『TEXT』Act.2 透明人間は要らないか(金村視点)

*はじめに*
この記事は、ラーメンズ#16『TEXT』の最後の話についての一解釈を述べるものです。
通常のライブレビューと違いますので、ライブやDVDを見るかどうか決める参考になるようなものではありません。
あらかじめご承知おきを。

*追記 3月14日*
一部改訂する必要があると判断しました。
前に書いたものを残すか残さないか考えたのですが、全面改定というわけではないことと、前の解釈も一つの解釈として残しておくのも面白いかと思ったので、修正の過程をそのまま残します。
削除される部分には、線が引かれます。
新たに付け加えた部分は、【】でくくります。




まず、この話を宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』と比較することから入ろうとしたが、それは止めた。
作者も明らかに『銀河鉄道の夜』を意識しているのだが、これをやると逆にすごくわかりにくくなってしまうのだ。
理由は、まず大体『銀河鉄道の夜』自体が未完の作品であり、解釈もいろいろあること。
そしてなにより、『銀河鉄道の夜』とあまりにも違いすぎることだ。
そりゃ出てくる設定やイメージは共通点が多い。枚挙にいとまがないほどだ。
しかし、『銀河鉄道の夜』を知らなければ理解できない話ではない。知っておく必要があるのは、せいぜいジョバンニ(常磐)とカムパネルラ(金村)が親友である、という設定くらいだ。
それに比べ、相違点はでかい。
なんといっても、常磐と金村に意思の疎通がないのだから。
しかも、金村は去り際に常磐をグーで殴る。
みんなの幸せを熱望し、友人を救うために溺れ死ぬご立派なカムパネルラとあまりにも違いすぎる。

と、いうわけで、俺的には、『銀河鉄道の夜』を使わない方が逆に理解しやすいので、使わない方向でやることにする。

では、あらすじを散文的に。
1
常磐と金村のしりとりで始まる。金村のしりとりはずるくて、最初と最後の言葉が必ず同じだ。
常磐は活版所で活字を拾う仕事をしている。腕がわるいので、よく間違えて、新聞の記事の意味を変えてしまう。
星祭りの夜、仕事帰りの常磐は、金村にUFOを見たと言われる。やりとりしているうちに、それは天の川だということになり、常磐が「天の川はスコールだ」というので、金村は自分の服が濡れていることに納得する。
家に帰ると、牛乳が届いていなかった。楠田枝里子口調の牛乳屋は電話口でらちがあかないので、常磐は、意味無く何か匂わせている母親に一言告げて、牛乳を取りに出かける。

2
金村が列車に入ってくると、常磐が新聞を見ていた。
金村はもし当たれば万馬券どころか億馬券になる自分の馬券の自慢をする。
世間話の後、しりとりになる。冒頭のしりとりと同じだ。
金村は常磐に「ずっと一緒に行こうな」と言う。

そして、窓の風景から自分が乗る列車を間違えたことに金村は気がつく。
いや列車を間違えたどころか、常盤の目に自分の姿が見えていなかったこと、声も聞こえていなかったこと、触れても感じられていなかったことに気がつく。
金村は常磐を殴る。常磐は無反応。
金村はここに存在していなかった。
金村は馬券を常磐のポケットにそっと滑り込ませて、立ち去る。

3
列車に入ってきた常磐は、新聞を見つける。新聞には誤植がないのでいたく感心する。
恐竜の発掘現場を見ながら独り言を言った後、一人しりとりをやる。
この間の台詞は全部、前のシーンの常磐の台詞と同じ。つまり、前のシーンが金村が居なくても成立するものであることを示す。
ぼんやり風景を見ていた常磐はいきなり「痛いっ!」と頭を押さえる。
今まで誰かと一緒にいたような気がした常磐は、ポケットに手を入れ、馬券を見つける。
新聞で確認してみると、なんと、馬券は、
かすりもしていなかった。
・・・牛乳屋はまだ遠い。


今までにないくらい、まとまりの悪い話だ。
シンプルに見て、この話で気になったのは、主人公が途中で切り替わっていることだ(この点でも宮澤賢治と違う)。
最初は主人公は常磐だ。ところが、金村が実は常磐に認識されていなかったと気づいた時点では、主人公は金村だ。そして、金村が去った後、主人公はまた常盤に戻る。
この手のことは小林賢太郎の作品でちょいちょい起きているのであるが(『PAPER RUNNER』など)、今回は逆にこれに沿って、つまり、金村と常磐、それぞれの視点で別の話ととらえてみる。

まず、金村視点。上記のあらすじは3つの部分に分けてあるが、主にその2番目の部分に関わる。

金村は「透明人間」だ。
透明人間は『TEXT』3番目の作品に出てくる。
その存在が誰にも認識できない透明人間は居るのか、という論議をするネタだが、論議自体は、不存在の証明(いわゆる「悪魔の証明」)を要求するもので、空論にすぎない。
問題は、最後、透明人間はいない、という結論になっていることだ。
いることが誰にも感じとることができない存在の透明人間は、いてもいなくても、どちらでも良いといえる。
それを前提として、ではいるか、と問うことは、要するに「いて欲しいと望むか」ということだ。
いた方が面白そうだと思うなら、いると答えればよいはずだ。
それをいないと結論づけるということは、「いてもいなくても、どちらでも良いものは、僕は要らない」と言っているということだ。
透明人間は「いない」のではなく、「要らない」のだ。
金村は常磐に「要らない」と言われたのだ。

常磐が望めば金村は存在する。常磐が「天の川はスコールだ」と言えば、金村の服が濡れるように。
ここからすれば、金村は常磐の空想の創造物であるようにも思える。
一人でしりとりをしてしまう寂しい少年の空想の友達。
空想の友達は、いつか要らなくなる。子供が成長すればおもちゃが捨てられるように。
常盤が成長して、しりとりは一人でするものじゃないと知ったから金村は要らなくなったのだろうか。
しかし、そうであれば、金村はもっと聞き分けがよいはずだ。
おもちゃはいつかは捨てられるのが運命。常識だ。アニメ『TOY STORY2』のおもちゃ達もみんな心得ていた。
消えてゆくのに恨み辛みを述べる空想の友達は一人もいない。だって、所詮空想の産物だからね。考える本人の匙加減だし。
まして、創造主の頭をグーで殴るなんて。
金村はやはり空想の産物ではないのだ。

【みんな自分を知っている。
自分が空想の産物だと知ってあわてふためき、創造主を痛いほど揺さぶる奴はいない。
少なくともその限度で金村は想像物ではない。】

・・・ところで、私達はなぜ存在するのであろうか。
と、いう訊き方は唐突だったかもしれない。訊き方を変える。
私達はなぜ自殺しないのか。
今のところ別にしたくないからだ。つまり、私達は存在したいから存在するのだ。
自分で自分の存在を望むから存在する、それだけだ。
ところが、この簡単な理屈が、金村には通じない。
金村は自分で自分の存在を望むだけの力を持っていないのだ。
金村の存在は常磐に依存している。
常磐に要らないと言われたら、金村は存在することができない。
しかし、金村は存在したかった。だから常磐を殴った。金村はここで初めて常盤を離れて自己主張をしたのだ。

望んでくれ、そうすれば俺は存在できる。
自分で自分の存在を望むことができない男の精一杯の声。

【自分に気がついてと常磐を揺さぶるのが、金村のできる精一杯なのだ。】

それに対し、常磐は無反応だった。
金村は馬券をわたし、去る。理屈からしても服が濡れるところからしても、死ぬのだろう。

さあ、果たしてこれで、いいのか?


と、いうところで、つ・づ・く♪
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Commented by ぶう at 2007-02-17 19:07 x
>『TEXT』Act.2・・・
「序章」というところでしょうか。

*はじめに*からの文章はとても興味をそそられて良いですねぇ

「銀河鉄道の夜」との比較ではない解釈。わたしにはありがたいです。
「銀河鉄道・・・」を知らないで、初めて観たときも充分理解できた話だったし、「銀河鉄道・・・」を読んでから観た舞台ではそんなに「宮沢賢治」を意識してないんじゃない・・・ってカンジでした。
(わたし自身「銀河鉄道・・・」よく解んなかったし)
小林賢太郎は「なんか、感じる?」って振ってるみたいな・・・

取り合えず『起承転結』の『起』ですね。『喜怒哀楽』の『喜』か?
この後も存分に盛り上げてくださいな。


Commented by k_penguin at 2007-02-17 21:53
>*はじめに*
検索からこのブログに来る方が結構いらっしゃるようなので、
一応注意書きを付けておきました^_^;
こういう主観の強い解析は、ホントは公演が全部終わってから発表した方がよいのかもしれません。
 Actには、条例という意味もあるので使ってみました。

>この後も存分に盛り上げてくださいな。

うーん、盛り上げる自信ない・・・。
みなさんがコメント欄で盛り上げて下さい。よろしくお願いします。
(他人まかせかいっ!)
by k_penguin | 2007-02-17 10:55 | エンタ系 | Comments(2)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


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