『バウドリーノ 上・下』   

夏休みの読書として、ウンベルト・エーコの新作(と言っても出たのはかなり前)を選んだ。

エーコは一般的には『薔薇の名前』の作者として知られていて、知的サスペンスものの作家と思う人もいるかもしれないが、記号論の学者であって、むしろ「あの(くそ難しい文章の)エーコが推理小説を書いた!しかも大ヒットてw」という印象だった。
だから彼の作品は、自分としては推理小説だとは思っておらず、記号論の実験小説だと思っている。
記号論とは、簡単にいうと、表現するものと表現されるものとの関係の研究である。
『薔薇の名前』でバスカビルのウィリアムが言った言葉に、たしか、
真実は虚構に影響を与え、虚構は真実に影響を与える。
といったものがあって、この言葉の後半部分、つまり虚構が真実に影響を与える部分が記号論である。
もっとも、今のこの部分を書くために、「薔薇の名前」を読み返してみたのだが、どうしてもこれに相当する部分を見つけることができなかった。

『バウドリーノ』においては、語り手のバウドリーノが最初から自分を嘘つきであると言い切ることで、この、虚構が真実に影響を与えることが作品のテーマに据えられている。
と同時に、歴史小説の面とファンタジーの面と、下巻に入れば推理小説の面も持ち合わせる盛りだくさんの小説である。
もっとも、「虚構が真実に影響を与える」という作品の因果律を心得ていれば、推理小説の謎はあっさり解けてしまうから、あまり面白くはない。要するに、考えすぎたあまり単純な事実を複雑化してしまうというオチなんだろーなー。と、予測できるからだ(『薔薇の名前』もそうだし)。
 
また、この話は西欧的な構造とテーマを持っている。バウドリーノは嘘つきである自分を自嘲し、神とは何かにこだわり、世界の構造にこだわる。
神やイエスに関する様々な学説が登場し、でもどんなに東の最果ての地まで行っても、原住民の信仰には必ずイエスが登場して、仏陀とかは登場しない。
日本人の自分としては「別にどーでもいーじゃんよ」という悩みに見える。
いや、神にこだわるのはまだわかる。神は権力の正当化の淵源であって、神聖ローマ皇帝フリードリヒの権力を正当化してあげるために、バウドリーノは司祭ヨハネの王国という自分で作り出した嘘の国を探すことになったのだから。権力には力だけではなく、正当性も必要なのだ。
しかし、これまた日本人としては、「正当性ほしけりゃ京の帝に一筆書いてもらえばいーじゃん」程度のもんで、京都の帝に一筆もらえなかったからっつって、どっか遠い外国に「帝」が居れば都合が良いのに、とかは考えない。
そう思うと、「天皇家」以外に正当性の淵源を求めることを自然と避けてきた日本は、やはり表徴の帝国であって、記号的に正しかった、というか、大規模な戦争が嫌いだったのかもしれない。正当性が2つ以上あると、ジェノサイドは避けられないからね。

そして、この物語は、バウドリーノがニケタスに語り、さらにそれがパフヌティウスに語られるという三重構造をとっている(エーコも入れれば四重構造)。
そして、語り部が語るとき、そこには必ず語り部によって嘘が含められる、ということがこの物語の因果律である。
どの部分が誰による嘘なのか。パフヌティウスがフリードリヒ殺人事件の真相を解いたことはどう影響するのか。
そう思うと、まじめに取り組むほどはぐらかされる様な気分になってくる。

そんなわけで、一般日本人読者としては、この話はむしろなーんも考えんと、
バウドリーノという、ついた嘘がなぜか真実になってしまう男の人生の物語として楽しむのが正解なんじゃないかなー、と思う。それだけでも十分楽しめるし。
神とか世界とか、よくわかんないけど、自分の生活が守れるんなら嘘でもよくね?
でも、さらに考えてみれば、
そう思う人たちのためにバウドリーノは嘘をついてきたんだよね。彼の嘘は他人を喜ばせるための嘘が多いから。
バウドリーノは最後、真実の愛のために帰らぬ旅に出る。男が生きて行くには、やっぱり真実が必要なのか、それとも、「真実」という名のロマンが必要なのか。

考えれば考えるほど謎めくけど、考えなくてもオケな万能タイプの物語。
関係ないけど、雌牛のロジーナの存在感が良かった。


バウドリーノ(上)
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by k_penguin | 2013-09-02 00:03 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)

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