『うるう』2016版 02 森と接する場所

前回の公演のときの記事で、ワタシはマジルはヨイチの息子だと解釈した。今も原則としてはそれは変わっていない。これは作品中では明言もされていなければ、匂わされてもいない解釈だが、そう考えれば腑に落ちるところもあるからだ。

作品説明では、
うるう年にうるう日があるように、「ないはずの1」が世界のバランスをとることがあります。これは、カレンダーだけの話ではなく、人間もそうなのです。世界でたったひとりだけ余った人間「うるうびと」。彼が少年と友達になれなかった本当の理由とは……。

となっている。
しかし、実際は、ヨイチの存在が世界のバランスをとっていることの理由らしきことは一切語られない。ヨイチは父親の実験の結果として産まれた、通常の人間よりも4倍歳をとるのが遅い特異体質をもつ人間にすぎない(ついでにいえば、戸籍と国勢調査は別に関連づけられたりしないので。別に国勢調査から逃げる必要はない)。
で、少年と友達になれなかった本当の理由も、この特異体質と結びつけられていて、好きになっても、どうせヨイチより先に死んじゃうから、とか言ってたが、そんなこと言ってたら人間は猫も飼えないわけで、友達になれない理由として筋が通ったもんではない。しかも、そんなこと言いつつも、40年後、マジルがヨイチと同じ48歳になったら友達になれるらしい。
別に体質は友達とは関係ないのだ。ヨイチがマジルと別れるシーンで言う「そう考えることができたなら、僕たちは友達になれただろう」 という言葉に示されるように、要するに、ヨイチの考え方一つの問題に過ぎない。そのヨイチがこだわっている考えがどういうものなのかが示されていないので、何だかよくわかんないままにヨイチとマジルは別れを余儀なくされ、同時に、勝手にヨイチは待ちぼうけモードに入り(ヨイチはマジルと別れた瞬間から、大人になったマジルが来ることを期待している)、ワタシは、何もかも他人頼みのヨイチにうんざりしながらも、「でも舞台の色使いだけはきれいだなー」とか思ったりするのだ。



ヨイチがうるうの森で孤独にしていることで、世界のバランスが取れているというのは、ヨイチの主観に過ぎない。言い換えれば、「僕がいなければみんなうまくやれるんだ」ということだ。
そして、うるうの森がヨイチが閉じこもる世界であるならば、ヨイチと少年が友達になれない理由は、うるうの森に近寄るなという冒頭の歌に歌われていることになる。

冒頭の歌は、誰が子供に言っているものかははっきりしないが、母親が子供に言っているように聞こえる。それは、うるうに会うことが、子供にとって害悪であるから森に行くな、という内容である。
また、ヨイチの守護者であるはずの大樹、グランダールボは、ヨイチにマジルと別れるように言うときに、なぜか、本当のことをマジルに告げるべきだという。
なぜこれから関わりを断つ者に対して秘密を打ち明けなければならないのか。何も言わないでさっさと引っ越せば良いだけではないか。特に、ヨイチは本当のことを言えばマジルに嫌われると躊躇している。いつの間にかいなくなって「子供の頃森で会った不思議なおじさん」としてマジルの美しい思い出になっておけば良いではないか。なぜ「本当のこと」を告げて徹底的に縁を切っておかねばならないのか。グランダールボはいったい誰のために別れろと言っているのか。ヨイチなのか、それともマジルなのか。
8つの子供が理解できない「自分の本質」を告げなければ切れない深い縁、子供が会うことが母親にとって害悪であること。それは、離婚により父親と子が別れることなのではないか。

離婚して会うことを許されない父親と子供は友達にはなれない。しかし、子供が大人の事情を理解できる歳になって、自らの意思で会いに来てくれるなら、大人同士として友達になることはできるだろう。
この思考も、常識から見れば奇妙なものだ。そこには、子供に対する親の責任という観点がまるで抜けている。他人と関わる煩わしさと責任を嫌う一方で、ただ「友達」を求める、その思考自体が「コドモ」的であり、だからこそ、うるうの森に近寄ってはならないと言われるのであり、時が経つごとに社会が森をどんどん破壊していくことになるのではないか。

しかし、うるうの森では、美しい野菜が採れる。それはうるうの森でしか採れない。
うるうの森は守らなければならないし、ヨイチは森を離れることはできない。
うるうの森と人間達の住む社会が接する境界は、舞台の上しかなく、そこでお話と現実は一瞬接触し、そしてまたそれぞれの居場所へと帰っていく。


長くなったけど、まあ、そういうように俺はこの作品をとらえている。
『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』で、子供の件がそれなりに処理できたとみたので、うるうも多少わかりやすくなるかなーと思ったけど、それは全然だった。
『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』からすれば、マジルがグランダールボになるわけだけれど、それよりはやや現実を取り入れた話といえる。ただ、馬鹿(マカ)の出現を必要とするところからしても、あくまでも結末は「こうなればいいのに」という話に過ぎない。

4年前と比べて、コヨミさんのくだりが短くあっさりになったのは良いと思う。


うるうのもり
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by k_penguin | 2015-12-26 01:52 | エンタ系 | Trackback | Comments(13)
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Commented by kaz at 2016-01-11 19:09 x
こんばんわ。以前一度コメントしたkazと申します。今日北九州芸術劇場で、うるう見てきました。けっこう前のほうの席がとれたので、下から見上げる形となり、下から見上げた小林さんが大吉先生に見えて仕方なかったです。メイクのせいでしょうか…
感想など、また考えをまとめたらコメントさせていただこうと思います。
Commented by k_penguin at 2016-01-11 22:16
kazさん、お久しぶりです。
ワタシは東京に戻ってきました。
東京公演のチケットも押さえてあるのですが、たまたま暇が出来たときにたまたま当日券が取れたので、横浜にとりあえず行きました。

小林さんはあらためてみると、4年前よりも老けましたね。大吉先生に似ているのには同意です。

うるうの初演は、久々に心を揺さぶられたんだけどな~。
再演は懺悔の体の自己弁護の気配が感じられて、なんだかなって思いました。
うちのブログ的には、『うるう』と『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』は同じテーマを違う方向からあつかったものと解釈しているのですが、
『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』の方が嘘がないように感じます。
感想などありましたら、散文的なものでもよろしいので、
コメントよろしくお願いします。
Commented by kaz at 2016-01-14 20:04 x
こんばんは。お言葉に甘えて感想を書きに伺いました。
東京に戻られたんですね。私は九州から出たことがないので、東京少し憧れています。

さてさて、うるうについてです。
きれいな舞台だったと思います。森が深くなるのを線画で重ねて表したり、映像をうまく組み合わせて動きを出したり、それから白い野菜畑。小林さんの動きも繊細できれいなマイムでした。
でも、なぜかそれほど心が動かなかったです。自分でも信じられないのですが、途中で居眠りしてしまいました。
たいして笑えなかったし、あまり感動もできず、なんだか不完全燃焼な感じでアンケートも書かずに帰ってしまいました。笑ったのはクレソン先生のドクダミくらいでした。ヨイチがあまる、足りないエピソードがくどく感じてしまい、もういいよ、わかったよ、と言いたくなりました。そのわりにはマジルと心を通じあわせていく過程はあっさりしていて、だから最後にあんまり感動できなかったのかなぁ、なんて思いました。
続きます。
Commented by kaz at 2016-01-14 20:07 x
11歳の娘と一緒に見に行ったのですが、娘の「ホントの子どもが出てきた方が面白かったんじゃない?」という言葉に考えさせられました。小林さんにとっては、子どもを出さないことが重要なことだと思ったからです。不在による存在、見えないからこそ大切なもの。でも、そこがあまり伝わってこなかったように思います。
余る、足りないということ以前に人はみな孤独だし、だからその上に立った作品、表現を求めるのではないのでしょうか?以前の小林さんの作品にはそれがあったように思います。でも、うるうには感じられなかった。ペンギンさんが酷評されていたtakeoffでさえ感動して泣いた私なのに…
自分の感受性が低下したのかもしれません。
実は、ポツネンも見に行ったのです。ペンギンさんのご指摘で、同じテーマだっんだなぁと気づきました。あとマルポ便ですね。私はポツネンのほうが面白く見れました。抽象的な表現だった球根ちゃんのほうが、マジルよりリアリティがあったように思います。
Commented by kaz at 2016-01-14 20:09 x
ペンギンさんの深読みをふまえて観ていたのですが、じゃあ小林さんの求める友達って何なんだ?と考えてしまいました。
しかし、文句は言いつつ、結局絵本も買ってしまうであろう私です。マジルが主人公らしいので、読んでみようかと思います。
とりとめなく書いてしまいました。長々と申し訳ありません。腑に落ちない感じでしたが、自分の考えを書いてみることで少しスッキリしました。これからもブログ楽しみにしています。
Commented by k_penguin at 2016-01-15 01:13
kazさん、コメントありがとうございます。

一読して、感じたことが私とほとんど同じであることに驚きました。
きれいであることは認めるけれど、その割りには心が動かなすぎるので、自分が年をとって感受性が低下したせいかもしれない、と、私も自分を疑っています。
グチになりますが、老眼が進行したせいで、目を使うのが苦痛になってきたんですよね。仕事で目を使うので、娯楽のために目を使うとなると、つい、
眼精疲労をためてまで見る価値があるのか?
と躊躇してしまいます。

子供との交流の話なのに、本物の子供を出さなかったことは、演出的には失敗だと思います。子供って、言葉の抑揚や、表情など、非言語的表現に頼って自分の心情を表現する部分が大きいし、言葉と表情が裏腹な場合も多いです。
だから、動きや表情の大部分がわからなくて、しかも、喋る言葉が、ヨイチによる繰り返しでしか聞けないのでは、その心情を感じ取るのは難しく、舞台を観ていても、マジルが何を考えているのかわからない、ひょっとしたら、「大人ってちょろいぜ」くらい考えているのではないかと思ってしまいました。

「子供が存在しないこと」こそが小林さんにとって重要だったであろうこともわかりますが、少なくとも、こういう形で人様に見せるべきではないアイデアであり、この舞台は、演じるものの自己満足のための舞台だと思います。
Commented by k_penguin at 2016-01-15 01:13
っていうか、再演を見て、本当に子供との交流が書きたかったのかな?と思いました。
ヨイチがマジルに別を告げる感動の?シーンがあった後に、別れなくてはならない理由である自分の出生の秘密をマジルにうちあけますが、その打ち明け話をさあ、語ろうと言うときのヨイチが「さあ、話のすごさに刮目せよ!」みたいなテンションの高さだったんですね。
別れることの悲しさなんかより、自分が「足りなくて余る人」であるという中二病設定の方が大切なんだなって感じて、萎えました。
ワタシは、この作品を自分の子供との(おそらく離婚による)別れ、ととらえています。子供を引き留めることも出来なかったダメ親父の自己弁護ととらえれば、本質的に孤独であるとくどくど繰り返すことや、子供が存在しないこと、そして、子供との交流がメインにしてはあっさり過ぎることなどが腑に落ちるからです。
そういう点からは、見えない子供を母親のいる家に届けるマルポ便、球根ちゃんが成長して出て行くポツネン氏などを経た現在は、この件については一段落していて、別にうるうを再演することもないんじゃないかと思いました。

>絵本
 そうだ、絵本出るとか言ってましたね。小林さんによる、マジル側のストーリーが出れば、確かにこの件は完結となりそうです。
まあ、ワタシはとりあえず立ち読みで済ませようかなと。てへ。
Commented by k_penguin at 2016-01-31 15:19
小林さんの求める友達って何なんだ?
について、たらたら考えてました。
それは、少年時代の友達に似ています。大人になったらどうしても考えちゃう「世間」とか「社会的地位」とかと無縁な、自由な関係のアレです。
でも、それとは確実に違う点もあります。
あるべき友達関係が端的に示されているシーンは、間違いなく、うるうごっこでマジルのクラスメート達を混乱させるシーンです。
そこでワタシがどうしてもひっかかるのは、ヨイチがマジルに敬語を使い、上下関係が逆転することです。
彼らは少年同士の対等な関係になるのではありません。急に相手に「さん」付けする「逆転」が起きています。

ここまででワタシの思考は止まっていましたが、さっき、たまたま過去記事の 「行ってないけど『劇作解体新書-小林賢太郎「TEXT」』http://shiropenk.exblog.jp/17011365 」を読んでいて、共通点に気がつきました。
『TEXT』の「不透明な会話」についてワタシは、
 彼は自分の存在を自分で肯定する力を持たないが、上下関係が崩れた瞬間にはその呪縛から自由になれて、自分の存在を肯定することができる。しかし、それは一瞬のことであって、持続しない。
と分析しました。

うるうごっこでもそれと似たことが起きたのではないでしょうか。
ヨイチはいろいろ不自由そうな方ですしね。

だとしたら、小林さんの求める友達とは、
その一瞬をもたらしてくれる人
であることになります。
年齢差がなくなる一瞬もそうです。

そして、その役割を今の小林さんは、多分観客に求めているんじゃないかという気がします。
Commented by kaz at 2016-02-02 19:42 x
こんばんは。前回コメントをさせていただいたkazです。リアルな生活におわれておりました。私が丸投げていた友達のことまでコメントをしていただき、とても嬉しいです。ありがとうございます。
私もよる年波には勝てず老視が進行中で、眼精疲労を押してまで見る価値があるのか?というお言葉に思わず笑ってしまいました。いろいろ細かすぎるんですよね、まったく。
不在の子どもへの想いは、マルポ便のほうがうまく表現されていたと私は思います。最初に見た時はペンギンさんの深読みを読んでなかったのですが、切なさや悲しさ、子どもへの愛しさをなんとなく感じたんです。そして深読みを読んで見直してみたら、すごく腑に落ちたし、見えない子どもを出すことの意味もよく理解できたんですよね。でもうるうではまっっっっったく感じられなかったです。私が使うのをためらった中二病という言葉をペンギンさんが躊躇なく使っておられたので笑っちゃったんですが、やっぱりそこがメインでしたよね。私がうまく言葉にできなかったことを整理していただいてありがたかったです。
Commented by kaz at 2016-02-02 19:59 x
小林さんの求める友達とは、自分の存在を自分が肯定できる一瞬をもたらす人…
なるほど、と膝を打ちました。それってまさしくラーメンズ時代の片桐さんだし。自分が肯定できる、っていうところがみそですね〜。でもそう考えると、なかなかにヘビーな人生です。森に棲むというより、荒野に佇むような。
他者からの肯定では無く、自分による肯定と考えると、今回のうるうはとてもしっくりきますね。マジルとの交流より、ヨイチの孤独の方を強く表現してしまうのもうなずけます。
ペンギン様の考察のおかげで、私のうるうに対する不完全燃焼な感じはかなりスッキリしました!ありがとうございます。

ラストで、ヨイチが森をかけていくシーンは、感受性が鈍ってきつつある私がぐっときた唯一のところです。なんだかよくわからないけど、悲しくて切ない気持ちになりました。ストーリーから考えると、マジルと再開おめでとうございます、ってな感じでハッピーになるはずなのに…?なんでかなぁ〜と思っていました。
今思うと、失われ続けるモノを追いかけざるを得ない悲しさだったのかなぁ〜と思います。

Commented by kaz at 2016-02-02 20:01 x
ちなみに、ペンギンさんがご覧になった時、スイカ、おすしのアンケートのくだりで、ラーメンのこともありましたか?私が見た時は急にラーメンという単語が出てきてちょっとびっくりしました。アドリブっぽいかんじだったのですが、アドリブじゃないことをアドリブっぽく言うことも多いので、気になりました。福岡だからリップサービスのつもりだったかもしれませんね。
うるうを見た直後は、小林さんの舞台はもういいかな、などと思っていたのですが、ブツブツ言いつつも、もう少し小林さんの表現するモノを見ていこうかなと思います。面白いかどうかは別として、こんなの他ではあんまり見れないですから。
Commented by k_penguin at 2016-02-03 22:13
リアル生活、きついっすね~
私もヒーヒー言ってましたが、最近少し余裕が出てきましたので、小林さんの友達について考えてみました。
でも悲しいかな、新しい記事を書く余裕まではまだないです。

>ラーメン
 ラーメン、あったかなあ?覚えてないや。
スイカとおすしは、タネだけ食うとかしょうゆだけ飲むとか言ってたなって思いだしたけど、ラーメンは何も思い出せないから、なかったかもしれないです。

> ヨイチが森をかけていくシーン
あれは私もはっとしました。確か初演ではなかったシーンです。
初演のとき、森でただ歌ってマジルを待つヨイチの消極性を
「お前は姫宮アンシーか?」ってつっこんだ覚えがありますからw

ヨイチは自分を守るために人間から離れる方向にばかり進んでいましたが、マジルに会うために初めて逆方向に走るわけです。
こにまま森を走り出たのであれば、それはすごいことですから注目していました。
どうも森を出たわけではなさそうでした。でも、森の中をずいぶん走ったようですから、2人が落ち合った場所は森の深部というわけでは無さそうです。
2人が落ち合った場所が、彼の世界である森と我々「余ってない」人間の世界の境界にあたる場所であり、彼の心がいられるぎりぎりの場所ということになります。
そこはどこなのか。
さすがに、ここだけはワタシも気合いを入れて舞台を見つめました。
そして、今までずっと座っていた青弦さんが立ち上がる。小林さんと同じ目線になる。共演者であり、人間です。
 ここは、「舞台」だ。舞台が森と人間世界の境界なんだ。
そう感じました。

と、いうわけで、私はこの記事のタイトルを「森と接する場所」にしました。
舞台の上が、彼の心がいられるぎりぎりの場所なのだと思います。
Commented by k_penguin at 2016-02-22 19:47
『うるうのもり』を読んだのですが、
公演を見た人が思い出にする程度の意味しかないのではないかというのが正直な感想です。

単純に絵本として読むと、
絵は良いな、と思うんですが、平板な印象でインパクトがイマイチないし
話のテーマがまるでわかんなくて、心に残るものもないし。
話の前半はマジルが語ってる感じで、絵の視点もマジル目線で描かれているんですが、
マジルがうるうのどういうところに興味を持ったのかぴんとこないままに話がさくさく進んでいくので、
だんだん、マジルに感情移入できなくなってきて、
 誰が何のために語っているんだ?
と、混乱してしまいました。

マジルがなんで大人になってから戻ってきたのかも理解できないし
絵も途中から説明的な構図になったりするし、
結局この話はうるう視点なんじゃないかと思います。
まあ、自他の区別がつかなくなるのは、小林さんの毎度のことなんですが。

余計なことなんですが、
もっと、暗号めいたもの、例えばエスペラントとか、魔方陣とか、
そーゆーのをデザインとして取り入れて
謎ましくすれば、
平板な絵の印象と合致するし、話がわかんないのも何となく流せるしで
作品として成立したんじゃないかと思いました。


法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


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