ナイロン100℃『神様とその他の変種』

今回のナイロンは、笑えるというだけでなく、総じて「かっこえー」と思った。

そもそも、首都圏外郭放水路で撮った宣伝写真がかっこよかったので、行こうかなって思ったのだ。
『シャープさんフラットさん』と同じ趣向の、実写と実物を合成するオープニング映像もかっこよかった。
で、最後の雨もかっこよかった。




話自体は、相変わらず、長くて、重くて、救いがない。
被害者と加害者、隠し事をする人とされる人、それらが入れ替わり、ごちゃごちゃ、つか、ぐちゃぐちゃになる。

小学生のサトウケンタロウ(みのすけ)は、
「許せないやつは殺して良い」と「何をされても自分が我慢すればよい」のどちらかの考えにしかならず、その間の線引きができない(「許せない奴」は「嫌いな奴」とは違うらしいが、どう違うのかはよくわからない)。
彼の両親も同じ考えの持ち主で、いわゆるコドモの思考の持ち主だ。
母親(峯村リエ)は息子に干渉しようとする人を許せないので「消して」ゆく。
父親(山内圭哉)は金にものを言わせて母親の尻ぬぐい。だが、無理はどんどん積み重なってゆく。
これよりはまともそうなスズキサチオの両親も、家庭教師のサクライ先生(水野美紀)も、イジメの事件や、不倫などにより、どちらが悪いのか、誰が誰に謝るべきなのか、どんどんわからなくなってゆく。
「許せないやつは殺して良い」と「何をされても自分が我慢すればよい」の間の線引きって、結局、本当に自分にとって大切なものは何かということをしっかり自覚しないと出来ないことなのだが、
大人だって、自分のことをきちんとわかっているわけではないのだ。
小学生ができないのは当たり前。

ただ、軽いツッコミを入れさせてもらえば
イジメにより小学生の娘が片腕を失ったとして両親が学校を訴えた裁判において、
当の小学生の女の子が法廷で自ら、
いじめなど無く、人目を引きたいがために自分でやったことなのだ、と証言したので、狂言だという事実がわかった、
と簡単に確定させるのは短絡的に感じた。
小学生は普通でも証言能力に疑問があり、証言の真実性は慎重に判断されなければならないとされている。
それに加えて、イジメの当事者で、法廷という怖い大人がいっぱいいる状態で反対尋問を受けている、となったら、証言の信用性には確実に赤ランプがともる(つか、ふつー証人として出ないと思う…)。
本人がそう言ったからそうなのだ、というだけの判断はどうかと思う。

まあ、仮に証言が嘘だったとしても、それはますます被害者と加害者を混乱させることになるので、テーマには影響しないわけだけど、見ていてしばらく混乱した。

被害者と加害者が混乱した結果、ラスト近くで土下座の嵐になって、なんかKERA MAP『あれから』に似た展開だなー、あれみたいに不完全燃焼気味に終わったら嫌だなー、と思っていたら、

今回はだーっとみんなで神様をタコ殴りにして、それから自分勝手に神様決めて内容もないお祈りして、どかーんと土砂降りになったら、
なんとなくすっきりして、納得できた。

何をどーゆーふーに納得できたのかわかんないんだけど、
後から考えてみたら、こーゆー事かなって思った。
「実際、冷静な目で見てしまえば、世の中は不幸や悲劇で満ちあふれているかもしれません」
「一般的な人は、バカだからこそ、それを忘れたり、気がつかないで生きていられるんですね…」

神様の片手落ちを、バカになって乗り切るんだー。
今回のイメージソング「神様とその他の変種」の気分。
うーん、かっこいいぞ。
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by k_penguin | 2009-05-14 01:01 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(2)
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Commented by smashige at 2009-05-14 21:39
世の中が不幸や悲劇で満ちあふれていているというのは仏教的認識ですよね。それを念仏を唱えてわすれるというのが仏教の本質なのかもしれないなー、なんて思いました。
Commented by k_penguin at 2009-05-15 00:39
そーゆー面もあるかもしれませんね。
大事なのは唱えること自体で
唱える言葉の内容はどうでもよくて。

劇では、「野菜炒め野菜炒め・・・・」と
お祈りする人もいましたよー。