冤罪の建前と本音   

2006年 01月 14日

半年以上前にブログに書いたことがあるけど、ちょっと冤罪(っぽい)事件を扱ったことがある。
うちの事務所は、刑事事件なんて当番弁護くらいでしかやらないし、それもなぜか外国人事件に当たらない(刑事弁護センターの方で配慮してくれてる?)という、限られた範囲なのに、冤罪に当たったということは、宝くじに当たったと考えるべきなのか、意外と冤罪の件数は多い、と考えるべきなのかはおいといて、それはなかなか考えさせられることが多い体験だった。

考えたことの一部については、ここで記事を書いたり、某冤罪関係者支援ブログにちょいちょいコメントしたり、おかげでそことケンカになって、ID拒否を食らうというナスイ流れになったりしたわけだが、その際、考えたけれど、あえて書かなかったこともある。

なぜ冤罪はいけないのか?
についての一般の人といわゆる専門家との意識の違いだ。

何もしていないのに犯罪者の汚名を着せられるなんて、とんでもない。
ま、ふつー、これだわな。
では、そのときはたまたまやってなかったけど、実は前に何回も同じことをやっていて、それがばれていなかったとしたら?
同じ犯罪じゃないけど、同程度の違法性がある別な犯罪をやっていて、それがばれていなかったとしたら?
その場合、それは「犯罪者の汚名」というのかな?
「自業自得」とか「天罰」と言えるんじゃないかな?

法律的に言えば、冤罪は実体法の問題ではなく、手続法の問題なので、前に犯罪を犯していようといまいと関係はない。刑事罰は人罰であって天罰ではない。
その手続に出た公訴事実の有無だけが問題となるし、それ以外の事実を考慮してはいけないという建前だ。
しかしまあ、建前は建前なのだ。
実際、痴漢の冤罪で戦っていた人が、その最中に痴漢の現行犯で捕まってしまい、しかも自白した、という例がある。
建前から言えば、そのことと、以前の痴漢が冤罪であることは何の関係もないのだが、現実問題として、支援者がっくし。戦意喪失は避けられない。
専門家はこういう混同は起こさない。
とか言いつつも、量刑において余罪等が間接的に影響を及ぼす場合があり、これなんかニュアンス的に似たような感覚なのではないだろーか。

ま、つまり、冤罪といっても、「その犯罪事実」についてだけなので、別にその人が何も悪いことをしないままこれまでの生涯を送ってきた人だ、というわけではない。


さて、こういうことを思い出したのは、うちであつかったその冤罪事件の被告人について後日談を聞いたのだ。
その人は実は、「その事件については冤罪だけど、他に余罪がてんこ盛り(常習、自白)」の人だったのだ。
正直「1つくらいもーいーじゃん」状態。
でも冤罪は冤罪なので、きっちり仕事はしたが。
うちは一審のみの弁護で、控訴審は別の弁護士に担当が移り、判決確定後、その人が「お務め」中に控訴審の弁護士は他界した。
お務めが上がると、その人は、控訴審の弁護士の事務所に電話をした。そして弁護士がもういないと知るや、通帳を3つ預けたはずだが、それが全額引き出されていると言ってきた。もちろん誰もそんなこと聞いたことがないし、預り書もないという。
やれやれだ。

それを聞いたとき、俺が思ったのは、
「あー、冤罪の被害者って、ホントにふつーの人なんだなー。」ということだった。
いや、一般の人には、「恐喝」とかそーゆー、恐ろしい災難のような感じがするかもしれないが、常習の人にとっては、それはなんつーか、「仕事につながることを期待した挨拶」みたいなもので、それ相応の対応をして、お金につながる見込みはないということを理解させてあげれば、お引き取りになるものなのだ。
「相応の対応」は面倒と言えば面倒なことだけど。でも、向こうも仕事なんだし。
冤罪で人生変わっちゃう人もいるけど、元気に人生続ける人もいるんだな。

この人は、お世話になった弁護士のとこに恐喝まがいのことをしたけれど、それも生きていくうえの仕事だから仕方がない。
この人と、この人に冤罪を被せることになった組織の責任とは、一概に比較は出来ないかも知れないけど、やっぱり組織の方が悪いという気がする。
冤罪の被害者は必ずしもいい人ってわけではないけど、それでも組織の病理の方がずっとヤな感じがする。

そんなことを俺は考えた。
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by k_penguin | 2006-01-14 02:11 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(0)

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