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『真夜中の弥次さん喜多さん』 分からん話を聞かせる方法

お久しぶり、のツタヤ半額レンタル。

今回はクドカンこと宮藤官九郎が監督の、しりあがり寿原作の期待の作品。
見た感想は、ごめんなさい、良かったです。なぜか謝ってしまうけど、良かったです。

原作はちょっと立ち読みした程度だったけど、ベタが多い暗い画面の、奔流のような勢いのある作品だった。
映画はハイキーな色合いでややさっぱりした画面、生身の人間がやってるから、生々しいとこがあるけど、嘘てんこ盛りの設定がその辺を中和している。登場人物は全て記号にすぎないからこれでオケ。
話も支離滅裂に見えて、こうなるべきだ、ってとこでちゃんとそうなっていて完璧に筋が通っている。

最初のしりあがり寿の絵でいっぱいの部屋の中に「おいら」「おめえ」って書かれた着物を着た二人ってだけで、予感で胸騒ぎがする。
・・・って書いた時点で、「絵かき歌」を思い出してはっとしたけど、実は両者のテーマの出発点は同じ場所。「私って何?」


話がわからない。
このテーマを扱うとどうしても避けられない問題を、どうクリアするか。
解決として、一番「あり」なのは、判らなくてもいーや、と思わせること。
OKを出させるには、リクツ以前の感覚に訴える。
いわゆるエロ・グロ・ナンセンスね。
エロ派が山本直樹。ナンセンス(ギャグ)派がコバケンやこの作品(コバケンが「コント」にこだわるのはこのためと思われる)、あと、いがらしみきお。グロ(ホラー)派は、ちょっと適当なの浮かばないけど、山岸凉子なんてそれっぽい。
あと、これらとちょっと外れて、テンポで押し流してしまうのが、町田康(コバケンもむしろこっちに近いな)。
「つかみ」だけで突っ切ろうとする無理やりさんが『エヴァンゲリオン』。
このやり方は、要するに「ごまかし」なので、下手をすると、他人をごまかしているうちについつい自分もごまかしてしまうことになる。
厳しいけど、それじゃ河は越えられない。

コバケンが今のところ、どうしても越えられない河を、弥次さんはどろどろに汚れて犬に食いつかれてヘビを持ちながらとにもかくにも越えている(一体何人の人が越えられて、何人の人が越えられないのだろうか)。
とりあえず、そんなんならなきゃ越えられないらしい。

うーん。ごめんなさい。今回はここで終了。また謝っときます。
by k_penguin | 2006-01-17 01:43 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


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