『TOWER』2F タワーマニアの謝罪   

5番目の話の解析。
ものすごく長いけど、結論はミニマム。
なお、この話は公演中に変化する可能性がある作品だと思う。
(でも大きな変更は期待できないとも予想している)

ただでさえ長いので、あらすじは省略。



この話を見たときにとりあえずわかったのは、
客のことを全く考えていない、ということだ。
話の整合性もないし、客のニーズにも合ってないし、テーマすらよろよろしている。

話の整合性という点でいえば、
つるちゃんをキャンプに行かせないために彼に変身(変装ではない)して、代わりに自分がキャンプに出かける
という、「僕」のたくらみ自体がそもそもおかしい。
仮に彼のたくらみ通りに事が運んだとしても、1時間後に集合場所に出向いたつるちゃんが誰もいないのを不審に思って仲間に電話の1本もかければおしまいなのだ。
それならキャンプは中止になったと嘘をついて、後はつるちゃんが誰とも連絡が取れないように、つるちゃんに貼り付いていた方がまだましだ。
彼がキャンプに出向く必要は全くない。

また、客が何を見たいかというニーズの点でもおかしい。
客としては、彼と一緒に他人になりきりキャンプに行って今まで知らなかったつるちゃんの側面を覗き、スリルを味わい、ワクドキしてみたいのだ。
「チェンジもの」(『ふたりのロッテ』とか)の醍醐味はそこにある。
キャンプこそがメインディッシュだ。
それなのに話では、キャンプの過程が総て省略されているのだ。
これは不親切としか言いようがない。

テーマを中心に考えてもやはりおかしい。
内にこもっている人が外の世界に踏み出す話っぽいのだが、
それを語りたいなら、せめて知らない人たちと語り合うキャンプで何かが得られるはず(そいつらが総て「そっくりさん」だったとしても)。
あれだけ苦労してキャンプに行って楽しんでおいて、
知り合った人たちを「二軍」で片づけて、次にみんなで会うというのもつるちゃんの口約束だけで、
最終的に「近所のスタバに行けるようになりました」って。
 なにそれ。

作り手はキャンプを初めとする広い世間も知りたくないし、つるちゃんの知られざる側面にも興味はない、と解するしかない。


じゃ、作り手は何に興味を持っていたか。何を語りたかったのか。
これを読み取るには、作り手側に立ってこの話を見直さなくてはならない。
あいにく俺は小林賢太郎本人ではないので、この作業を正しく行うことはできないのだが、
それでも作り手が一番熱を込めて作っているシーンはわかる。
最も魅力的なシーン、つまり、「僕」がつるちゃんに変身するシーンだ。
この話の面白い点は、「片桐に変身した小林になる片桐」という画に集約されているといって良いと思う。
作り手としては、要は「つるちゃんに変身」がしたかっただけと考えられる。
変身さえすれば目的は達するので、後は近所の商店街をぶらぶらするだけでよく、キャンプの描写は必要ないのだ。

では、なぜその設定をもっと端的に出さなかったのか。
「片桐に変身した小林になる片桐」を出す設定は他にいくらでもあろうに、なぜ「キャンプに行かせない」設定にしなければならなかったのか。

これは、バニー十八番の「ごめんなさい」シーンにつなげるためと考えられる。
謝るところで、僕はくどいほど謝る理由を語っている。
「つるちゃんをキャンプに行かせない策を実行したこと」だと。

このごめんなさいシーンも妙に力が入っているシーンである。
これまでのKKPで俺は繰り返し
「ごめんなさい」と言うべきところでそれを言わずに自分を責めるだけ、
ということを指摘してきたし、
何に対して謝っているのか不明確
という特徴も指摘してきた。
この2点が今回はおそらく意識的に直されている。
なのに・・・やっぱりおかしいのだ。
別に先入観をもって見ているつもりはないのだが、それでも見ていてリアルタイムで
「え?」と思ってしまう。

いや、考えてみてほしい。ふつーに。

友人をキャンプに行かせない悪だくみをしてそれを実行に移し、心底後悔している人が、
実は友人がキャンプに行っていたと知ったら、
まず最初に何と言うか?

兎にも角にも
「それは良かった。ほっとした。」
と、喜ぶはずだ。
後悔の重荷を背負っている人なら必ずそう言う。
自分の行ったキャンプは何だったかの原因解明とか、その後で十分。

ところが、実際この作品には「それは良かった」の一言がない。
相手を思いやりもしないで、自分が行ったキャンブは何だったのかと首をひねっているのだ。
おかげで、
この人、本当に反省しているの?
という疑問がぬぐいきれなくなった。
口ではキャンプに行かせないよう策を練ったことに対して謝っているけど、それは本心ではないのではないか。
本当に気にしていることは、別のところにあるのではないか。
例えば、・・・つるちゃんに変身したこととか。

「それは良かった。」
一言だけど、なくてはいけない言葉。
これがないために、反省しているのではなく、ただ卑屈な態度をとって笑いを取る自虐プレイに見える。
いや、自虐なんだろうと思う。

欲望に負けて「片桐に変身した小林になる片桐」を出してしまった自分はダメな人間だ。

という。

えーと・・・
 ところで、「片桐に変身した小林になる片桐」を出すと何でダメなわけ?



「片桐に変身する小林」という設定は「片桐教習所」などの作品に見られる(「ネイノーさん」もそれだと思っている)。
以前はその設定は別にダメじゃなかったのだ。
しかし、ライブポツネン以降は、それは禁じ手になったはずだ。
「縁と緑は似ているが、違う字である」からだ。
それを止めるために彼はライブポツネンをやって、のたうち回って苦労してきたはず。
なのに、
この期に及んでまだ捨てきれない。
そのために「片桐に変身する小林を演ずる片桐」という回りくどい潜脱方法を考え出した。
それでもやっぱりいけないことはいけないので、これまた回りくどく謝っている。
過去ばかり見ていてはいけない、外に目を向けなくてはいけないとそれなりに内省もしている。
自分のような人は外にもたくさんいるんだから、とも言っている。
でも、外の人達との語らいは描けない。
やりとりできるのはスタバの店員だけ。
自分にいくら言い聞かせても、心はやはり後ろを向いているから。


( ´Д`)=3 うーん、ミニマム。

イヤなのは、ほとんど希望が見いだせてないくせに、スタバに行けたとかしょぼいハッピーエンドを装ってること。
あと必要以上に卑屈な態度をとるとこ。
「二軍」とか「ご本人登場?!」とか、最初は笑ってたけど、だんだん痛い気持ちになってきた。
別にルームメイト以外に友人がいる奴が特別偉いわけじゃない。
なんで自分を負け犬扱いするんだろう。

この話は、小細工をしてあるが、やはり今までと同じ
「現実味のない必ず許してもらえる」話である。
謝れば絶対許してもらえる、という確信が欲しいのだ。
しかし、
 絶対許してくれるのであれば、謝る。
というのは自己中理論に過ぎない。

しかし、それ以上彼は進めない。
覚悟を決めることが出来ず、
許されなくてもどんな罪でも甘んじて受ける
と、自分を相手に晒すことができない。

なぜ覚悟を決めることが出来ないのか。
怖いからか。
何が怖いのだろうか。

・・・嫌われること。見捨てられること・・・。


そうであっても、
自分がやってきたことはいずれ何らかの形で自分に返ってくるだろう。


追記
『TOWER』 M2F タワーマニアの野望

『TOWER』3F 小林さんとお客さん
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by k_penguin | 2009-04-20 22:01 | エンタ系 | Trackback | Comments(4)

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Commented by ふみ at 2009-06-24 00:28 x
やっと読めました(笑。

そしてpenguinさんがまずこのコントについて書いていたので、笑ってしまいました。なぜなら、もうこのコントは痛くて苦しくて観てられなかったからです。心の中で「もうやめて」と何度も叫んだくらいです。

商店街で有名なつるちゃん=客演してる仁さん
いつものやって=様々なジャンルの人とのつながり

そうやってもう小林さんの手からどんどん離れて行ってて、それでも入れてとは言えない。けれど羨ましい。

>それ以上彼は進めない
もう新しいものは、彼が気付かない限り作れないのでは。

>見捨てられること
これを一番恐れてると思っています。小さい頃から、子供っぽくなかったと自分で言ってますが、ちゃんと子供をしてこなかったのでACっぽさが否めません。
Commented by ふみ at 2009-06-24 00:30 x
このコントはストーリーを持たせていたようですが、penguinさんの言うように、自己満足で腑に落ちなさ満点だったと感じました。

そして荒い。つなぎ目も設定も、やっつけ感たっぷり。内容にそれらが加わって苦しさ満点でした。
Commented by k_penguin at 2009-06-24 12:24
ふみさん、ようこそ。お待ちしておりましたー。

>商店街で有名なつるちゃん=客演してる仁さん

ワタシは客演を指すまでは考えなかったですが、言われてみればそうかも。
ちなみに「後藤を待ちながら」も、知らないうちに友人を増やしている人へのやっかみがうかがわれる作品ですね。
片桐さんに小林さんを演じさせることによって溜飲を下げているあたりイタタです。

>いつものアレやって
「アレ」は最後に明らかにされますが、これが唐突のような気がします。
ワタシは最初「タワーッ!!」がいつものアレなのかと思っていました。
誰にも理解されないはずのタワーマニアの合い言葉が、実は商店街のみんなに大受けであれば、「僕」が外に心を開くきっかけになるからです。
でも、謎を引っ張ったわりには意味がない結論でした
(わざわざ紙袋というアイテムを使ったのは、最後の階段の作品に出すためと思いますが)。
Commented by k_penguin at 2009-06-24 12:24
>ACっぽさ
ナイロンの『神様とその他の変種』で、イジメを受けている小学生がいて(名前はケンタロウ君!)
彼は、「許せないやつは殺して良い」と「何をされても自分が我慢すればよい」のどちらかの考えにしかならず、その間の線引きができないというコドモです。
タワーマニアのひたすら卑屈に謝るとも、頭を下げて嵐をやり過ごそうとするともとれる態度に、これと同じものを感じました。

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