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『TEXT』Act.4 表現できない、価値あるもの

『TEXT』については、今回の評論でおしまいにしようと思う。
Act.2、Act.3で述べたことをまとめると、
言葉という拘束ある表現手段しか使えないので、言葉にならない思いは正確に伝えることが出来ない。他人に伝えることが出来なければそれは無いものと同じ・・・なのだろうか?
という心の揺れをそのまま表現したもの、ということになる。

これだけまとめればもう終了してもいいのだけれど、でも、なんかそれは、問題の説明にはなるけど、解決にはならないという気がした(小林賢太郎は、問題が起きたとき、それを解決しようとせずに、考え方自体を変えることによって問題そのものを消滅させるか、悪く言えば誤魔化す方向にもって行く傾向がある)。
「表現できない、価値あるもの」っていうのは、決して珍しいテーマではない。
むしろ、表現活動の総てがこの問題と関わっていると言っていい。
簡単に語り尽くせるようであれば、表現するのにみんな頭をかきむしったりしないで済むはずだからだ。
ただしかし、小林賢太郎は、この問題を抽象的なテーマとしてではなく、自分の個人的な問題としてとらえている。
だから、ここで一番大切なのは、「では彼はいったい何を伝えたいと思っているのか」ということだ。
「表現できない、価値あるもの」にもいろいろあるからだ。

大概の表現には、何を伝えたいのか(最終的に表現し尽くせていないとしても)について何らかの形で示してある。
抽象画であれば、タイトルがついている。タイトルがただの番号とか『習作』とかだったら、作者の内面世界の風景画だとでも思っておけばよい。
そこらに転がっている歌ではよく「君への想い」なんかが「表現できない、価値あるもの」として扱われているし、ブルーハーツ『リンダリンダ』の冒頭の歌詞では「ドブネズミの美しさ」は「写真には写らない」、つまり「表現できない、価値あるもの」だと言っている(でもまあ、結局「りんだりんだー」のわけだが)。

ともあれ、こういうのがないと、どの「表現できない、価値あるもの」についての表現なのかが分からないので、作者の内面へのアクセスの窓口が無くなる。
要するに、感情移入のしようがなくなるのだ。
小林賢太郎は、ここを巧妙に隠している。
中途半端に分かったつもりになられるくらいなら、最初から最後まで沈黙した方がまし、と、判断しているのだ。
彼にとって、中途半端な理解は誤解と同じだ。

しかし、誤解を恐れてばかりでは、何も伝わらないと思う。

俺が『TEXT』の中で最もよろしくないと思っているのは、透明人間の話であるが、それを見て俺が考えたことは、まず絶対小林賢太郎が意図していないことだと思う。
しかし、誤解していることを承知で、あえて書く。



透明人間の話は、一種のゲームとして行われる。
これは、いとも簡単に騙される人(片桐仁)をからかって、「透明人間は存在する」と信じ込ませようと騙す人(小林賢太郎)がリクツをこねるのだが、相手があまりにもあっさり信じ込んだため、逆に心配になり、今言ったばかりの自分のリクツを自分で論破する羽目になる、というシチュエーションだ。

この論争は、俺にとっては全く面白くなくって、大半の間、そっぽを向いていた。
まず第1に「透明人間」の定義が確定していない。
論争の対象が何だかわかっていないのでは、効率的な討議はできない。
第2に、証明責任の分配が出来ていない。
片桐(仮名)側が、透明人間は存在することを証明出来なければ、透明人間はいない、と確定するのか、小林(仮名)側が透明人間は存在しないことを証明できなければ、透明人間はいる、と確定するのかをあらかじめ決めておく必要がある。そうでなければいつまでたっても水の掛け合いになる。
小林が、透明人間は存在しないことをお前が証明しろと言われて「登ってもいない山を下りさせられているよう」な気分になるのは、この証明責任の分配が出来ていないためで、当然のことなのだ。

今書いたことは、裁判の構造を元にしている。
裁判では、ある事実があったか無かったかを当事者が言い争う。
大体どっちかが相手を論破するってことはないので、適当なところで、妥当と思われるところに線引きして、どっちかの事実になったと、見なす。
そうしないと、いつまでたっても諍いが終わらないからだ。
その線引きが証明責任(と証明の程度)だ。
線引き無しで争っても、子供の雪合戦と同じで、勝敗はつかない。
雪玉がつきるか、子供が疲れて飽きるかまで続き、両者が負け惜しみを言いながら、
「じゃ、また明日ー。」
となるだけだ。

と、ここではたと思い当たる。
コントなんだから、「子供の雪合戦」でいいはずなのではないか。
むしろこれを裁判の構造をモデルにしなければならない、大人の紛争ととらえる方がおかしいのではないか。
現に舞台上の2人は、言葉のやりとりそれ自体を楽しんでいるように見える。
透明人間なんて、居ても居なくてもいいはず。結論が出なくても、雪玉のように言葉を投げつけあい、けらけら笑い、飽きたらそれでおしまい、それでいいのではないか。
ちょうど2ちゃんでよく見られる、ループする言い争いのように。

しかし、私にはそうは思えなかったのだ。
透明人間が居るか居ないかは、もっと重要な問題だ。「表現できない、価値あるもの」はあるかないかの話に移行してしまっているから。
重要なのに、それをわざと隠して、大した価値はないふりをしている。
子供の雪合戦であれば、結論は出ないはずなのに、この作品では、最終的に小林が押しつけるように、透明人間はいない、と結論づけている。
最終結論を出したのであれば、それは裁判と同じような事実認定の方法として使用されたと言うことだ。
重要性を隠しながら、自分だけの認定基準を設定して雪合戦で「表現できない、価値あるもの」は無い、と無理矢理認定してしまったのだ。
これは公平ではない。

雪合戦ならちゃんと雪合戦をして負け惜しみを言い合うべきだし(「読書対決」のように)、そうでないなら、ちゃんと公平なシステムにのって、大人の話し合いをすべきだ。
彼にとっての「表現できない、価値あるもの」とは何かを示して。


「表現できない、価値あるもの」。
これが表現の受け手一般を対象とした呼びかけであれば、俺はこのようなことは決して言わない。
コンサートで片思いのつらさを歌う人の楽屋に行って「告白しなよ、がんばって!」とは決して言わないように。
彼がこれを、自分の個人的な問題として語っているからこそ、こう言うのだ。飲み屋でビールを飲みながら言うような調子で。
「ふつーに言えばいーじゃん」。
Commented by ctote at 2007-04-11 07:51
おはよう焼・・ペンギンさん

mojoちゃんの所をしっかり様子を眺めてりいたんだ・・同じ体臭を感じてのかい?人それぞれ・・価値観が違うんだから なんて言った所で論議好きなあんたには意味不明かもしれれなかった。
そう卑屈にならなくともmojoちゃんの所でお遊戯されたらどう?えっ!もう既に名前変えて参戦中でしたか・・お見事!


Commented by k_penguin at 2007-04-11 11:41
おはようございます、コヨーテさん。
植草さん関連以外の記事も読んで下さり、ありがとうございます。

mojoさんのブログをヲチしていたのは、主にこの記事を書くために、
小林賢太郎の作品との比較をするためでした。
「透明人間はいるかいないか」という論争と、
「見てもいない犯罪事実があるか無いか」という論争は似ていると思います。
その意味でmojoさんのブログは「妄想ブログ」ですし
小林賢太郎は本人は気づいていないかもしれませんが、きわめて社会的なテーマをも含んでいます。

mojoさんのブログ(知らない方への解説/植草さんが無実だと検証するブログ。1月ほど前にコメント欄をあけてから、案の定いろいろ賑わっている。http://koufu.exblog.jp/)には、今のところまだ参戦していません。
コヨーテさんのブログには、ちょっと思ったことを書きましたが、おかげで2ちゃんで七三さんに煽るなと言われましたよ。
人それぞれ価値観が違うんだから、価値観が違う感想を書くくらいいいだろうに、
2行ほどの感想に、みんな大げさですねえ。

「物事の価値は人によって違います。どうぞあなたにとっての価値を大切にして下さい。」(小林賢太郎の『TAKE OFF』前口上より)
Commented by 七三 at 2007-04-11 20:50 x
は?勘違いすんな。
お前は関係ないのにコヨーテ煽ったんだろうが。お前が見たい見たくないという自己中な基準でキレた書いただろうが。それが価値観なら黙ってロムってろよ。

七三
Fuck-uekuso@55mail.cc
Commented by k_penguin at 2007-04-11 21:22
私がコヨーテさんのブログでコメントしたことは、コヨーテさんのブログで見れば分かることです。
それが「煽った」ものなのか、「価値観が違う感想」なのかは、見る人が判断することです。

また、価値観があなたと違うのなら、黙ってロムっていなければならない、
というリクツは私にはよくわかりませんし、あなたの価値観自体も私は知りません。
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:30 x
結構。自分でアスペルガー自認してるだけある。
お前が煽ったのを晒しただけ。
それでガタガタ言ってんのはお前だろ?
Commented by k_penguin at 2007-04-11 21:36
あなたがどこに「晒した」のか知りませんし、私は「ガタガタ言っ」た覚えもないんですが、
まあ、それであなたが結構なら、結構なんじゃないですか?
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:37 x
387:白片吟K氏 2007/04/03 23:36:51 dCieJaui [sage]>385
>ヲチ先の感想をいちいち当事者に切れて言ってどうすんだっての。

どうするとか考えないで書くあたりが切れてるとこなんだな。


それとお前、煽りは自分しか判断出来ないって書いてないか?
何だよ、見る人にしか判断出来ないって。都合いいな。
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:39 x
375:白片吟K氏 2007/04/03 23:05:09 dCieJaui [sage]
コヨーテがさっさと質問の答え書けば、見たくないもの見ないで済むのに、
いつまでも書かないでくだくだやってるから切れた。
そゆこと。

お前の価値観を人に押し付けてる訳だ。
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:41 x
398:白片吟K氏 2007/04/04 00:23:39 Cn4WbWzQ [sage]
だって、書き込むとき、それが感想か煽りかの判断は
自分でしかできないじゃないか。
自分が思ったことを書くのが「感想」なんじゃねーのか?


ほれ。
Commented by k_penguin at 2007-04-11 21:43
書くときは、書く人が煽りかどうか判断する。
読むときは読む人が煽りかどうか判断する。

2007-04-11 21:22のコメントに「見る人が判断すること」と書きましたが、
見る人に「しか」判断出来ないとは書いていません。
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:44 x
ひどい言い訳だな。二枚舌って事ね。

自分のブログだと随分と丁寧な言葉で結構。
Commented by k_penguin at 2007-04-11 21:45
あ、わざわざコピペ、ありがとう。
自分でやった方がいいとは思ってたんだけど、
どーもめんどくさくて。コピペ。
Commented by 七三 at 2007-04-11 21:46 x
相変わらずのめんどくさがりめw
っていうかこんなコメント消しとけよw
消しやがったなんて騒いだり絶対しないから。信用出来んだろうがw

んじゃ。
Commented by k_penguin at 2007-04-11 21:56
じゃーねー。

・・・えーと、そーす、そーす。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1173755516/374-404
Commented by せっきー。 at 2007-04-11 22:38 x
あえて空気を読まずにコメントさせていただきます。
「透明人間」のコントについて私も思うところあり、書こうと思っていたのですが・・・。

皆さんコワイですよ。
どうか「TEXT」Act.4について論じてください。
Commented by k_penguin at 2007-04-11 22:56
いやいや、せっきー。さん。
コヨーテさんと七三さんは、「TEXT」見てないから仕方ないですよ。
私も、別に「TEXT」関連コメントが無いなら、この展開でもいーや、
というてきとーな性格ですし。

「TEXT」関連コメントあるなら、どうぞどうぞ。
Commented by uneyama_shachyuu at 2007-04-13 22:26
何だか一人おかしいのがいるけれど、透明人間に関しては、一言。
なれたとしても、「無意味」。
というのは、理論的には、「目が見えない」可能性が極めて高いから。
相手に見えなくても、自分も相手はおろか回り全てが見えないのであれば、なったとしても、何でなってしまったのか、自分でおかしくなってしまうなあ。
Commented by k_penguin at 2007-04-14 00:18
透明人間が存在するかしないかの話であって(UFOが存在するか?というように)、
透明人間に「なる」話は誰もしていないのですが、
「なる」話をしちゃうってことは、もしや、畝山さん、何か下心がおありで?

あ、でも今思いついたけど、視覚の点に限定して言えば、光学迷彩(攻殻機動隊のアレ)でいけるんじゃないですか?
Commented by uneyama_shachyuu at 2007-04-15 01:50
存在するかしないか、という話を言い出すと、多分、上記の犯罪があったかなかったか?も含めて不毛な感じがしたので、単純な物理的・生物学的な問題点として、仮に存在しえたとしても、そもそも「目が見えないし、誰も認識できない」という点で、この世の中で余りにも孤独な『存在』になってしまう、と思ったので。ただし、視覚障害の方を卑下したりしているのではない事を前提としています。手も触れられないコミュニケーションも取って貰えない、自分も相手を見えない、では、生きているのかどうか?も、自分に問いかけたい状態になるのではないか?と。で、光学迷彩は、透明人間とは違うのですが、どちらかというと、「ハリー・ポッターの透明マント」の方が、資源の無駄使いも少なくて良いかなあ、と思います(笑)。ところで、「攻殻」の世界観は、押井氏一派(※テレビシリーズを含む)と士郎氏とで別物になっているから、一括りにはできない感じがしますねぇ。
Commented by k_penguin at 2007-04-15 02:59
ふーむ。そう考えると趣き深いですねえ。
そうだとすると、透明人間は、他の誰も認識できず、他の誰にも認識されないのに、自分自身についてだけは認識できる、という存在ということになりますね。
冤罪というものも、誰にも証明できず、誰からも認められないけれど、自分だけが真実を知っているという点で、これに似ていると思います。

多分透明人間には、なりたくてなるのではないのでしょうね。
冤罪と同じように。
(『TEXT』では、親友と思っていた人に裏切られ、自分が「透明人間」だと気づく人、とゆーのが出てきます)


「攻殻」は実はアニメも原作も好きじゃないんですよねー。
世界観は地に足がついている感じがする原作の方が好きなんですが、
どうも文字がこちゃこちゃ多くて読みにくいのが嫌で、
「ちっ、これだからオタクは」とか文句を言いつつ読みました。
Commented by aiwendil at 2007-04-15 19:06 x
理系の生物屋としては、『とある方法で検出できなかったからと言ってその物質が無いとは限らない。不存在を証明することは非常に難しい。』ということを叩き込まれているので、証明コントの展開は完全なる『ネタ』として論理からは分離して観ていました。
こういう見方は必ずしも主流派ではないのでしょうか(笑)。

人間の視細胞は、かなり狭い光波長域でしか光情報を検出していないので、人間には見えない色というものがあってもおかしくないと思います。いやむしろ、自然界では人間には見えない光のほうが多いのではないかと思います。
実際のところ、透明な生物や、目に見えない(ほど小さい)生物も実在します。
ただ、目に見えない『人間』がいるか? と言われると、現在の知見では『居ないとは言い切れないが、居る可能性は極めて低い』となるのではないでしょうか。
これが科学なのですが、『居る』のか『居ない』のか、解りやすさ100%での答えを求めてしまうのが一般社会の特性のように感じます。
突飛な着想を頭から否定するのも、頭から信じ込むのも、どちらも科学的とは言い難いのですが、ともするとこのどちらかに偏ってしまうのがマスの特性。
(続きます)
Commented by aiwendil at 2007-04-15 19:08 x
(続きです)
そして、この、科学の現実と社会の幻想とのギャップにつけ込んだのがニセ科学なのかなと。
いっぽうで、ウイルスや放射線や素粒子は、もしも検出手法がなかったら社会的には『無い』ことにされていたのかなと考えるにつけ、不思議な気分になります。

それにしても、「透明人間」という概念は、人間がいかに視覚情報に頼った生き物であるかを如実に表しているような気がします。
もしも人間の知覚がコウモリのように聴覚主体だったら「無反射人間」、アリのように嗅覚主体だったら「無臭人間」という概念ができていたかもしれないと考えると面白いですね(笑)。
なお、光学迷彩の原理だと赤外線モニタで透明人間も「見る」ことができます。
(またまた続きます)
Commented by aiwendil at 2007-04-15 19:10 x
(またまた続きです)
ちなみに、炭素や水素や酸素等の原子ではなく素粒子を構成主体とした知的生命体がもしも存在したなら、それこそ本当の「透明人間」なのかもしれないな、と私的にはそう想像しています(笑)。
この「TEXT」という公演全体が、異なるディメンジョンの共存、重なりあう異世界、といったものを表現していると捉えることも可能で、そういう意味でも私は素粒子的なものを連想してしまいます。
あるいは詩か。
多義性をもつという意味で。

いやはや、やはり他の人の感想を読むのは面白いですね。
つい長々と、すみませんでした。
Commented by k_penguin at 2007-04-15 23:38
aiwendilさん、理系の生物屋の立場からのコメントありがとうございます。
理系からのとらえ方、法律系からのとらえ方、いろいろできるお得なコントですな。
でも、あれは観るよりもやる方が楽しいコントなんじゃないかと思います。
ときどき私は
「ちょっと待てーい!」(久ヶ沢徹で)
と、飛び入り参加したい気分になりました。


>『居る』のか『居ない』のか、解りやすさ100%での答えを求めてしまうのが一般社会の特性のように感じます。
 そうですね。
もちろん分かりにくいよりは分かりやすい方がずっといいので、
そのこと自体は悪いことじゃないんですが、
考えるのがめんどくさいあまり、「わかった感」さえあればいい、というようになりがちなのが問題だと思います。


>素粒子を構成主体とした知的生命体がもしも存在したなら、それこそ本当の「透明人間」なのかもしれないな、と私的にはそう想像しています(笑)。
 銀河系には人間以外の知的生命体は居ないことになっていますが、
それは、人間の知覚に関知できるような形ではいないだけなのではないか、と考えたことはありますね。
そうなると「知性」の定義も再定義しなければならないかもしれませんが・・・。
Commented by uneyama_shachyuu at 2007-04-17 00:31
>人間の知覚に関知できるような形ではいないだけなのではないか
知覚できない存在なのか…
単純にこちらが「無視」されているだけなのかもしれませんね(笑)。
Commented by k_penguin at 2007-04-17 10:12
そいつらの「知性」のありかたによっては、「無視」はありえると思います。

「おれら、関係ねーっすよ。」
かなんか、言うんでしょうね。
Commented by fumi at 2008-11-15 12:12 x
TEXT関連記事、通して読みました。
私はNHK放映を観たのですが、生で観たらどう感じただろうと想像してワクワクしました。色んな意味で。

最後の一言に凝縮されると思います。

「僕のこと見て」って直接言えばいいし、言葉で完璧に伝えるのを躊躇するならばだまって抱きしめればいい。それで実は言葉以上のものが伝わるのだと言うことを、彼は知ってるのに出来ないのではないかと感じました。これがミスターツンデレでしょうか。

銀河鉄道のコントは、penguinさんの散文を読むだけでも泣けてしまいます。そしてこの舞台を観た後にpenguinさんが一人泣きされたと読んだ時、ごめんなさい笑ってしまいました。 「温っけー」と思ったからです。

透明不透明が子供の雪だるまには納得しました。でもそこでも「僕の方が上だもんね」的な。

作品演出に関してはぐうの音も出ないと言う相方は、この内なる想いを知りたくないのでしょうか。
あー、また堂々めぐりになってしまう。
Commented by fumi at 2008-11-15 12:13 x
続きです。

いくらコントに出来ないことはないと、さまざまな表現方法をしても、本人の心持ちが変わらない限り彼のマンホールの蓋は開かないような気がします。

あれ、結構重いですもんね。w
Commented by k_penguin at 2008-11-15 14:55
『TEXT』は東京公演の最初の方と最後の方の2回見ています。
評論が改訂されたのはそのせいです。
最初では、金村は常磐をかなり強く殴る設定で、
コバケンは歯を食いしばって身を堅くして殴られるのに備えていて、舞台上に緊張感が走っていました。
ワタシ的には、強く殴った方が正直で良いと思っています。

「深読み」まじりでフラットに書いてしまうと、
「解散のリアル嘘」の直前に
コバケンが「俺が今までやってきたこと、全然伝わってないじゃん!」
と思ってしまうようなことがあったのだと思います。
で、それは多分よく話し合えば誤解とか気持ちのすれ違いとか、そういうことなんじゃないかなとは思うけど、
話し合いのきっかけがもてないまま、何も言い出せず、鬱々とした気持ちだけをふくらませ
その気持ちを作品にして舞台にかけるという荒技をやる。
観客としては、「ごちゃごちゃ言ってねーで、早く言えよ!」につきます。
Commented by k_penguin at 2008-11-15 14:55
ただ、仮に彼が片桐さんに言ったとして、
果たして片桐さんにそれを受け止め、気持ちをうまく投げ返すスキルがあるかというと、
残念ですが疑問です。
その点では、言い出すのを躊躇する気持ちはわかります。

片桐さんには、
長年コバの相方やってきたんでしょ、尊敬してるんでしょ。
その相方が困っているんだから、ひとふんばりして少しは能力以上のことやってみせたらどうなの。男だろ。
 正直、そう言いたいです。
Commented at 2008-11-15 18:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by k_penguin at 2008-11-15 21:39
非公開コメントさん、どうもありがとうございます。
ワタシとしては、今んとこヲチしかないので、生暖かく様子見です。

この調子だと、またなんか燃料投下がありそうですね。
Commented by ぽりん at 2011-07-04 04:22 x
初めまして。
たまに、ブログ拝見しています。
さっきTEXTを観て、ペンギンさんにお聞きしたいことがありコメントさせていただきました。
(古い記事にすみません)

こんなことペンギンさんに聞くことではないのかもしれませんが、TEXTでいつも疑問に感じる部分がありす。
条例の中で、サイレンが鳴るシーンが何度かありますよね?
あのサイレンが鳴る基準が私には分からないのです。
初めのサイレンは、条例に違反したから。納得。
次のサイレンも、素の部分を出してしまったから条例違反?となんとか納得。
ただ、最後のサイレンは謎です。
条例には違反してない。
強盗の件でサイレンが鳴ったのなら、短歌の際も鳴らなくてはおかしいですよね?

この件に感して、ペンギンさんはどう思いますか?
あまり頭がいい方ではないので、分かり切った質問でしたらすみません。
Commented by k_penguin at 2011-07-04 21:50
ぽりんさん初めまして。コメントありがとうございます。
最後のサイレンは、強盗の件で鳴った、というんで良いんじゃないでしょうか。
鳴ったあとに、手錠をかけられるポーズをするし。
「条例違反じゃなくて、ふつーに強盗で捕まっちゃいました」というオチ。

私は見たときは、
・・・まあ、こう何度も強盗計画立ててちゃ、見つかるわなー。
と、思いました。

短歌のとき鳴らすのなら、そもそも最初の「条例なし」の時も鳴らさなくてはいけないし、
そこから鳴らすのでは、オチが台無しになるし、
その辺、面白ければいーじゃん的にゆるく考えた方が。

多分、手錠をかけられるポーズで、強盗と気がつかなければ
もうついて行けないコントになってしまうんじゃないかって気がします。
Commented at 2016-01-31 10:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-01-31 10:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by k_penguin at 2016-01-31 14:43
コメントありがとうございます。
コメントいただいて、『TEXT』関連の記事をまた読み直しました。もう9年前の作品なんですね~。
当ブログの『TEXT』関連記事としては、
「行ってないけど『劇作解体新書-小林賢太郎「TEXT」』 」http://shiropenk.exblog.jp/17011365もありますので、よろしければどうぞ。

ご質問についてです。
>「ふつーに、言えばいいじゃん」と書いてありましたしが、【普通にいう内容は具体的にどんな事ですか?】

あなたが追記で書いていたことと大体同じようなことです。ワタシなりに具体化すると、
 「君への信頼を失いかけているから、ラーメンズを続けてゆくには話し合いが必要だと思う」
 的な?ことですかね。
ラーメンズを続けるには、具体的に誰がどうするべきだとか、こうなっちゃったのはどっちのせいだとか、そういうこと以前に、まず、話し合おう、解決に向けて2人の気持ちを合わせよう、ということです。

…自分で書いといて何ですが、
これを、バニー兄さんが言うのはまず無理だろうって思います。
誰か第三者が介入して、無理矢理にでも話し合いさせるべきでしたね。今から思えば。
でも、ほっておかれてたから、その結果が「2人の気持ちを合わせようとする」ことをテーマとした『TOWER』につながっていったのだと思います。
Commented at 2016-02-01 07:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by agni88 at 2017-04-10 02:03 x
初めまして。textの記事を拝見させていただきました。私は今年で17歳になりますが「ラーメンズ」を知って半年ほどになります。作品はyoutubeに公式アップロードされたものや違法アップロードされているのも見て勉強したのでこの記事を含め、大体伏線は回収でしたと思います。(DVDは経済的に大学行ってから買います。というか田舎でコバを見に行けなくて辛い)
結果的には透明人間は(私たちの心に)いるということでいいですか?おもちゃの比喩がすごくわかり易かったです。4つめの記事の価値あるものについてもう少しわかりやすく説明していただければ嬉しいです。
後になりましたが、十年前の記事への書き込み、深夜での書き込みであることすみません。
Commented by k_penguin at 2017-04-10 22:50
agni88さん、コメントありがとうございます。
質問に答える前に、まず、「透明人間」の解釈を述べます。

自分にとって大切なことや気持ちを相手に伝えようとしているのに、その大切さが伝わらなくて軽くあしらわれたりすると、気持ちを踏みにじられたような気分になります。
そのようなことが続くと、自分を否定されたように感じるでしょう。本当は自分なんて存在しないのかもしれない、という気分になることもあるでしょう。
そのような状態が「透明人間」です。
そのイメージを頭に置いてTEXTをみて下さい。

>結果的には透明人間は(私たちの心に)いるということでいいですか?

 「透明人間はいるかいないか」という一般的な問いに意味はありません。
自分は透明人間だ、という気持ちは確実に感じているのだから、感じている主体たる人間がいるはず。
 …とかいうリクツを、自分は透明だと感じている人に言い聞かせても、役に立たないのと同じことです。
その人は、自分の存在意義を否定されたので、「透明だ」と感じているのです。
この作品においては、存在意義がないものは「いない」とされます。
存在意義の有無を判定するのは、それぞれの個人ですから、いるもいないも(透明度も?)相対的に決まる、といって良いでしょう。TEXTは二人舞台ですから、「透明人間」じゃない方が透明度を決めていることになります。
「あなたは私に必要な人だ。」という判定ならば、透明じゃなくなるし、「いや、どーでもいーし」なら、透明になるでしょう。

透明人間は私たちの心にいるというのは、「不透明な会話」の最後の方に片桐さんが言っていた言葉ですが、
作者の主張としてはそっちではなく、そのさらに後の
「透明人間がいなかったとしても俺の人生に何の影響もない」「いないからね」の方だと思います。
大切な人に「いらない」と言われれば、透明人間になり、透明人間は「いない」のです。
 あなたに否定されたら、私は無になってしまう
「不透明な会話」は、そのような心の叫びをうったえたものです。
Commented by k_penguin at 2017-04-10 22:51
>4つめの記事の価値あるものについてもう少しわかりやすく説明

 透明人間は、その人にとって大切なことが大切な人に伝わらないことが原因となっています。
したがって、真の問題は、「小林さんは何を伝えようとしていたのか」です。(「誰に」は2人舞台だからあまり考えないで良い)
それこそが問題なのに、それについてTEXTはまったく語ろうとしません。言葉にするとその大切さ、純粋さが、「誤解」によって穢されてしまうとでも思っているかのようです。
おかげで、私も「価値あるもの」がなんであるかを言葉にできるほど具体的に絞ることができないのです。
しかし、おおよそ、小林さんと片桐さんの気持ちにすれ違いが生じたんだなとは想像できますし、
この調子で、舞台でぴいぴい泣かれても、客としては困惑するだけなので、
とにかく話をして、気持ちに整理つけて欲しかったです。この頃は。

 でも、10年経っても話した様子はないんで
今じゃもう、あきらめてますけど。
Commented by agni88 at 2017-04-12 22:49 x
お返事ありがとうございます。
自分なんて存在しないかもしれないという恐れから「透明人間」になってしまうということにtextを踏まえて納得できました。
textに於いては、相手に依存して「透明人間」になってしまうこと。
「透明人間」は私たちの心にいるってのは私たち自身がってことなのかなと思いました。
 自分なんて存在しないかもしれないという懼れから「透明人間」になるということで大分理解できた気がします。
なんか若干腑に落ちないですが。
 ラーメンズは完全復活しないですか?
Commented by k_penguin at 2017-04-13 21:39
ラーメンズは復活しないと私は思っていますし、それで良いと思っています。
 まあ、仮に将来のいつかに復活しても、
(・ω<) テヘペロ
ってだけですが
by k_penguin | 2007-04-08 15:53 | エンタ系 | Comments(43)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin