『幸せ最高ありがとうマジで!』
2008年 11月 03日
本谷有希子の書く人はみんな小市民的だ。人のどす黒い部分とか書いてもそのどす黒さもわりと平均的だったりする。
だから彼女の作品は舞台よりも映画とかテレビとかの方が向いているかと俺は思う。
だって映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は良かったもん。
永作博美が底抜けに人がよいイタイ人やってて、かわゆかったもん。
で、その本谷有希子、はじめてのパルコ劇場。
永作博美がイタイ女やるぞ! というのが売りだったらしい。
『腑抜けどもry』もサトエリがイタイ女やるっていうのが売りだったけど売るほどにはイタくなかったから、今回もそうなんだろうと思っていたらやっぱりそうだった。
新聞屋の店主の留守中に、得体の知れない女(永作博美)が突然現れ、奥さん(広岡由里子)に旦那の愛人だとぶちあげる。
これが嘘だということはわりと早々に明かされる。
どうも何かといろいろうまくいかなくってイライラしていて世の中全般に腹を立てていて、ダメ押しが誕生日(38歳)だというのに祝う人がいないばかりか煙草を吸おうとしてもライターの火もつかない、
というところでぶち切れて、通りすがりの家に「愛人だ!」と怒鳴り込んで無差別不幸テロを行おうとしたものらしい。
自称、明るい人格破壊者である彼女の言動に住み込みバイト・山里(吉本菜穂子)が巻き込まれ、新聞屋一家も巻き込まれて、一見普通の家庭の裏側のどす黒い部分が明らかになっていって・・・
と、まあ、こんな感じなんだけど、
なんとなく、みんななれ合っているというか、遠慮しあっている、というか、そんな雰囲気がある。
本物の悪い人っていうのがいなくって、つか、みんなどこか良い子でいたい人たちばかりで最後の一線を踏み切れていないので、なんか煮え切らないことばかりなのだ。
だって小市民だもーん。
良い例が山里で、最初は店主にレイプされて精神状態が悪化したと訴え、リストカットを繰り返す女として出てくるが、実はその後店主の愛人におさまり、さらには妻の座をも狙っていると判明する。
けど、それって、とくに「悪い」と評価するようなことではないと思う。
レイプされっぱなしで泣くだけの一生を送るくらいなら、愛人の道を突き進んで幸せつかんでやるって考えるのはふつーだし。
しかも「悪の道」一本にも絞れず、山里のリストカットはなかなか収まらない、というあたりが良い子っぽくて、小市民的にふつー。
謎の女ですらそんな感じで、山里をつれて母屋に乗り込み、店主を強請るが、請求金額は「200万」。
何そのリアルな数字。無差別不幸テロじゃねーのかよ。
いやもう大体が、「愛人です」って乗り込むことが「不幸テロ」だと思っている時点で良い子の小市民なのだ。
本物の無差別不幸テロはすでに秋葉原で行われている。
謎の女は最後、灯油をまき散らし、チャッカマンを取り出すが、配達すべき夕刊がきたので新聞屋の一家は仕事に戻り、誰も相手にしてくれない。
自分のことモンスターだとか何とか言ってても、この女は人を殺すような度胸もないし自殺もできないということが何となくわかってしまっているのだ。
これはむしろ彼女にとっては良い子に戻るチャンスのわけだが、
・・・そのチャンスを祝うケーキのろうそくに火がつかないんじゃね。
面白い作品ではあるが、どうしても小市民から抜け出せない絶望と苛立ちが、その小市民性ゆえに伝わりきっていない感じが惜しい。
『腑抜けどもry』では、山間の田舎という閉塞感がある設定のおかげで主人公の絶望と苛立ちが良く理解できたけど、こっちは中途半端に都会だからなのかなあ。
何かとっかかりがあればうまく入り込めるような気がする。
だから彼女の作品は舞台よりも映画とかテレビとかの方が向いているかと俺は思う。
だって映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は良かったもん。
永作博美が底抜けに人がよいイタイ人やってて、かわゆかったもん。
で、その本谷有希子、はじめてのパルコ劇場。
永作博美がイタイ女やるぞ! というのが売りだったらしい。
『腑抜けどもry』もサトエリがイタイ女やるっていうのが売りだったけど売るほどにはイタくなかったから、今回もそうなんだろうと思っていたらやっぱりそうだった。
新聞屋の店主の留守中に、得体の知れない女(永作博美)が突然現れ、奥さん(広岡由里子)に旦那の愛人だとぶちあげる。
これが嘘だということはわりと早々に明かされる。
どうも何かといろいろうまくいかなくってイライラしていて世の中全般に腹を立てていて、ダメ押しが誕生日(38歳)だというのに祝う人がいないばかりか煙草を吸おうとしてもライターの火もつかない、
というところでぶち切れて、通りすがりの家に「愛人だ!」と怒鳴り込んで無差別不幸テロを行おうとしたものらしい。
自称、明るい人格破壊者である彼女の言動に住み込みバイト・山里(吉本菜穂子)が巻き込まれ、新聞屋一家も巻き込まれて、一見普通の家庭の裏側のどす黒い部分が明らかになっていって・・・
と、まあ、こんな感じなんだけど、
なんとなく、みんななれ合っているというか、遠慮しあっている、というか、そんな雰囲気がある。
本物の悪い人っていうのがいなくって、つか、みんなどこか良い子でいたい人たちばかりで最後の一線を踏み切れていないので、なんか煮え切らないことばかりなのだ。
だって小市民だもーん。
良い例が山里で、最初は店主にレイプされて精神状態が悪化したと訴え、リストカットを繰り返す女として出てくるが、実はその後店主の愛人におさまり、さらには妻の座をも狙っていると判明する。
けど、それって、とくに「悪い」と評価するようなことではないと思う。
レイプされっぱなしで泣くだけの一生を送るくらいなら、愛人の道を突き進んで幸せつかんでやるって考えるのはふつーだし。
しかも「悪の道」一本にも絞れず、山里のリストカットはなかなか収まらない、というあたりが良い子っぽくて、小市民的にふつー。
謎の女ですらそんな感じで、山里をつれて母屋に乗り込み、店主を強請るが、請求金額は「200万」。
何そのリアルな数字。無差別不幸テロじゃねーのかよ。
いやもう大体が、「愛人です」って乗り込むことが「不幸テロ」だと思っている時点で良い子の小市民なのだ。
本物の無差別不幸テロはすでに秋葉原で行われている。
謎の女は最後、灯油をまき散らし、チャッカマンを取り出すが、配達すべき夕刊がきたので新聞屋の一家は仕事に戻り、誰も相手にしてくれない。
自分のことモンスターだとか何とか言ってても、この女は人を殺すような度胸もないし自殺もできないということが何となくわかってしまっているのだ。
これはむしろ彼女にとっては良い子に戻るチャンスのわけだが、
・・・そのチャンスを祝うケーキのろうそくに火がつかないんじゃね。
面白い作品ではあるが、どうしても小市民から抜け出せない絶望と苛立ちが、その小市民性ゆえに伝わりきっていない感じが惜しい。
『腑抜けどもry』では、山間の田舎という閉塞感がある設定のおかげで主人公の絶望と苛立ちが良く理解できたけど、こっちは中途半端に都会だからなのかなあ。
何かとっかかりがあればうまく入り込めるような気がする。
by k_penguin
| 2008-11-03 23:07
| エンタ系2(ライブレビュー)
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