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小林賢太郎演劇作品『ノケモノノケモノ』

当ブログは、小林賢太郎に文句を言うブログ、ではない。
ちゃんと、評価すべきと思うときは評価している、と思う。多分。
で、今回の作品について言えば、おそらくKKP初の、話が破綻していない作品である。
と、いうわけで、文句はない。
おしまい。


  で、終わらせてしまいたくなるくらい、話が破綻していないってだけでほっとしている。
大して笑わなかったけど、コントだと思わないで、演劇だと思ってればいい。そば屋のイミフな動物例えやりとりとか、楽しいとこもあったし。
人物の掘り下げが相変わらず浅くて、これが小林さんが作った作品でなかったら、中学生か高校生の作品かなって思っちゃうとこだけど、その辺は、演劇だと思わないでコントだと思っておけば良い。一応、主人公が自分を否定するのをやめたってことなんだろうなって解釈できるし。
テーマの主張が弱いけど、『振り子とチーズケーキ』よりずっとまし。
だから文句は言わない。
とにかく話が破綻していないでよかった。うんうん。

小林さんの脳内世界の表現という点で、今までの作品と変わらないし、また、相変わらず小林さんは、のけ者中ののけ者で、ひとりぼっちなんだけど、いままでは言葉やストーリーに反映されていた黒い部分が、今回は、ストーリーではなく、美術の面で表現されているように思う。視覚表現だと黒いとこも雰囲気で流せるし、背景の動かし方や作りが、折りたたみ式ボードに映像投影という手作り感ある小林さんらしいちゃちさであるところも(これは文句ではない)、黒い部分を余り気にしないですむような効果が出ている。
ま、とにかく、話が破綻していないってことだけで、十分っすよ。
これから観るみなさん、楽しんできてね~。




物足りない方とあらすじが欲しい方へ、ネタバレと深読みちょっとだけ
大手自動車会社の営業、ハラミヤ(音尾拓真)は、新工場の候補地である獣が淵という田舎のバス停で、イルマ(小林賢太郎)と名乗る変な男に出会い、変なバスで、変なところに連れて行かれる。そこは生き物が生まれる前の場所で、創造主が生き物を創造してる町。で、なんかかんかあって、ハラミヤは、他と違っていたいのに他と同じでいたい自分って、何なんだろうとか疑問を持つようになって、で、いろいろあって、創造主に、「他と違っていたいのに他と同じでいたい生き物ってプランで設計したのはニンゲンだよ」とか言われて、納得して、自分はほんとはミニカーが大好きなのに、その趣味はかっこわるくてのけ者にされるからと封印してしまってたことを思い出し、で、現実世界に帰ってきてから、実家にミニカーを取りに帰ることにする。田舎者と言われるのが嫌で隠していたけど、実は獣が淵はハラミヤの故郷だったのだ。


今回の話が破綻しないで済んだのは、ハラミヤが主役になり、小林の演じるイルマが完全に脇役になったためだと思う。てゆーか、ロールシャッハとかも小林は脇役だったはずなのだが、どうにも脇に収まってくれなくて、真ん中に出てきてしまっていたのが、今回はおとなしく狂言回しに収まってくれた。
神が創造したすべての生物についての本が納まっている図書館にイルマの本だけはない。彼は人間によって作り出された人間だからだ。イルマは人類の本全部に目を通し、自分に関する記載を見つけようとする。そして、ハラミヤの本に自分との出会いの記載を見つける。イルマは本の記載にしたがって、ハラミヤを創造主の町に連れてきて、案内し、そして別れる。短い間のおつきあいだけど、イルマにとっては、自分が存在する証はそれしかないのだ。
 ここからわかるのは、イルマを小林さんとすると、ハラミヤは観客であるということだ。この点で、この作品はP+に似ている。
 ハラミヤは、組織や持ち物や有名人などでしか自分を語れず、自分を持たない奴と設定されている(ロールシャッハの串田と同じような設定)。ロールシャッハのときも書いたと思うが、いくら他人からのけ者にされたくないとはいえ、そこまで自分をもっていないやつは、逆にのけ者にされるものだ。自分が何者か問われる代表的な場面は就職面接である。組織が必要とするのは、自分の言葉で自分を語れる者なのだ(少なくともそういう建前をかいくぐるために多くの就活本はある)。
 しかし、そんなふわふわした設定も、ハラミヤが観客という、もとから人格を持たない存在だとすれば、合点がいく。そんな中二病をこじらせたようなハラミヤがちょっと「ミニカーが好きだった自分」を肯定しようと考えたとしても、大した自己改革にはならないが、イルマとしては、それで十分すぎるほど十分であろう。

創造主の町ではどこにもない文字と言葉がつかわれている。
言語でない言語を使う場所。そこでこそ小林さんは力を発揮する。


追記

後から考えて、ハラミヤがイルマと別れるシーンで、「あなたとまた会えますか?」って尋ねるとこに違和感を覚える方も居るかもしれない。
と、思いました。

まだ「またここにこれますか?」ならわかる。
しかし、ハラミヤはイルマをガイド役として異世界の物見遊山をしただけで、2人はそれほど個人的交流がない。会いたい理由がない。
またもしも、イルマの孤独にハラミヤが心を動かされたのなら、言うべき言葉は「一緒に、もとの世界に戻りませんか?」であるはずだ。(で、イルマに断られてから「あなたとまた会えますか?」)

でもまあ、ハラミヤは客だしね。客が小林さんに、舞台から降りませんか?って言うわけないし。
そして、創造主の街全体(住民含め)が小林さんなんだから、「またここにこれますか?」も「あなたとまた会えますか?」も同じなんだよね。小林さん的に。
つまりテーマは「また見に来てね!」ってことで、
話に破綻が無いから文句はないけど、誉めようも無いんだな~。


小林賢太郎演劇作品「ノケモノノケモノ」DVD
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Commented by のんきなK at 2014-05-25 22:46 x
文句はないけどほめようもない ですか。
うん、そうですね。

背景の美術は面白かったです。
作業量もあっただろうし、ほめてもいいんだけど
「プロジェクションマッピングのようなことを
アナログ的な手法でできないかと考えました。」
とかなんとか得意気に言ってそうで・・・・・・

賢太郎さんの動きは相変わらずきれいだなぁ とも思いました。

う~ん、まぁ、それだけかな。
別に演劇に深い意味を求めたりはしていないのですが。




Commented by k_penguin at 2014-05-25 23:31
せっかく異世界に飛ばされたのに、
そこの住人たちとさしたるコミュニケーションをしていませんから、
話が
小林賢太郎という個人が空想した世界のご紹介
でしかないんですよね。

普通だったら、CGやプロジェクションマッピングで
リアルに見せようとがんばって
「ただの空想世界じゃん」と言われないようがんばるのですが、
そこを手作り感満載でやって、逆にただの小林さんの空想であることを主張しています。

オリジナルのキャラをオリジナルの世界で動かしてお話を作るって
小学生もやる基本で、
それは主張したいテーマがあるお話ではなく
やりたいからやって、誉められたくて見せる(当然誉められてしかるべきものだと本人は考えている)。
そーゆーの見せられた大人としては、誉めようがなくて、
 …よくがんばったね
とか言ったり、
 …けものそばのけものって、なんなんだよ?!
と、相手に合わせてあげたりするくらいしかないです。

あ、ワタシはけものそばは、キッコロだと思いました。
Commented by まきこ at 2014-05-27 15:19 x

はじめまして。

私も振り子よりはいいかなぁくらいの感想です。好きっていうのは難しいですね。

映像の立体感とか仕掛けは面白かったです。小林賢太郎的には手書きで手作り感満載でやるからこそ意味があると思ってるのだと思いますし、そこをただの映像投影でやってしまったら、らしくないとは思いますね。たぶん演出だけでいうなら意欲作品としてこの作品を作ったんじゃないかなぁと。


最後の「あなたとまた会えますか?」は私的にはイルマの存在意義をハラミヤがまた与えたという意味だと思いました。ハラミヤの本にあった役目は果たしてしまった=もうイルマには存在意義がない。そこでまた会うという役目を与えたんだと思います。
Commented by k_penguin at 2014-05-27 19:09
まきこさん、初めまして。
感想ありがとうございます。

背景は、小林さんがやりたかったんだろうなあって熱意が感じられました。
プロジェクションの方がリアルな立体感が出るんでしょうが、
あの異世界は全部自分で創造したかったのでしょうね。

>イルマの存在意義をハラミヤがまた与えたという意味
 ワタシも、そういうことだと思いますが、
でも、自分の存在意義って、自分で決めるものじゃないでしょうか。
ミニカーを好きであることが恥じることでは無いのなら、
自分の本がないことくらいどうということは無いし、
本なんか気にしないで済むこっちの世界で、好きな物作れば良いと思うのです。
Commented by K⭐︎SAKABE at 2014-06-26 12:58 x
大阪これからです。
なのでコメントするのも気が引けるのですが、
図書館の本の記述に自分の名前が出てこない、ですか?
ネットで自分の名前検索してる中学生ですね。
友好的な記事であることが、条件でしょうけど。
Commented by k_penguin at 2014-06-26 20:19
SAKABEさん、気合い十分ですね~
頼もしいです

「図書館の本の記述に自分の名前が出てこない」
ではなく
人間なら各自1冊必ずあるはずの本が自分のだけ無い
なのですが、まあいーや。
ご覧になったら、感想下さい。
「振り子」と比べて今回はコメントが少ないんですよ。
作品のレベルはあまり変わらないと思うんだけど
コメントが余り入らないのは
この記事が誉めてるのかけなしているのかわからんからかなあ?
Commented by K☆SAKABE at 2014-06-27 00:05 x
>この記事が誉めてるのかけなしているのかわからんからかなあ?

褒めてると思って読んでましたが・・・
破綻が無いということだけで、とりあえずはイライラしないで見られそうです。

役柄としては脇役なのでしょうが、小林自身、それで収まる(承知できる)ほど大人ではないので、俺様な脚本になっているのであろうと今から決めつけてます。
いやpenguinさん、きっとそうだと思います。
「あなたとまた会えますか?」は、そういうことなのだと。
前作が前作なので、小林そのものに関わるのもおっくうだったんです。
KKTV見てませんし。
コメントが少ないのも前作の影響なのかもしれません。
Commented by k_penguin at 2014-06-27 09:25
>小林そのものに関わるのもおっくう

あ、それ、わかるわあ。
KKTV6の記事が適当すぎるのもそのせいだし。
ちゃんと見直さなきゃなあ、とは思っているんですが、
どうせ俺様なテーマなんだろうなって気がするし。

おっくうなら見なけりゃ良いじゃん。
とか言われそうだけど、
そうじゃなくて、
この辺は、早送りにしたいとこなんですよ。
小林さんは、同じこと繰り返して、ときどきターニングポイントが来るから
展開が変わるのかまた繰り返しに入るのか確認するために
ターニングポイントのとこだけ見たいんですね。
(最近Youtubeでまどまぎの叛逆のさわりだけ見たからこういう説明になりました^-^;)
Commented by てん。 at 2014-06-28 10:56 x
はじめまして。私はKKP全般が好きなんですが、ほめる感想を見たことが無いので複雑な気持ちです。
話が破綻している、というのもピンときません。

私は、KKPに込められている教訓のようなものはどうかな、と思ってしまうこともあります。
しかし、そうでもしないと賢太郎さんのつくる非日常にオチが付けられないのではないでしょうか。彼らの「日常」を描いているわけですから。本公演を見ていても、そこで終わるの?というくらい突然終わるコントもありますし。
だから無理があると感じる方もいるのかなと思います。

ハナモゲラ語も「ない慣用句」もいらないよというのをよく見かけますが、あれはKKP以外で賢太郎さんを知って観に来てくれた方々へのサービスだと思っています。ぼくが知っている賢太郎さんではない、というところに、知っているネタが挟んであったら嬉しくはないでしょうか。

もう一つだけ。
「また会えますか?」は自然に感じました。
一連の体験の中で最初に出会いきっかけとなり、別れる時まで近くにいた人物です。
何か楽しいことがあれば、その場所に一人で行くのではなく、一緒にいた人とまた別の場所ででも会いたいと思うのは自然ではないでしょうか?
Commented by k_penguin at 2014-06-28 14:55
てん。さん、コメントありがとうございます。

KKPに対する批判に対する反論については
正直、論点がずれていると思いましたが、それは作品に要求するものが人によって違うからなんだと思います。
てん。さんの思う、KKPの良い部分を語ってもらう方が、早いかもしれません。
その良い部分が、良くないと言われている部分を超えているから、
KKPのことを好きなのだろうと思います。

ちなみに、
「ない慣用句」に関しては、ワタシ的には、この作品に要らないとは思いません。
「ない慣用句」はときどきネット大喜利で扱われるお題で、
ノケモノに出てきたのよりもたくさんの面白いネタがあるのですが、
そーゆー問題ではなく、私たちのいる世界と似ているけど微妙にずれているあちらの世界
とのディスコミュニケーションを示すのには適当な素材だと思います。
語感もなかなか楽しかったし。


>一緒にいた人とまた別の場所ででも会いたいと思うのは自然ではないでしょうか?
 そうであるなら
「一緒に、もとの世界に戻りませんか?」
と言うべきだと思うのですが。
Commented by tibohati at 2014-07-02 21:13 x
はじめまして。
少し思ったことですが
てん。さんの「また逢えますか」は
自分も違和感はありませんでした。
不思議の国のアリスのような世界に
いきなり連れて行かれて
自分の常識も何も通じない世界で
唯一頼れる人がイルマだったわけですから、
これでお別れというのは寂しい。
と思うのは自然な感情のような気がします。
ただ、一緒の世界に戻りたいと思えるような
親交もなかったから
「また会えますか?」
という言葉になったのかなあと思いました。
個人的にはハラミヤがイルマに
「いろいろお世話になりました」
というシーンの方が気になりました。
だってこんな、わけのわからない世界に
連れてきたのはイルマですよね。
お世話をするのは当たり前ではないかと
思ってしまいました。
確かにこの世界に来たことで
ハラミヤにとっての、多少の価値観は
変わったかもしれません。
が、それにしても
腑に落ちない。

Commented by k_penguin at 2014-07-02 23:25
tibohatiさん、コメントありがとうございます。
コメントを読んでいて
イルマはハラミヤにとってどんな存在だったのだろうか
と、あらためて疑問に思いました。

勝手に訳のわからない世界に連れてきて、
勝手にお世話して
かってに元の世界に送り返しただけの人
であれば、
「また会えますか?」
も、妙ですね。むしろ2度と関わりたくない。
ハラミヤがあちらの世界で何か得るものがあったから
「いろいろお世話になりました」
と、お礼の1つも言うわけです。
収穫はミニカー好きの自分を認めたくらいのもので、
大した収穫とはいえないと思うのですが、小林さん的には大物なのでしょう。
とりあえずそう考えておきましょう。
Commented by k_penguin at 2014-07-02 23:25
そして、「また会えますか?」を言ったのは、イルマがハラミヤの本を持っているときですよね。
本にはハラミヤの一生が書いてあるけど、それは事実と違う部分もあると
ハラミヤが指摘します。つまり、本は不完全です。
それを前提として、
ハラミヤが、自分のこれからの人生について、1つだけ教えて下さいって言って、その質問が
「また会えますか?」ですよね。
本にはイルマとハラミヤの再会については記載されていないはずです。それはイルマが即答しないことからわかります。そもそも、人生における唯一の邂逅だからこそ、あれだけのお世話をしたのです。
しかし、イルマは、また会えると答えます。
本が不完全だから、ハラミヤが望めば本と違うことも起こるからです。
つまり、「また会えますか?」には本に書かれた運命を変えるだけの強い思いがこもっているのです。

ならば、
本の記載なんか尋ねずに、直接的に
「もとの世界に戻ろう」
と、言うべきだとワタシは思うのです。
もともとイルマは人間なんですから。
Commented by まーぼー at 2014-07-04 03:56 x

初めてブログを拝見しました。
私も小林賢太郎含め様々な舞台を観ております。

私の中では小林賢太郎作品の楽しみ方というものがありまして、これはその他の演劇作品を観る時とはかなり異なります。

まずは、ある程度の事はお約束として受け入れること。
正直、話の粗は多いです。それに伝えたい事も一般論な上に、純粋過ぎて恥ずかしくなる事が多々あります。私は、そういうものだと思って気にしないようにしています。そこで引っかかると小林賢太郎作品は全く楽しめません。小林賢太郎自身も非日常の中の日常を描いていると言っているぐらいですから、そこに私たちの常識を当てはめようとすること自体が無意味だと思ってます。

もう一つはエンターテイメントとして観る事。
一括りに演劇と言っても様々な形態があります。啓蒙からコント調のものまで、懐が深いのが演劇です。(日本でTHE演劇というものが確立されていないせいもありますが...)小林賢太郎作品は表現方法や、独特の言葉遊び、世界観を楽しんでこそだと思っております。

エンターテイメント作品として観る時、筆者様のように細部まで考えて観てしまうのは、損な気がします。こういう作品は結局は楽しんだもの勝ちです。
Commented by まーぼー at 2014-07-04 03:57 x
続き

例えば、騒がしいのが嫌いなのに、ヒップホップの舞台を観に行って、終わって文句を言う。これじゃお金と時間の無駄です。

それなら、馬鹿になって楽しむか、はなから観ないかのどちらかを選ぶ方が私はいいと思います。

ものの見方は人それぞれですので、押し付ける気もございませんが、私はそのようにして小林賢太郎作品を楽しむようにしております。

(それでもTRIMPHは全く楽しめませんでしたが...笑)
Commented by k_penguin at 2014-07-04 20:00
まーぼーさん、コメントありがとうございます。
楽しみ方は人それぞれですね。
ワタシは、まーぼーさんとはまた違う楽しみ方をしております。
もしワタシがまーぼーさんと同じように、エンターテイメントを求めるのであれば、
小林さんの作品をいくつも見たりしないと思います。
世界観を楽しむのであれば、2つも見れば十分だし(どれも似たような世界だから)
言葉遊びならば、初期のラーメンズの方が楽しそうだから舞台よりソフト見てた方が良いし、
余計な説教臭をいちいち無視する手間をかけるより、最初から説教なぞしないお手軽なお笑いをTVで見る方が良いです。
Commented by k_penguin at 2014-07-04 20:00
ワタシは小林さんの作品にエンターテイメントを求めていません。
小林さんという天然キャラの内面を見物しに行く野次馬のようなものです。
野次馬からすれば、
天然さんは、天然でいることこそが望ましいのであって、
下手に、エンターテイメントなぞしない方がよろしい。
話には粗があるようですが、それは天然さんなりに完璧な話なのであって、
ただ、一般にすぐには通用しない論理の飛躍があるのです。
天然さんは、勝手に自分で発明した言葉でテーマを語ったりするので、理解されにくい。
ワタシもよくはわからないし、わかってあげる必要もないと思いつつ、
あーゆうことかな?こーゆうことかな?と考えてあげたりする。
それがワタシの楽しみ方です。

「非日常の中の日常」なんて言ってみても
つまりは、天然さんの脳内日常ではありませんか。
私たちの推測を超えるものではないと思います。
私たちのいる「日常」が「非日常」ではないと言い切ることもできませんしね。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-07 15:34 x
見てきました。
なかなか健闘していたかな、って言うのが率直な意見です。
彼の脳内世界を具現化した、言ってみればポツネンネタを数人で演っているような感じ。
それが功を奏した感は無きにしも非ずです。
小林が脇に回っているように見せて、実は小林演じるイルマの存在を際立たせるための外堀をそれなり築いた結果、あれこれ説明がついて破綻を起こすことなく完結したとういところでしょうか。
ハラミヤを小林が演じていたら、ハラミヤの自己主張ばかりに終始した本になってしまっていたのではないかしらと思わないでもないですし。
本人が言っているように当て書きがされているのでしょうから、自らが演じないハラミヤの存在感は、自身が演じるイルマありきでなければとばかりにかなり細かな書き込みがされているように感じました。
ハラミヤの本(設計図?)を読み上げるシーンもですが、「あなた次第」と繰り返すあたりも最近にない丁寧さを感じました。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-07 15:35 x
ハラミヤの言う「また会えますか?」ですね。
ハラミヤの本の中に「ケモノガフチでイルマと出会う。」と書いてあったというイルマの言葉に答えた、と言うのが個人的な見解です。
穿った言い方をすれば「優しさ」か「同情」かです。
自分の本を探すために、70億の本をすべて読みつくしたイルマにハラミヤがどんな感情を抱いたかです。
何だかそれは小林から出された宿題のようです。

有名と無名とか、メジャーとマイナーとか何だか青いこと言ってましたけど、それはまた後日。
かなり下がったハードルですけど、とりあえずはまあまあな出来だったんじゃなかろうかと久しぶりに心安らかに帰ってきました。
Commented by しん at 2014-07-07 15:59 x
はじめまして。
昨日、大阪で観劇して、なんだかもやもやした気持ちになり、ここを見つけてちょっとほっとしています。
KKP、大好きなんですけど、正直最近、もの足りなさが><
ここらで一発、Sweet7みたいなのやってほしいなとか・・・
うー。文章下手ですみません。

「ノケモノノケモノ」の話です。
ハラミヤの「また会えますか?」ですが、わたしも自然に感じました。
むしろ、イルマの返答は、「すべてはあなたしだいです」じゃないのかなって思いました。ちょっとしたことなんですけど。でも、それだと距離ができてしまうのかなあ。

もう少し、自分の中で消化しないと・・・うー、もやもやします。
Commented by k_penguin at 2014-07-07 20:32
>SAKABEさん
おお、SAKABEさんが、怒ってない!ちょっと残念☆

ハラミヤは「普通の人」感が出ていてなかなかうまく設定が出来てましたね。

>「あなた次第」
 ワタシはなんかオンバトの「あなたたちです!」を思い出していました。

>「優しさ」か「同情」か
 うーん、それなんですが、優しさとか同情とかなら、本の記載を超えられないと思うんですよ。
「あなた次第」て、優しさとか同情のレベルではないですよね。もっと強い意思で決定しなければならない。数台のミニカーを隠すことであってもね。
ハラミヤの本にはイルマとまた会えるとは書いていないはず。
したがって、再会したいという意思は少なくともミニカーレベルの強い意思が必要です。
だから、ハラミヤに「再会できますか」と言わせた小林さんは、ハラミヤにイルマを好きになることを要求している。
だって、70億の本をすべて読みつくした僕だもの。
その考えは、自分勝手だと思います。
が、小林さんであればやるだろうな、とも思います。
SAKABEさんがおっしゃるように、この作品は小林が脇に回っているように見せて、実はイルマが中心なのです。
Commented by k_penguin at 2014-07-07 20:40
>しんさん
初めまして。コメントありがとうございます。

>最近、もの足りなさが><
 そういえば、KKPはがちゃがちゃ賑やかなのが持ち味ですが、最近は、はじけ具合が足りないですね。
今回も、そば屋のシーンがまあまあだったくらいで。

「また会えますか?」については、ワタシもすごく不自然と思っているわけではなくて、
ただ、ハラミヤにイルマとまた会うメリットがないと思ったのです。
ケモノガフチと、あちらの世界にまた行くメリットはありますが(自分を見つめ直したいときとか)、イルマ個人と会って、何話すのん?て。
で、上のSAKABEさんへのコメントにも書きましたが、
作者は、ハラミヤはイルマのこと好きになるべきだと思っているのだと、
ワタシは解釈しています。
でも、もちろん、それは「あなたしだい」ですけど。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-07 22:13 x
>怒ってない
ハードルが下がり過ぎていて、とりあえず今回は「よくできました。」な感想です。
ただ、あちらの世界に行ったころからイルマの帽子にゼンマイみたいのが乗ってて、何だ?って思ってたら、イルマがクローンだったってことで「ドリー」だったのねって、わかるか!!!
みたいなことで軽く突っ込み入れました。(心の中で)
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-07 22:14 x
あ、それと、蕎麦屋のシーンでぶっ込んでた漫才ネタ。
ネタの後の「これ何キロバトルいったんだろう。」って言うのは、会場が一番沸いてたけど、とっととラーメンズしろよ!!!な気分でした。

>ハラミヤに「再会できますか」と言わせた小林さんは、ハラミヤにイルマを好きになることを要求している。
基本小林が好きな私にとって、それがイルマの姿を借りていたとしても、自分の名前を探して70億の本を読みつくした(自身の存在を探し迷ってる)姿が思わず可哀想になってしまったんです。
確かに強さは必要です。
でもそこには、70億の本を読みつくしたイルマの心情を汲み取ったハラミヤの感情が作用していたもいいのかなって思ったんです。
私も年を取ったということですかね。
そういう意味でも、小林からの宿題(これからも見続けるのか否か)だとも思ってます。
Commented by k_penguin at 2014-07-07 23:06
>「ドリー」
 …あー、羊のクローンの。今わかった。
つか、今は本物の人工授精で生まれた人たちの、自分の親を探す権利が問題になっている時代ですからねえ。
今更クローンを羊を結びつけているようじゃ、逆に問題意識の低さが露呈しているように思うのですが、
まあ、いいや。ハードル低く設定してるから。

>「これ何キロバトルいったんだろう。」
 あ、それ知らない。
ワタシが見たときはなかったのかも。(もしくは単にワタシが覚えてない)

>自分の名前を探して70億の本を読みつくした(自身の存在を探し迷ってる)姿
 ワタシとしては、
他人の本の中なんかに自分の存在を求めること自体が間違いだ、と思いました。
だから、「こっちの世界に戻って来い」とハラミヤは言った方が良いと思ったのです。
まあ、そうしたとしても、小林さん(イルマ)は断るでしょうが、
なんと言って断るかがちょいとした見物かな、と。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-08 00:51 x
>「これ何キロバトルいったんだろう。」
アドリブだったかもしれませんね。
大阪初日で超満員。
会場がかなり沸いてて、上機嫌でノリノリでしたからね。

>なんと言って断るかがちょいとした見物かな
それ見たいです。
でも、小林のことなので先ず「戻って来い」なんてこと言わせないんだろうなあ。

すみません。
私、最近に無く語ってます。
コレについて、penguinさんと話したいって純粋に思ってます。
面倒臭く本当すみません。
Commented by k_penguin at 2014-07-08 01:15
語るのwelcomeですよ~♪
今風邪引いてるんで、レス遅れるかも知れないですけど、
とりあえず、熱いうちに語っておいて下さい。

一応、読む人たちのためにも確認ですけど、
イルマは小林さん本人、ハラミヤは観客と同義で使われる場合がある
ってことでいいですかね?
要するに、小林さんは、
観客との一期一会である舞台に自分の存在意義を求めているってことで。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-08 23:57 x
>小林さんは、
>観客との一期一会である舞台に自分の存在意義を求めているっ>てことで
OKです。

これからいろいろ整理します。
台風の影響でじめじめしてて、頭が働きません。
Commented by mummum51 at 2014-07-12 09:44 x
昨日コメントさせていただきましたが、ブロク読み返して、自己解決しましたので削除しました。お騒がせしていたらごめんなさい。
結論は、チケットが取りやすいので、賢太郎さんは、いまのままでいて貰った方が良い。
並んで食べた、ラーメンがこれだったら、関西人の私は暴れます。
Commented by k_penguin at 2014-07-12 13:27
mummum51さん、初めまして。
削除したというコメントは読んでいませんでした。
ちょっと読みたかったです。残念。
作品の感想なぞありましたら、またコメント下さい。
よろしく。
Commented by mummum51 at 2014-07-13 00:12 x
丁寧に深読みされて、彼の事を理解されようとしてることに自分が恥ずかしくなり削除しました。真似をして深読みしたら見事に破綻しました。イルマが、クローンなら図書館には本のコピーが、あるのではと…
私には深読みは無理なので、ブロク楽しみにしています。
7/7の『ノケモノノケモノ』の感想です。
プロ意識は高いんだけど、プロ根性がない。
Commented by k_penguin at 2014-07-13 14:03
>プロ意識は高いんだけど、プロ根性がない。

 あー、なんかわかる。
モノ作る上で参考になりそう、という部分はあるけど、
純粋に客としてみると、「?」ってなったりしますね。
Commented by mummum51 at 2014-07-13 19:49 x
コメント返して下さりありがとうございます。
賢太郎さんの、いまのままを、受け入れると決めたのに
毒吐いてしまいました。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-14 14:54 x
迷っていると言うか、困っているというか、個人的にはイルマ(=小林)にこの作品のとおり「また会えますか?」(チケット買ってくれますか?)と問われたら、笑顔でうなづく自信がありません。
何度も言っているとおり、小林からの宿題、と言うか、私の次回作へ対する期待の度合いの問題なんだろうなぁと思うんです。
その期待の度合いと言うのは、やはりこれまでの作品や、小林自身の魅力が影響しているんです。
そこは、penguinさんのおっしゃっている通りです。
イルマに次に会いたいと思わせる魅力がない以上、7億冊を読破したその健気な姿勢(と思わせる作戦)にほだされない限り、再会を強く望むことはないのです。
個人的には、毎回ほだされているだけなのですが、こうして面と向かって(?)「こんなケンちゃんだけど、またチケット買って見に来てね。」て言われると、それは違うだろ(怒)な感情になるのも当然かと・・・
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-14 14:55 x
多分そこはかなり微妙なニュアンスの違いでしかないのでしょうが、せめてイルマが「(今じゃないけど、近い将来)いじけて逃げるのをやめようと思う。」くらいのことを言ってくれたら、こっちも「じゃ、もう少し優しくしてあげる。」的な心の余裕は持っているのです。
ここまで付き合って来たわけですから。
「あなた次第」などと客の自由意思におまかせなんてしないで、「また会いたい(見たい)」と思わせるものを創作するんだ!!って言う心意気を見せろってって、ねぇ。
とは言え、ほだされ続けている私は、もうしばらく不毛かもしれない劇場へ足を運ぶことになるのだとは思います。
Commented by k_penguin at 2014-07-14 21:53
>「こんなケンちゃんだけど、またチケット買って見に来てね。」

に、うけましたw

ケンちゃんの良くないとこは、「僕のために観に来てね」と、言っちゃうとこですね。
客は自分のために舞台を観るのであって、ケンちゃんのために観劇してあげているのではありません。
本来であれば、嘘でも、SAKABEさんの言うように「また会いたい(見たい)」と思わせるものを創作するんだ!!
というべきです。
たとえケンちゃんが、70億の本の中に自分を見いだせなくて、観客との短時間の邂逅の中にだけ自分の存在意義を見いだせるのだとしても、
「僕には君しかいないんだ、だからまた来てね」と言っちゃうのは、あんまりな同情の押し売り。
つーか、それって、ほぼ、ヒモのやりくちです。
Commented by k_penguin at 2014-07-14 21:54
じゃあ、小林さんは、観客として他の舞台を観るとき、その舞台を作った方のために観に行ってるのかな?自分のためではなく?
というと、多分そうではないんじゃないかとは思います。
観客としての小林さんはハラミヤに反映されて居るであろうと思われますが、
ハラミヤはミニカーの件で小さな収穫を得ます。
小林さんがこの作品を解説するとしたら、この件をテーマとして語り、
イルマのテーマについては触れないのでは、と思います。
実家に帰ってミニカーを取ってくるだけで、
故郷の自然を壊す自社工場が建つことに関しては別にどうでも良いらしい。
というのが、バニーっぽいですね。
小林さんは、自分が観客に与えられるモノについて、とても客観的な評価をしている
と思います。
その程度のモノしか与えられない人は、とても「また会いたい」と思わせるものを作るなんて言えないんじゃないでしょうか
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-18 00:57 x
>ハラミヤのミニカー
>イルマのテーマについては触れない
本来「自分探し」をしているのは文字通りイルマ(=小林)であって、ハラミヤ(=客)はそれに付き合わされているだけ。
たいした理由もなく自分のルーツを探しに行かされて、それも創造主(神?)までさかのぼる。
後でイルマがクローンだったってわかるから「あ、それで神の領域?」ってなるけど、それと会社員のハラミヤと田舎とミニカーの関係はあまりにこじつけっぽい。
例えば、人の手が作り出したものとして自動車とイルマがリンクするとか、自然(天然)に対して人口的ななクローンとかっていうテーマならと思わないでもなかったけれど、そんな何処かの誰かがやってるようなもの、小林がやる訳ないか。ってあきらめた。
何が言いたいかと言うと、もっと素直にイルマ(=小林)を表現しろってこと。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-18 00:57 x
どう転んでも主役はイルマ(=小林)なんだから、イルマの目線でイルマの言葉で、何が「ノケモノ」なのかどう「ノケモノ」なのか語らせるべき。
そのうえで、ハラミヤ(=客)に何故今それを見せたいのか説明しないと、ハラミヤ(=客)は戸惑うと思うのだけどそのあたりはいつものお察し下さい作戦。
で、客はお約束どおり、それを察して「賢太郎さん天才」となる?

penguinさん
すみません。何だか支離滅裂で。
今回怒りはしませんけど、しっくりきていないのでこんな風になっちゃいました。
Commented by k_penguin at 2014-07-18 20:30
ハラミヤが客で、イルマが小林さん。と、割り振っちゃったワタシが
こゆこと言うのもアレなんですけど、
SAKABEさんの「しっくりきてない」感は、ハラミヤを完全に観客担当とすることから来ているような気がします。
ハラミヤは観客でありますが、同時に小林さんでもあります。
ラーメンズの作品において、片桐さんと思われるキャラクターも、所詮小林の脳を通した「小林的片桐」であるのと同様です。
イルマがいわゆる小林っぽい小林なので、つい分離してしまいますが、
ハラミヤが「お金を稼ぐ」修行をするとこなど、トライアンフの夏歩香と同様です。
つまりハラミヤは、小林さんが自分を観客という角度からとらえた一面をキャラクター化したものです。
Commented by k_penguin at 2014-07-18 20:30
そして、小林さんのこれまでの作品では、「余り1」である理由が明確に語られず、本当のノケモノなのか、本人がノケモノと思い込んでるだけなのかが不明であるのが弱点でしたが、
今回の作品では、本当のノケモノがイルマ、ノケモノと思い込んでるだけの奴がハラミヤと、割り振られました(クローンであることは本当のノケモノなのか疑問なのですが、それは置いといて)。
とにかく、「可哀想な僕であるイルマ」と「鍛えなきゃいけない僕であるハラミヤ」に役割分担されたわけです。

したがってイルマが、自分がどうノケモノであるのかとか理由を語ることはないと思います。
イルマは本物のノケモノという設定だからノケモノなのです。
多分イルマがハラミヤのいるこちらの世界に帰ろうとしないであろうこともおそらく同じ理由です。
図書館のある世界でなければイルマは本物のノケモノで居られないから、こちらの世界に帰ることは設定から外れるからです。
つまるところ
小林さんは今までと同様、自分がノケモノである理由についてはわからないのですが、
ハラミヤと対比させることで、とりあえずごまかすことには成功しているわけです。
Commented by mummum51 at 2014-07-18 23:05 x
割り込んでごめんなさい。イルマ=賢太郎さん=ハラミヤ
イルマ(創造主の世界)=今の演劇作品、イルマがハラミヤに不思議な言語を、『解ろうとして聞けば解る』みたいな事をいってるあたりから。 ハラミヤ=初期の作品。マニュアル通りに生きてきたあたりで。 のけ者とは、演劇界において賢太郎さんはのけ者なのではないでしょうか?方向がずれてしまいましたが、ご意見お聞かせください。
Commented by k_penguin at 2014-07-19 01:10
mummum51さん、コメントありがとうございます。
その発想はなかったです。
ラーメンズの初期作品を「マニュアル通り」と感じたことはないのですが、
mummum51さんはそのように感じているということでしょうか?

>演劇界において賢太郎さんはのけ者なのではないでしょうか?
 メジャーとかマイナーとか言ってるあたりを重視すれば、そういう解釈も出来るように思います。
ただ、ワタシとしては、演劇界自体がTVと比較してマイナーなので、その中でメジャーとかマイナーとかを論じる意味はないように感じます。
仮に論ずるとしたら、メジャーなのは劇団四季とか、そーゆーことになるのでしょうか。
小林さんはそーゆーやつと自分の作品はもとから別ジャンルととらえているように思いますが・・・。
Commented by mummum51 at 2014-07-19 03:32 x
ありがとうございました。初期作品とは演劇作品のことで、不思議な世界が出てこない作品です。
私のは深読みでも何でもなく、ただ感じたままに、コメントしてしまいました。お手間とらしてごめんなさい。
まだまだ、深読み楽しみにしています。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-20 01:18 x
>ハラミヤは観客でありますが、同時に小林さんでもあります。
すべては小林の指向から表現されている訳ですからそれはそうだと思います。
サラリーマンの描き方も、巷(主に2ch)であれこれ批判されてましたけど、世の中のドラマや映画だってサラリーマン経験などない作家の主観やデフォルメで普通のサラリーマンなんて登場するはずはないので、これは小林の作り出したハラミヤという人物であって、世の中のサラリーマンとは違う生き物です。
それは理解しているのですが、私には「わたし」と「あなた」という切り離しを無理にしているように見えてしまいます。
Commented by K☆SAKABE at 2014-07-20 01:18 x
>、「可哀想な僕であるイルマ」と「鍛えなきゃいけない僕であるハラミヤ」に役割分担されたわけです。
脳内完結された登場人物たちは、小林と同じ血が流れ小林と同じ感情を持っているわけで、「あなた」として登場させた人物は「わたし」に近すぎているわけで、それならいっそのこと「わたし」の中の「あなた」であったりした方が収まりがよさそうなんですけどね。
基本、自分に近いもの、自分の中のものだけが小林の世界感であって、何をどう描いても自分に戻る状況は仕方のないことと思って見ているのですが、どこかで納得させてほしいと今でも淡い期待を抱いているのです。(多分・・・)
Commented by k_penguin at 2014-07-20 18:56
SAKABEさん
>「わたし」と「あなた」という切り離しを無理にしているように見えてしまいます。
>どこかで納得させてほしい

それは小林さんにとって、なかなかの無茶ぶりだと思います。
今までの作品のどれも小林さんは「わたし」と「あなた」の分離が出来ていたためしがありません。片桐さんという依り代が使えるラーメンズでさえ分離が出来ていない。
ワタシは、この「分離ができない」ことこそが小林さんの「ノケモノ」である理由だと思っています。「自分」「他人」概念が余り発達していない、とでも言っておきましょうか。
でも、小林さんはこれに気がついていない。もしくは認めない。あくまでも分離できている体で作品を作る。でもって、ご覧の有様になる。

ワタシ的には、もう「分離ができない」ことについては諦めて、むしろ、
自他の分離なしで、自分の「分離ができない」という特殊性を表現することは可能か
という観点で作品を見ることにしました。
つまり、あるものの個性を、比較の対象の提示なしで、表現できるか
ということです。
出来ないことではないですが、小林さんにこれが出来れば、すごいと思います。
Commented by k_penguin at 2014-07-20 23:49
そういえば、サラリーマンの描き方が批判されていたそうで、それで思い出した疑問なんですが、
最初の、こちらの世界でのバス停のシーンで、ケモノガフチに工場を誘致することについて、ハラミヤが工場誘致は良いことに決まっているみたいなこと言って、部下(名前忘れた)が、そ~かな~?みたいなこと言うんですが、あの会話ってどういう意味があるんでしょうかね?

バス停でのやりとりは、ハラミヤが異世界に行く前と後と、2回あって、
その比較で、ハラミヤが異世界体験を通じてちょっぴり変わったことが示されるためのものだと思うのですが、
「体験後」のハラミヤは、ケモノガフチが自分の故郷であることを認める点が以前と違います。
でも、工場誘致については何も言わない。自然破壊されたら、もうイルマと会えなくなるかも知れないのに、全く言及しない。
対応するものがないのなら、なぜ最初に工場誘致について会話したのかなって疑問に思いました。
Commented by 五月 at 2014-07-21 01:29 x
こんばんは。

>工場誘致については何も言わない

「実家に行ってミニカーを取ってくる」に「工場誘致はあきらめた」も含まれているのではないですか?
たしか、冒頭のハラミヤと部下の会話で「○○には××も含まれているんだよ!」というくだりがあったような・・・。
まぁ、無理な解釈ですね・・・。
割り込んですみません。
Commented by k_penguin at 2014-07-21 10:56
五月さん、お久しぶりです
>「○○には××も含まれているんだよ!」

「通りに車が少ない」に「帰りの交通手段を確保しておいた方が良いんじゃないか」も含まれている、とか言ってたやつですね。
この、自分の意見をはっきり言わず「含ませてしまう」癖は、異世界体験後の会話にもあって、
ハラミヤが基本的に変わってないことを示していました。

でも、工場誘致はハラミヤに決定の権限がないことですからねえ。
「含ませる」のはちょっと無理があるんじゃないかと・・・。
むしろ
工場誘致で実家がなくなる→ミニカー取ってくるよ!
の流れの方がありそうなんじゃないかと。
Commented by k_penguin at 2014-07-28 18:34
14.7.26 [SAT]公式メッセ分析メモ
「特別だと思われたいくせに、みんなと一緒じゃないと不安」は「自己矛盾」なのか?
特別、かつ、みんなと同じが良いという感情は、つまり
「みんなから誉められたいし、いじめられたくない」ということだから別に矛盾はしていない。むしろ凡庸そのものと言って良い。

「本来の自分の姿を隠して」「自分に自分を隠」すとどんな不都合が生じるのか?
メッセだけでなく、作品中にもその説明がない。
自分を偽ることで辛い思いをする人は居るので、そういうことを言ってるのかな、と、漠然と思い、それで処理することは出来る。
しかし、自分を偽ることでつらい思いをする人が隠す「自分」とは、出自だったり、倫理観だったり、自分の世界観に関わることだ。自分の核心部分を隠さざるをえないが故に苦しむのだ。
「特別だと思われたいくせに、みんなと一緒じゃないと不安」は普通個人の核心部分にはならない。そりゃ余りに凡庸な感情だから恥ずかしいだろうけど、別に必死に隠すほどでは無い(だから照れながらもしゃしゃり出たりする)。
本来、人格の核心-社会的自己、の対比で語られるべき事柄が、特別-みんなと一緒、という低次元の対比で語られている。
Commented by k_penguin at 2014-07-28 18:36
これは意図的に話をすりかえたのではなく、本気でそう思っている。彼の作品に「人格の核心」を語るものはないから。
凡庸であることが彼の人格の核心であり、隠すべき「本来の自分」であるのかも。

脳内世界は小林さんと共にある。あのチープな脳内世界が彼の「ミニカー」であり、その価値は誰にもわからない。
それは、価値観が違うからではなく、本人がそれを凡庸だと思っているから。
Commented by のんきなK at 2014-07-28 23:42 x
あのメッセージを読んで、
私の頭の中は「???」でいっぱいになってしまいました。
賢太郎さんが「大事なことをちょっとだけ言うよ。」的なメッセージを発する時、
私の頭では「結局何が言いたいんじゃぁ!(怒)」と
理解できないことが多いのですが、今回は特に
何を言いたいのか、言っているのかさっぱりわかりませんでした。

penguinさんのコメントを心待ちにしていましたが、
やっぱりわからないままです。

私は一体いつまで
ラーメンズじゃない賢太郎さんにつきあえば気がすむのだろう・・・・・・
Commented by k_penguin at 2014-07-29 01:24
あ~、やっぱりワタシのコメ、わかりにくいですか。
メッセージ自体は
小林さんが自分に向けて「自分に自分を隠さないでいたい。」と個人的に希望しているだけです。
(そういうのはTwitterで言えば良いことで、人から金取ってまでして言うことではないのですが。)
だから、深読み部としては、
"小林さんの隠したい自分って、どんな自分?"という点に焦点を当てざるを得なくなり、
で、話がややこしくなってしまったのです。
小林さんは、
隠したい自分を他人から隠しながら「自分には自分を隠さないでいたい。」ということだけは言うので
中途半端にわかりにくい文章になるんですね。
Commented by のんきなK at 2014-07-29 13:29 x
>あ~、やっぱりワタシのコメ、わかりにくいですか。

あ、ごめんなさい。
お返事ありがとうございます。
penguinさんのコメントがわかりにくいんじゃなくて、
それを読ませていただいても
賢太郎さんが何を言いたいのかわからない という意味です。

「自分に自分を隠さないでいたい?」 ??????です。
もう少しだけもやもやしてみます。
Commented by おてだま at 2014-08-02 03:08 x
はじめまして、いつも考えながら楽しく拝見させていただいています。小林賢太郎大好きサイドの人間です。

八月に入りメッセージも更新されたところでコメントさせていただくのはどうかと思ったのですが、自分なりにペンギンさんのコメントもよみ、いろいろ考えたのでレスさせていただきます。
文章が下手なので分かりづらいかと思われます…

>特別だと思われたいくせに、みんなと一緒じゃないと不安
みんなと一緒に足並みを揃えてはみ出さないようにいたいという気持ちと、一人だけ飛び出て特別視されたいという反対の気持ちがある、という矛盾ではないでしょうか?
>本来の自分を隠して
>自分に自分を隠す
とどのような不都合が生じるのかという点、私も全くわからなかったので一から読んでみました。
>鎧が本来の自分を隠しているとしたらますます自己矛盾に気がつけなくなる
本来の自分を隠す、の意味は何と無くはわかります。肩書きに頼って自分を大きく見せたりすることでは確かに本来の自分がかくれるからです。
>ますます 自己矛盾
のますますは
>照れるなら出なきゃいいのに
>客観性すら見失う
という下りをうけて、見失った状態からのますます であると思いました。

Commented by おてだま at 2014-08-02 03:10 x
そこで気がついたのですが、文章をよく読み直すと
>自己矛盾の威力によって、客観性すら見失う
>鎧によって本来の自分が隠されてしまって自己矛盾に気がつけなくなる
とあって、それぞれ主語が違う、と思ったのです。
私が意味がわからないと感じたのはきっとこれが原因だと思います
この小林の文章の主語が途中で入れ替わっているのは彼の言葉そのものが瓦解しているのかそれともそういう意味にとっていいのか、と迷ったのですがそういう意味にとった場合、鎧によって本来の自分が隠されてしまい自己矛盾にきがつけなくなり、まして、自己矛盾によって客観性すら見失っていることにも気がつけなくなる
となります。
纏めると、
鎧→本来の自分が隠される→自己矛盾に気がつけない→自己矛盾→客観性を見失わせる
まぁ鎧は肩書きのようなものなので省いて考えたとすると、この時全ての始まりは本来の自分を隠したから、という形になります。
だから彼は最後に自分を隠さないでいたいとかいたのかな。と思いました。
隠したらこの流れができる、という不都合が生じるからです。

私も今考えたばかりのほやほやのものなので筋が通っていなかったらすみません。
乱文長文レス失礼しました!
Commented by k_penguin at 2014-08-02 13:14
おてだまさん、コメントありがとうございます。
お手玉さんが考えた流れは理解できますが、
それでも彼のコメントはおかしいと思います。
>特別だと思われたいくせに、みんなと一緒じゃないと不安
確かにそれを、"はみ出さないようにしていたい気持ちと、特別視されたい気持ちの矛盾"
と、説明すれば、矛盾に見えます。でも、「照れながらしゃしゃり出る人」のことを考えてみましょう。
その人は「うまくやれて誉められればラッキーだけど、失敗してウケなくてみんなから白い目で見られるのは嫌だな」と思っているでしょう。それは別に矛盾ではありません。
それに「自己矛盾」と名前を付けるのは小林さんの勝手ですが、
その「自己矛盾」とやらは、そんなに怖れるようなものなのでしょうか?
>自己矛盾の威力によって、客観性すら見失う
と、言っていますが、「照れながらしゃしゃり出る人」は、どんな客観性を見失っているのでしょうか?たかだか、これからやることがウケるかスベるかわからないってだけです。それは新ネタやる人はみんなわからないですし、怖れるようなものではないです。
Commented by k_penguin at 2014-08-02 13:14
でも、お手玉さんの、
>鎧→本来の自分が隠される→自己矛盾に気がつけない→自己矛盾→客観性を見失わせる
という流れからすると、「客観性を見失わせる」ことは、すごく怖いことで、避けなければならないことですよね。

小林さんは、「客観性」とか「自己矛盾」とか、抽象的表現を使うことで、何となく意味が通るような気がする文章を書きます。
読み手はそれら抽象言語に、自分なりに「具体的にこういうこと」みたいな意味を当てはめながら読んでしまうからです。
でも、小林さんは果たしてそれら抽象言語に、読み手と同じ「具体的にこういうこと」を当てはめているのでしょうか?
小林さんの出した具体例「照れながらしゃしゃり出る人」を当てはめただけでも、なんだかおかしな感じになってしまいます。
彼が想定し、怖れていることは、何かもっと違うことなんじゃないでしょうか。

小林さんは、「客観性」とか「自己矛盾」とかの言葉を、具体的にどんなことを想定しながら使っているのでしょうか?
また、「自分に自分を隠さないでいたい。」とは、具体的に「どんな自分」について自覚的でいたいと思っているのでしょうか?
ワタシが知りたいのは、そういうことです。
Commented by k_penguin at 2014-09-07 22:42
唐突メモ
最初の、ハラミヤと部下の工場誘致の良し悪しについての会話について。
部下は、工場誘致はケモノガフチにとって良いこととは思えない、という意見を言った後、小川で顔を洗う。そのとき、きらきらした水しぶきが舞う(銀の紙吹雪を使って印象づけている)
ハラミヤが異世界から戻った後、ハラミヤも顔を洗い、水しぶきが舞う。
その後、「狐の嫁入り」でラスト。
「きらきらの水しぶき」は「冷たい水で顔を洗って気分しゃっきり」と関連づけられていて、
何かの象徴として使われている。(単に「変化の予兆」を意味するのかもしれないけど)
工場誘致の良し悪しについての会話の内容には特にメッセージは無く、
部下が顔を洗う前振りという意味しかないのかも
by k_penguin | 2014-05-22 00:19 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(60)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin