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割りばし死亡事故無罪判決をズボラに語る

この判決は、医者に過失を認定しながら、因果関係がないとして無罪を言い渡したものである。
要するに、医者はやるべきことを不注意でやらなかったが、たまたま、患者の方がやるべきことをやっても手遅れな人だったので、無罪、ということである。

さて今回は、この判決の法的構成について書こうと思う。
てゆーのは、この「過失はあるけど、因果関係がない」という構成は俺が見た範囲では意外と不評みたいだからだ。
不評の理由の1つは、無罪のくせにえらく文句を付けている、という点で、そーゆーグレーな判断は後味が悪い。白黒はっきりしろ、というもので、もう1つは、法的に言って、結果回避可能性がないのであれば、過失なしとするべきである、という法理論的なものだ。

俺は、今晩のおかずの魚のフライにいつから開封されていたか分らない、2005年7月が消費期限のごまだれを付けて平気で食べることができるほどのズボラさんなので、余り法的構成をうるさく言わない。一通り筋が通っていて、お役立ちであれば、いーんじゃねーの、と、思うくちだ。
何も白黒つけるだけが紛争解決ではない(刑事裁判だって紛争解決だ)。
医療分野に対して強制力が極めて強い刑事司法がはいる場合、医師の不適切な治療行為に対し刑事責任を問うと、適切な治療をする動機付け(インセンティブ)よりも診療拒否への動機付けになってしまう可能性がある、ということや、専門性が高くて自治社会を形成している分野への配慮と、それらに対し、不適切な治療行為の抑制のバランスを考える必要がある。こーゆーデリケートな利益考量が要求されるシーンでこの判決はなかなか良い感じに落としていると思う(今後医療過誤についてどのような手段で規制するのがよろしいかとかはもうわかんないので、パス)。
だから、もう1つの法理論的な反論に関して、ちょっとこの判決をどんなかんじで法的構成すれば「あり」になるのかっていうのを考えてみた。



判決要旨。

過失っていうのは、注意義務違反だ。注意義務は基本的に結果予見義務と結果回避義務からなる。
結果回避可能性は結果回避義務の前提になる。なにをどーやっても避けられない結果について責任を問うわけにはいかないからだ。
だから、過失がない、と認定するのが自然であるし、今回もいろいろな事情がなければそのように認定されたろうと思う。
実際、判決要旨も、過失の認定中なのに「最後に、結果回避可能性と因果関係について判断する。」とごまかした書き方をしている。

ただ、今回のケースは業務上過失致死だ。211条1項は「業務上必要な注意を怠り」よって人を死傷させた者、と規定している。業務上過失に関しては、どういう場合にどういう行為をするのが「業務上必要な注意」をつくした、といえるかがある程度客観的に認定できる。この認定の基礎事情は行為時のものになる。
つまり、業務上過失については、通常の過失よりも注意義務の内容がある程度定型化された行為として把握できるのだ。不作為犯の保証人的地位に似る。
従って、あくまで構成要件レベルの話として、定型的に判断すれば、定型レベルといえるまで一般的ではない事情によって結果回避可能性が無い場合を、過失の実行行為として把握することは可能ではないかと思う。

つまりこの場合で言えば、「割りばしをくわえたまま転倒し、のどにけがをした、頻繁に嘔吐を繰り返したのちに意識レベルが低下してぐったりした4歳児」が運び込まれてきたら、「付き添いの母親」と「本人に問診」する行為が「業務上必要な注意」をつくした行為として期待される、ということである。
なぜその行為が期待されるかと言えば、そうすれば「割りばし全部が発見されていないことなどを聞き出すことができた」だろうし、そんでもって、「専門分野の範囲内で情報を集め」たり「頭部のCT撮影を行」ったりして「事故の全貌(ぜんぼう)が分かる」だろうからだ。あくまでも判決に沿って言えば。
だから直接的には、母親と本人にちゃんと問診しなかったことが「業務上必要な注意を怠り」(過失)にあたる。脳神経外科の当直医に相談しなかったことや、割りばしが頭蓋内にまで達していたことを発見しなかったことではない。

ここで、「Aが甲に毒薬を飲ませたが、毒が効き始める前にBが甲をピストルで撃ち殺してしまった。」という事例と比較してみよう。
これはAの行為と甲の死に条件関係(因果関係)が無い場合の代表的な事例だ。
この場合でも、Aが「甲に毒薬を飲ませる」という行為が殺人罪の実行行為に当たることに問題はない。実行行為性の判断は一般的に行うので、Bの行為は考慮しないからだ。

過失犯は故意犯よりもはるかに定型性が弱い。だから、実行行為性の判断の時点で結果回避可能性が入ってくる。そうでなければ構成要件の自由保障機能がはたせないから。
ただ、業務上過失については定型性が比較的強く概念できるので、結果回避可能性も一応一般的定型的なものと、ちょっと特殊なものに分けることができ、後者をを因果関係の判断要素に持っていくことが可能なのではないだろうか。

今回の判決、こんな感じにとらえてみました。
最後まで読んでくれた方、
どーもありがとーございましたーm(_ _)m

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Commented by rnalength at 2006-04-06 01:52 x
 こんばんわ。お邪魔します。
 私は「無罪という言い方に結果なってしまうのはなんとなく嫌だなー」とは思いますが、判決としては非常にうまかったと思ってます。
 でもなんか数件のブログを見ただけで、司法の横暴だーと言う人もいれば医療に甘すぎるーという人もいるのを見て、まーやっぱり判決の一般社会的影響ってのはどうしてもそーゆー白黒もんに収束してしまうんだよなーと思いました。
  白片吟Kさんの言っているような判決の意図が世間に伝わればよいのですが…。

 そんじゃーねー。ノシ
Commented by k_penguin at 2006-04-06 12:22
物事を勝ち負けで判断するのって、分りやすいですからねい。特にTVはそーゆーこと好きですね。
まあ、TVでも『行列のできる・・・』では、勝ち負けはパーセンテージであらわして、勝ち負けを決め付けないように配慮してるようですが。

関係ないけど、
西原理恵子の漫画で、ぐちぐち飲んだくれてる奴にサイバラが一言、
「で、それ、勝ち負けでいったらどっちなん?」
とぴしゃりというシーンがあって、
この台詞はいつか機会があったら使いたいなと思ってます。
関係ないけど。
by k_penguin | 2006-04-06 00:36 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(2)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin