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死者を悼みつつ住基ネット違憲判決(大阪高裁)を語る

11月30日に出たこの判決は、判決それ自体よりも、その後の裁判長の自殺によって有名になってしまった。
インフルエンザで寝込んでいた俺がショックを受けたのも、自殺の方のニュースだったが、やはり、こちらのニュースを語るのであれば、判決自体も論評する必要がある、と思ったので、この記事は主に判決について書く。

さて、この判決が大きな判決である、ことは新聞等でも書かれている。
なんでかっつーと、住基ネットについての「高裁レベルでの初の違憲判断」だからだ。
この言葉が一人歩きをしているようだが、高裁レベルってことは、当然最高裁が上にあるということだ。
地裁レベルよりは大きな判断だし、住基ネットの違憲判決は2つしかないが、最高裁でひっくり返る可能性が高いと予測される判断でもある。
判決の大きさを間違えてはいけない。

朝日新聞の記事からでは、判決の趣旨がよく分からない部分があるので、やや推測も交えて論評する。
この判決は、法律的に言えば、自己情報コントロール権に基づく差し止め請求を認めたものだ。
差止請求権っていうのは、所有権のような排他性の強くて、内容が明確な権利に認められるものなので、これが認められるということは自己情報コントロール権にかなり強い権利性が認められたことになる。

今までの判例は基本的に自己情報コントロール権にそこまで強い権利性を認めていなかった。
これは比較的最近言い出された権利で、内容がまだ明確とは言えないこと、及び、住基ネットにおいて自己情報とは、氏名、生年月日、住所、性別の本人確認情報で、個人の私生活や人格、思想等の個人の内心に関する情報となるものではないから、「強い」権利とは言えない、と判断されていたためだ。
今回の判決は、自己情報コントロール権を「自己のプライバシー情報の取り扱いについて自己決定する権利」ととらえているようだ。
また、本人確認情報についての自己情報コントロール権は、それ自体では「強い」権利ではないが、本人確認情報と行政がもつ他のデータベースとをつきあわせれば、私生活や人格的自律権に関する情報となる可能性がある、と解釈している、らしい(この点が、法律的には重要な点だが、田島泰彦教授のコメント内に書かれているのみ)。
だから、差し止め請求の認められる場合は、「私生活上の平穏が侵害される具体的危険がある場合」と限定されている。
自己情報コントロール権を私生活上の平穏を守るための周辺的権利ととらえていて、中核たる私生活上の平穏が侵害されそうになったら差し止め請求可能、という理解で、一応いいのかな、と。
記事によれば、人格的自律権にも言及しているけど。


本人確認情報それ自体だけでなく、その使われ方にも踏み込んで判断しているという点で、確かに画期的な判決だ。
しかし、それだけに重かったのだろう。
判決を出す人の感じる職業倫理的な重圧感なんて、俺は今まで思いが及ばなかったけど、ふつーの判決だって、人の一生を左右することが珍しくない。まして、行政事務の効率化が不可避の現状にあって、住基ネットはこれから避けることの出来ないシステムだ。
判決を出す重荷、そして、出してしまった後の虚無。
俺には、霧の向こうをすかすようにしか感じ取ることが出来ないが。

なお、これに関して、よく巡回しているブログのコメント欄で、「陰謀論」を眼にしてしまった。
この手のことがあれば、挨拶代わりに出てくるお説だが、眼にしたとき、何というか、すごく嫌な気分になってしまった。
判決を出す者の心にまったく思いをやらず、思いをやろうともしないで、ただ、自分の都合の良い方向にのみ想像力を働かせる醜い弱さ。
素人なんだから、仕方がない、と、考える前に、強いやりきれなさを感じてしまった。

まだ風邪が治りきっていないせいかもしれない。
・・・寝よっと。


追記 12月7日
すげえ・・・箕面で判決確定した・・・。

追記2 12月8日
判決速報版の情報をいただきました。感謝っ!
判決理由自体は2つめのpdfファイルになります。
以下メモ。
*本人確認情報の情報コントロール権自体を重要な権利としている。
「一般的には秘匿の必要性の高くない4情報や数字の羅列にすぎない住民票コードについても、その取り扱い方によっては、情報主体たる個人の合理的期待に反してその私生活上の自由を脅かす危険を生ずることがあるから、本人確認情報は、いずれもプライバシーに係る情報として、法的保護の対象となり、自己情報コントロール権の対象となる」

データマッチング、名寄せにより、目的外使用の危険があること、その危険を本人や第三者機関がチェック出来ない体制であること。
住民票コードそれ自体が流出し、売買されることによる、民間利用の危険。
を住基ネットの欠陥としている。

賠償請求の否定は、市長らがその違憲性を認識できなかったことを理由としている。

差し止め請求は、人格的自立権への回復しがたい損害をもたらす危険を理由としている。
情報プライバシー権は、違法性判断で使用。

追記3 12月9日
1人削除に3500万かかるんだって。
Commented by saka_hama at 2006-12-07 12:54
こんにちは。風邪のほう大丈夫ですか??

裁判官も人の子。この裁判の判決が重荷になったことは確かでしょうが、私生活とか、誘引になることが他にもあったのかもしれませんがねえ・・

それにしても裁判官の仕事の重み、日々自分が下しているその判決がその人の一生を左右する、ということについて考え込んでしまいました。

私は医療関係者ですが、医師ほどでないにせよ、日々、患者と向き合う中で、その人の一生を左右するようなことをしたこと、僕ももしかしたらあるかもしれない。というか、たぶんある。

でも、僕らの場合は、よほどその患者と親しい関係でない限り、僕がした仕事の影響というものは目にすることがない。時々診察に来たりした患者に、近況を聞くぐらいのものだ。しかし、この判決は、目に見える。

もしこの判決が判例となって、住基ネットからの情報削除申請なんてものが日常的になったりなんかしたら、自分がした判決で・・なんてことになるだろうし。

あるいは、こう言うべきか。裁判官は、常に行政の監視をし、監視をされるって、学校で習った記憶があるけれど、その行政の監視ってのが、案外強く、従圧に耐えられなかったのか??
Commented by k_penguin at 2006-12-07 21:15
saka_hamaさんこんばんは
風邪の方は直りましたが、体重がひどく減りました。

医療も法律も、人の人生左右することなんですよね。改めて考えてみると。
裁判においては、特に刑事裁判。
やはり民事と比べて依頼者の気合いの入り方が違います。
植草さんだって、裁判で人生変わったクチですものね(やったやってないにかかわらず)。

>裁判官は、常に行政の監視をし、監視をされるって、学校で習った記憶があるけれど、その行政の監視ってのが、案外強く、従圧に耐えられなかったのか??

教科書に書けば、一文ですむことも、実際やるとなるとすごいプレッシャーなんでしょうね。
「人権保障」の四文字なんて、人類が何百年とやっても、まだ全然ですし。
私なんて川の向こう岸で眺めているようなものですが。

住基ネットについては、箕面市が判決を受け入れたことから、やはり、システムとしてまだ不完全なのではないか、という思いが強くなっています。
Commented by 判決文 at 2006-12-07 23:40 x
判決文(速報版)をダウンロードしてみましたが、分量が多く文章が傾いてスキャンされていて読みにくいので正規版を待った方がいいかも。
Commented by k_penguin at 2006-12-08 00:34
おや!それはありがとうございます。
判決そのものは、2番目のpdfですね。
興味深く読ませていただきました。
記事に追記します。
Commented by uneyama_shachyuu at 2006-12-09 14:51
インフルエンザ??もうピークは過ぎましたか?
自己情報コントロール権は、ワタクシが憲法を学んでいた10年ほど前の頃は、プライバシー権の中心になりつつある考え方でした。その頃はまだまだ判例が不足していましたね。プライバシー権そのものについても、どちらかというと、「表現の自由VSプライバシー権」という利益衡量論の論点が主流でした。
た~だねぇ…
Commented by uneyama_shachyuu at 2006-12-09 14:55
登記の世界では、既にオンライン化されているので、この世界の住人から見ると…
実に「危ねぇ」シロモノなんですよ。この手のシステムは。
まず、一つ目として、手続が簡単にできる筈なのに、実は煩雑に過ぎ、実際はオンラインシステムがどうしようもないものになってしまう分野でもある、ということ。
つまり、簡単にすませられるようにするためのものなのに、安全性を配慮すると、今度は書類の方がよっぽど安全で、しかも簡単になるという事が多発していると思います。
次に、不正が簡単になってしまう、ということ。本人確認の方法は、既に旧登記の世界では一般的なものであり、それをそのまま導入したようなシステムです。オンライン化前の登記の場合ですら、不正が絡みました。今、その方法を利用した不正が横行し、プライバシーどころか、制度全体の真正そのものを疑われる事態になっているのをこの目で見ているんですよね。
Commented by uneyama_shachyuu at 2006-12-09 15:02
裁判官の自殺…
この裁判が直接の全ての原因であるか?は、ワタクシは疑問だと思います。自殺者の意思は、何も語っていない場合、その近時の状況から推測することになると思うのですが、ワタクシは、その心理は、そんなものを直接の引き金を求めるということは、殆ど不可能ではないか?と思えてなりません。確かに、こういうものに原因を求めるのは、誰にも分かりやすく簡単だとは思えますが…彼の中に、一体どんな感情が渦巻いていたのか?それとも、外部の人にも分からないほど、ウツが進行していたのかもしれず、今、精神的にもその他の面でも、ある程度健康である自分を基準に考えるのも、想像力の欠如ないしは限界であるという可能性を強く考えなければならず、ワタクシは自分自身を短絡的でないようにと戒めたい、と思うところです。
Commented by k_penguin at 2006-12-09 23:37
>uneyama_shachyuuさん
ああ、インフルエンザって、この前の胃腸性の風邪のことです。診断書にインフルエンザって書いてあったので。

プライバシーの権利を自己情報コントロール権の側面で語る場合は、対立する相手方は行政と考えればOKのようです。対マスコミはアクセス権がありますし。

オンライン登記についての興味深いコメント、ありがとうございます。
登記識別情報さえ知ることが出来れば、もう何でもできますものねえ。
このような危険、そして、そういう情報が売り買いされるようになる危険は、本判決でも指摘されています。
登記という制度の信用性自体が疑われることになりそうですね。
Commented by k_penguin at 2006-12-09 23:37
自殺については、事柄が事柄だけに、他人があれこれ言っても、決して真理に到達するものではないと思います。
でも、なんつーか、うまく言えないけど、「お話的に」直近の出来事って重要なんですよね。
つまり、誰かが自殺する結末の話を作るとしたら、死ぬ直前の出来事はすごく重要なシーンになります。たとえ「引き金」でなくとも何らかの意味で重要な。
もちろんお話と現実とは違うけれど、意外と似ていることも多くて、で、そーすっと、やっぱり判決かなー、とか考えちゃうのは、うーん、やっぱ、短絡的?
Commented by uneyama_shachyuu at 2006-12-10 21:45
ワタクシが司法試験を受験している頃は、コントロール権について、行政に限定した問題は、殆ど議論した事がなかったように思います。自分のプライバシー報道について、どこまで相手の表現の自由に踏み込み、制限することができるか?その根拠として自己情報のコントロール権がプライバシー権の内容の一部であると考える、又は現代のマスコミの国家に比肩すべき存在論からプライバシー権が引き直され、より積極的な権利として「自己の情報の流通過程までコントロールする事ができる権利」と規定できるという根拠があげられているくらいで、行政に対するものと言う限定論は聞いたことは無かったと思います。また、マスコミへのアクセス権は、最高裁で完全に否定されているので、論文問題では、立法論はともかく、これを軽々しく使うと「あ、おまえ、ちゃんと判例を勉強しろよ」という扱いを受けていました。実際の法律的な知識として持つ分にはともかく、です。実務を担当する資格試験としては、ごく当然の反応だったのだと思います。
Commented by k_penguin at 2006-12-10 22:54
そーですね。対行政という考え方は、個人じょーほーほごほーとかできた平成以降に発達したものと思います。

アクセス権を情報コントロール権と言ってももちろん全然間違いではないと思います。
ただ、例えばプライバシー報道の制限をしたいのであれば、プライバシー権は古典的な「静かにほっといてくれの権利」ととらえた方が話が早いですし、マスメディアの意見に反論したいのであれば、表現の自由としての「反論権・アクセス権」を論じる方が話は早いと思います。
プライバシー権を自己情報コントロール権ととらえることが最大限に有効な場面は、対行政の場面においてであると思います。
by k_penguin | 2006-12-06 20:35 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(11)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin