ラーメンズ(その3) Stage or TV? -Round2-

今月はラーメンズ強化月間。今決めた。

さて、1月ほど前に、舞台中心でほとんどテレビに出ない活動って、どうなん?的な話をしたが、先月に出たばかりのDVD『完売地下劇場REVENGE』に収録されている朝まで生バトルが見事に問題解決をサポートしてくれた。
水道橋博士を司会者とするこの討論はお笑いという表現活動を職業とすることについて考えさせられる多くの論点を含む、それ自体有意義な資料であったが、舞台活動からはわからないコバケンの弱点もよく見せていた。

それはつまり、協調性まるで無し。他人に使われることが出来ない、ということ。
これでは確かにテレビではやっていけない。テレビ番組は何をおいても共同作業であり、そして組織的な商売なのだ。
とはいっても、この程度の協調性の無さは、実力ある若い者ならデフォルト装備。
世間にもまれているうちに、角は取れるさ、と、いうのはあくまで他人が言う意見。本人にとっては崖っぷち。
ギリジンはふわりとした雰囲気のオタクさんだから、他人に頭を下げてはした金を貰うことについて割り切ることもできるだろう。しかし彼は、ラーメンズについて意見する立場に自分はないと思っている。

自分の意に反して頭を下げるくらいなら、金をたたき返す方がまし。
言い方はかっこいいが、その実、自分に自信がないことを隠す者が言う定番台詞だ。
「私は蛇とワニと戦って、下の娘を幼稚園にやりました!」と言い切る土田晃之の方がよほどかっこいいのだ(いやDVDに土田は出てないが)。
そのこともコバケンは知っている。自分は単に腹がすわっていないだけなのだ。
他人にあれこれ言われて自分が揺らぎ、無意識のうちに自分の作品が汚れること、いやそれ以上に作れなくなるかもしれないことが怖いのだ。

みんなに出来ることが自分には出来ない。
それは天は二物を与えない結果であり、責められることではないのだが(みんなに出来ないことができる者はその代償としてみんなが出来ることが出来なくなる)、やはり苦しいものだ。
でもって、現実問題として責められるしな、これが。「まあまあなのに」出来ないの?とか言われるんだ。これが。
ラーメンズはコバケン1人が背負い込みすぎた。彼の限界がそのままラーメンズの限界になってしまった。

テレビに出ているからといって、人間的に立派であるわけではないし、技量があるわけでもない。営業という観点からは無視できない大きな力を持つが、表現手段としてはテレビは1つの選択肢にすぎない。
しかし、あえて上から目線でものを言わせてもらうと、こうなってしまった以上、彼はいつかはテレビと対決しなければならないと思う。
前回、ラーメンズの作品の気になる点として、完結しすぎていることを挙げた。
コバケンは自分のことを本当によく理解している。
彼が演じるいくつかのキャラクターは全て同一人物の一側面である。自分を分析し、要素に分け、それを延長して作品に結晶させる。観る者は糸をたぐってゆけばよい。それだけ。糸は全て小林賢太郎にたどり着く。
そしてそれこそが問題なのだ。
だって、ふつーの人は、赤の他人になんかキョーミないからだ。彼は究極的に、自分のためだけに作品を作っているのだ。彼の作品は全てコバケンでありすぎるのだ。

表現者ならば、自分の作品がより多くの人に受け入れられることを望むはず。おそらく彼自身が、これを問題点として把握していると思う。彼はよく理解している人だから。
ただ、理解はしているが、対処方法は見つからない。鍵は束で持っているが、開ける扉がないのだ。

扉は外側を見つめて初めて見つかるものだ。内側ばかり見ていても見つからない。
そのために、やはりテレビとは何らかの形で対決しなければならないと思うのだ。
見栄とか営業のためではなく、表現のために。
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by k_penguin | 2005-09-27 23:45 | エンタ系 | Comments(0)

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