IE9ピン留め
超合金 ドロッセル チャーミング
やってきましたお嬢様!
見よこの可動性!

アニメを見たとき、萌えを捨てて機能と機械としての美しさをとった選択に驚いた。
しかも明らかに自立しないデザイン。
確かに足首の稼働はいろいろめんどくさいんだけど、絶対フィギュア化されると分かっていて自立を捨て、可動をとるとは。
確かに二重関節は精密な感じがよい。無駄に頭にも二重関節を付けてしまう、調子に乗りすぎたマニアっぽさが、またおバカでよい。
そのくせ腰がデザイン先行で華奢。なぜ?

デザインは昔の手塚マンガのデザインを参考にしたそうだが(『ワンダー3』あたりか)、
マントを着たお嬢様が廊下を歩くシーンが美しかったせいか、
ワイルドとかその辺のウィーン世紀末派のイメージを感じた。
華奢でマニアな機械+ウィーン世紀末派+脱力ギャグで、
おバカ『メトロポリス』ってとこかな。
それって支持層あるのか?
俺はそーゆーの嫌いじゃないけど。


旧お嬢様と一緒に。
なぜ一緒に撮ったのかというと、
旧ドロッセルのお力を借りて無理矢理自立させるため。

装甲部分(白いとこ)が旧ドロッセルと違いプラスチックなので、重みとありがたさは減るが、重みでぐにゃっとなりにくいので扱いやすい。
培養器の中の青いバラがよく見えないのは残念。メタリックかドロッセルの眼と同じ素材にして欲しかった。
あと、手首がしょっちゅうとれる。

自立しないのは想定内なので不満ではない。
そのために「楽ちん」なポーズが作品中に登場したんだと思ってるし、
邪魔なら、二重関節をどこかに引っかけておけるしね(頭を引っかけてぶら下げると怖いけど)。
あとねー、外箱のベロのとこに旗の絵がついてたのがちょと嬉しい。

超合金 ファイアボール チャーミング ドロッセル

# by k_penguin | 2012-01-29 19:24 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)
小林さん関連記事の読者様方
当ブログに関して、「わかりにくい」とのご意見を複数いただきました。
小林さんに関しては数年扱っているうちに記事も増えてしまい、もう「過去記事を読め。」ではすまない状況でありますし、
また、ワタシ的にネットで直接語らない方が無難なんじゃないか、と思われる要素(「フリップを伏せる」という言い回しをしています)については
あえてわかりにくい書き方をしたり読みにくい記事の構成をしたりしていますので(ちなみに現在伏せられたフリップは4枚あります)、
最近の読者さんにはわかりにくくて当然かと思います。

しかし、ワタシ自身、今関わってる記事だけでいっぱいいっぱいで、
具体的にどの部分にどんな説明を加えてゆけばよいかがわかんないので
これに関しては、もう、

 分からない部分について個別にコメントで質問してください。

ぐらいしか対策を思いつきません。
しょぼくて申し訳ありませんが、うちはそんな感じなので
よろしくおつきあい願います。

なお、リンクはフリーです。
ご自分のブログで議論をしたいという方は、
ご一報していただければ(時間が許す限り)出向きます。
# by k_penguin | 2012-01-19 22:22 | エンタ系 | Trackback | Comments(0)
『うるう』 01-2 コメント用
『うるう』の記事のコメント数が100を超えたので、新しいエントリを立ててみました。
『うるう』の記事は現在3つあって、住み分けはワタシもよく分かってません。
各記事に対する感想はその記事のコメント欄に付けるなど、コメントする方がふさわしいと判断する記事を使ってください。
どこに付けたらいいかわかんない場合や、『うるう』四方山話はここに付けてください。

で、ついでにコメント欄でちょっと言及した
「まじるとよいちの再会」が話のゴールと設定されているから、まじるの年がよいちをすぐに追い越すとしても、そこで終わりでよい。
ということについて、少し詳しく述べようと思います。

何をもって話のゴールとするかはその話が何の話かによる。
A君が好きな女性が居るとする。
それが「恋バナ」ならおつきあいが話のゴール。
も少しリアルな「結婚話」なら結婚がゴール。
本当の人生だったら、ゴールは無い。これが「お話」と現実の違うとこ。

では『うるう』は何の話か。
友情の話であれば、友情が確認された段階がゴール。
不幸な男の話だったら、不幸の種が取り除かれた段階がゴール。

公式HPの言葉からすればこれは友情の話だから、40年後にまじるが来てくれた段階でゴール。
しかし、話の中であまりにヨイチの不幸がアピールされすぎたため、観客が「不幸な男の話」と認識してしまう。
だからまじるが来ただけでは納得しない。
(おそらくよいちの体質を治す特効薬を手みやげにしていればOKだろう)




ミクニ ちょこっとオアシスプラス グリーン U502-02

仕事場で見かけて、ヨイチの野菜に似ていると思ったから載せてみました。
加湿効果があるかどうかはよくわかんない。
# by k_penguin | 2012-01-15 16:10 | エンタ系 | Trackback | Comments(33)
Winny裁判 最決H23.12.19
先月最高裁が出ていたのに、すっかり忘れていた。
多分二審と同じ無罪だったから、同じ理屈だと思ったんだろう。
で、今日ちょっと見てみたら、判例のpdfが20ページもあったのでびっくりした。

ウィニーを公開することが著作権法違反の幇助になるかについての問題点及びそれに対する一審(有罪)二審(無罪)の態度については、以前の記事にまとめてある。
要は「包丁を売るのが殺人の幇助なのか?!」的な問題ね。

で、最高裁は、二審よりは厳しい態度で臨んでいて、幇助行為については古典的な幇助に加え
当該ソフトの性質,その客観的利用状況,提供方法などに照らし,同ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合で,提供者もそのことを認識,認容しながら同ソフトの公開,提供を行い,実際にそれを用いて著作権侵害(正犯行為)が行われたときに限り,当該ソフトの公開,提供行為がそれらの著作権侵害の幇助行為に当たる
としている。
二審が
著作権侵害行為に使われることを認識しているだけでは足りず、侵害行為をするようネット上で勧めてソフトを提供する場合に成立する
と、「違法行為をやる気」もサポートしろ、と言ってるのに対し、最高裁は
やる気のサポートは不要で、「やる気満々集団」だと知って道具を提供すればよい。
としている。この点で最高裁はむしろ有罪にした一審と同じ理屈をとっているのだ。
だから二審があげていた刑法の謙抑主義もあげてない。
そして客観的に幇助行為があったことも認定している。

ただ最高裁は一審と違い、故意を認めなかった。
これもなかなか薄氷をわたるぎりぎりな認定という感じがして、
「今回は特別に見逃してやるぜ」的なにおいがする。
このへん、幇助罪の成立を認めながらも実質的違法性を考慮した大谷裁判官の反対意見の方が理論的にきれいという感じがする(多数意見より反対意見の方が大体理論はきれいに仕上がっているものだ)。

総じて最高裁は、事件当時、ファイル共有ソフトはまだ新しい存在であったことをふまえ、ソフトの開発に過度の萎縮効果を生じさせないことを考慮したものと言える。
最初だから良いけど、次からはダメよ。
というところか。
# by k_penguin | 2012-01-14 15:13 | 裁判(判決評) | Trackback | Comments(2)
『うるう』03 血と責任
まず、あらかじめ断っておくが、この記事は「うるう」02で紹介した話を前提として解釈をする。
まじるとよいちが父子という、話の中ではそうなってない設定で決め打ちしちゃうのはどーかなー、とも思ったのだが、
自分の中では完全にそれ前提の思考になっているので、無理をするよりも、当ブログのスタンスとしてそれで行かせていただくことにする。

んで。
「親子の別れ」を描くにあたって、なぜああいう表現をとったのか。
ということについて考えてみた。



すげー長いよ
# by k_penguin | 2012-01-10 21:30 | エンタ系 | Trackback | Comments(10)
今年もよろしく
あけましておめでとうございます。

当ブログを御覧の皆様、
今年もひとつ、ご贔屓に。



toi toi toiはすぐに消されてしまうので
いつまでもつか・・・
# by k_penguin | 2012-01-03 16:38
『うるう』02 むしろ違う話
前回のつづき。
2点を読み替えて、「うるう」を再構成する。
別の話という位置づけにしたいので、名前は流用しない。
まだうるうを観てない方は読まないほうが良いかも。




More
# by k_penguin | 2011-12-23 20:00 | エンタ系 | Trackback | Comments(49)
小林賢太郎演劇作品『うるう』
小林賢太郎の舞台は、始まるまでほとんど情報が与えられないのが常だ。どういう感じの作品なのかも分からないまま、ということも多い。
しかし今回はある程度のことが予想できた。
『THE SPOT』の「うるう人」の設定を使うらしいこと。徳澤青弦のチェロとの二人舞台であること。「ひとりになりたがるくせに寂しがるんだね。」というコピー。
 と、くれば、まあ、こんな感じだろう。

美しくて寂しくてついでに切ないような感じでほろり。クスリもあるよ!

で、結論から言えば、予想通りだった。
そーゆー系が大好物、という方は喜べるかと思う。
ただし、「大好物」でなければならない。ストーリー上の多少の疑問点をハードル競争みたいに飛び越えながら雰囲気に流されるように見なければならないからだ。
単に「そーゆーのも嫌いじゃない」とか「やぶさかではない」とか、その程度では、つっかかってしまう危険がある。

東京グローブ座の初日で、全公演の初日だったので、舞台の雰囲気はまだざっくりしていたし、ギャグも予想できるものが多かった。
でもこの辺は回数重ねればなんとかなるだろう。

と、いうわけで、普通のレヴューはここでおしまい。
次に、話が腑に落ちなくて気になる、とか、もっと泣きたい、という方のために多少つっこんだ話。

いきなり容赦ないネタバレするからね。
# by k_penguin | 2011-12-22 22:25 | エンタ系2(ライブレビュー) | Trackback | Comments(102)
「ぬぐ絵画 -日本のヌード 1880-1945」 展
裸で公園を歩くとお巡りさんに捕まっちゃうのに、どうして裸の彫刻はいいんだろう?

そんな疑問を感じたことがある方、例えば俺、なんかにはお勧めの、東京国立近代美術館、渾身の企画
はだかの人物を美術作品として描き表し、それを公の場で鑑賞するという風習は、実はフランス、イタリア経由の「異文化」として、明治の半ば、日本に入って来たものでした。以後、これが昭和初頭に定着するまで、はだかと絵画をめぐって、描く人(画家)、見る人(鑑賞者)、取り締まる人(警察)の間に多くの葛藤が生じることになりました。(紹介文から)

と、いうわけで、裸をどう受け止めるか、についてのいろんな考え方が示されている。
客のおっさん率が高い。
21世紀は裸を見るために美術館に来る人が居る時代じゃないと思ってたんだが、そうでもないのか?

所蔵作品展も含め、そうそうたるメンバーの裸婦像がそろっているが、絵画だけでなく、それが展示されたときの新聞記事や、雑誌に掲載された画家の本音っぽい言葉もとても興味深い。
「裸は芸術だもん!やらしー眼でみないで!」という思想を定着させようとした黒田清輝のがんばり、そしてそのがんばりを一蹴する「いや、裸は裸じゃんw」という一般大衆の常識感覚。
確かに人間の肉体は描くのに技術が必要であり、裸を極めることは芸術を極めることの1つのあり方ではあった。
しかし、だからといって「やらしくない」かというと、それは別の話だ。黒田清輝が導入した考えは西洋の「イデア」的な考えに似ていて、日本には最初から馴染みにくいところはあったのだろう。
画家の側でもすぐに裸の「エロス」の表現に興味を持ち出す。だって裸だもん。
その後も、立体としても裸や、お仕事としての裸婦像(この説明があると、安井曽太郎の画は断然面白くなる)、そして、命が消えた裸(熊谷守一がこんな画を描いていたとは知らなかった。この絵が目当ての人も結構いると見たが)。
いろんな裸、そして裸の見方が提示される。

絵の見方があらかじめ設定されているので、見るのがとても楽。
美術館はプロ又はプロを目指す人が勉強する場という概念を捨てて、「絵を見る」ということに焦点をあてた点が面白かった。企画の勝利。
所蔵作品展も併せると結構量があってしんどいが、所蔵作品にも大物がごろごろ居るので見といた方が良いと思う。
# by k_penguin | 2011-12-18 23:00 | エンタ系 | Trackback | Comments(6)
東スポ芸能(tospo_mobile)のツイートより
東スポ芸能 tospo_mobile
ドコモiPhone参入を否定された日経について「東スポ並み」とか言われ複雑。うちなら「ドコモ iPhone獲得のため霊媒師使いジョブズ氏と会談」ですよ



おまけ(記事とは関係ない)
以前に拾った画像


これは亀甲縛りではないんだそうです。
2ちゃんで誰かが、誰も頼んでないのにそう解説してくれました。
# by k_penguin | 2011-12-02 18:49 | 拾いもの | Comments(0)
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