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植草さんの本のうちの15行分の感想

植草さんが「炎」とか「不撓不屈」とかいう華麗な章題がついた本を出した、というネタが2ちゃんに貼られているなあ、と、思っていたら、ネタではなく、本当に本を出していた。
なんか、経済について語ったり、自分の生い立ちを語ったり、冤罪について語ったりする本だそうで、別に読む気はなかった。
したら、ヤメ蚊さんが感想をブログに載せた。
ヤメ蚊さんのブログのコメント欄で2年ほど前から俺はときどきいちゃもんつけたり、だらだらケンカしたりしている。
で、それと関係なく、うちと植草さんのファン関係ではそちらの関係なりに、だらだらなおつきあいが続いている。
だから、ヤメ蚊さんのところで植草さんの本の感想を見たときは、何か変なところで知り合いにあったような気分になって、少し嬉しくなって、その記事を読んだ。
そしてその結果、最後の「控訴拒絶」の15行だけ読めばいいや、と思って本屋でそれだけ立ち読みしてきた。

要は2004年のいわゆる「手鏡事件」について控訴を断念した理由が述べられているわけだが、控訴を拒絶する気持ちはよく分かる、が、その考えは間違いだ、と、思った。

否認事件ほど徒労感と無力感を味わう仕事はないと弁護士の間でも言われる。
裁判は、審判者である裁判官を信頼しなければやってゆけない。
その裁判官に明らかに無理がある判決を出されるということは、今までの訴訟活動のすべてを根底から裏切られることであり、こんな茶番劇、こっちから願い下げだ、と言う気持ちになり、控訴を放棄する気持ちになるのも分かる。
控訴を放棄するだけなら、仕方ないな、という感想を持っただろう。

しかし、彼は「裁判を拒絶して法廷外の活動で無実の立証活動を続けようと考えた」と、述べている。
無実の立証活動を続けるつもりであれば、話は別だ。
それなら裁判は続けるべきだ。
裁判で戦うことを途中でやめた人の言うことには説得力がないというのが厳然たる事実だからだ。

百聞は一見にしかずという。
「一見」により無実を証明することが最早不可能であれば、あとは言葉を連ねて説得するしかない。
そして、説得力ある言葉というのは、往々にして、単なるイメージや権威などによって作られる。
「最高裁まで戦い続けた人」の言葉と「一審で文句言ってやめた人」の言葉は重みが違うのだ。
「裁判で最後まで戦ったとの事実を残すこと以外に裁判継続の意義を見いだせなかった」と彼は書いているが、まさにその「裁判で最後まで戦ったとの事実」こそが重要なのだ。
裁判には正義を見いだせなかったと彼は書いているが、裁判の外にも正義はない。
真実を見通す目を持たないのは、なにも裁判所だけではないのだから。
裁判をやめて沈黙するか、無実を訴えて裁判を続けるか、選択肢はその2つであって、裁判はヤだけど無実はみんなに知らしめたい、という自分に都合の良いとこ取りは通用しないと思う。


ちなみにこの本で扱っている事件はほとんど「手鏡事件」に関するものだ。
「手鏡事件」がかなり弱い証拠によって有罪とされているのは事実で、起訴すべきではなかった案件ではなかろうかと俺は考えている。
仮にそれが、痴漢の常習として目を付けられていた人を警官が尾行して、現行犯のタイミングで捕まえようとして手をポッケにつっこんだところに襲いかかったら、見込み違いだったものだとしてもだ、違うものは違うのだから、見送って、自分の運の悪さを呪いながら次回のチャンスを待つべきだった、と思う。
チャンスは必ず来るからね。
Tracked from 情報流通促進計画 by .. at 2007-08-11 06:41
タイトル : 橋下弁護士の口車に乗って光市事件弁護団の懲戒請求をしたあ..
 橋下弁護士の発言を真に受けて懲戒請求したことには問題があるというエントリー(ここ←クリック)にたくさんの方にアクセスしていただき、瞬間的に「人気ブログ」となりましたが、偶然、先週、多忙で(ここ←クリック)、コメント、TBの反映・TBバックができずに失礼しました。。【追記:その3、その4、その5あり。それぞれをクリックして下さい】  反論もたくさんいただいたのですが、正直、改めて再反論しなければならないようなご意見は見あたらなかったように思います。少し整理してみましょう。  平成19年4月24日、...... more
Commented by uneyama_shachyuu at 2007-08-12 01:55
アヴァロンとイノセンスを拝見しつつ…
お書きになっている点、全てに同感です。感想曰く、何故中途半端な証拠を出さないのかうんぬん…というところから、理屈にもなっていなかったので、コリャなんだ?!と思ってしまいましたが、そういう人物らしい。さて、植草君の事件ですが、確かに最後まで争ったという事実の重さと途中で逃げ出したという軽さとでは、説得力が違うと思いますね。彼は、上訴を断念した理由として、当時アメリカでの訴訟世界の常識を持ち出し、時間的な意味と労力との兼ね合いで、都合よく訴訟外で証明活動を続ける、などと言っていました。
しかし、別の見方もしています。冤罪であるかどうかとは離れ、頭のいい人というのは、自分で未来図を立てて自分で分かったような顔をして、自分自身の妄想で悲観してしまい、勝手にやめてしまうことによく遭遇します。彼の価値観の問題でもあるので、そういうところは影響があるかもしれないなあ、と思います。
Commented by k_penguin at 2007-08-12 11:07
あ、もしかしてBSの押井守特集ですか?
2つとも映像はとてもきれいですよね。
「イノセンス」は昔ブログに感想を書いた記憶があります。

>頭のいい人というのは、・・・
頭のいい人は胆力が足りないとこありますよね。ここぞというときにふんばれないっていう。
そーいえば、植草さん、雑誌相手に起こした民事訴訟、どうなったんでしょうね。
「時間的な意味と労力との兼ね合いで」訴え取り下げたのかなあ。
Commented by 七三 at 2007-08-12 11:08 x
それを口すっぱく言うと「検事も裁判官もグルではめた」説を出してきて以下ループ、みたいなw

やった事もないくせに「俺はやれば出来るがあえてやらないだけだ」と言い張る人の話に似てるよね。
Commented by k_penguin at 2007-08-12 11:18
やるべきことはやらないけど、やらない言い訳はいくらでも言えるってやつね。
一種の中二病ですかね。

まあ、冤罪が司法制度の病理だととらえれば、
同じく司法を担う「検事と裁判官もグル」というのは当たっているところもありますけど。
Commented by 前のりてぃ at 2007-08-30 01:12 x
>頭のいい人というのは、・・・
頭もよすぎると病気(痴漢)になるらしい・・
>「検事と裁判官もグル」
頭のいい人たちにも心の病(痴漢心)はあるだろう。
だからこそ己への戒めも含め弱い証拠で裁けるんだろう。人間大差なし!

で・裁判はとことんやるべき!は賛成だが(たとえ黒でも)・・・手鏡手持ちで現行犯ではねぇ。救えない(笑
Commented by k_penguin at 2007-08-30 01:46
前のりてぃさん、こんばんは。
「夏への扉」からいらっしゃいましたか。

手鏡事件については冤罪であろうというのが私の見解なんですけど、それとは全く別に、試合を途中で放棄したら、そこまでの結果で評価されて当然ですからね。

今回もがんばってくれそうにないふいんきですねえ・・・。
執行猶予つかなくても、未決を引けばたいしたこと無いから、務め上げちゃうかもしれませんね。
by k_penguin | 2007-08-10 11:04 | ニュース・評論 | Trackback(1) | Comments(6)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin