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パトラッシュwithネロ少年?


「フランダースの犬」が日本人にだけ受ける理由は「滅びの美学」にあり!


いろいろ議論が出来そうな、ブログ向きのナイス小ネタなので、早速のっておこう、と思ったのだが・・・
考えてみたら、おれは「フランダースの犬」で別に泣いたり感動したりしなかったので、「受ける理由」が俺にもよくわからないんだった。

うーむ。と、とりあえず、わかる範囲で。

この監督、プロデューサの言う「滅びの美学」とは、ネロよりもパトラッシュの方を指していると思われる。
「信義や友情のために敗北や挫折を受け入れ」たのは、ネロではなく、パトラッシュだから。
つまり、パトラッシュメインで話をとらえているようだ。映画のタイトルも「パトラッシュ」だし。
しかし、あの話に泣いた、という人で「パトラッシュがかわいそう」と言っているのは聞いたことがない。
「ネロがかわいそう」か「ネロとパトラッシュがかわいそう」というのはよく聞く。
やっぱり、「ネロ少年メイン」なのではないだろうか。

そこで、考えてみよう。
パトラッシュを抜いて、かのシーンを再現してみる。
ネロが一人でルーベンスの絵を見て、「あー、眠くなってきちゃった。」とか独り言を言って、一人で死んでいった。
・・・うーん、かわいそうという以上に痛々しくて見ていられないかも。
ネロ一人だったらここまで受けなかったとは思う。

次、ネロを抜いてみよう。
ネロはどっかパトラッシュと離れたところでのたれ死んだ、と。
で、パトラッシュ、おじいさんからその話を聞き、ルーベンスの絵の前に行って、孤独にうずくまる・・・。

・・・いけるじゃん・・・忠犬ハチ公っぽいよね。

あれ?てことは、この話の主役って、やっぱパトラッシュ?
パトラッシュwithネロ少年のユニットなわけ?

それでは、もう1例、考えてみよう。
パトラッシュが大きい犬じゃなくて、子犬だったら?ナウシカのテトみたいな感じ。
このコンビでルーベンスの絵のところをやってみると・・・
・・・うーん。なんかネロ一人が死ぬのとあまり変わらないよね。
やはりパトラッシュは大きくなくちゃね。

むーん。・・・と、いうわけで、この話の主役はパトラッシュと言うことになってしまいました。

このリクツと、さっきの「ネロがかわいそう」と言う心理を理論的に一貫させるために、無理矢理理由付けすると、

ネロ少年のあまりの可哀想さに、視聴者に「そばにいてあげたい」という気持ちが起き、それが主役たるパトラッシュに視聴者を同一化させる。
パトラッシュと同一化しているがためにネロについてはかわいそうだと思うが、パトラッシュについては特に言及しない。

と、いう感じになりましたが・・・(自分で言っておきながら)そおかあ?

と、ゆーわけで、謎は謎のままなのでした。
だって、俺は泣かなかったからね。わかんなくて仕方ないやね(投げやり)。


なお、皆さんご存じの通り、日本で「フランダースの犬」というのは、アニメ版のことを指し、それは必ずしも原作と同じ指向ではない。
原作では、ネロ少年の絵が新人賞を取り、奨学金が下りるということが亡くなった次の日に分かる。
つまり、ネロはもうちょっと生きていれば報われたはずのわけで、それがあるからネロは「負け犬」ではなく「アンラッキーな人」なのだ。
原作の最後は、ルーベンスの絵の横に、黒いリボンで飾られたネロの描いた絵が飾られ、ネロ少年に目をかけていた人達が、自分達の非力を悔やみ、無情な世間に怒りを向けるというシーンで終わっていて(そしてだからこそ、さんざんな言われ様の「無情な世間」の皆さんの受けが悪かったわけだが)、「泣きポイント」は実はこちらのシーンだ。

アニメはその重要なシーンがすべて無視されている。これではそれこそ「負け犬」のままだ。
で、そのままじゃ可哀想すぎるかなーとか思って、死んだとはっきり描写せずに、天使様が適当に踊り-の空飛びーの、夢っぽいかもー、死んでないかもー、みたいなことをやって、あやふやにぼかした(これは制作チームがTVインタビューで認めていた)。
もお最悪。しかもそんなことしても誰も騙されてないし。
そんなわけで、アニメに対する俺の評価は実はかなり低いのだが、このことは、誰かに話したことはない。

だって、空気悪くするだけで誰も得しないもん。
Commented by せっきー。 at 2007-12-28 04:29 x
こんばんは。
ルーベンスの絵は生で見ると感動しますよ。

日本て引きの文化だと思うのです。「おす」より「ひく」が美しい。
このアニメって「懐かしアニメベスト100」とかやると必ずラストシーンが流される程人気ですよね。でもそう、原作と違うんですよね。
数年前に海外で実写映画化されませんでしたっけ?
それで、ラストシーンが海外と違うという噂がありました。
海外だとオチを2パターンくらい用意して、観客の反応の良い方を上映することがあるらしいです。で、海外ではハッピーエンドで終わる方が好まれているので(だって犬と少年が凍死なんて・・・)ハッピーエンドで終わっているらしいですよ。
日本のみアニメの影響もあってか悲しい方が上映されたそうです。
Commented by せっきー。 at 2007-12-28 04:35 x
桜は満開の時期よりも、散り際が美しい・・・
なんて感覚や、
悲恋ものが流行るのも(「セカチュウ」なんて定番のテーマですよね)日本人の中にペンギンさんのおっしゃる「滅びの美学」、
「郷愁」(ブラジルでは「コラサゥォン」だったかしら??)という、切なくてイイカンジを快く感じる、独特の感覚があるからなのかもしれません。

私は好きですけどね。「ひき」の感覚。
Commented by バイダール二世 at 2007-12-28 12:44 x
私も、ルーベンスを生で見た時は感動しました。
フランダースを見るときは、ティッシュを箱ごと抱え、正座という正しい姿勢で、泣く気まんまんで見ます。
Commented by k_penguin at 2007-12-28 18:45
>せっきー。 さん
「フランダースの犬」はポツネン○の評論の際に「丸の人」との比較対象に使ったという縁があります。
西欧的な「魂の救済」ものの代表としてあげようとしたのですが、日本ではアニメ版の方が定着しているために、良い比較対象にはなりませんでした。本当はワイルドの「幸福な王子」の方がより適切でした。

そういえば「トゥインクル フェス」どうでした?
ラーメンズは新作だったんでしょうか。


>バイダール二世さん
フランダースはリアルタイムで見ましたが、原作を読んでいましたので、
原作の「泣きポイント」まで、泣くのを我慢していたところ、そのまま「おわり」が出てしまうという
_| ̄|○ な結果に。

このようにフランダースは外しましたが、
私は実は、テレビやアニメで簡単に泣くというお得な体質で(周りに人がいないときに限る)
ここんとこアニメとかの最終回が続いているので、
涙には不自由していません。
Commented by バイダール二世 at 2007-12-28 23:40 x
小さい頃から、貧乏なのに、本だけは買ってもらえたので童話等結構読んでました。以前はやった、本当は残酷な童話など、あれ?普通に小学生の時から読んでたのに、とふしぎでした。そして、なぜか、アニメは別物という感覚で、活字と映像の違いでしょうか。
確かに、泣く気まんまん体質になったのは、一人暮しで浸れる環境になってからです。
Commented by k_penguin at 2007-12-29 01:31
>活字と映像の違い

あるでしょうね。
「チョンと首を切ったら、ころころっと転がって・・・」
なんて、ふつーに読み流してましたが、映像化するとあなおそろしや・・・
今の人は、童話や昔話を、アニメで親しんでいる方が多いから
自然と「毒抜き」がされているのかな?

今週は録画しておいたNHKドラマ「ハゲタカ」を1話ずつ見て涙しています。
Commented by せっきー。 at 2007-12-29 03:04 x
「フェス」は新作でなく、第一回公演から選んでのネタでした。
「あっち」の方に法廷画的なアレ。でレポしたいと思いますので、今思い出しながらスケッチしている最中です。

「丸の人」との比較は当時、拝読いたしました。
私も同じようなことを感じた記憶があるので、このコメントにも最初に書こうかと思ったのですが、ややこしくなるんですよ。
微妙にニュアンスが違うというか・・・。
(アニメ版の)ネロ少年は「僕もう疲れたよ・・・」と言っていますが、「丸の人」はそんなこと言っていない。ラストまで白い○を描こうと奮闘していましたから。
ラーメンズのコントでは誰も死なない。というか、直接的な表現がない。広告批評でもコメントしていましたが、そういった事で笑いを創るのは、封印しているそうです。だから「丸の人」も眠ったような・・・?で終わらせているのでしょう。
Commented by せっきー。 at 2007-12-29 03:11 x
活字と映像の違いというのはあると思います。
どうしても視覚表現の方が強いですよ。

特にタヴーを扱うのって難しいです。
忌み嫌われるもの程、意識してしまうし、印象が強いですから。
それを使う力量がないと、目立ちたいからだけで使ってはいけないと私は思っています。
(話がそれてしまいまいたが・・・)

「ハゲタカ」私も色々な意味で好きです(笑)
泣くとスッキリしませんか?ペンギンさんはお疲れなのかもしれませんよ。

そして、意地の悪い事を言うと、ルーベンスは沢山の弟子がいたので、私が見たのは本人の筆によるものなのか定かではありません。
Commented by k_penguin at 2007-12-29 14:05
>「フェス」のネタ
レポ、楽しみにしてます。

>「丸の人」
 ライブポツネンのようなものをワタシは「仕切り直し」と名付けています。

自分の人生のやり方に疑問を抱くようになった場合、
人は、自分の原点に一度戻り、出発点を確認します。
「ハゲタカ」でも南朋くんは、千明様の実家に行ってネジを拾うでしょ。
菅原文太の言葉で、自分のやり方に疑問を持つようになったということです。
人の究極の原点は、生まれる前だから、そこに戻る究極の「仕切り直し」は死と似ています。
つまり「丸の人」の死は再生のための死だから、フランダースと違うのです。
だからこそ、ワタシは「ちゃんと死んでいない」と批判しました。
ちゃんと死ななければ、再生できないからです。
そして、「ちゃんと死ぬ」とは、あの作品においては白い○が、みんなの目に見える形で出現することであって、別に死体を見せることではありません。
Commented by k_penguin at 2007-12-29 14:06
>タヴーを扱う
 どうしても下品になりがちですね。あと、誤解されやすいですよね。
あっさりすっきり、抑制的に、でも作品の意図は明確に打ち出さなくてはならないので、
ブラッシュアップに手間がかかる割には「分かる人に分かる」系になりやすく
リスクを伴うものですね。

>泣くとスッキリ
笑うことにもカタルシス効果がありますが、泣くのが一番カタルシス効果が強いと
くりぃむ上田が言っていましたが・・・本当か?

>「ハゲタカ」
ツッコミ所もあるのですが、(相手の目の前で「ゴールデン・パラシュート!」とか言うなよ・・・)俳優陣の腕がよいので安心して泣けますね。
キャスターの千明様はマンガ「お天気お姉さん」(古い)のけいこさんに似ていると思いました。
by k_penguin | 2007-12-25 22:19 | エンタ系 | Trackback | Comments(10)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


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