冤罪は何に対する罪なのか   

植草一秀って人については名前とあと経済学者だってことくらいしか知らないのだが、たまたま通りすがった、植草氏のファンブログに目を通して、ちょっと考えたことなど。

経緯を一応説明すれば、植草先生は、昼間の駅で女の子のスカートの中を手鏡を使って覗こうとしたというかど(都迷惑防止条例違反)で捕まり、当初自白するも、その後否認に転ずる。判決は50万の罰金で一審で確定。
上記ブログは植草氏の冤罪を信じ、主張し、不当判決に怒りをぶつけている。
が、あくまでも「植草一秀氏を応援します!」ことを趣旨とするブログなので、冤罪の構造に迫ることもなく、植草氏を応援していないコメントに反論することもなく、植草さんが良ければそれで良し、といった感じ。

要するにごくふつーのブログのわけだが、このふつーのブログに寄せられたふつーの意見の多くが、「真実は植草氏は覗いていない」ということを論拠としている点にむしろ俺は注目した。
要するに、「真実やっていれば仕方がないが、やっていないのだから捜査は、判決は不当。」と言っているのだ。
真実は1つであり、厳然と存在し、捜査、裁判はこれを発見しなければならない。これは一般人として当たり前の感覚だ。
しかし、この感覚は、決して捜査や裁判の関係者が持つ感覚ではない。
現実はテレビドラマではない。テレビでは、真実は映像化され、人の心の中はモノローグで語られるが、現実にはそのようなことはおこらない。
砂の上の足跡のような些細な痕跡が、それも真実も偽物も混じった状態で提示されるだけだ。検証すればするほど、真実は遠ざかる。疑い出せばきりがなくなる。
「真実発見」は刑訴の第1条に書いてあるけれど、法律的に不当判決を非難するのであれば、まず「真実ではない」とは言わない。「無罪推定原則に反する」とか「合理的な疑いを越える程度までの証明がなされていない」という。
真実は証拠により形成されていくものなのだ。


俺は仕事の上で冤罪に関わったこともあるので、冤罪というものが決してまれではないこと、起訴されたらまず有罪にされてしまうこと、従って、決してやっていない罪を認めてはいけないが、これがどうしてなかなか難しいこと、は知っていた。
また、警察は理由がない限り証拠隠滅等の細工をしたりはないが、理由があればやること、しかも、それが細工かどうか考える気力も無くすほど警察の証拠保全は初めからいーかげんであること、も知っていた。
だから、植草氏が本当にやってないかもしれないとは思っていた。
だが、それは重要な問題ではない。
50万の罰金は、彼が、初期捜査で罪を認めてしまったこと(つまり供述録取書に署名捺印したこと)に対して課せられたのだ。
かなり厳しい言い方だが、彼が自分自身を信じなかったことが罪ということになるのだ。

彼は、控訴はしないが、その他の手段で無実を主張してゆくと述べたそうだ。
しかし、どの様な手段であれ、裁判で争うことを放棄したという事実は無実の主張の信頼性に致命的なダメージを与える。
たかだか布きれ1枚を見ただの見なかっただの、そんな下らないことで自分を信じるだ何だのめんどくさい話になるのが嫌であれば、一切口を閉ざすべきだったと思う。
下らない話に関わって体力を消耗したくないという気持ちと無実を主張したいという気持ちの葛藤の末の結論だろうが、スカートの中を覗こうとしたという事実が下らないのか下るのかは、実は二者択一の重要事項なのだ。

そんな下らないことが、人間の名誉に関わる事実になりうる。
その人が学者であったとしても。
それこそが冤罪の恐ろしい事実ではないだろうか。
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by k_penguin | 2005-04-10 12:59 | ニュース・評論 | Trackback(2) | Comments(4)

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Tracked from 踊る新聞屋-。 at 2005-04-29 23:40
タイトル : 真実は神しか知らない。だから…
 実際問題として、あの時、あの場所で何が起きたのかなんて、神と本人しか知りようがない。まして、内心の問題であれば、本人にだって分からないかもしれない。  逮捕、起訴、処分は近代社会にとって秩序を維持するためには欠かせない究極の人権制限。  一方で副作用も多いから被疑者は無罪推定もされる。  「疑わしきは罰せず」は、近代社会が手にしたした一つの知恵だと思っていた。  しかし…。  また、二度とこのような冤罪事件が発生しないための措置についても考察を深めてまいりたいと思います。(平成...... more
Tracked from AAA植草一秀氏を応援す.. at 2005-05-10 12:26
タイトル : 植草氏の会社のHPができたようなのでリンクさせていただき..
『スリーネーションズリサーチ株式会社』のHPにリンクさせていただきます。 http://www.uekusa-tri.co.jp/ 裁判の弁論要旨等のHP↓ http://www.geocities.jp/yuutama_1/からもリンクを貼りました。 仕事中なので、まだよく拝見していないのですが、 これから毎日見せていただこうかなと思っています。 ... more
Commented by どこ読んでるわけ? at 2005-04-12 01:05 x
たしかに冤罪を信じているコメントもあるが、一連の報道がおかしいというコメント、警官がおかしいというコメント、法廷の手続きがおかしいというコメント、日本の司法の問題にひろげているコメント、いろいろあるように読めるが、あんたは一体どこを読んでるわけ?何を達観してんだろうな、この湿気たやつは。
Commented by k_penguin at 2005-04-12 01:33
>あんたは一体どこを読んでるわけ?
この記事は主に冤罪を信じているコメントのことについて書いてるな。
報道については何ら感想を持っていないから書いてない。大体ほとんど報道見てないし。
たくさんある論点の全てに対して記事を書かなければならないもんじゃないしな。
Commented by ntaiti at 2005-04-13 15:42 x
このような事件に巻き込まれた人は、「下らない話に関わった」 とは思っていないでしょう。
 最善を尽くして無罪の立証をしたつもりが、ことごとく退けられるか、無視され、承服しがたい有罪立証に基づいた判決。 しかし、次のブログ
http://kogoto.exblog.jp/1826537
から考えるに、控訴実刑の不安もよぎったかもしれない。

裁判不信の基、勝利してもともと (気持ちの上で)、負ければ更なる被害を蒙る。 

とそんな気持ちだったと思う。
Commented by k_penguin at 2005-04-13 19:41
このケースに則していう限り、これは、「承服しがたい有罪立証に基づいた判決」などの問題であると同時に、紛れもなく、鏡に反射させてパンツを見ようとしたかしなかったかという話です。この2つは一体不可分です。
嫌疑によってダメージを受けた名誉を回復するためには、方法や言い回しは数あれど、当人が「私はパンツ見ようとしてなんかいなかった」という主張を繰り返しやらなくてはならないことは確かです。
第三者はその各々の興味と利害が関係するところによって、「承服しがたい有罪立証に基づいた判決」の側面だけを話題にすればいいのですが、こと当人に関しては、何を語ろうとしても、「パンツを見たかったのか見たくなかったのか」が執拗について回ります。みんな「真実」ばかり知りたがるからです。
私が当人だったら、この事実を下らないと考えますが。

>勝利してもともと(気持ちの上で)、負ければ更なる被害を蒙る。
そんな気持ちだったろうと私も思います。
裁判をやめたらやめたで更なる被害を被るんですが、現実の生活を考えれば仕方ないなと、今は考えてます。

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