『PAPER RUNNER』

久しぶりに
キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
ツタヤ半額レンタル。

KKP(Kentaro Kobayashi Produce)第3作。時期的には『CLASSIC』の後で2004年公演の作品。
KKPの中で今のところ最も出来の良い『Sweet7』のテーマ的には続編にあたる。
パティシエとマンガ編集者と、設定はまるで違うが、商売としての表現行為がテーマであることには変わりはない。

さて、マンガは誰のためにあるのか。読者のためか、作者のためか、お金のためか。
それを問いかけながらも、彼は答えを1つに絞らない。
これら3つは実は相互に関連し合っていて、どれか1つに答えを絞ることは出来ないのだ。この3つの差など気にならなくなった状態で、自分のあるべき形を見つけた表現の喜びが爆発する瞬間は何物にもかえがたい。
売れっ子漫画家が逃げた後に残った空白の12ページを一晩で埋めるべく、全員が一弾となって奮闘する瞬間、その一瞬のために全てはあるのだ。
ただ、横から口を挟むようだが、ストーリーマンガではせめて22ページ欲しい。12ページだったら、俺ならキャラはあのままで4コマ連作の形式にする。1ページを表紙にして残り11ページ。1ページネタ2本、計ネタ22本。
・・・と、俺まで参加した気分を味わってしまった。

ただ、構成が少しトリッキーに流れている。劇中で編集者が指導する「うけるマンガの王道」パターンに作品自体をのせているのだが、乗り切っていなくて、流れがもたついた部分がある。
逆に言えば、岡山から出てきたばかりの漫画家の卵である小俣(安田ユーシ)ではなく、素っ頓狂な編集者、渦巻(片桐仁)の方が主人公であると判断する小林賢太郎の作る作品は、本質的に決して「読者のため」には作られていないのだ。
KKPの作品では、第2作以降原則小林と片桐はどちらかしか出ない。
第1作、『good day house』を見ればわかるように、2人が同時に出ると、他を完全に食ってしまうからだ。
この回も小林賢太郎はキャストには名を載せていないが、カーテンコールで、逃げた漫画家、大林として登場する。そして俺はやはりちょっとでも彼は出る必要があると思うのだ。脚本家としてではなく、あくまでも劇中人物として。
なぜならこれは、やはり小林賢太郎が、小林賢太郎のために作った作品だからだ。
作品が読者と金のためではなく、作者たる彼のためにあるという意味ではない。
彼が表現を欲し、読者を欲し、金を欲し、そして何よりも、自分自身を入れる器を欲しているのだ。
その点から言って、渦巻が、「雇ってください」と頭を下げるシーンは極めて重要なのだが(「Sweet7」にはこれに相応するシーンはない)、前フリをあまりに引っ張りすぎて、逆に目立たなくなってしまった。こーゆーのって、コメディの宿命かも。

私達は何のために表現するのか。片桐が演ずる、神に与えられた不思議な能力を持ちながら、まるで社会的には役に立たない人物とは誰なのか。そしてなぜ彼は役立たずなのか。

ちなみに、無駄な繰り返しが多いような印象を受けるが、編集部(特に夜間の)では、まあ、あんな風に変な行動を雑多に繰り返すものなので、許す。
なお舞台の編集室の微妙な古さは、いかにも講談社だ(小林は講談社の漫画誌に連載を持っている)。講談社は社屋が複数で、新しい建物と古い建物が混じっている。旧館の編集室にはあんな感じの部屋もある。集英社、小学館は、もっと部屋が新しい。

なぜそれを俺が知ってるかって?
ひ・み・つ♥
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by k_penguin | 2005-11-13 01:00 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)
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