『エレンディラ』   

どちらかと言えば小劇場系の舞台を観ることが多い俺が、この、さいたま芸術劇場大ホール、S席12000円(ヤフオクでの購入価格はその半分ほどだが)の舞台を観る気になったのは、別に演出が蜷川幸夫だったからでもなく、決して美波の全裸シーンのせいでもなく、もちろん中川晃教という、いまだに名前の読みがわからない人を観るためでもなく、ガルシア=マルケスの原作だったからだ。
マルケスの小説は映像的なのだが、映像化に成功している例をいまだに見ない。
『エレンディラ』は以前映画になったものを見たことがあるが、イマイチだった。
今回も成功はしないだろうが、なかなか華やかな舞台の写真が広告にのっていて、それだけでも観る価値はありそうだった。
朝日新聞の劇評は好意的だったが、あてには出来なかった。
朝日新聞も主催者に加わっているからだ。

マチネーの会場入口は、なんか、いつも見るようなロビーとは様子が少し違っていた。
まず、おばさん率が高い。男性は2割ほどだが、そのほとんどが、奥さんのお供のようであった。
そして、何か知らんが、ポスターを前に写真を撮る人も多い。
うーん、さすがホリプロ主催。
大ホールはほぼ埋まっていた。客層からして、中川晃教クンが目当てなのだろう。

幕が開いて驚いたのは、とにかく舞台が広い!ハンパなく広い。本物のトラック2台が一度に舞台に出られるんだもの。
登場人物が舞台の奥の靄の中にフェードアウト、ということも出来る。
照明量もすごいし、雨のシーンは本当に水が上から降ってくる。おかげで次のシーンでは舞台の水たまりを拭きながら芝居を進めなくてはならない。
チケットが高いだけある。
これだけ金をかければエレンディラの小屋の周りのお祭り騒ぎの喧噪を作り出すのは容易だ。




と、驚いていたのも最初のうち。
1時間を過ぎる頃には、ほとんど、殺意を抱くほどうんざりしていた。
なんといっても上演時間は4時間(休憩2回含む)。
第2幕から、隣の女の子は上を向いて口を開けて眠りはじめ、前の席のお兄ちゃんはメールチェックをしていた。

多分、中川晃教をフィーチャーしなくてはいけないのだろうが、彼の演じるウリセスというのは、もともと「残念な」キャラなのだ。
しかも、マルケスがテーマとする「愛」は、一筋縄ではいかない。マルケスを使って、わかりやすい若い男女の純愛を描くのは無茶なのだ。
無茶なら無茶を心得て、いっそのこと、ラストをウリセスとエレンディラが手に手を取って愛の歌でも一発かますくらいに原作を踏みにじれば、それなりに何とかなったのに(少なくとも原作を読んでいない客に対しては)、エレンディラが助けてくれたウリセスには目もくれず、金の延べ棒を持って一人すっ飛んで逃げる、という原作のラストは変えないままに、それを「愛」による正当化をしようと無理矢理なことをしたから、頭を抱えるような「実はウリセスは妄想」オチになってしまった。
 
妄想の中の人が、絶望したり、一人前の男になってダイヤ贈ったりしても・・・ねえ。

マルケスの他の小説のキャラなども出てきていたが、原作を知っている人にとってはただ出ているだけというがっかりな結果だし、知らない人にとっては最早何が何だか分からない、というこれまたがっかりな結果だったろうと思う。
中川晃教目当てのお嬢さん方においては、愛に目覚めた娼婦のわかりやすくて強烈なラブストーリーの方が良かったろうと思うし、ある程度原作の味わいを期待している人にとっては「愛」を連呼されてうんざりの結果だったし、どうも、どっちに付けても中途半端、という感じがする。
正直、美波ちゃんは脱ぎ損だと思う。

やはり、大勢の人と沢山のお金が関わると、いろいろ物事はムツカシクなっていくらしい。
原作には出てこない、2人の愛の呪文「アリドネレ」が、特に何の愛の奇跡ももたらさないまま、台本から削除もされず、中途半端に残っていたのは、ロビーの売店のグッヅのTシャツの胸の部分に書かれてしまっているせいなのかしら?(グッヅを作った後に台本変更があって、呪文が不要になってしまった)
でも、あれば「エレンディラ」の逆さ読みだから、削除しても言い訳が立つと思うけど・・・。


追記 8月30日

ファッションブランドのガルシア・マルケスについての宣伝トラバが来るかもとは思っていたが、
こんなに沢山くるとは。
めんどいからトラバ禁止。
このブランド名は実際、作家のマルケスからとったものだそうだが。
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by k_penguin | 2007-08-20 22:52 | エンタ系2(ライブレビュー) | Comments(0)

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