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『ハーバード白熱教室』の白熱する(?)外野

マイケル・サンデル教授が来日して、特別講義をやっていった。
本は30万部を超える大ヒットとかで火付け役の『ハーバード白熱教室』を放送したNHKをはじめ、朝日新聞も尻馬に乗ったため、プチブームが巻き起こり、
うちのブログもその恩恵を賜って本の感想を書いた記事のアクセスがのびている。ありがたや (-人-)

もう30万部を超すとなると、完全に需要を超えているとしか思えない。この本は入門的とはいえ政治哲学の専門書なのだ。
インテリアとして蒸溜器が売れるようなもんだろうか。
俺なんかは1980年代に流行った記号論ブームを思い出すのだが。


『これからの「正義」の話をしよう』というタイトルだけから、
「正しい」という概念は人それぞれのものであって、それを1つに絞ろうという考えそのものがいやらしい。的なつぶやきが見られたが、
政治哲学の専門書であるという前提を知らないとこうなってしまう。
政治哲学は、法律の制定や、政策決定のような、「正しい」という概念を1つに絞らざるを得ない場で使うものなのだ。
憲法訴訟の場で言われる、立法目的の「正当性」の吟味とかに使えるツール、とでも言おうか。

違憲判断においては、これまでは立法手段の「相当性」についてはいろいろ論じられていたが、「正当性」についてはほとんど論じられてこなかった。
何か大体常識的ないいことを言っとけばオケ。みたいな感じであったのだ。
しかし、臓器売買や、生殖医療など、今までSFの世界だったことが現実化しつつある現代において、「常識」が世間で固まる前に政治的アクションを起こさねばならなくなったりする。
そんなときにいかに「正当性」を決定し、その正当性の根拠をどこに求めるか。
それが、政治哲学だ。
少なくとも「自分たちで決めよう」という意思があり、議論を厭わない者でなければ政治哲学は使えるツールにはならない。
政策決定に参加する気はさらさら無く、そーゆーことはエライ人にまかせておいて、後から文句と愚痴だけは言っておこう。
と思っている人には政治哲学は必要ではない。何だったら参政権を取り上げたっていいかもしんない。

サンデル先生は、自説である「共通善」の説明のときアリストテレスを取り上げているが、その際わざわざアリストテレスが奴隷制の支持者であったことと、彼の奴隷制正当化事由を述べている。
アリストテレスによれば、生まれつき奴隷に向いている人というものが存在する。「他人のものになれる(それゆえ、実際にそうなる)人、自ら理性を持たなくても他人の理性を理解できる程度に理性に関与する人は、生まれながらの奴隷である。」
そのような「生まれながらの奴隷」限定で、奴隷制は正当化される。
政策決定のための議論の間に労働して日々の暮らしを支えていてくれる人が必要だからだ。

現代においては「奴隷制」という言葉そのものがNGワードになっているので、その内容が検討されることもないが、こう見ると、アリストテレスの論は決してむちゃくちゃな論理というわけでは無さそうだ。
「価値」を政治に散り入れるということは、必然的にこのような危険も取り込むことになるのだ。
ま、エリートのハーバード学生相手に講義してる分にはいいかもしらんが。


サンデル先生の「共通善」の具体的内容は、共同体によって異なるものであるから、人が複数の共同体に属している場合、「共通善」が矛盾してしまう危険がある。
また、「共通善」は多数派の横暴と区別がつきにくい。
これら2つの弱点はサンデル先生自信が明示している。
しかし、「共通善」の設定自体にも危険があると思う。
「共通善」の設定はこれからの新しい問題解決に有意義な点もあるので、否定はしないが、
有効な薬はまた毒にもなる、というところか。
by k_penguin | 2010-09-01 22:33 | ニュース・評論 | Trackback | Comments(0)

法律事務所勤務。現代アート、NHK教育幼児番組、お笑いが好きな50代。


by k_penguin