軟性のある規制方法だと思うが、ファジーな分だけ運用のあり方に実態が左右されるという気がする。
やりようによっては規制がないも同然になるし、逆に行政指導のあり方によっては指定図書制度と変わらなくなってしまう危険もあろう。


 と、まあ、以上のように、指定図書制度と区分陳列とは分けて論じなくてはならないし、
区分陳列の要件で指定図書にされると思うような誤解は絶対に避けなくてはいけない。
しかし、これを混同してる人が多い。
単なる不勉強かと思っていたが、
ところがなんと、
都のパンフレットまでが区分陳列の話と指定図書の話を混ぜてしまっている。(Q&AのQ6だけが指定図書制度、それ以外は区分陳列を前提として答えている)
また、平成二十二年第四回都議会定例会本会議での質疑でも、指定図書制度についての判例である「岐阜県の同種条例に係る最高裁判決」を区分陳列の合憲判例としてあげてしまっているうえに、指定図書の指定の際の要件のはずである「青少年健全育成審議会への諮問」もあげている。(A4参照)。

どうも、担当者も2つの制度をごっちゃにしてるっぽい・・・。
(そして質問者もそれで引き下がってるし^-^;)
8条の指定図書は当然7条にも当たるため、指定図書については区分陳列と指定図書制度がダブルで適用されている。
ここから都の担当者が2つの制度を混同したらしいが、
これではみんなが混乱しても仕方がない。
都の連中は大した規制じゃない風なこと言いながら実はきつい販売規制をかけようとしている、と思われて、
大騒ぎにもなろうというものだ。
これは東京都の条例が悪いのではない、都の周知徹底の方法が悪いのだ。
これにはさすがに俺も呆れた。


俺としては今回の改正に「特に反対はしない」という程度の意見しか持たない。
反対を主張して次につなげるもよし、賛成してさらに厳しい規制を求めるもよし、好きにやってくれ。
ただ、当の条例を毛嫌いするだけで正しく理解しないで議論をして、ネットで無駄に不安を煽られ、それを「萎縮効果」と間違えてますます条例が嫌になる、そーゆーデフレスパイラルはやめて欲しい。

そして、条例の担当者は、区分陳列と指定図書制度の分別を徹底しろ。


追記メモ
アニマゲ丼 8月29日 都庁の人に聞いてきた 
新条例に対する、中立かつ実用的なアプローチ。
都庁の中の人の返事も、行政のものとして模範的と言える。
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by k_penguin | 2011-02-16 12:28 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(0)  

東京都青少年育成条例(漫画条例)収まるとこに収まる

前回否決されたときにちょっと記事を書いたので、一応フォローする。
が、もうあまり興味はない。
何か規制はしなくてはいけないらしい現状ではあるし、今回の条例改正の実態は既に運用上なされていることの条文化に近い。
前回否決されたとき、まあ、細かいとこ変えて、もう1度改正案出せば通るなって予想したのだが、予想の範囲内になった。
萎縮効果に対しては、運用の抑制の付帯決議がされてるし、
まあ、議会としては出来ることはしたなって感じ。

出版社はかなりの抗議の意を示していて、主な出版社は東京都主催のアニメフェアの不参加を決めている。
東京国際アニメフェアは結構でかいビジネスチャンスなので、このボイコットは東京都にも出版社にもそこそこのダメージだ。
これだけ出版社が怒ってしまったのは、はっきり言って、
石原都知事の態度が悪すぎるためであろう。
条例そのものに真剣に反対しているのであれば、条例採決前からボイコットを予告するはずだ。
つまり、条例そのものではなく、石原都知事個人に対するボイコットととらえていい。

最大の理由は、改正案作りに出版社を参加させなかったことらしい。
確かに改正案作りに出版社を参加させても、議案作りが揉めて長引くだけで、できあがる改正案の内容は変わらないと思う。
最早誰かが規制をしなければならない状況になっているのに、
出版社は文句を言うだけで、自分達で真剣に自主規制をする気はないからだ。
業界がやらないなら、行政がやるしかない。だったら文句を言うだけのやつは邪魔なだけだから、最初から排除する。
まあ、リクツから言えばそうだけど、そこは顔立ててやらないと、後々大変なのに。

都知事ももっと現場の苦労を思いやればいいのにと思う。
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by k_penguin | 2010-12-25 23:24 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(0)  

『黒執事』の作者のブログを読む

うちのブログは小林賢太郎をよくあつかうのだが、小林さんのファンで『黒執事』を見る人が多いような気がしている。
そういう理由で『黒執事』はちょっとだけ興味を持っていた。
「ちょっとだけ」というのは、
本屋で1度手にとって表紙だけ見てまた置く、とか、
寝付けない夜にたまたまTVでやっていたので1話だけ見る、とか、
見たはいいが設定が全く分からず、「ぼっちゃん」と「執事」の関係もわからないので、行きつけの美容室の女性美容師に尋ねて
「さあ?私もタイトルしか知りませんねえ。」とあしらわれる、とか、
その程度だ。

そんなわけで、マンガやアニメを正規のルート以外で入手・閲覧し、そのことを悪びれもせずにファンレターに書く一部のファンに対し、『黒執事』の作者が苦言を呈しているというニュースを読んで
せっかくの縁だからと俺は本人のブログまで行って読んできた。
黒地に白字ですごく読みにくかったので、メモ帳にコピペして読んだ。

内容は、ニュース記事から期待したほどではなく、ニュース記事のほうがましだと思った。
しょっぱなの
アニメ黒執事、およびアニメ黒執事Ⅱの公式配信動画サイト以外での動画サイトによる閲覧は法律で禁止されています。

から、間違っていることで俺は引いてしまった。
改正された著作権法で違法とされたのは「ダウンロード」であって、閲覧そのものではない。

そして、DLも罰則はないので、刑事手続きにのる「犯罪」ではないから、
それは紛れもなく犯罪です。

万引きや無銭飲食と一緒です。

という部分も間違いである。

ロイヤリティで食べている人にしてはお粗末な認識だ、
というのが正直な感想だが、しかしまあ実際はこんなもんだろう。

ただ、ロイヤリティで食べている人の危機感は良く出ていて、その正直さには好感を持った。
その好感が、何かに似ている、と考えて思い出した。
後から出る若い子に追いつかれることに怯えて、つい番組で変な方向にがんばりすぎてしまい、好感度が下がりそうになる悩みを「ロンドンハーツ」で正直に有吉先生に語った上原美優に対して感じた好感と似ていたのだ。


本来作品を好きでいてくれるだけで作者はファンと認めるもので、
その出自が違法コピー品であるか否かは問題とはしないはずだ。
それが建前。
無邪気なファンレターで作者の神経を逆撫でしてくれる人達は、その建前を信じている。

しかし現実は
漫画やアニメを見て楽しむ権利は誰にでもあります。

が、それを作っている我々も人間なので何も食べないで生きていけるわけありません。

食べるためには「お金」が必要です。当然ですよね。

というわけだ。
これを現実からかけ離れた世界を描いている漫画家さんが言ってしまうあたりが面白いわけだが、
ある程度歳を重ねると、見る側もそのあたりは当然心得るようになる。

TVですませるもの、レンタルですませるもの、ソフトを買うもの、グッズまで買ってもいいと思うもの、と、自然にランク分けされる。
つまり、作品への投資というニュアンスも込められてくるのだ。
投資者という立場から見れば、自分の投資がどのように使われるのか知りたくなってくるが、その要望には十分には応えられていない。
ワタシたちは皆さんの娯楽を仕事として制作し、その対価として皆さんから有料動画の視聴料だったり、DVDやグッズ、単行本の代金を支払って頂いてその中からお給料を頂いて生活しているわけです。

民放のTVは無料で見られるが、それは良くて、見逃した回をYouTubeで見るにはなぜいけないのだろう?視聴率とやらが関係するのなら、視聴率を測定する機械が入っているテレビだけが問題なのではなかろうか?
レンタルの回数と作者の収入には関係があるのだろうか?レンタル用ソフトは買い取りなのか、ロイヤリティ制なのか。
作者のいう「お給料」の中には、雑誌掲載文に誤植をする編集の「お給料」も含まれると思うのだが、それについてはお咎めなしなのだろうか?ペナルティとして減額してその分アシスタントに回しても良さそうな気もするが。

俺としては、そのくらいまで答えて欲しかったんだけど・・・
 ま、無理だよね。
大人だからこそ無理って感じもするし。
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by k_penguin | 2010-08-19 00:05 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(0)  

マンガ表現の規制をめぐって考えていること

「「非実在青少年」反対論につっこむ」についたヒポポさんのコメント
>管理人さんはこの条例が抱える大きな問題は何だとお考えでしょうか?
 のレスを書いていたら長くなったので、独立の記事にしました。


ワタシ的には、条例の問題点は、
マンガの良し悪しを決める能力がお役所には多分無い。
という点だけかな、と。

ヒポポさんの今までのコメントから考えるに、多分
「ポルノ規制と青少年の犯罪抑止は関係ない」「規定の意味が曖昧」「行政は信用できない」の3つが一般に「問題」ととらえられているようですね。
そしてそれらの問題は、別に今回の改正で新しく発生した問題ではなく、有害図書規制自体に含まれている問題であることは指摘しました。

ところで、東京都の青少年保護条例が制定されたのは昭和三九年です。
かなり昔ですね。
そんな昔から今まで大した文句も出ないでやってきていたわけです。

正確に言えば、条例は今まで何度も改正されていて、少しずつ締め付けが厳しくなっていました。法の隙間をくぐり抜けるエロ本業者が後を絶たないためです。
締め付けが厳しくなる度に、表現の自由との関係で文句は出ていました。有害図書指定制度の話は、憲法の本の表現の自由のところに必ず載っています。
しかし一般からは文句は出てこなかった。
つまり、有害図書指定自体はもう社会に受け入れられているのです。


その状態で今さら急に「実は犯罪と関係ないんです。とっくに統計が出ています。」
といわれても、「なぜもっと早く言わなかったの?」と怪訝に思われるだけです。
ポルノ規制と青少年の犯罪抑止は関係ある、ということを前提として今までずっとやってきて、それでまあまあうまくいっているからです。

「行政は信用できない」も同じです。
東京都側としては、これだけ長い間有害図書の指定をお任せされてきているのだから、自分たちは住民に信用されているのだろうと考えます。
実際は単に無関心であっただけとしても、結果的にみんなは行政を信用してきたのです。

そして、「規定の意味が曖昧」ですが、
長年の運用の間に、「有害図書」ばどんなものを指すのかが大体固まってきました。
「有害図書」という言葉には漫画的表現を除くという意味は全く読み取れないのに、漫画的表現が除かれてきたのもその1つです。
言葉には明記されない「お約束」が形成されてきていたのです。
だから事実上、まるっきり不明確な文言というわけではないのです。


以上の現実の下で、「ポルノ規制と青少年の犯罪抑止は関係ない」「規定の意味が曖昧」「行政は信用できない」をただそのまま連呼しても、
今までそれでずっとやってきていた現実を知らないで、非現実的な理想だけ主張する人だな、
と、思われるだけだと私は思います。

・・・あ、左翼の人は違いますよ。
あの方々は、現実を知ってて言っています。
自分の陣営に人を呼び込むために言っていることなので、現実と多少ずれていても耳に心地よい理想を主張します。
昔から一貫して反対してきているので、理論的には一貫してますし、まあ、それはそれでいーんじゃないかってワタシは思います。
ただ、彼らの話を聞くに当たっては、現実とずれているってことを知っておいた方が良いと思いますが。


一方、私個人の考える問題点、
「マンガの良し悪しを決める能力がお役所には多分無い。」
というのは、日本漫画家協会の言い分と大体同じです。
行政を信用しないわけではないが、そもそも仕分ける能力がないからちゃんと出来ないんじゃないの。
行政が今まであえてマンガ的表現に手を出さなかったのは、多分、ちゃんと仕分ける自信が無かったからだと思うし。

日本漫画家協会の意見は
規制されるべきポルノマンガ等の表現もある。しかし、何を規制すべきかはお役所ではなく、自主規制で決めるべきだ。
という意見で、
表現の自由と現実のすりあわせとしてはそれが一番妥当なのではないかと私は思っています。

ただ、弱点は、その、自主規制とやらがどれだけ現実に効果があるのかがわからないことです。
いわば、子供が親に
「自分で勉強するから家庭教師つけないで!」と言っているような感じですね。
親に信用してもらうには、多少は勉強する必要があると思います。いずれ成績通知は来ますし。
コミケとか、大きな団体はその辺良く理解していて、自主規制をしているし、していることをアピールもしています(勉強してるというアピールは大切ですね)。

しかし、それらの団体を支えているはずの個人がここで
「テストで人間は向上しない!勉強で俺を縛るのは人権侵害だ!」と大騒ぎするのは
どうでしょうか。
まあ、確かにテストで人間は向上しないかもしれないし、頭下げるよりもそーゆーこと言う方がかっこいいんですが、

・・・この状況で言うことではない。
と、私は思うのです。

マンガ表現の規制をめぐってワタシが考えていることは、
ざっとこんな感じです。
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by k_penguin | 2010-06-15 22:20 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(11)  

「非実在青少年」反対論につっこむ

東京都の、非実在なんちゃらの条例は反対論が盛り上がったおかげで今回は否決される見通しなので、今さらこーゆー記事書いてもアクセスは見込めないだろうなあ。
なんて思ったが、つぶろぐの方でいくらかやりとりをしたおかげで「非実在青少年」条項に対する反対論についてのツッコミがおおざっぱにまとまった。

最初に言っておくが、別に俺は賛成派でもないし、反対派でもない。前にも書いたけど。
現実に通用しそうな制約案が自主規制として出ればそれに乗っかって反対したいが、反対派の多くがそんなこと考えていなくて、「今までと同じでいいじゃん」とか言ってる現状では反対案はとれないので、次回の規制案に乗るしかないかなー、
なんて考えている。
それじゃ、つっこみ。


1 「萎縮効果」と行政の濫用の危険の混同

「萎縮効果」(chilling effect)とは、刑罰や規制を定める法令の文言が不明確であったり過度に広汎であるため、その法令の適用を恐れて、本来自由に行いうる表現や行為が差し控えられることである。
表現の自由は性質上萎縮効果を受けやすい権利といわれている。
つまり、萎縮効果は、規制法令の存在それ自体から生じるものである。

これに対して、行政の濫用の危険はその名の通り、行政権が行使されるときに初めて起きることである。この点で萎縮効果と違う。
法令の文言が不明確・広汎であることは濫用の危険の1つのきっかけではあるが、それ以上に、「政治的意図があるとき」が専用の大きな動機になることは言うまでもない。
そして行政権の「政治的意図」の標的となる表現とは、まず「政治的表現」であって、性表現は考えにくい。


行政の濫用の危険と「萎縮効果」の混同は、いわゆる人権派の論陣で良く行われる。
意図的なのかもしれないし、単にその辺がずぼらなのかもしれない。
なんにせよ、常に公権力が悪いことをしていることにしておきたい方々がよく行う。

以下は
日本漫画家協会が発表した、東京都青少年健全育成条例改正案に反対する声明の第3節である。
 青少年を健全に育成することは万人が望むところであり、当協会も切にそれを願うものであるが、このたびの改正案による基準では、本来一般書として販売されるべき作品にまで規制が及びかねない表記となっており、創作者の立場からは到底容認出来ない。

ここでは青少年の健全な育成という目的には賛成していること、そして、「萎縮効果」の危険が指摘されている。
次の節では
 新たな規制対象作品を、これまで以上に第三者による判断によって生みだすことは、どれほどの手続き、公平さを持ってしても、結局その判断は主観的にならざるをえず、適用される側の過剰な自制が働く結果として表現規制につながってしまう。

要するに「お役所じゃ良い物と悪い物の区別ができない」と言っているのであるが、行政権の濫用とは繋がらない言い方をしていることに注意して欲しい。
安易に行政権の濫用を言うことは左翼色が出るので、論陣として適切ではないのだ。

単にマンガ文化を守りたいだけと思われる人が、行政の悪だくみに使われる的なことを平気で言ってるのを見ると、
なんか、「だまされてんなー」って感じがする。


2 青少年保護条例の趣旨と児童ポルノ法の趣旨の混同

青少年保護条例は、その名の通り、「青少年」の保護が第一目的であって、「児童」の保護は間接的なものに過ぎない。
少し考えてみれば分かるが、「児童」を本当に保護したいのであればポルノ規制の対象を青少年に限っては効果がない。問題行為をするのはむしろ大人だから。
「児童」の保護が第1次的なものであれば、「非実在」の児童ポルノを規制することは関連性が薄く、間違っているが、そうではなくて、
(自律の能力が低く、安易に模倣するとされる)「青少年」が児童に対する性犯罪というより悪質な犯罪に走ることの防止と解すれば、「非実在」の児童ポルノ規制も関連性が薄いとは言えず、間違っていない。

この辺の混同は、もしかしてアグネスおばちゃんのせいかもしれないね。

 
3 ポルノ規制により、逆に犯罪に走る者がいるという指摘
 
ポルノ規制は、児童性愛の傾向を持つ者の治療が目的ではない。
治療方法は法律が決めることではない。
青少年保護条例の目的は、代替物を使って欲望を発散して行動を抑制する能力が低い(と考えられる)「青少年」が行動を起こさないようにすることである。
ポルノ規制により、逆に犯罪に走る者がいたとしても、その数が規制により犯罪を起こすことを止めた者の数より少なければ法の目的は達成できている。
つまり、反論するならば、
ポルノ規制により、逆に犯罪に走る者の数の方が多い、というデータを示さなければならない。

ただし、規制により犯罪を起こすことを止めた者の数の方が多い、というデータもまた無い。
つまりこの点については水掛け論になる。

規制しても児童に対する性犯罪が減るという確たるデータもないのになぜ規制するか、というと、
・・・何もしないよりはまし、と考える者が多いからである。



そしてこれらの問題以前の根本的な問題だが、
児童ポルノ法にせよ、「非実在青少年」条項にせよ、全く何もないところから湧き出てきたわけではない。
児童を対象とするポルノを規制せよ、という声があって、それにこたえる形で出てきたものだ。
「非実在青少年」条項に反対するのであれば、その規制の要求にどう答えるか、というところまで論じなければ実際に使える反対説とはならない。
児童ポルノを規制するとしても、行政によるものではなく、今まで通り自主規制にするべきだ、というものでも良いし、
児童の性を保護するためには漫画やアニメの児童ポルノを規制する必要はない、別の手段の方が効果的だ、というものでも良い。

 それで相手を説得できさえすればね。

ここで、「相手」というのは、EUなどの外国だ。
学校から出てきた小学生が1人で道を歩いていたら、すぐさま警察に保護され、親は保護義務違反で警察に呼びつけられる、というお国柄(フランス)の国を含むあちらさんは、
日本の「HENTAI」アニメやゲームの流入に大変お困りのご様子なのだ。
そんな方々が「今まで通りで良いんだYO!おいらはそれでうまくやってるぜ!」なんて理屈で納得してくれるとは思えないのだが。

「反対説」は、都条例の「非実在青少年」条項に文句を言う、という点だけがはっきりしているが、条例のどの点について反対であるかもはっきりしないものが多く、
それに加えて、国際社会からのクレームに対処することまで考えている者は皆無といって良い。せいぜい「陰謀論」を言うだけだ。

自分の好きなものを守りたいのであれば、ただやみくもに反対を言うのではなく、現実を視野に入れて論じなければならないと思う。
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by k_penguin | 2010-06-01 23:26 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(38)  

『非実在青少年』都条例改正案に反対しない理由

東京都が青少年保護条例を改正しようとしていて、で、改正案は今まで一般に青少年保護条例の有害図書とされてきていなかったアニメ・マンガ系のエロを取り込むことを目的としている。

これについてはネットの一部では反対運動が盛り上がっているらしいので、うちも何か書いておこうと思ったのだが、実はなかなか態度を決めかねているうちに、時間がたってしまった。
ちなみに俺の周辺の余りネットを見ない人達の間では、こんな話知らないか、知っても、規制に賛成する意見が多い。
それも当たり前で、青少年保護条例は18歳未満に対する販売を制限するだけなので、「表現の受け手である大人」にとっては基本的に迷惑にならないものであり、むしろ子供を持つ親の立場としては規制に賛成する気分になる。
この条例で迷惑を被るのは、「表現の受け手である子供」と「表現の送り手(大人子供問わず)」だ。
当ブログで多少「表現を送る」ことについても扱っている関係上、俺としては「表現の送り手」側のこともどうしても考えてしまい、それで改正に両手を挙げて賛成、という感じでもないわけだが、じゃあ反対なのか、というと、どーもそーゆー気にもなれないのだ。


理由としては、何よりも、ネットにあふれる反対論のほとんどがまともに論点に到達しないままにただ反対し、不安を煽るだけの風評を流しているということがある。
今までに見つけたまともな反対論は、竹宮恵子らのものだけと言って良い。
そして、まともな反対派は、エロ漫画を野放しにしてはいけないということは認めている。
制限されるべきエロ表現というものは現実に存在するのだ。
これは議論の前提事実であり、これを否定する主張はすべて議論の土俵にのらない茶飲み話に過ぎない。

問題は、誰がそのような悪いエロ表現を規制するのか、ということで、それはいままで、漫画的表現については、主に自主規制に委ねられていたのだ。
刑法の「わいせつな・・・図画」や、青少年保護条例の「有害図書」も、別にその言葉自体は別に漫画的表現を除外するものではないので、マンガも入る余地はある。
現に刑法のわいせつ図画頒布罪で有罪になったマンガもあるし、最近大阪府はボーイズラブもののマンガの一部を有害図書指定したらしい。
つまり、やろうと思えば条例を改正なんかしなくても規制できたと言うことで、漫画的表現が主に自主規制に委ねられていたのは、暗黙の了解に基づく住み分けだっにすぎないのだ。
そして、今回東京都が条例改正という形で漫画的表現を規制しようとしたのは、突然有害図書指定したのでは不親切だから「この住み分けを崩しますよ」という事前の告知をしておいた方がいいだろうと思ったからなのだ。

今回の大阪府の有害図書指定は、この意味で東京都なんかよりもずっと問題がある(大方、反対派がうるさくて条例改正が面倒くさくなったんだろうけど)。
この件で“801ちゃん”が記したメッセージ中に「今回は本当に唐突に、奪われました。とても許しがたい事だと思っています。」という文章がある。
この「唐突でない」場合とは、事前告知がある場合であり、それには条例改正も含まれる、ということに気がついた人はどれほどいるであろうか(801ちゃん自身そういう意味で書いたのではない感じがするし)。

大阪方面に話がずれてしまった。
えーと、いままで自主規制に委ねられていたものを変えて、公権力による規制にしよう、という話が出だして、それで条例改正の話が出た、というとこまでだったな。

今まで自主規制にしていたものをなぜ変えようという話が出たのか。
それは自主規制では悪いエロ表現が規制できていない、という声が上がるようになったからだ。
表現者には任せられない。だから公権力にやってもらおう。
というわけだ。
つまり、今回の改正案の背景には、今までやるべきことを怠ってきたツケが回ってきたという面があるのだ。

そこを今まで通り自主規制のままにしよう、と主張したいのであれば、
自主規制でもちゃんと悪いエロ表現を規制できる、社会の納得がいくような規制をしていく、という決意が必要となる。
権利には義務がともなう。それは表現の自由も例外ではない。
権利を守るためには、相応の社会的責任を果たさなければならない。
その意識がまるでないままに、「権利を守る」という言葉を「ネットで不安を煽り攻撃する」という意味にはき違えている反対派のなんと多いことか。
その責任感の無さが嫌。
反対派の主張を聞けば聞くほど、これでは自主規制にしておけないという気がしてくる。
公権力規制になるのも時間の問題、という感じがする。


じゃあ、改正賛成なのか?というと、そうでもないんだよね。
だって、所詮お役所にエロ表現の良し悪しなんて分かるわけないもん。
お役所だってそれを自覚しているから、写真表現というまだ客観的に判定しやすそうな分野しか仕切ってなかったんだから(それだって本当は問題あるんだからな)。
なんだか子供を直接叱れない親が、自分でやるべき躾けをお上に押しつけてるって感じもするしなー・・・。

・・・と、ゆーわけで、どーにもね。
態度を決められないので、そのまま記事にしてしまったわけですよ。
ええ。

追記メモ
つぶろぐでのやりとり
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by k_penguin | 2010-05-02 01:23 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(2)  

吉本興業の企業再編はノープランか

吉本のTOBについてはそれなりに興味は持っていた。
で、もってはいたけど、記事書かないまま夏が終わり、秋がやってきて、もう冬の気配がし始め、少数個人株主が裁判所に差し止め請求は出しているが、TOB自体は大成功してしまった。
何で記事書かなかったかというと、今回の企業再編の具体的な意図がよくわからなかったからだ。

今までの大株主に加え、民放各社と電通、ソフトバンクをいれた株主を加えようというプランを聞いたときは、あーあれだな、コンテンツビジネスって奴に力を入れたいんだろうなって思った。
ほら、なんかそーゆーふいんきあるでしょ。
お笑いって、昔は演芸場で見るもので、それからテレビで見るものになって、それにあわせて芸の方もスタンドマイク1本の漫才から、セットもあるコントとかが主流になってきて、
で、今はテレビだけじゃなくてケータイとかパソコンとかでも見せたがっていて、スタジオでの収録にこだわらない、映像製作って感じになってきてる(吉本は映画製作にも気がある感じだし)。
お笑いというお仕事の質が急激に変わりつつあるんだよね。
テレビの方だって、スポンサーが付きにくい状態になっていて、新しい商売の仕方を模索している。
そんなときにお笑いっていう即戦力あるコンテンツを作る吉本に、一口乗らないかと言われたら、そりゃ乗るよね。ふつー。

で、まあ、漠然とそういうふいんきだとして、そこから後、どういう戦略を練ってコンテンツビジネスを具体化させていくのか、ということが知りたかったんだけど、そーゆーことに関する情報が見つからない。
企業秘密で伏せている・・・って感じでもないみたいなんだよね。だって主な民放が全部関わっているんだもの。秘密にすることもないはずだよね。
むしろ、特に考えていないのではないかって感じ。
それよりもむしろ、コンテンツビジネス名目で、今まで吉本の内部でごちゃごちゃ言うめんどくさい少数株主を切って、非上場化して嫌いな奴を遠ざけたいだけなのかも知れないという気もする。

この「めんどくさい少数株主」って、多分差し止め請求出した人たちとほとんど同じなんだろうけど、何%株をもっているのかはよくわからない。TOBで88.52%買い取ったのだから、訴訟を起こした人あわせて10%いくかどうかだと思うのだが、まあ、3%を超えれば、そこそこの少数株主権も行使できるので、「めんどくさい」と会社から評価できる少数株主にになれるはずだ。
この少数株主達は、今回の再編の過程で強制的に株を買い取られる予定だそうだ。

・・・ちょっと横道にそれるが、少数株主から強制的に株が買い取られるまでの手続。
俺としては、
今回のTOBでクオンタム・エンターテイメント(新生吉本と同じ株主構成)は吉本の株を3分の2を超える数獲得する。
 →吉本の株主総会で、吉本のすべての普通株式を全部取得事項付株式(会社が自分の判断で買い取れる株式)に転換(3分の2の特別決議)
 →即、会社がお買いあげ。クオンタムに渡すか消却するかする。
 →吉本、クオンタムの完全子会社に。
という流れだと思ったのだが、読売新聞の図だと、クオンタムが強制買い取りをする
と読める。
いくら大株主とはいえ、少数株主の株を強制的に買い取れるというのはおかしいと思う。図が間違っているんじゃ・・・。

まーいーや。どっちにしろ、TOB価格が適正であれば、差し止めは出来ないだろう。
ついでにクオンタムと吉本の吸収合併で、消滅する会社は吉本だけど、残るクオンタムが会社の名前変えて「吉本興業」になるのね。

えーと、とにかく吉本が株主構成を変えて、非上場化して(さすがに非公開にはしない)揉め事の元を一掃したつもりになったとしたら、それはちょっと違うんじゃないかと思う。
民放のライバルが全部株主に入っているし、創業家株主の大成建設も地位は後退したとはいえ、まだ大株主だ。
どーも、既に体内に揉め事ウィルスが入り込んだ状態で、無菌室に入っただけなのでは、という気もする。
これからの内部統制をしっかりやらなければ、今まで以上の悶着が起こりかねないと思う。
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by k_penguin | 2009-10-31 15:13 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(8)  

顔写真素材集とトラブル回避

<顔写真>東京の業者が無断で広告に CD販売、回収不能

一般の人たちが手軽にネットに写真や自作なんかを発表するこのご時世においては、素材集を使う側としても他人事ではないし、
また、顔写真でなくとも、自作のCGや文章なんかが、改変された上に勝手に他人に使われる、というケースに置き換えれば、素材として扱われる側としても他人事ではない。
それなのにこの分野はまだ新しく、無法地帯で使う側も使われる側も自衛するしかないのが現状だ。
この記事のようなトラブルは起きるべくして起こったものといえよう。

ざっとネットを見た感じ、
目先の謝礼につられて顔写真を撮らせた方が悪いよ派
と、CD屋(マイザ)が悪いよ派
に別れている感じで、
使用規約に反してCDを使う方が悪いよ派は見あたらなかった。
ネットには、素材集を使う人も多いので、使用者寄りの意見が多いようだ。
 ところで、素材集の使用規約を読んでいる人ってどれくらいいるだろう?
俺的には、少なくとも、プロもしくはプロを目指しているのなら読んで欲しい(規約に従う気がないとしても)と思うのだが。

そんな分が悪いCD屋マイザの社長ブログが意外とエキブロにあった。
さすが、素材ビジネスの最前線。一般の人の顔だけでなく、建物の外観写真などをめぐるトラブルがてんこ盛りだ。
パリのエッフェル塔は夜景に限って写真の使用許諾が必要というのは面白かった。
そういう法律が制定されたのかそういう判決がフランスで出たのかで法的根拠が異なるが、
エッフェル塔が事実上フランスのシンボルであることからイメージ管理が必要であると言うことと、使用の自由を利益考量した苦心の跡が感じられる。

で、『百人の顔』についての記事も見つけた。
多くのトラブルを経た社長は、
結局は、どのような使い方をされても構わないと納得してくれる人だけをモデルにすれば良いのだと。

という結論に至り、今発売されているCDはその方針でやっているそうだ。

まだ規範が成立するほど成熟していない分野では「契約」だけが唯一の法的なよりどころとなる。だから使用規約を入れる。
しかし、製品に書かれている使用規約が果たして法的に「契約」といえるのかすら怪しいのだ。
そして事実上も使用規約をみんな読まないし、それが普通であるという認識が一般である。
つまり、使用規約もあてにはできないのだ。
結局は「どのような使い方をされても構わないと納得してくれる人だけをモデルに」するのが唯一の結論だろうと思う。
無法地帯での自衛とは、そーゆーことだ。

ま、それでもトラブルは起こると思うけどね。
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by k_penguin | 2009-01-06 20:51 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(4)  

ガッシュ訴訟・和解は事実上の勝利か

ガッシュ訴訟が和解しましたが、既に6月に小学館が原稿紛失を認めた形で和解にはいる、というニュースが出ていたためか、あまりネットではふるわない。
実際、ネットの大勢は以前の話とほぼ同じものとして扱っていた。
それというのも記事中の「小学館が謝罪」という言葉によって、小学館が敗訴したようなイメージになっているためだ。
雷句先生の一方的勝利と考えている人もいた。

でも、これは「一方的勝利」と評価するほど勝利していないと思う。
今回は、この前偶然見つけた原告代理人のブログ記事の情報を元に、和解案について考えたことなぞ。

この事件は、漫画家個人が出版社を相手にするというなかなか華があるもので、注目も多かった。しかも、原稿をなくしたのは確実に小学館という点でスタートから漫画家側が有利な立場にあるものだ。
巨象を相手にどこまで頑張れるか、そしてどの部分で頑張り、どの部分で妥協するか、というあたりに興味があった。
和解は花を取るか実を取るかが悩みどころ。
「実」にあたるのは、もちろんお金。
「花」にあたるのは、この場合、「原稿に美術的価値」があるということを認めさせること、そしてそれを実質化させる、原稿紛失の場合の賠償額のガイドライン作りだ。

 ここで、原稿に美術的価値を認めちゃったら、漫画家に所得税がどーんとかかるだろ、めーわくなんだよという意見がネットで散見されていて、弁護人のブログにコメントまでついていたが、
「原稿に美術的価値」があるという主張は、出版社は原稿管理には細心の注意を払うべきであり、それに違反すると高いペナルティがつくぞ、ということをいわば、原稿側から表現したものであって、別に漫画原稿の市場価値を上げるものではない。
つか、こういう和解が出たからといって、市場に出ている漫画原稿の値段が急騰するわけないし。
だから心配は無用なわけだが・・・弁護人もコメントにレスつけてやれよ。

さて、和解に話を戻して、花を取ったか実を取ったか。
和解内容のうち、発表できる部分はこれ。
1 被告は、原告に対し、原告所有の漫画原稿を紛失したことにつき、謝罪する。
2 被告は、原告に対し、本件和解金として金255万円の支払義務あることを認める。

被告が小学館、原告がガッシュの中の人である雷句先生だ。
提訴時の請求金額が330万円だから、和解金は確かに高額だ。「実」についてはは勝利と言って良い。
ただその一方で原稿紛失の場合の賠償額のガイドラインについてはビミョーな結果に終わっている。
弁護人のブログでは、小学館との共同提言を行い、その中で、賠償基準を明確に設定することも当初の目標だったようだが、まあ、それは無理だとしても、この和解金、内訳が非公開なのだ。
つまり、和解金のうち、紛失原稿代(=原稿の財産的価値)がいくらで、慰謝料(原稿をなくされたことによってハートが傷ついたことに対する賠償)がいくらなのかは藪の中。
ここでこの2つの区別に注目するのは、紛失原稿代の方は、今後また誰かの原稿を無くしたときの賠償額の目安としての働きが期待されるからだ。
この内訳がはっきりしないから、いろいろな解釈が可能となる。
雷句先生は、まあ、慰謝料を0として単純計算すれば、原稿1枚あたりが51万になる、的な事を言っていたが、
逆の立場からは極端な話、原稿紛失につけ込んでごねた奴を慰謝料名目のカネで追い払っただけだ、という解釈もできてしまう。

次に「美術的価値」という言葉も結局入らなかった。
小学館側が嫌がったというのもあるのだが、和解金額を減らせば、のまない条件ではないと思う。
しかしさっきも書いたように、この言葉は、原稿をなくすと高いペナルティがつくぞ、ということを裏側から規定したものなので、賠償額が高くなければ画餅に帰してしまう。
原告弁護人のブログの
最後に和解をして終結させる決意をしたポイントとしては、判決で「美術的価値」が仮に認められたとしても、今回の和解金額よりは相当低額になるであろうこと(通常、価格賠償がなされれば、慰謝料支払の命令は出されないこと、裁判所の鑑定が非常に保守的であること等)を考えると、とりあえず、こちら側の提案する金額を小学館が受け入れたことと、1円でも高額な賠償金の支払いを小学館にしてもらい、原画紛失に対する高額賠償支払いの前例を確実に作ることという点にありました。

というのは、そういう意味ととらえた。
実につながらない花なら無い方がましという考えで、さすがは弁護士、計算はばっちりだ。

最後に、小学館が謝罪するというのは、サンデーに謝罪広告を出すことだと思っていたが、弁護人のブログを読むとどうもそうではないらしい。
「謝罪します」と和解案に書いて書面にするという意味しかなく、小学館は一般に向けて謝るという行為はしないらしいのだ。
こういうことにどれほどの意味があるのか疑問だが、
でも逆に、誌面の謝罪広告ってどれだけの人がちゃんと読んでいるのか、ニュースに「小学館が謝罪広告を出す」と書かれるのと「小学館が謝罪」と書かれるのとで読み手に与える効果が違うのかとか考えると、事実上同じ効果って考えて良いのかな。
よくわからん。

うーんしかしこの和解、お金で「花」の部分をかなりうやむやにさせたような。

「実」がずげーでかいからこいつは観賞用にも耐えられるぞっていう評価になるか。
「実」はあくまで実であるって結果になるか。
うやむやな部分がどういう解釈でおさまるかにかかるわけだが、それはつまり今後の運用及び、漫画家の皆さんの権利主張のあり方次第なんだよね。

いやはや個人営業は辛いね、どーも。
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by k_penguin | 2008-11-13 12:45 | エンタテイメントと法 | Trackback | Comments(2)