痴漢(冤罪だったりそうでなかったり)の敵は国家権力か、被害女性か   

電車内で痴漢をしたとして逮捕された後、不起訴となった人が、都と国、被害申告した女性に民事の賠償請求したら、痴漢行為を認定されて請求棄却された、
という事件。


地裁判決時にはそこそこの反応があった事件だが、高裁段階では、もう余り反応は薄く、エキブロのトラバも3つほど、某SNSのニュースには取り上げられてもいない、だって小池栄子の結婚の方がずっとでかいニュースだから。
という感じなのだが、エキブロ内をぶらぶらしていたら、裁判に関わったらしい方の記事に行き当たった。
(この事件は一部で「沖田事件」と呼ばれているらしい)

こちらは原告男性側に関わっていたので、事件は携帯電話を注意したら逆ギレされ、痴漢のぬれぎぬを着せられたものという視点で記事が書かれているが、実際はもちろんどうだか分からない。それを知る立場に俺はない。
興味を持ったのは、この記事から、原告が警察、検察よりも被害女性を敵視していること、が分かったことだ。


刑事事件の痴漢に関する否認事件で、冤罪を主張する場合、被害者を非難するのは御法度だ。
敵はあくまでも無辜の者を罰しようとする国家権力。巨悪の前では、被害者は、「ちょっと間違えちゃっただけの人」だ。
痴漢冤罪を支援するグループだって、何で支援してくれるかって言えば、個人が巨悪に立ち向かうからだ。女の子をいぢめるためには支援してくれない。
仮に被害申告が女性の狂言だったとしても、小娘の狂言を見抜けなかった捜査機関が悪い、と考えるべきということになる。

でも、でも、だよ。
ぶっちゃけ、あの女が騒ぎ立てたりしなければ、こんな目には遭わなかったのだ。逮捕だって、勾留だってされなかったのだ。
冤罪とかそーゆーことはどーでもいいのだ。そんな大ごと、関わりたくねーし、そんな難しい話とも思えない。女が騒ぎさえしなければ済んだ話なのに。
一番悪いのは、女なんじゃないの?

捕まった痴漢被疑者のホンネだろう。これは冤罪かどうかに関わりない。
そのホンネを貫いた、という意味でこれは面白かった。

このホンネを刑事事件に載せることは難しい。
自分の痴漢の刑事裁判において、被害者は当事者ではないので、その過失等を裁判で直接責めることはできない。無実の立証を通して自分の有利に使えるだけだ。
責めることが出来るのは捜査手続きの過誤だ。
だから捜査機関を非難せざるをえない。

被害者を虚偽告訴罪で告発する、という手があるが、これは虚偽である旨の故意が認められなければならないので、まず起訴には至らない(今回これをやったのかどうかはわからないが)。
計画的な痴漢の言いがかりを付けてやる恐喝でもない限り、刑事事件にはのりにくい。
そこで、民事訴訟、ということになる。

ところが、民事訴訟は刑事訴訟と性質が違う。
一番でかいのは、刑事訴訟では「おまえ、やっただろ」と、いちゃもんを付けられる側の人が、
民事では、「金払え」と、いちゃもんをつける側に回る、ということだ。
いちゃもんをつける側がそれ相応の証拠を用意するのが公平なルールというものだ。
この事件の地裁の判決に目を通してみたが、どうも、いちゃもんをつけるには証拠が薄すぎる。
目撃者無し、第三者っぽいのは女性が携帯で話していた相手だけ。あとは当事者の証言のみ。しかも原告は事件当時酔っていた。記憶はあやふや。行動もただでさえアヤスイ。
判決を読んだ感想は、正直、ケンカを売るには手持ちの武器が足りなすぎる。
裁判官は、少ない証拠をやりくりして、それなりによく認定していると思った。

事実上も、民事の原告、つまり自分が言い出しっぺ、というのは、被告人になった場合よりどうしても「可哀想度」に劣る。裁判にしないと言われたものをわざわざ民事で自分から蒸し返したのだ。
当人にすれば、逮捕されて、勾留されて、自分が被害者だ、ということだろうが、普通の被告人は逮捕・勾留だけではなく、その上勾留延長食らったあげく公判廷にひきだされるわけだしね。

結局、女性を「合法的にやっつける」のは難しい、と言うことになる。


車内でのちょいとしたいざこざが、警察が出てきて、手続が進むと、「国家の犯罪」にシフトする。
でも、そんなご立派なことを急に言われてもピンとは来ない。
人間は、自分の周りのことを見るので手一杯。
「いざこざ感覚」からすれば、あくまでも騒いだ女性が敵になる。
ただ、その感覚のまま、訴訟制度にのせようとするとうまくはいかない。
訴訟は車内のいざこざという紛争を解決するのには不向きの制度だから。

映画「それでもボクはやってない」で、勾留中の主人公が、事件当時の車内の位置関係を思い出すためにメモを取っていて、被害者の女子中学生のうえに何度も強く抹消の線を引くシーンがある。
憎むべきではない相手を憎んでしまう人間の弱さを良く描写していると思う。
さすが映画だけあって、主人公は最終的にかなり人間がでかくなっていて、解脱の域に入っていたが、実際は、そうはいかないよね。

いわゆる痴漢冤罪事件で、一番難しいのは、自分に起こった出来事を完全に視点を変えてとらえ直すことを迫られること、つまり、無理矢理人間としてでかくなれって迫られることなんじゃないかなって思うときがある。


追記 09年6月11日
現在この事件は男性側が上告した最高裁で、「事件当時、姉ちゃんと携帯で話をしていた相手の証言について調べ直すよーに」と差し戻されている。
これは必ずしも男性が勝ったことを意味するものではなく、
この携帯で喋っていた相手というのが唯一の第三者なので、裁判の公正のために証拠をよく吟味するように、という意味と思われる。

追記 10年5月6日
差し戻し審 東京高裁 H21.11.26
痴漢行為の存否について明確な判断を示さず、立証責任により男性側請求棄却。

男性側は痴漢行為の存否にこだわったらしいが、
この判決のような立証責任による処理が妥当な線だと思う。
この判決はマスコミに取り上げられなかったので、ブログの掲載が遅れた。
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by k_penguin | 2007-09-02 11:26 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(2)

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Tracked from 海沼の日記 at 2007-09-06 13:52
タイトル : 冤罪・無罪
数々の問題点 最高検が公表 冤罪という罪の無い人が困っているかと思えば、 冤罪だと、真実を曲げる人もいる。 真実を知ることは難しいかもしれないけれど、怠ってはいけないと思います... more
Commented by saka_hama at 2007-09-06 00:18
こんばんは。お久しぶりです。
久しぶりに見てみると、植草さんのところでは、以前の通りの状況が続いているようで、びっくりです。
ペンギンさんも熊八さんとやりあって、なかなか楽しそうですが、私にはちょっと難しいです・・・
ところで、このエントリ、興味深いですね。
単純に女の勘違いじゃないのか、ということが、こんな大げさなことになっちゃう。法律ってもともとそういうものなのかな?だからこそ弁護士や検察が仕事になるのかな?とか、いろいろ考えさせられました。
例えば医療過誤で考えてみると、患者から最初に苦情を受けた病院は、患者との直接の対話で解決する機会があるんですよ。そこで間違って、こじれてしまうと、裁判になる訳ですね。でも、もし裁判になっても、そこで争われるのは、純粋に医療的なことや患者への説明の問題やらであって、警察の捜査方法やら国家のナンチャラなんて、問題にならない。
その点、痴漢はまったなしだよな。そして突然だよな。これは苦しい。厳しい。
痴漢にだけは注意しようと改めて思った次第です。。
Commented by k_penguin at 2007-09-06 00:53
おお、saka_hamaさん、お久しぶり。ブログ再開ですか。

植草さん方面は、いわゆる「アンチ」はそろそろ飽きてきてブログ更新もまばらになった感がありますが、
「擁護派」は元気ですね。神州とゆうたまさんが内輪もめしてますしね。

車内のいざこざがどのあたりから「国家的問題」にシフトするのか、よくわからないんですよ。なし崩し的に移行してる感じ。
「痴漢冤罪」ってタイトルが付いてる物をみせられるからそういう目で見るんであって、
タイトル無しの事実だけ見せられたら、そんな大げさなものには見えないと思います。

ただの混み合ってる車内の一コマですものねえ。

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