小林賢太郎 ○maruの傾向と対策

ラーメンズ第15回公演『ALICE』のDVDを見たので(公演を見てない)、ライブポツネン(『ポツネン』『○maru』)における小林賢太郎についての考察をまとめておきたいと思う(ライブポツネンて派生的なプロジェクトだったんだなー)。

今更ながら、小林賢太郎についての自分の記事を読み返してみると、ほぼ同じことの繰り返しになっていることがわかる。
それはコントではないと言い、では何だと問いかけるが、それに対する答えは出ない。
それは確かに「何か」なのだが、しかしなんだかわからないのだ。
もっと普通に考えりゃよかった。
なんだかわからないということは、それに名前がないということなのだ。
「それ」は名前を持たないというところに特徴を持つものだったのだ。

ようやくこれを理解できたのは、小林賢太郎が曲がりなりにも「それ」に名前を付けてくれたからだ。「ポツネン」ではジョンと呼ばれ、「○maru」では○と呼ばれたものだ。
ほとんどつける意味のないような名前であるが、それでも名前を呼んだことにより、「それ」はようやく表面に浮かび上がってきた。



「それ」は名前を持たないので、直接それについて語ることは出来ない。しかし、それを知っている人は多い。
アニメ『千と千尋の神隠し』で、カオナシと呼ばれていたものが「それ」にあたる。顔も名前も、識別の手がかりになるものだ。顔がないということは名前がないということと同じ、識別の手がかりを持たないということである。


さて、俺が最初に小林賢太郎と「それ」を見たのは「現代片桐概論」のオンエアバトルの放送だ。
この作品は奇妙な作品だ。それを見たとき、俺は笑うどころか、ただ唖然として口は半開きで固まってしまった。
なにしろ、最初から最後まで、徹底して、俺が知らないし、知りたいとも思ってないし、また、知って何の得があるのかの説明もない男の話をしているのだ。
そりゃ、「ペットショップで売られている片桐」、とか「片桐の産卵」とかで架空の話をしているのはわかる。小さい片桐や産卵している片桐が面白いのもわかる。
しかし、それが片桐である必然性はない。小さくなってペットショップで売られていたり、産卵したりすれば、それが誰だって面白いからだ。
要するに、この生真面目な男は、片桐の話すらしていないのだ。片桐の話と見せかけた、何か別の話、自分の話をしているのだ。

人はまとまった話をするとき、必ず最初に「これから何の話をするのか」という説明をする。講演しかり、ピン芸しかり。
しかし、彼は最初にその説明をしなかった。マイクを持って言う最初の言葉は「じゃ、講義を続けます。」
無意識のうちに説明を避けたということは、彼が自分が「片桐の話」をしているのではないことを知っていたということだ。
この人はいったい何の話をしているのだ。熱弁をふるう生真面目な男の情熱の中に私は確かに「何か」を見たが、その名前が伏せられているがゆえに、恐ろしさを感じた。
そして、もう1つ怖かったのは、何故か誰もこのことに気がつかない、ということだった。525キロバトルもとってるしい。

「それ」は最初から彼のそばにいた。
「現代片桐概論」の時点で「それ」に名前を付けてやればまだ間に合ったかもしれない。
しかし彼は名前を付けないまま「それ」を育ててしまった。
なんだかわからなくて面白かったからだ。
「それ」は彼に不思議な力を与えてくれる。
おかげで他の人が大汗かいて探し求める「個性」だの「オリジナリティ」だのは彼の思いのままだ。
目にしたもの、聞いたことを「それ」に与えれば、ぽんと作品をはき出してくれる。彼にとっては自然なことだが、他の誰も「何故か」今までやらなかったこと。
ふつーのことをふつーにやれば良かった。他の誰もが「何故か」ふつーのことをしないだけだったのだ。

・・・これっておかしいと、思わない?

やがて彼は気がつく。
名前がないものが作り出すものは全て名前がないということ。
そして名前がないということは、その名前が呼ばれないということ、つまり、他人から必要とされないということ。
彼の作品は純粋で美しいが、全て「使えない」のだ。
ところが問題に気づいたときには、「それ」はかなりでかくなってしまっていた。
「それ」以外のものを彼が作ろうとすると「それ」が邪魔だてするのだ。
彼は「それ」の名前を呼んで封じようとしたが、そいつは既にどんな名前も受け付けない大きさになってしまっていた。

小林賢太郎の作品は、すべて小林賢太郎でありすぎる。
俺の感じた印象だが、過剰に小林賢太郎であろうとするということは、つまり、どういうことかと言えば、それが小林賢太郎になりたがっていると言うことであって、逆に言えば、それは小林賢太郎ではない、ということだ。
じゃあ、おまえは誰なの?
問いかけに答えはない。名前がないから。それは多分人間ですらない。
「それ」は寂しがりなので、名前を呼ばれたがる。そのくせ、定義づけられることは拒否する。定義づけられたら「それ」ではなくなるから。
「それ」は小林賢太郎になりたい。
ちょうど小林賢太郎が、「片桐仁になりたい」と言うのと同じように。
ラーメンズは見事に「それ」を表現している。
だから俺は言う。
「それ」はコントじゃない。

小林賢太郎なんて大した人物ではない。ちょいと小手先の技術があるだけだ。才能は全部「それ」がくれたもので彼自身に才能はない。
彼は「それ」に食われてしまっても、別に惜しくないかもしれない。
惜しくないかもしれない、と、言いつつも、彼は何故かぎりぎりの土俵際で抗っている。
なぜなんだろう。

○maruの最後の作品で、彼は「それ」と直接対決をはかった。
名前を呼び、作品として定義づけて支配下におこうとした。食うか食われるか。
舞台上で彼が死に、作品が完結すれば、彼の勝ち。作品が完結しなければ、現実世界での彼の精神を「それ」が食ってしまう危険が具体化する。
恐るべき精神力だが、しかし、やはり最後の最後でツメに失敗していると評価せざるを得ない(彼は必ずラストにおいて問題を残す)。
ラスト、○が去った後に作る彼の最後の作品は、「それ」の力を借りない作品でなければならない。小林賢太郎が自身の能力だけで作らなくてはならない。
キャンバスを雪だるまの一部に見立てて作る雪だるまはいいけど、その後のあっち向いてほい。
小林賢太郎が「一人二役」の「自分がグーしか出さないために負けが決まっている勝負」。
これって、ラーメンズなのだ。
そう、やっぱりコバケンはラーメンズを作ってしまうのだ。「それ」が生み出したユニットであるラーメンズを。
彼はまたもぎりぎりで対決を避け、妥協を図ってしまった。
作品は一応は完結したが、彼が死んでいない、という解釈を許す隙を作ってしまった(このような解釈をしている人をネット上で見かけた。)。
勝負はお互いに相応のダメージを与えた上で、また後日、ということに。


片桐仁がいる限り、彼はどうしても妥協してしまうだろう。
彼の作品上で、「それ」vs小林賢太郎は、小林賢太郎vs片桐仁に表象されている。
本筋から言えば、「それ」と雌雄を決したいのであれば、片桐仁と決着を付けなければならない。
もちろん、「それ」に勝ちたいのなら、片桐仁に負けなくてはならない。
ところがこのバニー君、どうしてもそれが出来ない。
白やぎさんは黒やぎさんに、謝る理由は言えないまま。

・・・やれやれ。
としか言いようがない。


残された策としては、片桐仁を使わない作品を作り、その上で決着を付けるという手がある(表徴づけが薄いので確実に効果も薄いが)。
だからライブポツネン以降の作品に片桐仁は起用されていない。
この、魅力的な瞳とうなじをもつダスキン交換用モップの妖精は小林賢太郎の弱点であるが、彼に強い精神力を与えている動機でもある。

冷静に判断して、現状の小林賢太郎一人では、勝算はほとんどないと思う。
冷たい言い方だけど、今やっていることは、時間稼ぎにしかならないと思う。
誰かの助けが必要。
最も望ましいのは、長年連れ添っている相方を使うことであるが、それをやるには、やはり決着を付けてから組み直す必要がある。決着を付けないままで組み直している『GOLDEN BALLS LIVE』では効果がないと思う(念のため言っておくが、ここでの効果のあるなしというのは、「それ」との対応における戦略として語っているのであって、作品が面白い面白くない、ということとは一応切り離してほしい。この人は巧妙な人だから、何であれ、つまらないものは作らない)。


俺に出来ることは、ただ祈り、見守るだけ。

あなたの相方を、もっと信頼してあげて。
そして、とにかく、生きてくれ。小林賢太郎。
生きていれば、きっとチャンスはやってくるから。
[PR]

by k_penguin | 2006-05-18 21:34 | エンタ系 | Comments(42)

Commented by paru at 2007-01-21 22:27 x
はじめまして。
初めてコメントする記事がこんなにさかのぼってすみません。

というのも私はポツネンも ○ も見たことがなく
でも、K_penguinさんの語る 小林賢太郎 にとても共感しました。
そして、コメントの数々にほんっとに小林さんがすきなんだなーとも。
DVDになってやっと この二つの作品を見ることができましたので、
コメントしたいと思った次第です。
>彼は「それ」の名前を呼んで封じようとしたが、そいつは既にどんな名前も受け付けない大きさになってしまっていた。
のくだりを読んで 彼の漫画鼻兎にある 作品を思い出しました
ある日、ひよこが大量発生して彼(鼻兎)の部屋を埋め尽くします、彼はひよこに名前をつけてひとつずつ消していくのですが
なぜ名前をつけると消えるのか というのが不思議でした。
でも これを読んでひとつ答えがでたように感じます。

○からそれてしまいましたが、私は彼はラスト死んだと思いました。
そこから、生まれ変われることを信じて TEXTに臨みたいと思っています。

取りとめのない文章になってしまいました。すみません
でも あえてこのままカキコです。
Commented by k_penguin at 2007-01-22 00:20
paruさんコメントありがとうございます。
このエントリは、不条理度が高いにも関わらず、DVDが発売されてからアクセス数が上がっています。

「鼻兎」は読んでいないので、ひよこネタのことは知りませんでした。
説明抜きで、ひよこに名前をつけて消していくのかー。
いつもながらやりたい放題だなあ、バニー兄さん。

「○」のラストは私も死んだと思ったし、そう解釈した人も多いし、作者もそのつもりで作ったと思います。
ただ、ビミョーに「死にきっていない」と感じた部分があって、厳しいですが、そこにこだわらせていただきました。
死ななければ話が完結しないからです。
小林賢太郎の作品は、常に最後が「つづく」で終わる気配があります。
彼の人生がつづく限り、作品もまた「つづく」のでしょう。

ライブポツネンにせよ「TAKE OFF」にせよ、かなり悩んだので、
「TEXT」は気楽に観たいと思ってます。
気楽に観せてくれよお、バニー。
Commented by fumi at 2008-10-03 01:33 x
負けるが勝ちを実践しなければ彼はそれを乗り越えられないと思っています。それにいつももがき苦しんでいたと思いますが、最近は自分で乗り切ったと感じてるのではないでしょうか。作品単体で勝負出来ないからこそ、彼自身を感じる作品が人をいい意味でも悪い意味でも引きつけるのかもしれません。相方にすがって欲しいと思います。
ワタシは○のラスト死んだかどうか派です。k_penguinさんが書いているように、いつも自分と戦い自分で解決したがるんですね。
Commented by k_penguin at 2008-10-03 12:58
この問題については、
最近は、どうも相方側に問題があるという気がしてきています。
問題を認識していない(or逃げている)っぽいです。
片桐さんが同じ土俵に登って対決意志を明らかにしてくれなければコバケンは「負ける」ことも出来ないのですが。

片桐さんは、相方を盲信していて
彼がかなりヤバイ状況にあり、これからは今までと同じではうまくはいかないだろうということを理解していないです。

こんな状態でラーメンズなんか作れっこないと思っていたのですが、
バニーはコミュニケーションの断絶それ自体をテーマにするという恐ろしい荒技を使い『TEXT』を作ってしまいました。
まったくあきれた男です。
Commented by ふわ at 2008-10-03 17:37 x
連続コメントもうしわけありません。
おまけに、多分すごくトンチンカンかも。
でも、言いたい。

k_penguinさんの書いたこと全て。
これ、ファンタジーですよ。

「名前のない何か」というところも「名前を付ける」というところも。

こういったことをテーマにして書かれた様々なファンタジーが存在します。

その名前のない何かに、名前を付けて飼い慣らそうとしたり、名前を知らぬまま共にいて、結局喰われてしまいそうになったり。

もしよかったら、パトリシア・マキリップの「妖女サイベルの呼び声」というファンタジーを読んでみてください。
(ファンタジーはお好きじゃないかもしれませんけど)
故・浅羽莢子さんの訳が秀逸ですので。

ラーメンズの在り方を隠喩として、誰かがファンタジーを書いてくれないかしら。

多分、私は「トライアンフ」にそういったファンタジーを期待していたんだと思います。
Commented by k_penguin at 2008-10-03 19:40
「名前のない何か」でワタシが連想するのは浦沢直樹『MONSTER』の「名前のない怪物」です。
これらのファンタジーで「名前のない何か」で表されているものが、全部同じものを指しているのか、それとも違うものなのかはわかりません。
名前がない以上、区別も出来ないからです。

>多分、私は「トライアンフ」にそういったファンタジーを期待していたんだと思います。

「本当の魔法使い」とドラゴンの書き割り道楽のくだりは、これが関わっているんじゃないかと思ってます。
ドラゴンを傷つけると、傷つけたのと同じところに自分もダメージを負う。
つまり、ドラゴンは自分自身です。
私はmaruの「Paddle」を連想しました。
コバケンは自分とそっくりのシルエットと闘い、それは「炎を上げながら」攻撃し、最終的にバラバラになるからです。
「Paddle」では最終的に小さな丸が残り、書き割り道楽では、残された者が悲しむからと、「最初の不完全な魔法使い」が残されます。

だからワタシ的には
「これを書き割りでやるのかよっ!しかもこれだけ?!」
でした。

「妖女サイベルの呼び声」、図書館で探してみます。
Commented by ふわ at 2008-10-03 19:57 x
>これを書き割りでやるのかよっ!しかもこれだけ?!

ああ、そうだ。
私もこれを思ったんでした。
「こんな形で、これだけ?」

古今東西のファンタジーが、さまざまに試行錯誤しながら、このテーマを掘り下げて物語を語っているのに、その上っ面を撫でるような形で使っていたのが、本当に悲しかった。
そのあたり、きちんと出来そうな人だと思っていただけに。
Commented by k_penguin at 2008-10-03 20:26
バニー的には、今回のメインテーマはこれじゃないってことなんでしょーね。多分
でもメインテーマとのつながりが不明だし、
守った姫は逃げちゃうだけだし、
踏んだり蹴ったりだよね・・・。
Commented by asuka at 2008-10-06 00:13 x
あー、『text』の微妙なネタバレを踏んでしまった…
見なかったことにして、過剰に期待し続けます。

相方側の問題について
私は、片桐仁についてよくわかっていないので、
あくまで憶測なのですが、
彼は感覚的にこの状況に気付いていると思います。

そして、片桐はそれほどラーメンズに固執していないのかな、と思います。

片桐が小林にうまく使われることで成立してきたものが、
今までのラーメンズだとしたら、
小林と同じ目線で向き合うことは、
ラーメンズが成立しなくなっていると認めること。

今までと同じでいられないなら、
関係を変えてまで継続したいとは思っていないのでは。

私は、事実上解散しているも同然じゃないかと思っています。
ラーメンズとしての活動をしているかどうかではなく、
コンビとしての関係は崩壊しているのでは。

映像で見る印象のみでこんなことを言うのは問題でしょうか…
本当の所は本人たちにしかわからないから、どうなんでしょう。
Commented by k_penguin at 2008-10-06 01:26
asukaさん、なかなか言いにくいことをずばっと言ってくれますね~。

正直、この問題について具体的にあれこれ言うのって、もう評論を超えて失礼な域にはいるかもってゆー、ビミョーさがあるので、
具体的コメントは、今はちょっと控えさせていただきます。すみません。

ただ、それまで舞台を観るという趣味がなかったワタシがなぜ「ポツネン」を見たかというと、
自分が積極的に望んでやっているはずのソロの舞台に、なぜ、ぽつねんという、
誰かが去って1人取り残された状態を形容する言葉をタイトルにしたのか。
という胸騒ぎがする疑問をもったからだ

ということは書いておくことにします。
Commented by asuka at 2008-10-06 02:02 x
人んちの庭で好き勝手なことを言って、今更ですがすみません。
実はこの思いが、『text』を見て払拭されるかもしれないという淡い、ごくごく淡い期待があったのですが、ネタバレを踏んだ勢いでつい書いてしまいました。

最近、片桐に興味を持って(変な言い方ですが)、こんなことを考えていました。
彼はすごく冷めた人に見える。
ラーメンズだけでなく、自分が何かを演じることについて、妙に冷めた目で見ている感じがするのです。
Commented by k_penguin at 2008-10-06 12:19
うーん、asukaさんにとって、『TEXT』は噂ばかり先行する謎の作品になりつつありますね。
やはり早くDVD出してもらわんと。

片桐さんについてはワタシはあまり知らないんです。
野の花のような才能を持っている方で、描く絵は小林さんのよりも彼の方が好きなんですが、
コメントなんかの印象は、コバケンの悪いとこが似ちゃったなーって感じ。

先に片桐さんが問題を認識していない、と書きましたが、
それは、コバケンの作品がそう言っているからそうなのかなと思う程度です。
Commented by asuka at 2008-10-07 12:27 x
『TEXT』は、妄想を膨らませて楽しむことにします。

「野の花のような才能」ですかー。いい表現ですね。
でも、何を作っても、彼自身の魅力にかなわないのが、
難しいなあ、と思います。
ただそこにいるだけでも、片桐仁本人が一番面白いんだもの。

話を蒸し返して申し訳ないのですが、
3つ前のコメントの「失礼な域に入るかもしれないビミョーな問題」というのは、
私の発言の、特にどの部分を指していますか?

微妙に取り違えていたら、と気になったので。
Commented by k_penguin at 2008-10-07 19:57
asukaさんのコメント自体は問題ないと思います。
本当に問題だと思ったら、管理者として削除しますから。

ただ、片桐さんと小林さんという、完全に特定される個人の人間関係について
これ以上深入りしてレスしていったら、
プライバシー的に何かヤバイ鴨って予感がしてびびったのです。
(もう結婚していると知られている人について、子供がいるかもね、と噂するのよりもずっと個人的、内面的な事柄だと思ったし、このエントリの記事自体内面に踏み込んでいるものってこともあるし)

それに、
ラーメンズの2人はお互いを深く理解し合ってきたし、これからもそうである、そうであって欲しい、と思うファンの方は多いようです。
小林賢太郎の作品は必ずしもそうは言ってはいないのですが。
それでもファンの方を悲しませそうなことは
ワタシもあまりおおっぴらに言いたくないんですよ。
Commented by asuka at 2008-10-07 21:23 x
なるほど。
若干違って取っていました。聞いて良かったです。

個人の関係といっても、
あくまで作品を見て感じたことなので、
作品の感想の延長に過ぎないと思っていたのですが。
どこまで踏み込んで良いのかは、微妙なところですね。

理解だとか信頼だとか、羨望だとか嫉妬だとか、
簡単な言葉では説明できない、この2人の関係が、
ラーメンズで一番くらいに面白い所だと、私は思っています。
Commented by fumi at 2008-10-07 23:08 x
TRIUMPHよりこちらにお邪魔します。

>これ以上深入りして

非常に難しい問題だと思いました。側面で致し方ない部分ではないかとも思いました。公の人達として。
私達は楽しめる作品を観たいし、作り続けて欲しいと願っているからこそ、こちらでのやりとりが成立しているのだと思っています。

asukaさんの仰る通りだと思います。もう今までのラーメンズではない所に来ています。それは彼らが一番わかっているはず。
そしてそこにお互いが真剣に向き合わなければ、次は難しいとも思います。それを片桐さんは大きく躊躇しています。
Commented by aiwendil at 2008-10-08 01:01 x
横レスすみません。

10月3日のふわさんのコメント
>もしよかったら、パトリシア・マキリップの「妖女サイベルの呼び声」というファンタジーを読んでみてください。

ラーメンズ関連のブログでマキリップが誰かに言及されているのを初めて見たので何だか妙に感動してしまいました。
「イルスの竪琴」に登場する謎と教訓も同様の系譜ですね。ヘルンのアルヤの謎などどんぴしゃかと。(3巻p80)
興味深いです。
Commented by k_penguin at 2008-10-08 01:35
asukaさん
>あくまで作品を見て感じたことなので、
作品の感想の延長に過ぎないと思っていたのですが。

そこが小林賢太郎の作品の難儀なとこです。
作品が作品として完結していないため、作品と作者がつながりすぎているのです。
小林賢太郎のソロの舞台であるライブポツネンという作品を語るのに、
なぜか関係ないはずの片桐さんに言及せざるをえないのです。
作者がみんなに伝えたいと思って表現していることと、知られたくないのに無意識に反映してしまっている事柄の区別がつきにくい。
正直、彼が小さい劇場でこそこそやりたいってゆーのもわかる気がします。
Commented by k_penguin at 2008-10-08 01:36
fumiさん
私もあくまでも客として作品の作り手たる小林賢太郎に注文をつけているつもりです。
でも、なぜかずるずる個人的な心の傷に対する注文になってしまう。
作品と作者がつながりすぎているからです。
客としては、作品と作者の繋がりを断つか、もしくは作者が抱える心の傷を解決するか、どっちかをして客の心まで傷つけるの止めて欲しいし、
で、どっちかと言えば、こうなった以上、心の傷解決する方をやって欲しいと思っています。

>そしてそこにお互いが真剣に向き合わなければ、次は難しいとも思います。それを片桐さんは大きく躊躇しています。

Dropの毛虫と貞吉の作品からすれば、おっしゃるとおりなんだろうと思います。
Commented by k_penguin at 2008-10-08 01:48
aiwendilさん
& ふわさん
「妖女サイベルの呼び声」読みました。さっき。
ロマルプ応援しながら読むヤな読者。

物語でしか観たことのない「名前のないもの」と対決してる人をリアルで観られるってだけで、ライブポツネンは貴重でした。
Commented by ふわ at 2008-10-08 15:48 x
>aiwendilさん
うわぁ!
マキリップに反応してくださる方がいらしたとは!
感涙です~。
イルスの竪琴、細かいところがうろ覚えなので、早速読み直してみなければ。
お薦めした手前、「妖女サイベルの呼び声」も再読し、勢い余って岡野玲子の「コーリング」まで読んでしまったところです。
そして、これをKKPに期待するのはちと無理があった、と反省したところです。

>K_oenguinさん
早くもお読みになられたんですね。
なんだか、そのフットワークに感動です。
(私は本好きで、ついつい本を薦めてしまうので、すぐに読んでくださると、それだけですごく嬉しくなってしまうのです)
しかし、ロマルブ応援ですか。
やっぱり着眼点が違う。
ロマルブは、感情移入が出来る登場人物として、カウントしていなかった私。
このあたりが、修行が足らないのかも。

>「名前のないもの」との対決
この観点で、もう一度ポツネンも見直してみようと思います。
Commented by ふわ at 2008-10-08 17:06 x
お詫びと訂正です。
「妖女サイベルの呼び声」の訳者は浅羽莢子さんじゃありませんでした。
私の好きなファンタジーは、かなりの割合で彼女の訳なので、勘違いしておりました。
訳者が違うからどうってことは無いんですけど、勘違いしていた自分にがっかりです。

>3巻p80
まさしく、どんぴしゃですね。

さまざまな獣を集めて一緒に暮らしていたヘルンのアルヤという女が、ある日名前のない黒い獣を見つけた。
やがてその黒い獣は、どんどん、どんどん大きくなり、他の獣たちが逃げ出した後も、その名前のない巨大な獣が、部屋から部屋へ彼女の後をついて歩くようになった。
彼女は自由を失い、恐怖に襲われ、どうしていいかわからず・・・。

とまあ、謎はそこで終わっているのですが、それまで一緒に暮らしていた獣たちが逃げてしまって、名前のない物だけが残るっていうのが、また、何かを表しているようで考え込んでしまいます。

こういった場合、獣たちは飼われているだけで同志ではないので、一緒に戦ってはくれないんでしょうかね。
Commented by k_penguin at 2008-10-08 22:50
確かにヘルンのアルヤがより近いですね。
ロマルブは名前がないわりにはすぐに名前がついちゃったし。

「名前のないもの」については、結構いろんな作品が取り上げています。
記事中には千と千尋あげましたし(そういえばあれにもサイベルと同じように、名前を押さえることによってその者を支配するという概念がありました)、
コメントで「MONSTER」をあげました(異世界ではなく現実世界を舞台とした点で優れた作品と思います)。

ポツネンでは、ジョンであったり悪魔のイメージであったりしています。
「トライアンフ」の記事でジョンは「愛」だって書きましたけど、「愛」というのも、名前のないもののいわば仮の名前の1つにすぎません。
ロマルブがライラレンでもあるようなものです(ただワタシ的には、ライラレンに変身するのはちょっと甘いと思う)。

名前のないものは個人の「喪失の体験」と密接に関わっているので、一人で戦うしかないです。誰かと一緒に戦うことは出来ません。
他の人ができることは、サイベルが心を外に飛ばして逃げたときに、タムが呼び戻すとか、そーいったサポートです。

・・・えーと、なんか異次元なコメントですね。てきとーに読み飛ばしてください。
Commented by aiwendil at 2008-10-09 01:41 x
補足です。
ヘルンのアルヤの謎にはじつは続きがあります。(3巻p219)


アルヤは恐怖のあまり死んでしまった。その獣が何だったのかは誰にもわからなかった。それは彼女の墓の前で七日七夜泣き悲しんだが、その泣き声にこめられた愛と悲嘆のあまりの深さに、耳にした者さえが眠ることも食べることもできなくなるほどだった。それからそれもまた、あとを追うように死んでしまった。


画一的な対応関係を導かないところがこの物語中に登場する謎のよいところで、おかげで解釈の幅が広がって面白いのじゃないかと私なんかは思うのですが、敢えて定型化するのであれば、サイベルとアルヤは表裏一体で、結末の違うヴァリアントととらえることもできるのではないかと。ものをつくっているひと(あっち側に近いひと)たちはどうしても、名のないものと向き合わざるを得ず、そこでの向き合い方でサイベルのようになったりアルヤのようになったりするのじゃないかと思えます。
(続きます)
Commented by aiwendil at 2008-10-09 01:42 x
(続きです)
名無きものと名前の支配についての物語は、それこそ古今東西枚挙にいとまがないですね。
結果的に、小林氏も多くの先達同様、無意識的に由緒正しいモチーフを取り入れたことになるでしょうか。

ところで、ふたたび横レスすみません。
>ふわさん
イルスの竪琴は緻密な構成が好きで愛読しています。
「コーリング」とはまた相当ディープですね(笑)。
岡野玲子氏の脚色力には目を見張るべきものがあると思います。
そして、浅羽さん好きということは、クーパー好きでらっしゃいますか(笑)?
改訳作業途上で逝去されたこと、心底悲しくてなりません。
Commented by ふわ at 2008-10-09 08:44 x
>aiwendilさん
ざ・残念。
私はタニス・リーとジョナサン・キャロル、それからダイアナ・ウィン・ジョーンズです。
クーパーは未読でしたので、早速図書館で検索し、「闇の戦い」シリーズの存在を確認。
後ほど確保に行って参ります。
浅羽さん訳のファンタジーで、未読なのがあったのは迂闊だったと思う半面、嬉しいです。
教えてくださってありがとうございます。

「イルスの竪琴」シリーズは、昨日から再読を開始しています。
件の謎は、教えていただいたページのみを読んで、こちらに紹介してしまいました。
結末をすっとばしていてすみません。

しかし、私の持っている文庫は昭和57年発行で、ページはすっかり茶色くなっています。
私の脳細胞もこんな感じ??
Commented by ふわ at 2008-10-09 09:26 x
>k_penguinさま

勝手にファンタジー話で盛り上がってしまってごめんなさい。

>名前のないものは個人の「喪失の体験」と密接に関わっているので、一人で戦うしかないです。誰かと一緒に戦うことは出来ません。

確かにその通りですね。
私は甘ちゃんなので、思わず誰かにすがったり、他人のせいにして、結局「名前のないもの」に喰われてしまうタイプだな。

ところで、k_penguinさんは、実はファンタジーを結構読んでらっしゃると見たんですが、違いますか?
仲間を増やしたいふわでした。

Commented by k_penguin at 2008-10-09 13:13
aiwendilさん
ヘルンのアルヤの謎の補足ありがとうございます。

私が知りたいのは、なぜ小林賢太郎は、アルヤのように死に至らず、サイベルのように生き残れたのか、です。
彼が非常に心の強い人であることが原因の1つであるのは確かですが、それだけでは納得できません。なにか恐怖をもしのぐ価値観を持っていなければ生き残ることはできないと思います。
「丸の人」でそれが提示されるかと思ったのですが、最後ビミョーに逃げたのでちゃんとつかむことは出来ませんでした。

ついでにいえば、彼が生き残っても、闘いの後で心が非常に弱っています。
maru以降の作品のレベルがかなり低下するであろうことは予想できました。
それを周りが技術でサポートして、誤魔化しながら休息を取らせなくてはならないです。
それなのに、あの有様だということがムカつきます。
Commented by k_penguin at 2008-10-09 13:13
ふわさん
>ファンタジー
考えてみたら、指輪物語も読んでないし、ナルニアは最初の1冊の途中で放棄したし、どうも読んでいるとはいえませんね。
幻想文学と呼ばれているもので読んでいるのはボルヘスくらいで
それも、ラテンアメリカ文学が好きというくくりで読んだだけで、好きな作家は、ボルヘスの対極にあるマルケスです。

ご期待に応えられなくてすみませんでした。
Commented by asuka at 2008-10-09 13:56 x
おー、読書会の様に盛り上がっていますねー。
近隣の図書館は、どこも置いていない様なので、
週末に借りに行って読みたいと思います。

k_penguin様
>名前のないものは個人の「喪失の体験」と密接に関わっているので
「喪失の体験」とは、どういうことでしょう。良かったらご説明お願いします。

思いっきり個人的な話になり、申し訳ないのですが。
私は子供の頃に、「自分の中の何か」に追い立てられる恐怖を、良く感じていました。
それは7歳位までで、大きくなるにつれ、
あまり気にせずにいることもできるようになり、幸せだったのですが。
Commented by ふわ at 2008-10-09 16:07 x
>asukaさま
「喪失の体験」というフレーズを「確かにそうですね」と、あっさり流してしまった感があるので、k_penguinさんのお返事を待たずに、私がなぜ「確かに」と感じたか、述べてみても良いでしょうか。
もしかしたら、全然方向違いかもしれないんですけど。

私は「名前のないもの」は、個人的に喪失したもの、あるいは欠落したものを表しているのではないか、と感じています。
その喪失感、欠落感にそのこと自体の恐怖もあるけれど、おそらく失った物に対する強い憧憬もある。

しかし、どちらもあくまで本人だけのものなので、その大きさに潰されるのは本人のみ。
そして、いかな身近な者でも、手出しすることは出来ない。

本人が「名前のないもの」と真摯に対峙した時だけ、その全貌が明らかになるが、場合によっては、そのあまりの大きさに、明らかになった時点で押しつぶされることもあり得る。

そんな風に理解しました。(実に平凡な捉え方ですけど)

凡人でもそれぞれ「名前のないもの」をどこかに抱えているのかもしれませんが、たいした大きさに成らないから、押しつぶされることはないし、存在を感じない人すらいるのかも。
Commented by k_penguin at 2008-10-09 20:19
asukaさん
「喪失の体験」
うーん、難しいですね。
私も原理がよくわからないんですが、「名前のないもの」が出てくる場合、
必ずと言っていいほどその人には、自分の一部になっている程重要な誰かを失っていたり、何か不合理にひどい目に遭っていたりという体験があります。
でも、そういう体験をしたもの総てに「名前のないもの」が出て来るというわけではありません。
何か精神的に強い体験をしたものは、心を平静にするために表現行為をしたりします。その中には「名前のないもの」が表現させている、と、形容しても良いものもあるでしょう。
いわゆる芸術家と呼ばれる人達に、何らかのトラウマを抱えている人が多いことも、「名前のないもの」が関わっていると思われます。
「名前のないもの」は個人の自我と関わりがあると思われ、そのため、それと戦うのは当人一人だけということになります。

散文的な説明ですみませんが、なんかこんな感じで感覚的にまとめています。

ふわさんの説明もあわせてお読みください。
Commented by asuka at 2008-10-10 09:34 x
k_penguin様
ふわ様
お二人とも、わかりやすい説明をありがとうございます。
k_penguinさんは、ちょっと極端というか、かなり限定していると感じましたが、説明を簡単にする為と受け取って良いでしょうか。

喪失による満たされない飢渇や、
強い精神的、肉体的衝撃、苦痛から逃れたい思いは、
人を衝動的に突き動かす強い感情です。

感情を言葉にするのは難しいですが、
私には「渇望」という言葉が一番ぴったりきました。
ふわさんの仰る、「失った物に対する強い憧憬」ですね。

しかし、突き動かす物を自覚できる場合も多いのです。
それが「何か別のもの」へと化けるのはなぜなのか。
やはりそこが一番重要に感じます。

例え失ったものが補償されても、
渇望を埋めることができても、
化けてしまったものは消えないのでは、と思います。
Commented by k_penguin at 2008-10-10 18:45
私の方がふわさんよりも限定的にとらえています。

ここが難しいんですが、
名前のないものはあくまで名前がないのであって、「渇望」とか「愛」とか名付けた瞬間にそれは違うものになってしまいます。
名前のないものは、何かの抽象概念を象徴しているわけではなく「どんな言葉でも定義できないもの」として存在します。

「渇望」「愛」と言えば、それが満たされた状態、というのが一応想定できますよね。
「こういう満たされた状態でありたいのに、そうではない」ことから感情が生まれる。
名前のないものは名前がないので、満たされた状態もありえません。
際限なくでかくなっていきます。人の都合も社会で生きるのに必要な他の価値観もお構いなしに。
その際限のなさに人は恐怖し、そんなものが自分の中にあるという事実に耐えられなくなった者の心は壊れます。

何を契機として「渇望」「愛」がそういうものに変化するのかはわかっていません。
名前のないものを扱う物語でも、たいてい、初めから何となく居たり、いつの間にか居たりしています。
個人の自我が関わっているので、多分ある意味最初からいるのだと思います。
Commented by yut at 2010-01-14 21:15 x
観客が「それ」を見て笑うのは、「それ」が、実は身近で親しみやすいものだからだとお思っています。
Commented by k_penguin at 2010-01-14 22:08
「それ」を、身近で親しみやすいものととらえる観客もおられるかもしれませんが、
少なくとも私は「それ」を見て笑いません。
Commented by キナギ at 2011-06-27 18:02 x
おひさしぶりです。
ロールシャッハの時にコメントさせていただいたものです。
今回は短い質問をさせていただきたいと思います。

内からも外からも追い込まれているバニーにとっての助けというのは何に当たるんでしょうか。
観客からの理解や相方からの理解でしょうか。
それともバニーの中にいる○やジョンをいなくならせることでしょうか。逆に、バニーがそっちから消されることでしょうか。
私にもバニーの勝算は0に近いと思います。
ペンギンさんのいう助けとは、どういうものなのか教えて欲しいです。
それは相方さんのような人から得られるものなのでしょうか?
答えというものがあるのかはわかりませんが、私もバニーがいつか何の葛藤もなしに舞台に立つ姿をみたいと思っています。
Commented by k_penguin at 2011-06-27 21:38
キナギ さん、おひさしぶりです。コメントありがとうございます。
かなり前の記事なのに、あれからバニーをめぐる状況がびっくりするほど変わってないなあ。
なーんて思いました。

>バニーにとっての助けというのは何に当たるんでしょうか。
 バニーが求めていることは、「こんな僕を受け入れること」です。
観客にも、相方にもそれを求めています。
受け入れて貰えば、○やジョンは何かもっと素敵なもの(サイベルでいうライラレン的なw)に変わるだろう、と感じているようです。

でも、第三者的立場から見ている私は、それが答えではないと思っています。

>ペンギンさんのいう助けとは、どういうものなのか
 他人との関わりの中で彼自身を再発見できる事柄です。
 この記事書いたときは、第1次的に片桐さんから得ることを想定していました。
2次的に家庭。
でも、何かどっちも無理ぽ。

>バニーの勝算
 この記事書いたときは、
こんな無茶をどうしてやるんだろう?と、思ってましたが、
今じゃ、

・・・まあ、生きてるってだけで、もう勝ったようなもんだよね。

程度に構えています。
Commented by キナギ at 2011-06-28 01:19 x
お返事ありがとうございます!
私はバニーの作品に触れて自分の考えを整理するために、ペンギンさんの意見を読むことにしているので何度でも読ませていただいてます。

バニーはなんか…歩みのおそさでいえばむしろ亀ですね。
しかも前進してるのか後退してるのか…どっちもしてなさそうですし…
ああ、穴をほってるんでしょうか…

金髪先生で、死のうと思ったことは無いって言ってたんですがひどく納得ができました。
彼の中での死って、一般の概念とは違う気がします。
死ぬ価値もないって自分のことを思ってんのかなあ、と。

>他人との関わりの中で彼自身を再発見できる事柄

それを発見できるのは、どういう人でしょうか。
私は、彼と同じものを持っている、似ている人に出会えたら何かしら進むのではないかと思います。
でも、バニーが似ていると判断するまでが長そうですし、
そもそも、似ているってどういう基準で似ているとみなされるのか分からない。
こればっかりはどうしようもない問題のような気がします。

そして、ペンギンさんにとっての答え、が聞きたいです。
なんだか質問ばっかりすいません…


Commented by k_penguin at 2011-06-28 12:28
当ブログがお役にたっているようで、嬉しいです。

>むしろ亀
 たしかにw
彼の「前進」は、傍目から見れば問題回避行動にしかみえませんからねー。
回避できる問題であればそれで良いですけど、
それじゃ済まないこともあるわけで。

>死のうと思ったことは無いって言ってた
 そうなんですか。なるほどそうかもしれませんね。
バニーは「透明人間」ですから、むしろ、気を抜くと死んじゃうのかも。
彼の生きる意欲は強いですね。

>それを発見できるのは、どういう人でしょうか。
 これについてはキナギさんと同意見です。
「こればっかりはどうしようもない問題」
それはバニーが決めることで、私たちにわかることではないです。

バニーと似ている人なんて、駅前で配るほどたくさんいます。
バニーの心に見えていないだけ。
そして、それをバニーは知っています。
Commented by キナギ at 2011-06-28 15:18 x
バニーと似ている人、がとても気になります。
たくさんいるのに見つけられない、ということは
バニーが探そうとしていないからでしょうか?
舞台の上から一生懸命語りかけて、
気づいて助けてくれるのを待っているんでしょうか。

私はバニーに似ている人に出会ったことはありませんが、
子どもで、ひとりぼっちでわがままでかんしゃく持ちで意地っ張りで…なるほど結構いそうですねw
でも似ている人に会っても、バニーはただうるう人のように喜んでおわるだけなんじゃないでしょうか。
その似ている人がバニーと同じだとしたら、その人だってきっと回避ばかりして問題と直接対峙できないのではと思います。
バニーサイドが思っている助け、と本当にバニーが助かる方法は違うと思うのですが、私の考えはそこまで及びません。
ペンギンさんの考えるバニー救出方法ってなんでしょうか。
聞かせて欲しいです。
Commented by k_penguin at 2011-06-28 22:05
バニーが探そうとしていないから、というより、
受け付ける心の準備が出来てないんじゃないかという気がします。

>バニーと似ている人
バニー的にはそれは片桐さんだけでしょうね
(そして確かに回避ばかりして問題と直接対峙できない人のような気が^-^;)。

>バニー救出方法
 いや、それを考えるのはバニー自身です。
てゆーか、
問題から逃げるな、とか、もっと他人と関われ、とか、自分を否定するな、とか、
そーゆーことはバニー自身が良く言ってることだし。

そーゆー、リクツの問題じゃないんです。
心が受け付けないのです。
バニーの心は私たちが意図的に動かせるようなものではありません。
バニー自身の意図も受け付けていないのに。

私が言えるのは一般論だけで、そして一般論としては、
心を動かすのはやっぱ心だよね。とか
でも情熱があるからって必ず伝わるわけじゃなくって、割と雰囲気とか間とか、偶然的なものもあるよね。とか
いろいろもがいてれば何とかなることもあるよね。とか
いやそもそも、何とかならなくても、
このままの状態で100歳まで生きれば、それはそれでありなんじゃね?
とか。
そんな感じ。

<< スプーの快進撃 DOB君vsマウス君(村上隆v... >>