『TAKE OFF』Take4(ラストテイク) 兎は二羽

小林賢太郎の作品の読み解き方は、『ALICE』のフライヤー(orDVDパッケージ)に示されている(これを見たとき「ああ、種明かしだな」と思った)。
まず、文の流れを見て、何の話であるかを読み取り、その話であれば記載されているべきなのに記載されていないことを探し出す。次にその部分に何が入るべきかを読み取る(穴埋め)。
それから、埋めた言葉を中心にして作品全体を「反転」させる。
そうすると別の話が浮かび上がる。
具体的な例は、「○」のWやぎさんの話で、以前紹介した。
んで、暗号を解くような手間暇をかけた割には、得るものは少ないこともそこで述べた。
もちろん作品の全部が全部このやり方に対応しているわけではない。素直に見ればいいだけの作品も多い。

『TAKE OFF』は素直に見ればいいだけの作品にして欲しかった。何か考えるのが馬鹿らしいほどの賑やかな作品だからだ。
何も考えずに笑って、手拍子して、ビール飲んでおうちに帰って寝たかった。



ところが哀しいかな、というか、案の定、そうは行かなかった。
穴埋め問題どころか、全てが空欄の虫食い算のような作品なのだ。解き方の手順のあらましや騒動はこれまで記事参照していただきたい。
この解答が絶対だという証拠はどこにもない。が、これだけは言える。

こーゆー作品で客にスタンディングオベーションを要求するのは間違っている。

なぜ彼がスタンディングオベーションを要求したかというと、そりゃ客の拍手が欲しかったからだ。
多分今が、ここ10年で最も客の拍手を必要としているときだと思う。
でも、拍手が欲しいなら、それなりにぶっちゃけた作品を作ってもらわなければならない。今までのような頭の中に?マークが残る、虫食い算ではダメ。

その一方で、虫食い算の結果は、今までで最も実のある内容になっている(と、思う)。
今までは、テーマと呼ぶには固まっていなさすぎる茫洋とした内容ばかりであったが、今回は、ちゃんと「犠牲と成長」というテーマを持つ一つの話になっている。
どうしてこれをわざわざご丁寧に隠したのか不思議なほどだ。
苦みはあるけど、立派なテーマ。これを表立って表現するのに何の不都合が・・・・1つあった。

人間同士のつながりが薄すぎる。人と人同士のつながりよりも、人とモノのつながりの方が濃いのだ。
俺に言わせれば、この三兄弟は、仲間ではなく、「類は友を呼ぶ」という奴だ。
なんつーか、外国旅行してて、たまたま日本人と出会ったような感じ。「おー、日本人」と親近感はわくが、だからといって話しかけるわけじゃなし、みたいな。
そーゆー類の人よりも、ずっと毎日一緒に旅をし、仕事をし、そして自分のリクツを形にしてくれた、自転車、スクーター、フライヤーの方に愛着がわいて当然だ。
当然なことなのに、それって一般には伝わりにくい。だってそれがモノだから。

だってそれがモノだから。
モノに対して感じるのは愛じゃなくて独占欲だから。
独占欲じゃ客に受け入れられないから。
それが理由でテーマを隠してしまったのだとしたら、やはり間違っていると思う。
隠すのであれば、テーマを完全に変える。
ぶっちゃけるのであればぶっちゃける。フライヤーを愛してどこが悪い。
客の拍手が欲しいなら、どっちかにすべきだ(ま、後の手段が危険であることはさすがに認めるけど)。
今までのような作品を作りたいのだったら、今までのように、客を一応満足させて劇場から追い出せばよし、としなければならない。
一度に二兎を追うべきではない。

コバケンは公式HPで「今回の公演には妥協点がひとつもない。」と言った。
そうだろうと思う。妥協がないが故に二兎を追ったのだ。
そしてまた、それ故に間違っていると俺は思う。
二匹の兎を捕りたくても、一匹ずつ捕る方が、結局はよい結果になるからだ。
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by k_penguin | 2006-07-02 13:33 | エンタ系 | Comments(0)

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