劇団、本谷有希子 第13回公演『偏路』

映画『腑抜けども悲しみの愛を見せろ』を見て、気に入ったので、舞台も見てみることにした本谷有希子。
彼女は学校の職員室を舞台にした『遭難、』の評価が高いみたいだけど、そちらではなくてわざわざ『腑抜けども悲しみの愛を見せろ』とほぼ同じ設定で、多分作者本人の経験に基づいたこの話を見ることにしたのは、安全牌だからだ。
今回のお話は、ホームドラマ。舞台の上にはきっちり田舎の一般家庭のリビングと仏間と
玄関先が作られていた。これだけ物が多い舞台は久しぶりにみるなあ。
映画やこの舞台からして、これは多分、野田秀樹が嫌いであろう「等身大」の「家庭」の話なんだろうなと思う。
別にNODA・MAPの次にこれを観たのは野田秀樹に対するイヤミではなく、偶然であるが、なんとなく「等身大」という言葉が頭に引っかかったまま観ることになった。



で、「等身大」はやっぱり観やすい。
お話もきっちりふつーに作られている。一人何役なんてややこしいこともせず、小道具を別の物に見立てるなんてこともせず。
障子だけが、ときどきスクリーンとして使われているが、投影される映像も、シーンを強調する効果の範囲で収まっている。ちょうどマンガをそのまま舞台に置き換えたような使い方。

で、「等身大」は安心して観ていられる。
出戻りの先輩の従兄(加藤啓)が、働かないわけを尋ねられて、
履歴書を書こうとすると、東京でストリートミュージシャンを目指していた10年の部分が空白になってしまって、それが嫌だと思っているうちに、空白が13年になってしまった、と告白するあたり、まさにリアルな「等身大」のインパクト!

女優になると自分勝手に10年前に家を飛び出し自分勝手に挫折して、自分勝手に戻ってくる娘(馬渕英俚可)と、これまた自分勝手に振る舞ってきた親父(近藤芳正)の対決を軸にして、
サティが娯楽施設である地方都市のふつーの家の中で、「あー、田舎の親戚にこーゆー人いる」って感じの人達が、エゴをむき出しても「うすっぺらい」すったもんだを繰り広げる。
「人間のどろどろ」をむき出しにしようと頑張っても、実は仏壇にエロいレディコミを隠している、とか、妹が軽蔑の眼差しで見るから俺は就職できない、とか、低次元の「うすっぺらい」話しか出てこない。
根がフツーの人だし、人格が変わるほどの大事件が起こるようなところでもないからだ(これで億単位の大金もちの親戚かなんかがいて、それが遺書を残さずぽっくり逝けば、平和な田舎でも少しはどろどろしたものも見られると思うのだが、何せ出てくる中で一番の大金はしっかり者の従妹(江口のりこ)がこつこつ貯めた900万だ。金額が1000万の大台に乗らないあたりがなんとも)。
そんな田舎を子供の頃から「グロテスク」と罵りながらも、罵れば罵るほど自分も所詮同次元の「うすっぺらい」人間であると思い知る、沼にはまっていくような感覚。
だってふつーなんだもん。平和に暮らしてきたんだもん。
まさに「等身大」。

「等身大」が良いとも悪いとも言えない。
確かに観やすいが、テレビドラマ的でもある。
面白かったから、それで十分だと思うが、
舞台という舞台が全部こーゆーのばっかりだったらヤだな、とも思う。
それだったら映画やテレビの方がお手軽に見られるだけお得だもんね。
しかし、所詮ふつーの人間が大物ぶっても仕方がない。できる範囲のことをして、自分の居場所を見つけるしかないだろう。

田舎に住むことにするのか、やはり東京に出るのか、娘は最後まで決められず、親父にふてくされるシーンで話は終わる。
ちょん切れたような終わり方に、作者自身の「等身大」の迷いがあると思う。
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by k_penguin | 2007-12-21 23:01 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(5)
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Commented by バイダール二世 at 2007-12-22 12:58 x
東京は、やはり、舞台等も見やすい環境ですよね。劇団第七病棟に大阪の方では、予定有りませんかと電話した時、東京に来て下さいと言われた事が有ります。仕事してると、ちょっと距離的に無理。等身大という事ですが、私も何故野田秀樹があまり・・・なのか、考えると、人に伝える事を仕事としているのに、分かる人にだけみたいな所かもしれない、と思います。
Commented by k_penguin at 2007-12-22 14:02
演劇、美術は東京が圧倒的に有利ですね。
せっかく東京に住んでいるのだから、なるべく観ておこうと思っています。
・・・とはいっても、もう、近所のスーパーに行くのもおっくうな年になってしまっているのですが・・・。

>分かる人にだけみたいな所

万人に受け入れられるべきかvs分かる人に分かればいいか
は、永遠のテーマですねい。
何をどう話しても分かってもらえない場合、というのは確実にありますから。
でも、「分かる人にだけ・・・」ばかりになると、作品に「良し悪し」というものがなくなって、「好き嫌い」だけになってしまいます。
それじゃ表現者のがんばる甲斐がなくなっちゃうと思います。
Commented by saka_hama at 2007-12-22 17:12
外食産業のことを考えていました。
外食産業で何が一番儲かるって、家で誰もが食べている家庭料理だそうで。
だからといって、全部が全部、珍しくもない料理店ばっかりだったらつまんない。たまにはどこにあるのか分からないような国の料理店があってほしい。
そんなことを考えていました。
Commented by バイダール二世 at 2007-12-22 20:23 x
昨今、何でもかんでも、アーティストって肩書きが多いですよね。私としては、お金を貰って仕事をするのはアルチザンでは、と思います。仕事が商業美術、カタカナでデザイナーなのですが、よく、これで苦しみます。芝居などは、又違うのでしょうが、ま、自分とはスケールも違いますが・・・。受け手である自分自身にも問題アリ、とは、感じます。ペンギンさんより、年上ですが、いつも端的なお返事、感謝してます。
Commented by k_penguin at 2007-12-22 22:31
>saka_hamaさん
なるほど、いつも食べているものなら大ハズレはないですし、
いつもの味の別バリエーションって食べてみたいですものね。
わたしも以前北京に旅行したとき、
北京のマクドナルドのハンバーガー食べたかったですもん。

でも、TV、映画がフランチャイズのファミレスだとしたら、
演劇は個人営業の喫茶店になりますね。
経営方法もまた変わるんでしょうね・・・。


>バイダール二世さん
ワタシ的には、
自分の好きに作ってる人がアーティストで、
商業的な枠の中で作ってる人がクリエイター、と把握しています。
でも考えてみると、どちらであっても仕事なら、
自分の好きに作れるわけないですよね。

一般人vsマニア、の問題は
マニア受け要素が強いとされている小林賢太郎をよく扱うブログの主として、
それなりにずっと考えています。
いまは、「萌え系」のようにマニア向けでも商売が成り立つ場合があるので
問題はますます複雑化していると思います。